Kapitel.1
彼女の葬儀が終わって、僕は近くの公園に立ち寄った。ベンチに座り、必死に頭の中を整理しようとする。
どうして彼女が死ななくてはいけなかった?どうして僕は彼女を守れなかった?
信じられるわけがない。人間はこんなに簡単に死んでしまうものなのか?
もうこれからは、僕のそばにいてくれる人はいない。僕に付き合ってくれる人もいない。僕を愛してくれる人もいない。そんなの、信じたくない。
何が起こっているのかわからなかった。頭が酷く混乱している。けれど、夢ではないことだけは心のどこかで理解していた。
そんな時だった。唐突に声が聞こえてきたのだ。
「大丈夫ですか?」綺麗な女性の声だった。
僕は顔を上げずに呟くように言う。
「大丈夫ならこんな所で頭を抱えていません」
「そうですよね・・・・・・」
それから女性は何も言わなかった。立ち去ったのかと思い、僕は少しほっとした。一人になりたいのだ、誰も邪魔しないで欲しい。
しかし、その女性は立ち去っていなかった。
「私でよければ、話を聞きましょうか」
「・・・・・・どうしてですか」
「どうしてって・・・・・・」女性は困ったように言う。「あなたの顔に、誰かに話をしたいと書いてあります」
この科白に疑問を持たなかった時点で、僕の精神状態は宜しくなかったと言える。
僕は本当に誰かに話したかったのだと思う。自分で整理できないことがわかっていたのだ。
「・・・・・・彼女が火事で死んだのです」
僕は整理しながら話していく。女性は静かに僕の話を聞いてくれていた。
「元気だったのに。信じられません。どうして彼女が、由佳が死ななくてはいけない。由佳がいなくなったら・・・・・・、僕はどうすれば良いんだ」
話しているうちに、涙が溢れてきた。僕は唇を噛みしめる。
「・・・・・・死ぬ気ですか」
黙った僕に、彼女が訊く。
「・・・・・・わかりますか」僕は溜息を吐いた。「そうしたいんです。死んでも由佳のそばにいたい。けれど・・・・・・、自殺なんてしたら、由佳は絶対に許さない。私はまだ生きたかったのに、生きているあなたは自ら命を絶つなんて、絶対に許さないからって・・・・・・。由佳がならそう言います」
気の強い人なんですよ、と僕は付け加える。すると、女性は力強く言った。
「それは私も同感です。生きてる人は、生きる喜びがわかってないのですよ」
「でも、生きてたって楽しいことなどないですよ」
「それも同感です。生きるほどつらいことはありません」
女性の言葉に矛盾があることには気がついたが、僕は対して気にしなかった。どうでも良かったのだ。
「僕はこれからどうれば良いのかがわからない。由佳がいなくなった今、僕が生きる意味はなくなったのです」
「そんなことはありません。由佳さんは望んでいるのでしょう、あなたが生きることを。それがあなたの生きる意味です」
そうかもしれない。僕は彼女の為に生きてきた。彼女がそう望むのなら、僕は生きるべきなのだろう。
「でも・・・・・・、生きてたって何もない。面白いことも何も・・・・・・」
「あなたが面白いと感じようとしないからですよ。この世は面白いことで溢れています。死んだら嫌でも実感しますよ」
彼女は苦笑したような声で言う。
「なら死なせてくれよ」
「誤解していますか?私はあなたの自殺を止めているわけではありません。自殺したい気持ちは誰よりもよくわかりますから。でも」彼女は一瞬言葉を切った。「リストカットはやめた方が良いですよ」
「・・・・・・そうか」
「今は飛び降りにや首吊りにすれば良かったと後悔してます。リスカなんてするんじゃなかった」
・・・・・・もしかして、
「あなたは、自殺経験者ですか」
僕の質問に、女性は恥じるわけでも躊躇うわけでもなく頷いた。
「はい」
「リスカを?」
「ええ。経験者として、これはお勧めしません」
「そうですか・・・・・・」
「飛び降りますか?」
「・・・・・・いや、自殺はしません。由佳が怒りますから」
僕は肩を竦める。けれど、前を向くには時間がかかりそうだ。
そう言うと、女性は笑うように言った。
「それで良いんじゃないですか。死んだ人間にとって、生きている人間が泣いているのを見るのは悲しいですが、それなりに嬉しいんです。だって、自分がいなくなって悲しんでくれる人がいるって幸せでしょう」
「そうですか」
「私はそうでしたけど、由佳さんはどうでしょう?もしかしたら怒るかもしれませんよ」
女性は笑いながら言う。きっと冗談だったのかもしれないけれど、流石に僕でも気がついた。私はそうでした、って?
僕はそっと顔を上げる。冷たい風が僕の頬を叩いた気がした。
どういうことだ。公園には誰もいなかった。
帰ったのか。僕は一瞬そう思ったが、そんなわけがない。何故なら、足音が全くしなかったからだ。
待てよ待てよ。そもそも、足音なんて一切聞いてないぞ。女性が近づいてくる音さえしなかったんじゃないか?
僕はなんとなく、血の気が引いていったような気がした。
確かにそうだ。気が動転していたけれど、これは確かだ。足音なんて、一切聞いてない。
僕が頭を抱えたのを笑うように、彼女の声が聞こえてきた。
「私なら後ろにいますよ」
僕ははっとする。そうか、後ろか。
僕は動揺を恥じるように苦笑しながら言った。「僕、結構堪えてるんですね」そして後ろを向く。
固まった。文字通り、僕は固まった。顔に笑顔を張り付けたまま。
どういうことだろう?僕は冷静を維持しようと、笑顔を張り付けたまま自問自答する。これは、どういうことだ?
後ろに女性の姿なんてない。というか、実際気配など全くしていないのだ。後ろにはただ、木々が並んでいるだけだ。
僕は勢い良く立って、周囲を見渡した。
誰もいない。声もしない。冷たい風が全身を包んでいるだけだ。夜の公園は寂しいと改めて実感するように、僕は暫く公園内を見渡していた。
女性が去ったとは考えにくい。僕は恐る恐る口を開いた。
「あの・・・・・・、どこにいるんですか」
案の定、女性は去ってはいなかった。「ここにいますよ」
こういう時-非現実的なことが目の前で起きたとき、人間はどのような対処をすれば良いんだろう?
無視するべきか?精神科にでも行くべきか?僕は幻聴まで聞こえる程気が動転しているのか?
彼女の声だったら良かったのに。なんて僕は少し思った。
気を取り直して、僕は大きく息を吐いて訊いた。
「・・・・・・透明人間ですか」
僕は半ば真剣に言ったつもりなのだが、女性は笑い飛ばした。
「まさか。まぁ、近いものかもしれませんけどね。どちらかと言うと幽霊に近いですけど」
ゆうれい?あの、死者の魂がどうのこうのって言う、あれか?
僕は首を振った。
そんなわけがない。幽霊なんているはずがない。いや、幽霊はいても良い。だが、幽霊と会話をしているというのは認めたくない。
「驚かれました?」
女性は無邪気に言う。驚くなんてもんじゃない。幽霊を前にして、幽霊と会話をして、驚くぐらいで済むわけがないだろう。もしも驚きもしないというなら、それは幽霊を信じていないのだ。実際に幽霊に会って話してみろ。腰が抜けるかもしれないぞ。
「・・・・・・本気で言ってます?」
僕はどの方向を向いて良いかわからず、空を見ながら訊いた。
よく聞くと、彼女の声はどこからともなく、響くように聞こえてくる。
「本気ですよ。というか、揺るぎようもない事実ですから」
「夢じゃないですか?」
「それはあなたの判断に任せます。あなたがこれを夢だと思うのならそれで良いです」
正直、はっきりと現実だと言ってほしかった。今の僕に自己判断力が欠けているというのは、わかるんじゃないのか。
「・・・・・・君は、自殺したのに生き返ったと言うのか?」
「そんなところです。正確に言えば、魂だけこの世を漂うことになってしまったわけですが」
「・・・・・・意味がわからない」
僕は再びベンチに腰を掛け、頭を抱えた。
何もかも放り投げなくなってきた。彼女を失い、幽霊と出会うなんて。僕が何をした?神様とやらに何か反感を買うようなことをしたのか?
「できる限りでしたら説明しますよ」
女性は遠慮がちに言う。少なからず、僕のことを心配してくれているらしい。
聞きたいことは沢山ある。けれど、まず聞きたいのは、
「君の声は、誰にでも聞こえるんですか」
「ええ」
「いつだったかに、僕の家の近くの小学校で、授業中に正体不明の叫び声を聞いたという騒ぎがありましたが」
「あぁ、それ私です」
女性はあっけらかんと言う。あの騒ぎで小学生が泣き出したというが、悪気はあるのだろうか?
「今までに誰かに話しかけた経験は?」
「ありますよ。けれど、みんな幻聴かと首を捻るくらいで、私に気がつかないんです」
そりゃあそうだ。幻聴くらい、よくある話だろう。それを幽霊がいると考える奴なんてそうはいないはずだ。
「じゃあ、僕に話しかけたのは・・・・・・」
「あなたがあまりに可哀想に思えたんで、つい」女性はえへっと笑う。
「・・・・・・そうですか。では、僕はこれで」
僕はどこにいるかもわからない相手に、お辞儀をして、回れ右をして帰ろうとした。
とにかくここから離れるべきだ。というか、女性とは関わらないべきだ。
そんな僕の気持ちを察してるのかなんなのか、女性は無邪気に言った。
「私もついていって良いですか?」