魔女免許更新事件
魔女だって人間だ。
朝は起きるのがつらいなって思うし、昼間は仕事って面倒だなと思いながらも働くし、夜は居酒屋の個室で友達とお酒を飲んだりもする。
ちょっと魔法が使えて、ちょっと薬学の知識が豊富で、ちょっとホウキなどで空を飛べたりするだけの一般人。
それが魔女である。
だからうっかり、たまたま、とんでもないヘマをすることだって人並みにある。
そろそろ居酒屋を出ようかという頃。腰を上げかけた私を引き留めるように、魔女友達の黒崎まどかは事件性のありそうな悲鳴を個室に響かせた。
「──やばい。魔女免許の更新、完ッ全に忘れてたんですけど。失効しちゃった……」
驚いて振り返った私に彼女が向けていたのは、口の端を歪めた無理のある笑顔。それは『絶望を顔で表現しろコンテスト』があったら上位入賞できるだろうなと、そんなことを思わせる味わい深い表情で。つまり事態はかなり深刻ってこと。
私はとりあえず無言でカバンを開くと、多頭蛇革の財布を取り出し、入れてあった自分の魔女免許証を確認する。記載されている有効期限は再来年だ。
「私は大丈夫だわ。よかった」
「いやよくないから。全ッ然よくないから。あたしはなんにも大丈夫じゃないわけだが」
悲鳴を聞きつけてきた店員さんに謝りつつ、生ビールをジョッキで二つ注文する。あと個人的に好きだから枝豆。
お開きの予定は変更だ。今夜はきっと長くなる。
「天下の魔女が二人して無様を晒す羽目にはならなかったでしょ。……おっと。今のあんたはもう魔女じゃないのか。これは失礼しまし──」
即座に顔へと投げつけられたスマホは、私が人差し指を振ると空中で静止した。
「冗談よ」と付け加えながら元の軌道を逆走させると、「そんな余裕はないっての」なんて口を尖らせるまどかの手の中に戻る。
魔女免許。
正式名称を国際普通魔女第一種認定免許。
ルーマニアに本部を置く世界魔女機関(通称WWO)が発行する、魔女にとって世界で唯一の身分証である。
各国の教習所で学科と実技の講習を受講、仮免許をもらい、その後にルーマニア本部の免許センターにて本試験を合格することでやっと取得できるわけだが、そもそも魔法の適性がある人間しか受けられないので合格率は高い。ただまあ、数年かけて挑むのが一般的な資格のため難易度もまた高い。
三年に一度、最寄りの教習施設で更新をする必要があり、それを忘れると今回のまどかのように無用な地獄を見ることになる。
「あああ……、なんで忘れちゃったのかなぁ。いやわかってた、カラス経由でメールも届いていたから更新自体はわかってたんだけども、時間あるときでいいかって思っちゃったんだよなぁ。そうかそうかあれはもう半年前のことですか、そうですか……」
「時間の流れって年々早くなるわよね。半年前とかほぼ先週でしょ」
「いや本当に、先週だったらどんなによかったことか。誰か時間魔法使ってない?」
とはいっても、と。運ばれてきたビールを口に含みながら、私は友人の惨状をほんの少しでも好転させる糸口を探し、拙い知識を脳から引っ張り出す。
「あれって失効してからもしばらくは猶予期間がなかったっけ。前にサバトで酔った先輩がそんなことを言っていたような。普通より長めの講習を受けるだけで済んだって」
「六か月ある。つまりは半年で、その猶予期間の最終日が明日です」
「あらまあ」
その場合、当然ながら再取得の手間は跳ね上がることだろう。
今さら学科や実技試験を受け直す自分を想像して、私は背筋がゾッとした。
学生の頃ならいざしらず、仕事をしながら魔法薬の配合レシピやら地域ごとの細かい飛行ルールを覚え直すのはどれほど面倒なことか。下手をするとまた年単位の時間がかかるのではないか。
「都内か、少し遠くなるけど京都の教習所では手続きできないわけ? それならなんとか明日でも間に合うんじゃ」
「ダメ。失効してる人はルーマニア本部の免許センターでしか受け付けないんだって」
「あらあらまあまあ」
飛行機だと乗り継ぎ込みで二十時間弱はかかるのがルーマニアという国だ。今からではまず間に合わない。ホウキを全速力で飛ばせば七、八時間で着くかもしれないが、
「とにかく今から家帰って、ホウキでルーマニアにいってくるわ。もうこれしかない」
「お馬鹿。今乗ったらアウトでしょうが」
「わかってるって。ちゃんとアルコール分解薬は飲んでから乗るよ。今日のために家で調合してきといたのがあるから」
まどかが懐から出した白い粉末の小袋を見て、私はため息をつく。なにもわかっていないじゃない。あとその持ち運び方法はやめてほしい。際どい。
「あんたはなんでルーマニアにいかなきゃいけないんでしたっけ?」
「そりゃもちろん免許の更新を──あ、なるほど」
捕まる前に気づけたようでなにより。私はぐびぐびとジョッキを傾ける。
無免許で行った場合、日本で最も捕まりやすいのがホウキ類による飛行だ。
たとえば無免許でホウキに跨がり浮いたが最後、即座に警察の魔法犯罪対策課へと連絡がいく。二人乗りや過剰な低空飛行なんてもってのほかだ。
かつて歩道での暴走事故が頻発してしまったことにより、市販の飛行道具すべてにセンサー魔法がかけられているのである。その取り締まりの厳しさは無免許での魔法使用の比ではない。
魔法による凶悪犯罪がめったに起きない日本だからこそ成り立っているチグハグさというか、なんというか。閑話休題。
「薬の調合はバレづらいグレーゾーンでよかったわね。魔法はさらに限りなく黒に近いグレーだけど、この半年間で使った?」
「……外では使ってない、はず。記憶の範囲では。たぶん。ホウキも乗ってない」
「いっそ魔女なんかやめちゃいなさいよ。なんの問題もな──おっと危ない」
キャッチボールならぬキャッチスマホをもう一度行ったあと、「仕方ないじゃんかぁ」と文字通り泣き言を溢すまどか。本当に感情がコロコロと変わって愉快な子だ。
「知ってるだろうけど、仕事がめっちゃめちゃ忙しくてさぁ。休日は寝てるかお酒飲んでるかの二択だったから、ホウキを使うような距離の外出がなかったし。職場も徒歩圏内だしさ。ていうか本当にどうしよう。え、あたし本気で魔女じゃなくなるの? なんなら仕事もクビにならない? 魔女だから入社できた節があるんだけど、今の会社」
「既にあんたは魔女じゃないわよ」
「ふざけていないで、なにか打開策はない? お願いだから。マジで。頼むから!」
べつにふざけてなどいないが、「そうね」と私は一応真面目に考えてみる。
仮に明日中にルーマニアにたどり着けても、講習を受けられなければ意味はない。
そこを踏まえると、タイムリミットは今からせいぜい十五、六時間。飛行機では間に合わず、ホウキの二人乗りは法律で禁止。瞬間移動なんて大魔法は私たちレベルでは不可能だ。WWOに事情を話して大目に見てもらう……というのも絶対に無理だろう。傲慢かつ融通の利かない本部の大魔女様たちがそんな優しさをみせてくれるわけもない。
ううん、なるほど。
熟考の末、私は枝豆の入った器とメニュー表をそっとまどかの方に寄せる。
「もっと飲んだ方がいい」
わっとテーブルに突っ伏したまどかを放置して、私はスマホを片手に一旦席を立った。
*
「そもそもなんでルーマニアでしか免許が取れないわけ。仮免許と一緒で、国内で取れる仕組みにしたっていいんじゃないの。おかしい。絶ッ対におかしい。世界はグローバル化しつつあるっていうのに、やることなすこと考えてること全部が時代と逆行してんのよ。あの頭にカビの生えた老婆たちはさぁ」
絶望の顔芸からきっかり一時間。すべてを諦め、酒に逃げることを選んだ(元)魔女は、怒りやら悲しみやらのマイナスな感情を心の大鍋で煮詰めてはくだを巻く。
「言いすぎよ。仮にも偉大な先輩に」
「先輩ぃ? いやいや。もうあたし魔女じゃないし、事実しか言ってないし。知ってる? 大魔女様たち、噂じゃスマホどころか電話も使えないって話よ。そんな人らが何百年も権力を握ってルールを作っているからこんな悲劇が起きるんでしょうが。あの人たちこそ免許を返納して、さっさと後進に道を譲れっての」
「あんたの喜劇は自業自得ってところを置いておけば、その他の部分は概ね同意。大魔女様たちの無駄に保守的な姿勢には私もウンザリしてる。それでも昔と比べたら、だいぶ緩くなったみたいだけど」
「それ本気で言ってる? どの辺が?」
「たとえばうちの母親が若い頃は日本に教習施設なんてなくて、期限内の更新すらも本部限定だったらしいわ。だから三年ごとにルーマニア旅行をさせられていたって」
うへえ、とまどかが露骨に顔を歪ませる。
「嫌がらせが露骨すぎる。仕事もあんのに」
「有給が取りやすい会社に入るのはマストだったって。まあとにかく、大魔女様たちだってまったく対話の余地がないってわけでもないのよ。いつかは教習所で免許取得もできるようになるかもしれない。それが吉と出るか凶と出るかは人それぞれでもね」
「吉以外の回答はないでしょ。いつかが今でなきゃ何の意味もない話だけど、ねっ!」
空のジョッキが勢いよくテーブルに着地した。
いい飲みっぷりだと普段なら囃し立てるところだが、さすがに今日は自重する。あまりに哀れだからという理由のほかに、自分で薬を服用できる程度には意識を保っていてほしいからだ。その限界ラインも近いようなのでそわそわしていると、やっと私のスマホが鳴った。
画面を確認し、息をつく。
「じゃあ、そろそろ出ましょうか」
「えーっ? まだ早いよぉ。そっちも明日休みなんでしょ?」
私は自分用のアルコール分解薬を鞄から取り出しながら言う。
「遅いぐらいよ。ルーマニアまで何時間かかると思っているの」
「…………ん?」
*
星々の光が灯った夜空を、私はホッとしながら見上げる。雨に降られるのは嫌いではないが、時と場合によるのも事実。状況によっては友人を見捨てて帰宅も考えていたから。
「ちょ、ちょっとタンマ! 説明!」
お酒を身体から抜き、二人分の会計を済ませたまどかが私を追いかけてくる。
「なに。これから思いっきり迷惑をかけられるんだから、今さらワリカンはなしよ」
「そうじゃなくてルーマニア! い、いけるの?」
肩をすくめる。今さらなにを疑っているのやら。
「私、方法がないだなんて一言も言ってないけど」
「いや、だって、『諦めて酒を飲め』って!」
「言ってない。『もっと飲んだ方がいい』とは言った。なにせ時間がかかりそうだったから、なにも注文しないで待つのも店に悪いなと思って。酩酊されるのは勘弁だったけどね」
「待つ? 待つって、なにを?」
「あれを」
顎でしゃくるは、コインパーキングに止められた黒い軽自動車だ。魔法が使えないとこんな鉄の塊を買う必要があるのだから、なんとも同情するほかない。来るのも遅かったし。
「ねえ。まさか、車で海を渡るつもり?」
「あらいいアイデア。でも軽自動車と船って別の乗り物なの。残念ね」
「今この瞬間に魔法を使えないことが一番残念よ。カエルに変えてやるのに」
「まあ待ってなさい。すぐにわかるから」
頭にはてなマークを浮かべたままのまどかは無視して、私は車に近づき窓を二、三度叩く。
ゆっくりと開いた窓の奥、運転席に座っていたのは、不機嫌そうな顔をした私の愚弟。
「何時だと思ってんの。急に呼び出しやがって」
「ごめんなさいね。で、頼んだものは?」
どうも「魔女ってやつはこれだから……」などと聞こえた気がするが、今はそれどころではないので聞かなかったことにする。
「後ろの座席に突っ込んである。念のため、自分で確認してくれ」
「はいはい」
後部座席のドアを開けると、そこには棒状に丸められたなにかがあった。
ひょいっと車外に移動させ、宙で固定し、指をくるくると回して広げる。四畳半ほどの大きさになったそれは、間違いなくお目当てのモノだ。
「これって、もしかして──っ!」
横で経過を眺めていたまどかが息を呑む。さすがに気づいたらしい。私は少しだけ気持ちよくなりながら、歌うように説明を始める。
「かのソロモン王の時代から連綿と受け継がれてきた技法で、専門の職人が織った至高の一品……らしいけど、まあ誇張はあるでしょうね。最大で四人まで乗せて飛行可能、最高速度はヒッポグリフも置き去りにする驚異の──」
「魔法の絨毯!? なんでこんな高級品をあんたが?」
食いぎみに遮られた。
まあ、いいけど。べつに。うん。
「ええ、そう。魔法のペルシャ絨毯。私じゃなくて、うちの母の私物ね」
より正確に言えば母たちの私物、である。
かつてルーマニアまで往復するストレスを少しでも軽減したかった母とその友人たちは、お金を出し合って本場イランのこの絨毯を購入したらしい。
しかし買ってすぐに各国の教習所で更新が可能となり、道交法も改正。こんな大きな空飛ぶ絨毯は日常生活で使いづらく、売って買い叩かれるのも忍びない。だから我が家の車庫で眠っていた、というのが事の経緯だった。
「これならホウキよりも多少の時間はかかるけど、あんたを乗せてルーマニアまでいけるでしょ。まさかこの歳になって徹夜飛行することになるとはね」
「──本ッッッ当に天才! 神! 心の友!」
「はいはい。帰りはあんたの運転だからね」
抱きついてくるまどかを適当にいなしていると、『さっさと帰りたいんですが』とでも言いたげな愚弟が話しかけてくる。
「こんな時間に、そんな骨董品を引っ張り出して、姉貴たちはどこにいくわけ?」
呆れ顔で訊いてくる愚弟に、私も呆れ顔で返す。
「免許センター」




