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私のゴミ箱は一杯になったのでもう捨てますね!

作者: 悠木 源基
掲載日:2026/02/14

 これは不器用な幼なじみの男女が、様々な妨害を受けながらも、長い長い時間を掛けて気持ちを通わせるまでの話。


「君と付き合うようになって、なぜ俺がこれまでご令嬢方に振られてきたか、ようやく理解できたよ。

 彼女達が求めていたのは共感であって、俺の意見や助言なんて必要なかったんだなってさ。

 俺が愚痴るたびに君ってさ、すぐにその対策案を提示してくるから正直驚いたよ」


 ぞんざいな話し方には似合わない、落ち着いた濃いブルネットヘアに端正で上品な顔立ちの青年が、正面に座っている黒髪の若い女性にそう言った。


「まあ。私が何かのお役に立てたのでしたら嬉しいですわ。

 以前私も幼なじみから『あなたに意見なんて求めてないわ』と言われてがっかりしたことがあったのです。

 でも、そんな私があなたにとっての映し鏡になれたのでしたら幸いですわ」


 がっかりどころか、まるで清々したとでもいうように、彼女は微笑みながらそう応じた。

 その言葉は彼に対する皮肉にも聞こえたが、それは彼女の正直な気持ちだった。


 そう。彼女は生まれたときからの幼なじみと、ひと月ほど前に喧嘩別れをしていた。

 その幼なじみであるモードリン侯爵令息夫人のハンナは、あの後、お茶会などで散々彼女の悪口を言いふらしたことだろう。


 空気のまったく読めない行き遅れのご令嬢。

 友人として役に立たない共感できないご令嬢。

 正論ばかり吐く情緒欠陥なご令嬢。

 生まれてくる性別を間違えた残念なご令嬢……だと。


 名門レイモンド伯爵家の令嬢であるハリエットは、優雅にコーヒーを飲みながら、親の命令で致し方なく付き合ってきたその幼なじみであるハンナと(たもと)を分かつことができて、内心ほっとしていた。

 幼いころからずっと、意味のない彼女の愚痴や噂話ばかり聞かされてきた。

 そのせいでハリエットの心の中は、不必要で不愉快な情報ばかりが詰め込まれていて、もうパンク寸前だったのだ。

 しかし、先月兄のゾイドが当主となり、彼女にこう言ってくれたのだ。


「ワイスリー侯爵家とは今後手を切るつもりだから、もうお前も無理してあそこの家の人間達と付き合うことはないぞ。

 あの愚かな両親がお前にこれ以上無理難題を言うようなら、離れではなく、領地の別邸(物置小屋)へ送り込んでやるからな」


 前レイモンド伯爵夫妻は長い物には巻かれろがモットーのような人間だった。

 自分より力のある家の人間にはへつらい、逆らおうとはしない。

 それ故に娘のハリエットにワイスリー侯爵家のハンナの友人(イエスマン)になることを強要したのだ。

 

 しかし、史上最年少で宰相の補佐官に任命されるほど優秀な兄のゾイドが後継者になったので、ハリエットは両親に従う必要がなくなった。

 兄は目の上のたんこぶだったワイスリー家について調べ上げ、これまで我が家に対して行ってきた違法行為の証拠を掴んだのだ。


「これまで長い年月に渡り、規定に違反して徴収されてきた通行料や運搬費の超過金に対して、大幅な利息を上乗せして請求することも考えた。

 しかし、時効を過ぎた分は取り戻せないし、我が家の受けた被害は金銭や目に見えるものばかりではない。

 それゆえに、賠償を求める裁判を起こすことにした。

 家同士で問題解決してしまったら、あちらを社会的に抹殺できないからな。

 お前も最後に我慢しないで言いたいことを言ってやれ」


 こうしてハリエットは、ありがたく兄のその言葉に従うことにしたというわけだ。




「相変わらずアダムの帰りが遅いの。家のことをみんな私一人に任せきりで。

 いくら仕事が忙しいからといってもひどいと思わない?」


「早く帰ってきてとお願いしたら?」


「仕事で忙しくしている夫にそんなことは言えないわ。そんなわがままなことを言って嫌われたら嫌だもの」


「そう。それなら仕方がないわね」


(あのやる気がないと評判の人物が仕事で忙しくしているわけがないじゃない。

 彼は行きつけの酒場の女給に心寄せているのに、そんなことにも気付かないなんて平和でいいわね)


「仕方ないでは済まないわ。息子は父親の顔さえ覚えていないのよ」


「まあ、それは大変ね」


(子供は母親の顔も覚えていないけれどね。

 この前私が抱き上げたら「ママ」と呼んでいたもの。

 ナニーと乳母任せで、ハンナは子供の世話なんて一切していないから当然よね)


「お義母様達が毎日私を呼び出すの。

 でも、老人の部屋って加齢臭がするし、薬品臭くて嫌だっていうのに」


「まあ、あなたは匂いに敏感だものね」


(義両親の世話はメイドと専属の介護人がやっていて、あなたは何もしていないでしょ。

 顔を見せるだけなのに、何がそんなに不満なのかしら。

 どうせ家政について学ぶ気なんてないのでしょう? 夫人もおそらくもうあきらめているわよ。

 私がメイドに小まめに窓を開閉して空気を入れ替えするようと助言してからは、それほど匂いは苦にならないはずなのにね。

 優しい香りのする花を庭から摘んで飾るように勧めてからは、なおさらに)


 ハリエットがいつものように心の声を押し込んで相槌を打っていたら、珍しくハンナは不機嫌そうな顔をした。


「ねえ、さっきから適当な返事ばかりね。私が本当に困っているというのに。

 親友ならもっと真剣に聞いてよね」


「聞いているわよ」


「聞いているのなら、何かアドバイスをしてくれてもいいんじゃないの」


 ハンナにそう言われてハリエットは大袈裟に驚いて見せた。

 だって、昔は彼女のためにと色々と助言をしていたのに、それをいつも嫌がっていたからだ。




「毎日コツコツ予習復習しろですって?

 毎日きちんとノートを取れですって?

 わかっていないわね。

 私があなたに求めているのはそんな言葉じゃないの。

 試験前にあなたのノートを見せてと言っているのよ。

 そして試験に出そうな山を教えてと。

 あなたばかり毎回上位の成績を取ってずるいわ」


(あの当時、なぜ私がずるいのかさっぱり理解できなかったわ。

 いえ、今でもわからないけれど。

 大体ノートを貸したら、私の試験勉強ができなくなるじゃないの。

 一応私が山を張ってあげたおかげで落第しなくて済んだのに、ノートを貸さなかったことに彼女は腹を立ててたわね。

 恩知らずもいいとこだわ。

 そして私のことを冷たい女、点取り虫だと周りに吹聴してたわ)


 その後ハリエットは、ハンナの両親であるワイスリー侯爵夫妻に文句を言われたと激怒した両親によって、三日間食事抜きで部屋に監禁された。

 もっとも、兄がこっそり食事どころかデザートまで差し入れてくれた。

 そのおかげで、彼女は実際のところ痛くも痒くもなかったのだが、その理不尽さに腸が煮えくり返った。

 ハンナやワイスリー侯爵夫妻、そして自分の両親に対して。

 

 ハリエットは、その後も彼女にノートを貸すことはなかった。

 ハンナがあまりにもうるさいので、山だけは張ってあげていたけれど。

 そして彼女はもう二度とハンナに勉強しろなんて言わなかった。もちろん他のアドバイスも。

 いい加減無駄なことだとわかったので。

 良かれと思って助言しても、反対に悪く言われたのでは割に合わないと、さすがにハリエットも悟ったのだ。


 それからというもの、ハリエットは両親に言われた通り、ハンナにとって都合のよい友人役(イエスマン)に徹した。

 そして他のご令嬢に対しても、ハンナほどではないけれど、なるべく余計なことは言わないようにしていた。

 ところが、女性同志の付き合いとは難しいもので、ただ黙って頷いているだけでは駄目だったらしい。

 ハリエットは結局みんなから少し浮いてしまった。

 なにせおべっかが言えなかったし、同調もせずに噂話にも乗らなかったからだ。


 そんな社交下手な令嬢に縁談が来ることもないだろうと、ハリエットは早々に結婚を諦めた。

 そして勉学に励み、兄同様に官吏試験に上位の成績で合格し、女性官吏となり、現在城勤めをしているのだ。

 官吏は国のため、国民のために働く。

 それゆえに男女関係なく同等の能力を求められる。

 つまり必要な意見を言えないような人間はむしろ必要とされない。

 ハリエットにとってはそこは実にありがたい環境だった。


 もちろん、両親は娘を結婚させようと色々と手を回していたようだが、彼女の兄がそれを全て妨害してくれていた。

 現実的、かつ理論的な兄は妹にこう言った。


「人には適材適所というものがある。

 あの両親が選ぶような家へ嫁いでも、お前の才は活かされない。そんな無駄なことをさせるつもりはない。

 つまらない男と結婚するくらいなら、官吏として働く方がよっぽどお前のため、社会のためになる。

 ただし、恋をするなと言っているわけじゃないぞ。

 お前を能力を認め、理解し、生かしてくれるような男ならば、相手の身分や年齢は関係なく俺が応援してやる」


 全くもってありがたい兄である。

 ちなみにそんな兄が選んだ妻アンジェラは、妹ハリエットの職場の先輩であった元エメライン子爵令嬢だっだ。

 人付き合いが苦手なハリエットを優しくサポートして、的確に指導してくれた恩人。

 そして才色兼備な上に芯が強い素敵な女性だった。


 義両親に嫌味を言われながらも臨月近くまで仕事を続けた後、アンジェラは無事に男の子を産んだ。

 夫からは、子が生まれたら乳母に預けて仕事復帰をしてもよいと言われた。

 しかし彼女は、子育ては自分でしたいし、伯爵家を立て直したいからと言って官吏の職を辞した。


 アンジェラは産休中にレイモンド伯爵家の家政を確認したのだ。

 するとその中身があまりにもぞんざいだったために、このまま義母に任せていては大変なことになると考えたらしい。

 そしてその後、夫と共に改めて家の内情を調べていき、その過程でワイスリー侯爵家との不当な関係性に気付いたというわけだ。



 ハリエットは学園を卒業した後も両親の命令で、ハンナに呼び出されれば、彼女の嫁ぎ先のモードリン侯爵家へ足を運ばなければならなかった。

 しかしそれも、当主交代のおかげで、ひと月ほど前のあの日が最後となったのだ。




「本当に私のアドバイスを求めているの?

 昔からあなたは私の助言など必要ないと言っていたのに?」


「えっ? そうだったかしら。よく覚えていないわ。

 昔のことはともかく、今はちゃんと聞くわ。

 このごろ、本当に何もかも上手くいかなくて困っているのよ」


 珍しくハンナは真剣な顔でそう言った。

 さすがに社交界において自分の評判があまり良くないと、ようやく彼女も感じ始めたのだろう。

 しかしお仲間達の中には、それをはっきりと指摘してくれる人がいないに違いない。

 だってこれまで彼女は、そのようなことを友人には求めてこなかったのだから。そうハリエットは思った。


「わかったわ。

 まあ私のアドバイスをあなたが素直に聞き入れて、それを参考にするとはとても思えないけれどね」


「えっ?」


 大きく目を開いて戸惑うハンナを無視して、ハリエットは淡々とこう言った。


「現状を変えたいのなら、まず、あなたは良い妻、良い母親、良い嫁の()()をすることを止めることね」


「はあ? 振りってどいう意味よ。

 私は良妻賢母で理想の嫁と呼ばれているのよ」

 

 ハンナが目を剝いて、とても淑女とは思えない大声を上げた。


「一体誰がそう呼んでいるの? あなたのご両親とお兄様かしら?

 それとも、あなたの学園時代からのお仲間達?

 それ以外の方々に言われたことはあるのかしら?」


「ひどいことを言うのね」


「あなたが困っているというから仕方なく言ってあげたのに、それをひどいだなんて、あなたの方がよっぽどひどいんじゃないのかしら。

 でも、余計なお世話ついでに、最後だからもう一つだけアドバイスをしてあげるわ。

 あなたが()()ではなくて()()の良妻賢母になりたいというのなら、まずお義母様達に心からこれまでの行いについて謝罪をして、教えを乞うことね。

 そして夫と本音で話し合い、子供とはドレスの汚れなど気にせずに、思い切り遊んであげるべきだと思うわ」


「あなたの言っている意味がわからないわ。

 なぜ私がお義母様達に謝罪しなければいけないの? 

 反対に感謝されるべきでしょ。まだ幼い子供を育てながら病人の世話をして、家政までこなしてきたのだから。

 あなたは私の友達なのに、私のことを何もわかっていなかったのね。

 レイモンド伯爵夫人に注意してもらわきゃいけないわ」


()()はあなたになんて会わないと思うわ。

 彼女はあなたと違って忙しいから、時間を無駄にしたくはないはずだもの。

 それは私も同じよ。

 もうここへ来ることはないでしょう」


 ハリエットのその言葉にハンナは吃驚した。


「義姉って何? ご当主が変わったの? そんな話は聞いていないわ。

 それにここには来ないってどういうつもりなの。私達は幼なじみで友達でしょ?」


 その言葉に今度はハリエットの方が瞠目した。そしてこう言った。


「えっ! 私達は友達だったの? 知らなかったわ。

 たしかに幼なじみではあったけれど。

 私は自分のことをてっきり、あなたが愚痴や鬱憤を吐き出し、それを捨てるためのゴミ箱なのかと思っていたわ。

 でもね、私の心の中はこれまでのあなたの不満で一杯になってしまって、これ以上は受け入れられないの。

 だから今日であなたとはさようならするわ。

 今ここでほんの少しだけ吐き出せたけれど、まだまだたくさん残っているから、これから少しずつ捨てて空っぽにするつもりなの。

 だって今度はゴミではなくて、もっと美しいものや役に立つもの、そんな素敵なものを貯めて行きたいから」



 ハリエットはハンナと決別宣言をして帰宅した後、兄夫婦と一緒に酒盛りをして、これまで溜め込んでいた、くだらなくて腹立たしくて無意味だった汚いごみを全て吐き出した。

 その結果、その翌朝は気持ち的には精々していたが、激しい頭痛と吐き気に襲われながら職場へ向かう羽目になった。

 しかも馬車の中で、いつもと同じ平然とした顔をしている兄を恨めしそうに見つめながら。

 そして、馬車から降りる直前に兄からこう言われたのだ。


「明日、俺の友人の相談に乗ってやってくれないか」


 と。

 その兄の友人というのが今、レストランの個室の中で向かい合わせに座っている男だったのだ。




「フォーケンス公爵令息様、ご自分がなぜ女性に振られるのか、それをご自覚できたのですよね?

 でしたら、もう私のお役目は終わりということでよろしいでしょうか?」


「おいおいハリエット嬢。

 こうやって一緒にお茶を飲むようになってそろそろ一月になるっていうのに、家名呼びは切ないな。それに、二十四にもなっても令息様は情けないものがあるぞ」


「はあ。それではクレイン卿とお呼びすればいいのでしょうか?」


「ああ。とりあえずそれで頼む」


「クレイン卿はお話の仕方やその内容にさえ注意なされば、それはもう完璧で素敵な紳士でいらっしゃいます。

 ですからもう、女性に避けられるという事態にはならないのではないでしょうか。

 さすがに学園時代にお好きだったご令嬢方は、皆様結婚なさっていると思われるので無理でしょう。

 ですが、最近上手くいかなかったご令嬢とでしたら、やり直せるのでないでしょうか?

 パーソンズ侯爵家のご令嬢や、サザリー辺境伯家のご令嬢とか」


「いや、俺は若いご令嬢は苦手だし好みじゃない」


「えっ? やっぱり同世代の女性がよろしいのですか? 

 ということは離縁された方でも構わないということですか? 未亡人になられた方でも。

 ですが残念ながら、その条件に当てはまるような方を私は存じ上げませんの。

 もしかしたら、モードリン侯爵令息夫人のハンナ様が独身に戻られるかもしれません。

 でも、私としてはあの方はお勧めできません。クレイン卿のお好みにケチをつけたくはないのですが」


 ハリエットがそう言うと、クレインは一瞬ポカンとした後で彼女を注視した。


「君の発言には幾つか訂正すべき箇所があるぞ」


「まあ! それは申し訳ありませんでした。一体どの辺りか誤りだったのでしょうか?」


 ハリエットは本当に驚いた顔をしてそう訊ねた。自分の短い言葉の中にそんなに誤りがあったなんてと。


「俺はこれまで一度も女性に振られたことはない」


「えっ?」


 再びハリエットは瞠目した。


 フォーケンス公爵令息は眉目秀麗、頭脳明晰、しかも王家の血を引く高貴な貴公子。

 文句無しに社交界で一番人気の男性であった。しかしなぜか二十代半ばになっても結婚どころか婚約したこともない。

 多くの女性との浮き名を流してきたが、なぜかいつも短い期間で別れてしまうという。

 しかもそのほとんどが女性から振られてしまったからだという。

 そのせいで、彼には何か表に出ていない()()()()があるのではないか、という噂が流れていた。


(彼の欠点とは、下世話な輩の言っていたようなものではなかったと、この一月ほどの面談でわかっているわ。

 というよりも、子供のころからの知り合いなのだから、そんなことは元々知ってはいるけれど。

 彼は正真正銘の紳士よ。

 だけど、彼が相手に共感できなかったことは、やはり女性に嫌われる要素よね。

 だからてっきり、それが理由で女性に振られてきたのだと思ったのだけれど)


「多くの女性から何度も交際を申し込まれてきたけどさ、一、二度お茶を飲んだくらいで、いつもそれ以後のお誘いは断ってきたんだよ。

 それがなぜか、いつも俺の方が振られたことになっていたのだが、まあいいかと放っておいた。

 女性の方から交際を申し込むというのは勇気がいることなのだろう?

 それなのに振られたらなおさら気まずいだろうと思ってさ」


(なんて人がいいのかしら。女性なんてそんな繊細な生き物じゃないわ。

 もっと図々しくて厚かましく、強かよ)


「それにさ、モードリン侯爵令息夫人というのは、ワイスリー侯爵家の元ご令嬢のことだろう?

 俺さ、あの女性と付き合ったことなんて一度もないぞ。お茶を一緒に飲んだこともない。

 彼女の兄とは学園で同級生だったから多少の付き合いはあった。

 だから、学生のころに彼を通して手紙を受け取ったことはあった。

 しかし、もう二度と手紙は出さないで欲しいと返事をしたよ。

 その手紙の内容が自分の自慢ばかりでさ、俺の一番嫌いな人間だと思ったからな。

 それに文字も汚かったし、興ざめだった」


「ああ、やっぱり彼女の作り話だったのですね。おかしいとは思っていたのです。

 あなたのような素晴らしい男性が、こう言ってはなんですが、自分本位な彼女のような女性を好きになるとはとても思えなかったので。

 ただこれまで、ひと言も否定なさらなかったから」


 彼女はどこか遠い目で一度天井を見あげてから、ため息と共に俯きながらそう呟いた。


「君に自惚れ屋だと思われるのは甚だ不本意なのだが、俺は、子供のころから女性から言い寄られていたんだ」


 嫌そうにクレインがそう言うと、ハリエットは「知っています」と頷いた。


 ハリエットの兄ゾイドはクレインとは幼いころからの友人であったので、フォーケンス公爵家にはよく遊びに行っていた。

 そして子供のためのパーティーなどが開かれると、幼いハリエットまで呼ばれることがあったのだ。

 それゆえに、クレインがご令嬢達に言い寄られている場面を彼女は何度も目にしていた。

 そんな彼を気の毒に感じて、いつも助けに入りたいと思っていたハリエットだったが、彼女はそのご令嬢方よりずっと年下で、しかもまだ幼なかったために、結局何もできなかったのだ。

 いや、自分まで彼に近付いたら、却って煩わしいのではないかと思って、ぐっと堪らえていたのだ。


「兄は社交上手だったから気にもしなかったが、俺は鬱陶しくて堪らなく嫌だった。

 あからさまではなかったが、母を嘲笑って『自分は彼女のように規律や正しさだけを求める冷たい女ではありません。可愛らしくて愛らしい女性なんです』

 そうアピールしてくるのが腹立たしかったのだ。

 彼女達は俺が兄同様に、母親を毛嫌いしていると勘違いしていたみたいだな」


「フォーケンス公爵夫人はとても素晴らしい方です。

 公爵家を立派に盛り立てていらっしゃるだけでなく、王城で働く全ての女性の地位向上と、安全を確保するためにご尽力してくださいました。

 子どもを抱えて働く市井の女性のために、託児所の整備を進めてくださったのも夫人です。

 クレイン卿のお母様は私の最も尊敬する女性です。

 そんな方を見下すような態度をとるなんて、許せません」


 これまでほとんど感情を表に出してこなかったハリエットが本気で怒るのを見て、クレインは「ありがとう」と言った。


「俺はすっかり女嫌いになって、まだ子供だったというのに結婚なんてしなくていいやと思うようになったんだ。

 次男だし、まあ独身でもいいやって。一応子爵位はもらえるというし、いずれその爵位は兄の子供にでも渡せばいいかなと考えていたんだ」


「まあ、そうだったのですか。

 それなのになぜ今回、結婚相手を見つけるための相談を私に求められたのですか?」


 ハリエットの当然の疑問に、クレインは苦笑いを浮かべると、思いもかけなかったことを口にした。


「間もなくね、俺がフォーケンス公爵家の後継者になることになったのだよ」


「はっ?

 後継者はお兄様ではなかったのですか?」


「そうだったんだが、兄夫婦がまあ、色々やらかしてね。廃嫡されることになったんだよ。

 詳しい事情は言えないけれどね」


 そりゃあ公爵家のそんな重大な内情を簡単に漏らすわけにはいかないだろう。そうハリエットも思った。

 しかし聞かなくても、なんとなくその原因が思いついてしまった。

 フォーケンス公爵家の嫡男夫妻といえば、まるで頭の中にお花が咲き乱れているのではないか、と思えるような方々なのだ。


 政略結婚で結ばれた両親のように冷えた夫婦にはなりたくない。

 そう言って、両親のみならず親類縁者の反対を押し切り、自由恋愛で結婚した二人はたしかに、まるで絵のモデルになりそうなくらいに美しかった。

 しかし、結婚してすでに五年も経つというのに、その浮かれた状態は今も変わらなかった。

 若い令嬢でもないのに、年甲斐もなく華やかで可愛らしいドレスに身を包み、高級な装飾品を身に着ける妻と、そんな妻に見惚れている夫。


「公爵夫人はいつも高級で品のある装いをなさっているけれど、それは贅沢をしているわけではなくて、小物や宝飾品を上手に着回していらっしゃるのよね。

 それなのに令息夫人は、まるで着せ替え人形のように毎回違う衣装を身に着けているけれど、財政の方は大丈夫なのかしら」


 そう心配されていた。

 フォーケンス公爵家の先代当主夫妻は浪費家の上に事業を興しては潰していたので、資産をかなり減らしていた。

 現在の当主になってからは大分盛り返してきたのだが、だからといって好き勝手に散財できるほど余裕があるとは、世間の誰も思っていなかったのだろう。

 ただし、そんな余計なことをわざわざ二人に進言する者はいなかった。


「先月ね、義姉が宝飾品を購入しようとして店から断わられたんだ。もう兄名義ではお売りできませんって。

 兄夫婦は自分の個人資産を全く管理していなかったんだ。

 気に入った宝石が買えないと妻に泣きつかれて、兄は父にお金を出してくれるように頼んだんだ。

 兄は父が自分の妻を可愛がってくれていると思い込んでいたからね。

 父は何度注意しても直そうとしない嫁を見限っていただけなのにね。

 案の定父は冷たい目で兄夫婦を見てこう言い放ったよ。


『お前の役立たずの妻に宝石を買ってやれるような余裕があるならば、私の愛する妻に買い与える』


 ってね。

 俺の両親、政略結婚なんかじゃなくて恋愛結婚だったんだ。学園の生徒会で知り合って。

 何故か兄はそれを信じてなかったけれど。

 とにかく、まともに自分の個人資産を管理できないような者達には、公爵家は任せられないって、父が兄を廃嫡にすることにしたんだ。

 両親はこれまで辛抱強く兄達を教育しようとしてきたんだけど、聞く耳を持たなかったので、遂に諦めたんだ」


(()()()()侯爵家と同じだわ。そして我が家と正反対ね。

 でも、結局廃嫡理由を私に話してしまったけれどいいのかしら?)


「つまり、クレイン卿がフォーケンス公爵家の後継者になることに決まり、結婚しなくてはならなくなったので、どうしたら女性と上手く付き合えるかを私に相談したかったというわけですよね」


 ハリエットはやっと理解できたとばかりにすっきりした顔でそう言ってから、こう言葉を続けた。


「ようやくクレイン卿のお好みの女性を把握することができました。

 これまで勘違いをしていて誠に申し訳ありませんでした。

 フォーケンス公爵夫人のような理性的で知的、しかも思いやりや行動力のある方がお好きだったのですね。

 一人だけそのハードな条件に当てはまる方がいたのですが、残念なことに、すでに人妻(兄嫁)になってしまいました。

 でも、探せばきっと見つかると思うので、諦めないでくださいね。

 私も協力しますから。

 きっと兄も協力してくれると思いますよ。

 幼なじみで同僚の貴方様の幸せを、兄は誰よりも願っていると思いますので」


 ハリエットが勢い込んでこう力説すると、クレインは目を細めて意味深な笑みを浮かべた。


「ああ。ゾイドは大分前から俺に協力してくれていたよ。

 レイモンド伯爵家に送られてくる君宛のつり書きは当主夫妻が見る前に丁寧に相手に返却してくれていたし、モードリン侯爵夫妻からの後妻の話を勝手に受けようとしていたご両親をさっさと引退させて、君を守るために自ら当主の座に就いてくれたしね。

 彼には感謝の気持ちしかないよ。持つべきものは妹思いの親友だよね」

 

「はっ?」 


 彼のその話は色々と訊ねたい疑問に満ち溢れていたのだが、ハリエットはその中でも一番驚いたことについてこう訊ねた。


「モードリン侯爵家が私を後妻に望んでいたというのは本当なのですか?」


「ああ。夫妻はうちの両親と同じで息子の結婚に反対だったんだ。

 だが、自分達も自由恋愛で結ばれて結婚したから、反対しきれなかったんだ。

 だから結婚後に教育をしようと考えていたらしいのだか、両家とも失敗したんだ。相手に聞く気がなければどうしようもないからな。

 特にハンナ夫人はろくに家政もせずに何の役にも立たない社交ばかりして、夫どころか子供の世話もしない。

 義両親が体調を崩しても心配一つしないし、顔を見せることさえ嫌がった。

 このままではモードリン侯爵家は傾いてしまう。息子も妻への愛情はもうないようだし、離縁させようと考えていたらしいよ。

 そしてそう決心した大きな要因は君だったみたいだよ」


「どういう意味でしょうか?」


 ハリエットは眉を顰めて、怪訝そうな顔をした。


「君はハンナ夫人に呼び出されて、何度もあの家を訪れていただろう?

 そして礼儀として侯爵夫妻にもきちんと挨拶をして、体調の良くない夫妻のために何気ない配慮をしつつ、介護人やメイドにも助言をしていたのだろう?

 そのおかげで病室は快適になり、食事が改善され、徐々に運動を始めたことによって、体調が戻ったらしいよ。

 ハンナ夫人の前では病人の振りをしていたようだが」


「えっ?」


 今日は何度驚きの声を上げたことだろう。

 ハリエットはもう訳がわからなくなっていた。


「しかし、君を後妻にしたいと思った一番のきっかけは二歳になったばかりの孫が君をママと呼んで、嬉しそうに抱きついたのを見たときだったそうだよ。

 今なら母親が代わっても大丈夫だと思ったらしい」


「ええ。たしかにあの子は可愛いです。でも、あの子の父親とは夫婦にはなれません。絶対に」


 すると、それまでどこかこの状況を楽しんでいるかのように余裕で話していたクレインの顔が、すっと変わった。


「当たり前だ。いくら妻に問題があろうと、好きで結婚した相手だろう? 

 夫婦として互いに努力することなく浮気相手に逃げるような男は、何度でも同じことをする。

 そんな男と結婚して幸せになれるわけがない。

 ゾイドはモードリン侯爵令息には浮気相手がいることを話して、その話を断るようにご両親に言ったそうだ。

 ところが、彼らは聞く耳を持たず、その話を進めようとしたんだ。

 それでゾイドはついに自分が当主になる覚悟を決めたんだ。君を守るために」


「両親が私を結婚させようとしていたことは知っていました。

 しかし、なぜそれがモードリン侯爵家だったのでしょうか。後妻の口なら他にもあったでしょうに。

 ハンナはワイスリー侯爵家の娘ですよ? 

 幼いころから彼女のご機嫌取りをしろと私に命じてきたのは両親です。

 彼女を蹴落として娘の私をその後釜にしたら敵対することになってしまう。それなのになぜ?

 両親は兄があの家を潰す気でいることなんて、まだ知らなかったはずですよね?」


 ハリエットが疑問に思うのは当然だとクレインも思った。


「ゾイドが言うには、君のご両親はワイスリー侯爵家に表面上は従ってきたが、内心は快く思ってはいなかった。

 いつか見返してやろうと考えていたのではないかと。

 ハンナ夫人が捨てられて自分達の娘が望まれて再婚することになったら、侯爵家に勝ったことになると思ったようだ。

 それにゾイドが宰相補佐官になったことで、もうワイスリー侯爵家を恐れなくてもいいと判断したのかもしれないな」


「なんですか、それ!」


 ハリエットは瞠目した。

 そしてその後、脱力して、やり切れないという儚げな笑みを浮かべた。

 両親がワイスリー侯爵家をやり込めたいという気持ちは理解できた。

 しかしそれを、まさか娘の幸せと引き換えにしてまで果たそうとするとは!

 さすがに彼女も大きな衝撃を受けた。


(あの人達にとって、私の存在は何だったのかしら。

 自分が両親の望んでいたような娘ではないことはわかっていたわ。

 愛されているという実感もなかった。

 けれど、そこまでどうでもいい存在だと思われているとは……)


 ハリエットの頬に涙がスッと流れ落ちた。それを立ち上がったクレインがハンカチで拭った。

 そして彼は、彼女の明るい緑色の目を間近でしっかりと見つめながら、ゆっくりとこう言った。


「ありのままの君をゾイドは愛している。アンジェラ夫人も。

 そして…俺もだよ、ハリエット嬢」


 ハリエットは、瞳がこぼれ落ちるのではないと思えるほど大きく目を見開いた。そして美しい濃紺の瞳を見つめ返した。


「俺は子供のころ、多くの年上のご令嬢に囲まれて怯えていた。

 ゾイド以外誰も助けてくれなくて、人間嫌いになりかけたよ。

 そんなときゾイドが教えてくれたんだ。君がいつも俺を気にかけてくれているって。

 何もできないことを歯がゆく思っているのだと。

 そして


『あんな自分本位な女の人達に無理して合わせていたら壊れちゃう。でも無視したら怒られちゃうでしょう。

 だからクレインさまも、私みたいに女の人に何か相談されたら、こうしたらいいですよって教えてあげればいいのにね。

 メイドさんたちはみんな喜んでくれるのに、ご令嬢のみなさまはみんないやそうな顔をして、私から離れていくもの』


 そう言っていたってね。

 だから、それからというもの、俺は君のアドバイスに従うことにしたんだよ。

 君以外のご令嬢となんて付き合いたくはなかったからね」


 クレインが空気を読まず、共感もしないでただご令嬢方に助言をしていたのは、自分とは違ってわざとやっていたのだ。

 それを知ったハリエットは、羞恥で顔を真っ赤に染めた。

 ドヤ顔で彼がなぜ振られるのかを分析していたからだ。

 しかも彼が自分のためにそんな真似をしていたなんて思いもしなかったのだ。


「なぜ今ごろになってそんなことをおっしゃるのですか? 結婚をしなくてはならなくなったからですか?

 たしか、結婚願望はなかったのですよね?」


「それはまだ子供だったころの話だよ。

 君を好きになってからの俺は、早く君に気持ちを伝えて婚約したくて堪らなかったんだよ。

 だけど、俺の婚約者になったら、君が学園で大変な目に遭うのが分かりきっているから、卒業するまで待つようにとゾイドに言われたんだ。

 君は絶対に誰とも婚約させないからって」


「まあ!」


 でも、学園を卒業しても何も言ってこなかったわよね、とハリエットが心の中で思っていると、クレインは大きなため息をついた。


「正直なことを言うと、ゾイドがどこまで俺との約束を守る気があったのか、今になって疑っているんだよね。

 君の卒業が近くなったら、君のその才能を社会で活かせたいから、もう二、三年待ってくれと言い出したし。

 モードリン侯爵家との話がなかったら、こんなに協力してくれるつもりはなかったんじゃないかって。

 あいつ真面目な堅物に見えるが、シスコン甘々男だからな」


「たしかに兄は私に優しいですが、さすがに私をいつまでも家に置いておくつもりはなかったと思いますよ。

 だってそんなことをしたら、兄はアンジェラお義姉様に嫌われてしまいますもの。

 お義姉様は、私が子供のころからずっとクレイン様を慕っていることをご存知で、兄に向かっていつもこう言っていたのですよ。


『私の大切な義妹(いもうと)の恋路の邪魔する者は、ゴミ箱にポイしないとね』って」


 子供のころからずっとクレイン様を慕っている……


 クレインは、ハリエットの口から無意識に漏れ出た想いを耳で拾って、思わず破顔したのだった。

 


 夫の浮気を知ったハンナは、激怒して慰謝料をもらうと、子供を置いて離縁して生家に戻った。

 ところが実家のワイスリー侯爵家はゾイド=レイモンド伯爵に裁判を起こされて負け、多額の賠償金を要求された。

 その後も次々と別の家からも裁判を起こされた結果没落した。

 ハンナはモードリン侯爵家に戻ろうしたが、すでにアダムは親に進められた女性と結婚していた。

 アダムは浮気相手とはきちんと手を切り、妻子と両親を大切にし、良い夫となっていた。

 


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