表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜に名を与える  作者: ベリドット


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/8

商業地区~忠誠を誓うものと誓われるもの~

第8話どうぞご覧下さい!

セラフィナは、震える指を、震えそうになる声を必死に抑えていた。

泣いてはいけない。

そう思えば思うほど、胸の奥が熱を帯び、視界が滲む。

アトラスは何も言わず、部屋を出るために歩き出す。


「ドレスに着替えたら呼んでくれ」

「時間は、かけてもいい」


それだけを告げ、彼は振り返ることなく扉へ向かった。

その背中が、セラフィナの中に残る“貴族としての誇り”を、踏みにじらぬよう守っていることを、彼女は無意識のうちに理解していた。

扉が静かに閉まる。

部屋に残されたのは、セラフィナただ一人だった。

用意されたドレスへと視線を落とし、彼女は堪えきれず涙を流す。

柔らかく、指に吸いつくような上質な手触り。

それは、かつての記憶を思い出させる。

数分後。

涙を拭い、深く息を整えると、セラフィナは何年ぶりかのドレスに袖を通した。

着替えを終え、扉を開ける。


「マスター……着替え終わったわ」


待っていたアトラスは、短く頷く。


「わかった」

「行くぞ」

「屋敷の前に、馬車を待機させてある」


二人は屋敷を出て、停められていた馬車に乗り込む。

御者が手綱を振り、馬車は静かに走り出した。

車内で、アトラスが口を開く。


「最初に向かうのは、我が領地ヴァスタスが誇る商業地区だ」


その言葉に、セラフィナは幼い頃に見た王都の市場を思い出す。


「商業地区?」

「ねえマスター……欲しいもの、買ってもらってもいい?」


少し遠慮がちに投げかけられた問いに、アトラスは即答した。


「ああ、いいぞ」

「それに、生活必需品や日用品も買い揃えるつもりだった」

「……どういうこと?」


疑問を浮かべるセラフィナに、彼は淡々と説明する。


「屋敷の君の部屋には、今はベッドしかないだろう」

「それでは寝ることしか出来ない。気も休まらない」

「本や机、趣味の品――インテリアも含めて、揃える」


セラフィナの顔が、ぱっと明るくなる。


「ありがとう! マスター!」


やがて、窓の外に街並みが見えてきた。


「商業地区が見えてきたぞ」


王国の“白”で統一された景観とはまるで違う。

色は統一されていないが、黒を基調とした近代的な建物が立ち並び、活気に満ちている。

その光景に、セラフィナは思わず問いかけた。


「ねえ、マスター」

「どうした?」


言いにくそうに、彼女は言葉を選ぶ。


「確かヴァスタスは……元々豊かではなくて」

「それにアウローラ家の支配下で非人道的な行いがあったとして、王国から無期限の援助停止を受けているはずよね」

「それなのに……どうして、こんなに栄えているの?」


アトラスは、少しだけ息を吐いた。


「不思議に思うのも無理はない」

「俺の両親の代までは、確かにその通りだった」


彼は語る。


「俺が十歳の時、両親に代わって年の離れた従兄弟――リオスが、俺が十五になるまでの五年間、領主を務めた」

「彼が、この地の土台を築いた」

「その後、俺が正式に領主となり、工業を主産業に据えた」

「公共事業を通して民に学ばせ、育て、発展させた」

「成熟したところで、民間へ引き渡した」

「今は、税を納めてもらい、それで領地を運営している」


彼はセラフィナを見る。


「……これで答えになったか?」


セラフィナは、静かに頷いた。

やがて馬車が止まる。

アトラスは服装を軽く整え、立ち上がる。


「さて、降りるか」

「セラフィナ、行くぞ」


商業地区に足を踏み入れた瞬間、歓声が溢れる。

女性からは黄色い歓声、男性からは尊敬と感激の声が聞こえる。


アトラスは一歩前へ出て、ゆっくりと口を開く。


「皆の者、出迎えに感謝する」


その声は決して大きくはない。

だが、不思議と商業区全体に行き渡った。


「これだけ多くの者が集まってくれた。だから、話しておきたい」


一拍、間を置く。


「まずは――感謝だ」


彼は、民一人ひとりを見渡すように視線を巡らせる。


「我が領地ヴァスタスは、決して恵まれた地ではない」

「加えて、我がアウローラ家は王国から忌み嫌われてきた」


人々の間に、小さなどよめきが走る。


「その結果、援助は断たれ、苦しむのは常に民だった」

「……それを、我が家は止められなかった」


アトラスは、言葉を選ぶように一度息を吐いた。


「いや、正しく言おう」

「我が家は、民に苦を背負わせることに慣れてしまった」


沈黙が落ちる。


「先々代領主であり私の父、レグルス・アウローラは、権力と軍事力に溺れた」

「領主でありながら、民を見ることを忘れた」


その瞬間、何人かの老いた民が、静かに目を伏せた。


「――それでも」


声に、わずかな熱が宿る。


「それでも、皆はこの地を捨てなかった」

「先代領主リオス・アウローラ、そして私を信じ、十三年という時を共に歩んでくれた」


アトラスは、深く、深く頭を下げる。


「私は、皆に感謝している」

「これほどの忠誠と忍耐を示してくれた民を、誇りに思わぬ領主はいない」


顔を上げる。


「皆は、私の誇りだ」

「そして、これからも――誇りであり続けてほしい」


誰かが、堪えきれずに涙を拭った。


「私は誓う」

「ヴァスタスの民であるというだけで蔑まれる、この国を変える」

「皆が胸を張り、この地の名を名乗れる未来を、必ず掴み取る」


静寂ののち、誰からともなく膝をつく音が広がっていく。


アトラスは、穏やかに告げた。


「……ありがとう」


「もう一つ聞いて欲しい」

「私の隣にいる者についてだ」

「この者は元公爵ヴェスティア家の一人娘、セラフィナ・ヴェスティアだ」

「今は、私の管理下にある」

「この街を歩いていても、誰も害することはないから受け入れてやって欲しい」

「――以上だ。聞いてくれて感謝する」


人々は散り、それぞれの仕事へ戻っていく。

アトラスは歩き出した。


「さて、セラフィナ。買い物としよう」

「はい!」


その日、セラフィナが見た領地の姿、聞いた領民の声、そしてそれに応えようとするアトラスの背中は、深く彼女の胸に刻まれた。

――貴族とは、何なのか。

両親の言葉が、静かに蘇る。

『セラフィナ、貴女は貴族として――

 なんの曇りもなく、誇り高く生きなさい』

その意味を、彼女はようやく理解し始めていた。

今回は結構長めになってしまいました

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ