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3.何かがおかしい舞踏会

 夜の帳が下り、王宮は一層の華やかさに包まれていた。

 クリスタルのシャンデリアが幾重にも輝き、まるで星々が天井に降りてきたかのようだ。貴族たちの宝石が光を受けて煌めき、豪奢なドレスと燕尾服が舞踏会の広間を彩っている。


 ルクレツィアは、公爵令嬢としての完璧な微笑みを浮かべながら入場した。

 今日のドレスは淡いローズピンクのシルクに繊細なレースが重ねられ、煌びやかすぎず、品のある華やかさを演出している。背筋を伸ばし、静かに視線を巡らせると、見慣れた顔ぶれが次々と目に入った。


(ここが始まりの舞踏会……)


 ここからすべてが動き出す。聖女ソフィアの登場も、そして攻略対象たちの物語も――。


 遠くに王太子アズライルの姿が見えた。漆黒の髪に深紅の瞳。その鋭い眼差しは今日も氷のように冷たい。

 その隣には騎士アシュレイが控え、ダークブラウンの髪にスチールグレーの瞳を光らせながら、厳かに警戒を怠らない。


 王太子アズライルは、ふとルクレツィアの姿に気づいたのだろう。遠くからその深紅の瞳がわずかに細められた。

 いつもなら近づいても形ばかりの挨拶しか交わさない彼が、自ら数歩を踏み出してルクレツィアの前に現れる。


「ルクレツィア・アルモンド」


 低く響く声。

 冷ややかさは変わらぬものの、どこか妙に柔らかい。

 いつものように距離を取るわけでも、無関心を装うわけでもなく、彼はわざわざルクレツィアの目の前で足を止めた。


「アズライル殿下。今宵もご機嫌麗しゅうございます」


 完璧な所作で礼を取るルクレツィア。

 だが、その内心はわずかに困惑していた。――これは、今までにない展開だ。


(……前回この舞踏会で私はアズライルに挨拶したかしら?)


 アズライルは彼女の礼にゆるやかに頷くと、視線を絡めたまま口を開く。


「随分と控えめな装いだな。だが――よく似合っている」


 一瞬、胸の奥がざわつく。

 褒め言葉。しかもこの王太子の口から――。

 冷徹で人を称えるなど滅多にしない彼が、だ。

 乙女ゲームの中でもソフィアにそれを口にしたのは王太子ルートに入ってからだけ。


(何? これは……)


「ありがとうございます、殿下」


 表情に出さぬよう微笑むが、心の内は違和感で満ちていた。まるで、彼の態度だけが少しずれた別の世界のようだった。

 アズライルはしばしルクレツィアを見つめた後、再び静かに言った。


「今夜の舞踏会、楽しむがよい」


「ええ、殿下も」


 彼はそれ以上言葉を交わすことなく、再びゆるやかな足取りで去っていく。

 背を見送りながら、ルクレツィアは思わず小さく息を吐いた。


(……やっぱり何かが違う)


 死に戻りをしたこの「舞台」は、少しずつ微妙に、だが確実に前とは違う表情を見せ始めていた。


 王太子が離れていった後も、ルクレツィアは微かな胸騒ぎを抱えたまま舞踏会場を歩いていた。

 煌びやかなシャンデリアの光がドレスの刺繍を照らし、貴族たちの笑い声と音楽が絶え間なく響く。


(今夜は、まだ始まったばかり……)


 すると――


「ルクレツィア様」


 静かな低い声が背後からかかった。振り返ると、そこに立っていたのはアシュレイ・ヴォルク。

 黒に近いダークブラウンの短髪、スチールグレーの冷たい瞳。その佇まいは騎士らしく直立不動だが、表情にはほんのわずかな柔らかさがあった。


「アシュレイ殿。今宵も殿下の護衛、お疲れ様です」


「恐れ入ります。……殿下のおそばにいるのは当然の務めですので」


 彼の態度は基本的に寡黙で、礼儀を欠くことはない。それは前の周回と同じ。だが――


(少し……話しやすい?)


 以前ならアシュレイは必要最低限の返答だけで、その後は沈黙を貫くだけだった。だが今日は、自ら話を続ける素振りを見せている。そもそも彼から話しかけること自体が最大の違和感なのだ。


「殿下も今宵は、幾分お心が穏やかなご様子でした」


「ええ。私も少々意外に思いましたわ」


 ルクレツィアは探るように微笑んでみせる。


「……殿下は、貴女のことを信頼しておられるのでは?」


 アシュレイがそんな言葉を口にした瞬間、思わずルクレツィアの胸に動揺が走った。


(何を――?)


「それは……お戯れを。殿下は常にご公務に集中されておりますもの」


「いえ。殿下は必要な人間を正しく評価されます。貴女は、そのひとりでしょう」


 スチールグレーの瞳は相変わらず冷たいのに、不思議とその言葉には、ほんのわずかな――温度があった。


(やはり……違う)


 死に戻る前には、アシュレイがこんな風に私を評価することなどなかった。むしろ、王太子の護衛として私にも常に一定の距離を取っていたはずなのに――。


「光栄ですわ。……では、そろそろ私もご挨拶回りに戻らなくては」


「お気をつけて、ルクレツィア様」


 軽く一礼するアシュレイに、ルクレツィアも優雅に礼を返し、その場を離れた。


(アズライル殿下に続いてアシュレイまで……。

 ――前と違いすぎるわ)


 胸の内で静かに警戒心が膨らんでいく。

 新たに始まったこの周回は、確実に前とは異なる軌道を描き始めていた。


 アシュレイと別れを告げ、ルクレツィアは再び会場の賑わいの中へと戻る。

 煌めくシャンデリアの光がドレスの刺繍を照らし、貴族たちの談笑と華やかな音楽が途切れることなく流れていた。

 そんな中、不意に――視線を感じた。


 振り返ると、柔らかな笑みを浮かべた青年が、まるで旧知の友のようにそこに立っていた。


「やあ、また会ったね、ルクレツィア嬢」


 その声は明るく、親しみがこもっている――だが。


(……え? また会った?)


 ルクレツィアは一瞬、思考が追いつかずに言葉を失った。

 彼――テオドール・グランチェスターは、伯爵家の子息であり、聖女ソフィアの幼なじみ。

 乙女ゲーム内でもソフィア以外の女性にこれほど親しげに接する描写はほとんどなかったはず――ましてや私には。

 だが当の本人は、無邪気な笑顔を浮かべたまま続ける。


「もしかして……はじめましてだったかな?」


 自分で言いながら、少しだけ首をかしげてみせるその様子は、どこか彼自身も違和感を覚えているようでもあった。


「えぇ、おそらくは……はじめまして、テオドール様」


 ルクレツィアは微笑みを整えながらそう答えたが、胸の奥にはまたひとつ、小さな違和感が積み重なっていく。

 彼は、ミルクティーブラウンの柔らかな髪に琥珀色の優しい瞳を持ち、まるで春の陽だまりのような穏やかな雰囲気をまとっている。

 その明るく人懐っこい笑顔は、ゲームの中でも聖女ソフィアにだけ向けられていたはずのものだった。


「君は今までお会いしたご令嬢の中でも、特に笑顔がよくお似合いだ」


 屈託のない言葉とともに、テオドールは自然な間合いで話しかけてくる。

 だが――その距離感は、前の周回で抱いていた彼の印象よりもわずかに近すぎる気がした。


(……この距離感は何?)


 本来なら直接の接点などほとんどなかったはずなのに。

 違和感を覚えながらも、ルクレツィアは微笑みを保ち続けた。


「これからもよろしくお願いします、テオドール様」


「こちらこそ。またすぐにお会いできるといいな、ルクレツィア嬢」


 彼の琥珀色の瞳が優しく細められたその瞬間にも、ルクレツィアの中で微かな警戒の灯は消えずに残った。


 舞踏会の賑わいはそのまま流れ続け、背後では軽やかな音楽が途切れることなく響いていた――。

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