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2.謎の客人

 客間の扉の前で、ルクレツィアは深く息を吸い込み、ゆっくりとノブに手をかけた。


「失礼いたします」


 静かに扉を開けると、柔らかな陽光が差し込む室内に、一人の見慣れぬ男性が静かに腰掛けていた。彼は肩にかかるほどの長さの、スモーキーアッシュの髪を自然なウェーブで揺らしながら、ゆったりとした所作で立ち上がる。髪はセンターよりややずれた分け目で、落ち着いた印象を与える。淡い青色の瞳は春の空のように澄んでおり、その視線は静かな安心感をもたらした。整った顔立ちは儚げな優雅さを漂わせつつも、その奥に鋭い知性が宿っていた。


 その眼差しを、ルクレツィアはどこかで知っているような気がした。


 身に纏う衣服は控えめながら上質な布地で仕立てられており、動きやすさを意識したシンプルなデザインが彼の落ち着いた人柄を引き立てている。


 彼は礼儀正しく一礼して、柔らかな微笑みを浮かべた。


「初めまして、ルクレツィア・アルモンド公爵令嬢。噂に違わぬ美しさだね」


「はじめまして、エリアス・モンルージュ殿。あなたのことは存じ上げませんが、どのようなご用件でしょうか?」


「俺は、ただの放浪者さ」


 ルクレツィアの問いに、彼は静かに微笑みながら答えた。


「『聖なる光と堕ちた神』……この言葉を聞いたことはあるかな?」


 その言葉を耳にした瞬間、ルクレツィアの眉がわずかにひそめられた。


(その名は……)


 それは、この世界の土台となっている乙女ゲームのタイトルだった。彼女が前世で何度も遊んだゲーム、そしてこの世界の運命を知る唯一の拠り所でもある。それを、この男が――。


(この世界に生きる人間が、知るはずのない言葉……どうして?)


 胸の奥に冷たいざわめきが広がる。状況を飲み込みきれないまま、まずはこの場を整理する必要があると判断した。

 控えていた侍女に、ルクレツィアは静かに目線を送り、落ち着いた声で命じる。


「リリー、少し席を外してちょうだい。」


「かしこまりました、お嬢様。」


 リリーは少し戸惑いながらも丁寧に一礼し、足音を忍ばせて部屋を後にした。扉が静かに閉まる音が、まるで重くのしかかるように室内の空気を支配する。


 ルクレツィアはわずかに身を乗り出し、エリアスへと鋭い視線を向けた。微笑を浮かべる男の表情の裏を読み取ろうとするかのように、じっと彼を見据える。


「――あなたが何故それを知っているの? それに、あなたは一体何者なの?」


 エリアスは一瞬だけ目を伏せ、静かに息を吐いた。そしてゆっくりと、少し寂しそうに、どこか悲しげに微笑んだ。


「まずは、君に謝罪をしなくてはならない。こんなことに巻き込んでしまって、本当に……ごめんね。」


 その声音には、明らかな悔恨の色が滲んでいた。

 ルクレツィアは僅かに戸惑う。今まで数多くの策略家を見てきたが、目の前の男のこの表情は、打算や芝居には見えなかった。


「……まず、俺は君と同じ、日本を知っている。いや、正確には――日本でたしかに生きていたよ」


「……日本を?」


「そうだ。君と同じ前の世界の人間だった。」


「それじゃあ……あなたも、転生者?」


 ルクレツィアの声がほんのわずか震えた。まさか自分以外にも――。


「転生か……まあ、たしかにそうとも言えるかな。」


 エリアスは肩をすくめるように言った。


「その世界で、俺はとある乙女ゲームを作り出した。それが――『聖なる光と堕ちた神』だ。君もやってくれてたのかな?」


「ええ、やっていたわ。まさか、あなたが開発者本人とは思わなかったけど」


「それは良かった。なら、話が早い。」


 軽く微笑むエリアスとは裏腹に、ルクレツィアの胸の内では次々と疑問が膨れ上がっていく。

 耐えきれず、とうとう核心を突く問いをぶつけた。


「ねえ……そんなことより、なんで私なの?」


 その問いに、エリアスの表情が僅かに歪んだ。まるで胸の奥を抉られたかのように、苦しげな、悲しげな瞳をこちらに向ける。


(この表情――どこかで、見たことがある……)


 次の瞬間、前世の最後、歩道橋の上で男が倒れ込みながら微笑んでいたあの光景が脳裏に重なる。あの時、命を落とした男の顔――。


「……まさか」


 小さく漏らしたルクレツィアの言葉に、エリアスは苦しげに微笑む。


「……ごめんね。きっと、そのまさかだよ」


 彼はそっと目を伏せ、まるで自嘲するように言葉を継ぐ。


「あの時来たのが君で良かった、なんて言ったら……君は怒るんだろうな」


 その声は、どこまでも静かで、痛みを孕んでいた。

 ルクレツィアは、その苦しげな表情を前にして、責めようとした言葉を飲み込んだ。怒る理由はいくらでもある。彼は自ら命を絶とうとし、結果的に彼女を巻き込んだのだ。だが――。


(この人はきっと、自分の罪を誰よりも重く背負っている……)


 その哀しさと後悔が滲む眼差しに、踏み込むべきではない何かを感じた。繊細すぎる過去に深入りする気にはなれず、ルクレツィアは意識的に話題をそらす。


「……まあいいわ。それで、これはどういう状況? まず、私はなぜこの世界の悪役令嬢として転生したのか。そして、たしかに私は死に戻りをしたわ。これはどういうこと?」


 エリアスは小さく息をつき、ゆっくりと頷いた。


「……ごめんね。そうだね。一度整理しようか。」


 彼の声色は静かだが、慎重に言葉を選んでいるのが伝わってくる。

 エリアスは少し椅子に背を預け、青く澄んだ瞳で彼女を見据えた。


「まず、なぜ君がこの世界の悪役令嬢として生まれ変わったのか――」


 そこで一瞬言葉を切る。その表情はわずかに曇った。


「――それは……正直に言えば、詳しくは俺にも説明できない。けれど、今の俺に言えるのはただ一つ。君が『ルクレツィア・アルモンド』だったからだ」


「……答えになってないわね」


 ルクレツィアは冷静に切り返した。核心に触れていない説明に苛立ちを覚えつつも、感情は表に出さなかった。


「それは……そうだね。君にとっては釈然としないだろう。でも……いずれきっと分かる日が来るよ」


 エリアスは苦しげに微笑み、少し目を伏せる。その仕草はまるで何か重大な秘密を抱えているかのようだった。


「それから――君が死に戻ったことは、俺も知っている。だから、こうして君の前に現れたんだ」


 ルクレツィアの眉がわずかに上がる。


「……どうしてあなたが知っているの?」


「それを説明するには、君がこれから直面する役割を話した方が早い」


 エリアスはゆっくりと言葉を選びながら続けた。


「まず君は――あの乙女ゲームにおける攻略対象者については、すでに把握しているね?」


「えぇ。それは当然よ」


 ルクレツィアは静かに頷いた。

 前世で何度も周回した乙女ゲーム。その中で攻略対象となる男たちの名前と背景は、今でもはっきり覚えている。


「良かった。なら話が早い。……君は彼ら5人を、救わなければならない」


「……救う?」


 思わずルクレツィアは問い返す。

 その言葉は、これまでのゲームの知識とは異なる意味を持って聞こえた。


「ゲームのシナリオを知っているなら、わかるはずだ」


 エリアスは淡々と語るが、声の奥には微かな焦りも混じっていた。


「これからの3年間で、彼らの人生には様々な事件が起こる。君も覚えているだろう?それらはすべて、彼らの過去に深く突き刺さっているトラウマを抉る形で展開する」


 ルクレツィアは自然と唇を噛みしめた。


(たしかに……それが、この世界のシナリオだった。でも……)


 エリアスは続けた。


「放っておけば、君が知っている通り、彼らは次々に病み、崩れ、そして……最終的に聖女ソフィアに救われていく。でも――それじゃダメなんだ」


 エリアスは静かに告げた。淡々とした声音の奥に、どこか苦い諦めが滲んでいる。


「つまり、君の役割は、彼らが堕ちる前に手を差し伸べ、彼らを正しく救済することだ」


 静かな客間に、再び重たい沈黙が落ちた。

 窓から差し込む柔らかな陽光が、二人の間に流れる張り詰めた空気を余計に際立たせる。

 ルクレツィアは、ゆっくりと息を吸い込んだ。


「……それは、どういうこと? それに……なぜ私なの?」


 鋭い視線をエリアスへと向ける。

 彼はしばし言葉を探すように口を噤み、そして静かに首を横に振った。


「それも……今の俺には言うことができない。けれど、ただ一つだけ言える。君が――『ルクレツィア・アルモンド』だから、だ」


 曖昧で腑に落ちない答えに、胸の奥がじりじりと焦れるようだった。

 唇を引き結び、ルクレツィアはさらに踏み込む。


「……どうしてあなたは、ルクレツィア・アルモンドを悪役令嬢にしたのよ? それなら、最初から聖女にでもしておけばよかったでしょう? あなたが作ったゲームでしょう?」


 その声には微かな怒りと困惑が滲んでいた。

 エリアスは視線を伏せ、苦笑ともつかぬ表情を浮かべる。


「……ごめんね。本当にその通りだ。そのせいで君には、より面倒で困難な役割を押し付けることになってしまった。俺の責任だ」


 わずかに握った拳が震えた。彼もまた、葛藤を抱えているのだとわかる。


「……君は、これから彼らを救わなければならない。そして、それが遂行されるまで、君は死に戻りを繰り返す」


 エリアスの声が静かに響くたびに、重く現実感がのしかかってくる。


「……どうして」


 ルクレツィアは小さく呟く。

 その問いに、エリアスは少しだけ微笑を浮かべて答えた。


「ゲームと同じようなものだよ。エンディングを迎えたら、もう一度最初に戻ったりするだろう?」


「……セーブポイントでも付けてちょうだいよ」


 皮肉交じりに告げるルクレツィア。だが、その言葉にエリアスは少し肩の力を抜いたように笑った。


「もちろんだ。攻略対象者を一人救うたびに、セーブポイントは上書きされていく」


「……なるほどね」


 ルクレツィアはわずかに目を伏せ、短く息を吐いた。

 頭の中は次々と整理されていく情報でいっぱいだったが、今は冷静であろうと努めた。


「ともかく、私が彼らを救えばいいのね? ……それにしても、どうしてソフィアじゃダメなの? あなたが考え出した聖女なのに」


 その問いに、エリアスの表情がほんの僅かに陰る。


「……彼女じゃダメなんだ」


 短く、しかし断固とした答えだった。


「理由を説明するのは、今はまだできない。でも君じゃなきゃダメだ。君だからこそ救えるんだ」


「……そう」


 ルクレツィアはそれ以上問い詰めなかった。今はまだ、得られる情報に限りがあると悟ったからだ。

 けれど、胸の奥では得体の知れぬ不安が静かに渦巻いていた。


 エリアスは少し間を置き、表情を和らげて問いかけた。


「――攻略対象者について、分からないことはあるかい?」


 ルクレツィアは静かに目を閉じ、頭の中で一人ずつ思い浮かべていく。


 ――王太子、アズライル・ヴェルディア。ヴェルディア王国の第一王子。

 漆黒の髪に深紅の瞳。誰も信じず、冷酷で冷徹な態度を貫き、ソフィア以外の人を人とも思わぬ冷たい人。


 ――騎士のアシュレイ・ヴォルク。王太子の護衛を務める凄腕の剣士。

 ダークブラウンの短髪に、スチールグレーの冷たい瞳。無口で寡黙、自分に課せられた義務を淡々と果たす男。ソフィアにだけはその熱情を見せたんだっけ。


 ――聖女ソフィアの幼なじみである伯爵子息、テオドール・グランチェスター。

 ミルクティーブラウンの髪に琥珀色の瞳。誰にでも優しく明るく接し、特にソフィアには弱さを見せることもある。


 ――神官イザヤ・サンクティス。

 白銀の髪に淡い金の瞳。せラフィス教の大司教であり、誰も寄せ付けず、神以外は信じない。ただソフィアに対してのみ狂信的な執着を抱く。


 ――そして最後がルーク・グレイヴン。裏社会に精通し、情報屋として数多くの貴族から信頼を得て伯爵に成り上がった男。

 ダークワインレッドの髪に深緑の瞳。表向きは商人として知られるが、ソフィア以外には本音を見せない謎多き人物。


 頭の中で彼らの姿と性格が鮮明に浮かび上がる。誰一人として軽く扱える相手ではない。


「……彼らは、ソフィアじゃなくても本音を話すのかしら」


 思わず口にしたその言葉に、エリアスは軽く肩をすくめる。


「さぁね。でも、君ならきっとうまくやれるさ」


「あなたが作ったゲームなんでしょう?」


 問いかけるルクレツィアに、彼は少し表情を曇らせて言った。


「――それは、少し違うんだ。ごめん。今はまだ、そのことも話せない」


「いつか話してくれるんでしょうね」


 揺るがぬ視線でルクレツィアが問いかけると、


「もちろんだよ。話せる時が来たら、すぐに」


 エリアスはその視線に応えるように、じっと彼女を見つめ返した。


「じゃあ、いいわ。話はこれで終わりにしましょう」


「あぁ、あとは君に任せたよ」


「えぇ」


 そう答えると、エリアスは静かに席を立ち、扉を開けて部屋を後にした。

 その背を見送りながら、ルクレツィアはゆっくりと深く息を吐いた。

 静かな客間に漂う余韻が、心の奥の緊張をほんの少しだけ和らげる。


(まずは、今夜の舞踏会ね。……これから3年間無事にやり過ごさなければ。なるべく、死なないように……)


 固く決意したその言葉が、胸の奥で静かに燃え始めていた。

明日から一日一話投稿です。

なぜって?平日だからです涙

そのうち乙女ゲームの攻略対象者のプロフィールの詳細とかまとめたやつ載っけようかなとか思います。本編内で語れるのはおそらく限界があるため。

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― 新着の感想 ―
まさか聖女ソフィアが五人を救うことがアウトだったとは……一度目の死に戻りの伏線にもつながるような重要な秘密が隠されてるのかもと思えてきますね…… 何度でも死に戻るとかセーブポイントの話とか世界の裏側を…
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