5.バッドエンド
朝、ルクレツィアが執務室で書類に目を通していると、慌ただしくノックの音が響いた。
「お嬢様、大変です!」
扉の向こうからリリーの切迫した声がする。その緊迫感に、ルクレツィアは胸騒ぎを覚えた。
「入りなさい」
扉を開けて飛び込んできたリリーは、青ざめた顔で一枚の書簡を差し出した。
「これが……王宮からの正式な通達です」
王宮の封蝋が押されたそれを受け取り、ルクレツィアはそっと封を切った。視線を走らせた瞬間、思わず喉の奥が固まる。
(……やられた)
そこに記されていたのは、
『アルモンド公爵令嬢ルクレツィアが、聖女ソフィア殿下に対し陰湿な嫌がらせを継続的に行っていた疑いが浮上。証言者複数名による証言が確認されており、事実確認のため速やかに王宮への出頭を命ずる』
という文面だった。
「嫌がらせ、ですって……?」
ルクレツィアは低く呟いた。もちろん、そんな事実は一切ない。だが、証言者が「複数名」いると書かれている。
(証言者……。つまり、証拠は作られた。周到に、計画的に。)
手の込んだ罠だった。証拠となる物証ではなく、証言。誰かに口裏を合わせさせるだけで、それは容易に成立する。そして「聖女を虐げる悪役令嬢」という筋書きは、世間にも受け入れられやすい。
「……誰が動いたの?」
「お嬢様……まさか、王太子殿下が……?」
リリーが恐る恐る口にする。だがルクレツィアはゆっくりと首を振った。
「王太子殿下本人が、こんな露骨な手は使わないでしょう。でも――殿下を取り巻く誰か、でしょうね。ソフィア様の背後にいる派閥……あるいは、もっと別の誰かが」
(私はてっきり、王太子殿下は正式に聖女様を妃に迎えるとともに、穏やかに婚約を解消するつもりだと思っていたのに……まさか、こんな露骨な悪役令嬢の筋書きを使うなんて)
そう考えれば、先日のベルントの報告とも繋がる。商会への圧力も、計画の一部だったのだ。ベルントの報告によれば、レンツ商会の業績はここ1ヶ月で明らかに右肩下がりだった。取引先の契約破棄が相次ぎ、新たな流通経路も塞がれてきている。……逃げ道は無さそうだ。
「……どうなさいますか?」
「もちろん、出頭するわ」
ルクレツィアは毅然と言った。
「逃げれば有罪を認めたことになる。今はまだ、潔白を訴える姿勢を見せるしかないの。証拠が捏造された以上、私にはもうあまり選択肢がないわ」
胸中は不安で渦巻いていたが、表情だけは微塵も崩さない。ここで取り乱せば、本当に悪役令嬢にされてしまう。
(追放の未来は変えられない――そんなことはとっくに覚悟していた。けれど、まさかこんな筋書きで追い詰められるなんて)
そう思いながら、ルクレツィアは静かに一息をついた。
❖❖❖
通達を受け取ってから数日後――
王宮への出頭命令に従い、ルクレツィアは馬車に揺られながら王都の中心部へ向かっていた。窓の外には華やかな街並みが広がるが、今の彼女にはそれが遠い世界の出来事のように感じられる。
(本来なら、殿下は正式に聖女ソフィア様を妃に迎えるために、穏やかに婚約破棄を切り出すはずだった。それが、よりにもよって私を悪役に仕立て上げるなんて――)
この展開は完全に予想外だった。王太子アズライルが直接こうした卑劣な手を使うとは思えない。だが、その背後にいる派閥――聖女派、あるいは新興貴族の一部が暗躍している可能性は高い。
(そして――レンツ商会への圧力も、おそらくは同じ手によるもの)
全てが繋がっていた。静かにため息をつき、ルクレツィアは心を決める。
(でも、私は最後まで公爵令嬢であり続ける。どんな結末でも、誇りだけは失わない)
馬車が王宮の正門前に停まり、重厚な門が開かれる。集まった廷臣たちの視線が、ルクレツィアに突き刺さった
❖❖❖
王宮の審問の間。
重々しい空気が場を支配していた。列席しているのは王族の重鎮、貴族たち、そして当事者たち――。
玉座の傍らには王太子アズライルが冷ややかに佇み、その隣には控えめに立つ聖女ソフィアの姿がある。証言者として出席しているのは、ルクレツィアの知らぬ顔ぶれの女官や貴族令嬢たち。
ルクレツィアは姿勢を正して中央に立った。ドレスの裾が微かに揺れるが、その表情は毅然としている。
「アルモンド公爵令嬢ルクレツィア。汝が聖女ソフィア殿下に対して、長らく陰湿な嫌がらせを繰り返していたとの訴えが上がっている」
王国司法長官が低く読み上げる。
「それらの証言は複数に及ぶ。女官長、証言を」
女官長が進み出て、静かに証言を始めた。
「……確かに、聖女様におかれましては、度重なる無礼な振る舞いを受けておられました。贈られた品に細工が施されていたことも一度や二度ではなく……」
「それは事実ではありません」
ルクレツィアは落ち着いた声で即座に遮った。
「私は一度たりとも、聖女様に対し不敬な振る舞いをしたことはございません。贈り物も献上の品も、全て家令を通して公式な手続きを踏んだもののみですわ」
静寂が落ちる。だが、次々に証言者たちが名乗りを上げていく。
「私も目撃しました。公の場で聖女様を侮辱する言葉を……」
「私も聞きました」
証言は重なる。用意されたかのように、次々と。
(完全に出来上がっている……)
胸中でルクレツィアは静かに悟った。これは計画的な冤罪。彼らは既に結論を出しているのだ。
「弁明はあるか」
司法長官が問う。
「――私は、聖女様に何一つ非礼を働いておりません。証言は全て虚偽です」
それ以上に言葉を重ねれば、「言い逃れ」として受け止められるだけだった。
その時、アズライルが口を開いた。
「これだけの証言が揃った以上、もはや疑う余地はないだろう」
アズライルの隣では、聖女ソフィアが俯き、震える声で囁いた。
「私は……できれば穏便に済ませたかったのです。ですが、これ以上耐えるのは難しく……」
その控えめな姿に、廷臣たちから同情のため息が漏れる。ソフィアは完全に「慈悲深い被害者」として仕上げられていた。
アズライルは厳かに宣言した。
「アルモンド公爵令嬢ルクレツィア。この場をもって貴女との婚約は破棄する。そして、公爵令嬢の爵位も剥奪とする。期限は3日だ。それまでに、王都を退去せよ」
重苦しい沈黙が流れる中、ルクレツィアは静かに頭を下げた。
「御意のままに。」
言葉は簡潔だったが、その声音には微塵の動揺もない。最後まで誇り高き公爵令嬢であり続ける――その覚悟を示す言葉だった。
(これが、私のバッドエンド、というわけね……)
❖❖❖
翌日、正式な勅命が下された。
『アルモンド公爵令嬢ルクレツィアは、聖女ソフィア殿下への悪行の罪により、王太子妃候補としての資格を剥奪、婚約破棄とする。
さらに、公爵令嬢としての爵位剥奪。アルモンド公爵家の家名より除籍し、領地内よりの追放を命ず』
外交で隣国に赴いているアルモンド公爵夫妻はすでに何者かの圧力に屈し、抗弁すら許されなかった。公爵家の家名は辛うじて守られたが、娘であるルクレツィアは家名から切り捨てられたのだ。
(……これで終わり)
自室に戻ったルクレツィアは、ただ静かにため息をつく。
追放先については、商人ベルント・レンツの庇護を受ける手筈になっている。もっとも、商会の業績は依然として不安定な状態が続いている。しかし、爵位を失った今、すでに公爵令嬢ではない。
だが――生き延びられればそれで良い、と覚悟していた。
❖❖❖
追放を翌日に控えた晩。
ルクレツィアは最後の夕食を、寝室隣の小さな部屋で一人静かに取っていた。テーブルの上には、豪華とは言い難いが、それでも丁寧に整えられた簡素な献立が並んでいる。
(これで、公爵家の屋敷ともお別れね……)
胸に広がるのは、悔しさでも恐怖でもなく――ただ、空虚に近い静けさだった。
侍女のリリーが気遣わしげに控えていたが、ルクレツィアは柔らかく微笑んで言った。
「大丈夫よ、リリー。今夜はもう静かに休みたいの。」
「……はい」
ワインのグラスに手を伸ばす。深紅の液体が蝋燭の灯に揺らめき、不気味なほど美しい光を放っていた。
鼻をくすぐる香りは芳醇で、それでいてどこか甘ったるい――普段よりも、妙に甘い。
(……今日のワイン、少し甘いわね)
小さな違和感を覚えつつも、ルクレツィアは静かに一口を含んだ。
だが次の瞬間――
――カァァァッ!
灼けつくような熱が喉奥から逆流し、全身を駆け巡った。
膝が震え、思わず手からグラスを落とす。カラン、と甲高い音が静寂の中に響き渡る。身体が重く、思うように動かない。呼吸は浅く、胸の奥が焼けるように苦しい。
「っ……!」
床に崩れ落ちる中、必死に意識を保とうとするも、視界はぐにゃりと歪み、蝋燭の炎が滲んで揺らめいていた。
「お嬢様!? どうなさったのですか!? 誰か! 誰か来てください!」
リリーの叫び声が遠ざかっていく。
朦朧とした意識の中で、ルクレツィアはただ一つの確信に至る。
(――仕組まれたのね)
あの妙に甘いワイン。
何者かが、確実に始末しに来たのだ。
(それでも……一体何のために?)
指先から力が抜け、冷たい床の感触だけが鮮明に残る。
最後に見えたのは、滲んで揺れる蝋燭の光だった。
やがて、ルクレツィアの意識は、闇の底へと静かに沈んでいった――。
料理チートに関してはこれから本編で出る予定ないんですけど個人的に好きで詳細とか練っているので本編全部投稿したあとで載せるかもしれません。
再度いいますが分かりにくい部分とか教えてくれたら嬉しいです
ブクマや評価などくれたら全私のモチベーションになります。どうか