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27.始まりのもう一歩

 イザヤを、今度こそ救う。

 もう、間違えない。


 ルクレツィアは静かに息を整えると、応接室の扉に手をかけた。

 扉が音もなく開く。


 中には、エリアスがいた。

 深い緋色のソファに腰かけ、窓の外を見ていた彼は、彼女の気配に気づくと、どこか寂しげな笑みを浮かべた。

 けれどすぐに、いつも通りの軽さを見せる。


「やあ」


 まるで旧友にでも会ったかのように、気楽な声で手を挙げてみせた。

 その軽薄な態度に、ルクレツィアの胸の奥で何かがはじけた。


 次の瞬間、彼女は無言のまま、まっすぐに彼へと歩み寄る。


 そして――頬を打った。


 乾いた音が、部屋に響いた。


「る、ルクレツィア様!?」


 傍に控えていたリリーが、悲鳴のような声を上げる。

 だが、ルクレツィアは一切振り返らず、ただまっすぐエリアスを見据えたまま、静かに命じた。


「リリー。席を外して」


 低く、落ち着いた声だった。けれど、これまで聞いたことのない冷たい響きを帯びていた。


「……は、はい……」


 リリーは驚きに目を丸くしながらも、それ以上何も言わず、部屋を出て行った。

 扉が静かに閉まる。


 部屋に残されたのは、ルクレツィアとエリアス、二人きり。


「……よくものこのこと顔を出せたわね」


 ルクレツィアの声には、怒りと、痛みが滲んでいた。


 エリアスは、叩かれた頬を軽く押さえながら、それでもどこか柔らかな声音で言った。


「……ごめんね。――でも、あれは仕方がなかったんだよ」


「仕方がなかった? ふざけないで。あなたに殺されなくても、私はあのまま餓死してたわ」


「いや――君は、死ねないよ」


 その言葉に、ルクレツィアは眉をひそめた。

 エリアスは深く息を吐くと、まるで誰かに語って聞かせるように、呑気に続けた。


「君が死ぬ前に、ユリウス十三世の遺品の中にあった『あの部屋』の唯一のスペアキーを持った教会の人間が現れる。君は助け出されるけど、そこでイザヤの死を知るんだ。彼の死の理由も、結局は自分が引き金だったことも。絶望するよ。けど、君は自分で死ぬこともできない。他の攻略対象の誰かに殺されるまで――ずっと罪悪感と後悔に苛まれて生きることになる」


「……何を……言って……」


 彼の言葉が、現実味を持って喉元に刺さっていく。

 ルクレツィアの頭の中が、真っ白になった。


「おかしいね。前は自分で毒を飲めたのに。……まあ、あの時は“場の空気”ってやつか。悲劇には、いいきっかけが必要だからね」


 悪びれた様子もなく、まるで芝居の脚本を語るような口調だった。

 その無神経さに、吐き気すら覚えた。


 震える声で問いかけるルクレツィアに、エリアスはふわりと微笑んだ。


「分かるからだよ」


 その声音はあまりに軽やかで――ぞっとするほど冷たかった。


「出来れば、もう俺に君を殺させないでくれ」


 そう言ったエリアスの瞳には、ほんのわずかに――悲しみのようなものが滲んでいた。

 冗談のように聞こえるその言葉は、あまりにも切実で、痛みを孕んでいた。


 沈黙が落ちる。


「……前も言ったと思うけど、君が死ぬたびに、世界は壊れる」


 やがて彼は話題を帰るように口を開いた。


「攻略対象者たちの君への態度から始まり、やがて時間や空間そのものに歪みが生じていく」


「時間は……確かに、私も実感してる。空間って?」


「たとえば、“ここにあったはずの物”が違う場所にある、とかね。まだ大丈夫だと思うけど、気をつけたほうがいい」


「……そう」


 ルクレツィアは小さく頷いた。


「ところで、イザヤを救う道は、もう見えたかい?」


「ええ。ちゃんと、見えてるわ」


 その返答に、エリアスは満足げに息を吐いた。


「それなら、俺はもう帰ろうかな」


 そう言って彼は立ち上がり、服の裾を払って身を整える。


「……どこに帰るの?」


「さあ。ここじゃない、どこかだよ」


 ルクレツィアは問いの続きを飲み込み、ただその後ろ姿を見つめていた。


「君は、聡い。選び取る力がある。……でも覚えておいて。『救い』というのは、いつだって誰かの犠牲の上に成り立つんだ」


 ルクレツィアは言葉を返さなかった。ただ、静かに目を伏せる。


「『彼を救うこと』と、『自分を救うこと』は、きっと同じじゃない。

 ――それに気づけるかどうか、だよ」


 エリアスはドアノブに手をかけ、ちらりと振り返った。


「じゃあね、ルクレツィア・アルモンド。今度こそ、君に幸せな結末を」


 それだけを言い残し、彼は背を向けた。

 扉が静かに閉じる音だけが、重く空気を揺らした。


 その場に残されたルクレツィアは、しばらく微動だにせず、静かに目を閉じた。

 深く、ゆっくりと息を吸い込んで、確かめるように吐き出す。


 ――もう、迷わない。


 やるべきことは、もう見えている。


 ただ――その前に。


(私は、行かなければならない場所がある)


 そう心に決め、ルクレツィアはゆっくりと歩き出した。


 ❖❖❖


「アルモンド公爵令嬢。王太子の婚約者である貴女が、私に何の御用でしょうか?」


 教皇執務室の奥、陽光を遮る重厚なカーテンの下――

 椅子に腰掛けた老いた男は、冷ややかな声でそう問いかけた。


 対するルクレツィアは、一礼しながらも瞳を逸らさない。


「突然の訪問、無礼をお許しください、ユリウス十三世。……ですが、どうしてもあなたに、確かめたいことがあるのです」

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