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26.もう一度立ち上がる術

 ――それは、夢だった。


 けれど、あまりにも鮮明で、痛ましくて、ひどく現実的だった。


 彼女は、暗闇の中にいた。

 周囲には、鉄の匂いと血の気配。

 目を凝らすと、古びた石壁の一室。

 そこで膝を抱えて震えていたのは、まだ幼い少年だった。


 真っ白な肌。淡い金の瞳。

 そして、震える小さな肩。


 ルクレツィアは知っていた。

 それが、イザヤだった。


 彼は、叫んでいた。祈っていた。

 神に、すがりつくように。


「……神様、神様……どうか……僕を壊して……僕を、もう、神のものにしてください……」


 涙で濡れた頬が、あまりにも痛々しくて、彼女は手を伸ばそうとした。

 けれど、その手は届かなかった。

 声も出なかった。


 映像が変わる。


 今度は、焼き鏝を背に押しつけられ、耐えるように唇を噛みしめる未だ幼い青年の姿。

 体を打たれ、薬を打たれ、辱められ、それでも神に祈る声だけは止めなかった彼。


「神様……僕には……あなたしかいないんです」


 言葉が、喉を焼いた。

 胸が締めつけられた。

 夢の中だというのに、ルクレツィアの頬には、熱い涙が流れていた。


(そんなのって――そんなのって……)


 映像の中のイザヤは、とうとう一度も、自分を憎まなかった。

 誰を呪うこともなく、何も壊さず、ただ――


 ただ、救われたかっただけだった。


 そして最後。

 白い法衣を纏った彼が、処刑台に立っていた。

 人々の怒号。冷たい鎖。

 けれど彼の顔は、穏やかだった。


(……ルクレツィア……)


 夢の中で、彼がこちらを見た気がした。

 血に染まり、死にゆくその最期の瞬間でさえ――

 彼は、彼女の無事だけを願っていた。


「――イザヤ!!」


 名前を叫んだその瞬間、視界が光に包まれた。


 ❖❖❖


 ルクレツィアは、息を詰めて目を覚ました。

 視界には見慣れた天蓋の天井。

 聞こえるのは、鳥の囀りと遠くの鐘の音。


 手が、震えていた。

 心臓が、早鐘のように鳴っていた。


「……戻れたのね……」


 時間が、巻き戻っていた。


 そして彼女は夢を見た。

 あの苦しみも、祈りも、痛みも、そして死も。


 彼が、乙女ゲームの中でも決して人に悟られまいと隠し続けた『真実』を。

 神にすがるしかなかった、その理由を。


(……私に……)


(私に、何が出来るだろう)


 彼の過去はあまりに惨い。辛い。

 その過去を救って上げたいのに自分はその過去には戻れない。戻って彼をあの地獄から連れ出すことは出来ない。

 私に出来るのは地獄を見て壊れかけてしまった彼の心が完全に壊れないようにすること。ただそれだけだ。


 ただ傍にいて慰めるだけでは、意味がない。

 傷を抱えたまま甘えさせ、壊れないように守り続けるだけでは、それは救いではない。


(彼が、自分の足で立ち上がれるようにならなければ――それは、本当の意味で救われたとは言えない)


 その瞬間、ふと、ひとつの考えがよぎった。


(……もし、彼がまだ完全には壊れていないのなら?)


 もし、どこかに、ほんのわずかでも彼自身の心の核が残っているのなら――

 その手が、自分で救いを掴みにくることもあるのではないか。

 彼は救いを、赦しを求めている。もしもそれがただ、救われ方を、赦され方を知らないだけなのなら――


「……なら、私は……その場所まで、導いてみせる」


 たとえそれが、虚構の、ハリボテの希望でも構わない。

 信じてほしいのではない。すがってほしいのでもない。


(――選び取ってほしいの、あなた自身の意思で)


 彼女の目に、決意の光が宿った。

 その瞬間、扉がノックされ、ゆっくりと開いた。


「お嬢様、朝のお支度を――」


 入ってきたのは、侍女のリリーだった。

 だがルクレツィアは、息を飲み、リリーに向かって叫ぶように尋ねた。


「リリー、エリアスは!? ……エリアス・モンルージュは、来てるの!?」


 リリーは驚き、少し困惑しながらも小さく頷いた。


「は、はい。エリアス・モンルージュ様という客人が、お屋敷に……お嬢様にご挨拶をと……」


 その言葉を聞いて、ルクレツィアの中で『物語』の再始動を告げる鐘が鳴った。


(始まる……また、ここから)


「すぐに行くわ。着替えをお願い、リリー」


「え、でも、それはクララさんが……」


「いいから今すぐ!」


「か、かしこまりましたぁ!」


 ルクレツィアは静かに目を閉じた。

 もう迷わない。もう、逃げない。

 彼の痛みも、真実も、すべてを受け止めて、この世界を進み直す。


 救われ方を忘れた、『自分』の生き方を知らない迷える子羊に、もう一度立ち上がる術を教えるために。


 ルクレツィアは静かに目を閉じた。

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