13.余韻
二度目の死――
その感触が、まだ体のどこかに残っていた。
まるで深い湖の底から、ゆっくりと浮かび上がるように。
水面を割って顔を出し、ようやく息を吸った。
けれど空気は冷たく、現実の輪郭がまだ曖昧だった。
ルクレツィアは、目を開けた。
見慣れた天蓋のついたベッド。柔らかな陽射し。鳥のさえずり。
すべてが“いつもの朝”のはずだった。
けれど、こみ上げてくるものがあった。
喉が締めつけられ、胸の奥から熱いものがこぼれる。
気づけば、涙が頬を伝っていた。
止まらない。理由も、わからない。
そのとき、ノックの音が響いた。
「お嬢様?失礼いたしますね」
扉が開き、リリーがいつものように笑顔で入ってきた――そしてすぐに、立ち止まった。
「おはようございま……え? お嬢様……!」
目を丸くして駆け寄ってくる。
「どうされたんですか!? どこかお痛みでも……?」
リリーの手が、ルクレツィアの頬にそっと触れる。
その優しさに、また涙が滲んだ。
「……いいの。大丈夫。ただ……少し、夢を見ていただけ」
震える声でそう答えると、リリーは困ったように眉を下げた。
「夢……。とても、悲しい夢だったんですね」
ルクレツィアは小さくうなずいた。
悲しかったのか。それは自分でも正直なところ分からない。
でもそれを口に出すには、まだ心が追いついていなかった。
一度、深く息を吐く。
いつも通りを取り戻そうと、背筋を伸ばしたそのとき、リリーが思い出したように口を開いた。
「……それと、お嬢様。今朝、急なお客様がいらしています。すでに応接間でお待ちです」
「お客様……?」
「はい。お名前は――エリアス・モンルージュ様と仰っておりました」
ルクレツィアの指先がぴくりと動く。
(……来たのね)
静かに目を伏せ、ルクレツィアはシーツを握りしめた。
次こそ彼に聞くことは決まっている。
「ありがとう、リリー。すぐに支度をするわ」
❖❖❖
「やぁ、久しぶり」
軽やかな声が、客間に入ったルクレツィアを迎えた。
部屋のソファに悠々と腰掛けた青年――エリアス・モンルージュは、まるで旧友にでも会ったかのように片手を軽く挙げて見せた。
その姿を目にしたリリーが、ぴくりと肩を震わせたのが横目に入る。驚きと困惑が入り混じった視線。
それも無理はない。彼女はこの男を知らないのだから。
「リリー、二人にしてちょうだい」
静かにそう言えば、リリーは一瞬不安げな目を向けた。
だが、ルクレツィアが「大丈夫よ」と微笑んで見せると、小さく頷き、名残惜しそうに部屋を後にした。
扉が静かに閉まる。
そして部屋に、彼とルクレツィアだけが残った。
「イザヤの攻略、ちょっと滞ってるみたいだね」
まるでゲームの進行状況でも話すかのような口調で、エリアスは言った。
「……悪趣味ね」
ルクレツィアが冷たく言えば、エリアスは肩をすくめて笑った。
「ごめんごめん。気を悪くしたなら謝るよ。……でも、君の進み方をちゃんと俺は見届けたいんだ」
「そういえば、前から聞こうと思っていたのだけれど」
ルクレツィアは視線をまっすぐに向けた。
「どうしてあなたには記憶があるの?」
普通の人間ならば知り得ないはずのことを、彼は当たり前のように知っていた。
自分が死んで、繰り返し目覚めていること――それさえも。
「ん? ああ、その話か」
問いかけに、エリアスはいつもの軽薄な調子で答えようとして……ふと、言葉を止めた。
その顔にかすかな翳りが差す。
笑みの奥にひそむものが、ふっと滲み出るように現れた。
その瞳が、ほんの一瞬、寂しげに揺れたように見えた。
「君が死に戻りしてるのはね……俺の責任なんだ」
「……どういう意味?」
ルクレツィアは目を細める。
言葉の裏にあるものを探るように。
しかし、エリアスは首を傾げ、軽く息を吐くだけだった。
「ごめんね。それを説明するには、まだ少し早い。今の君に、それを全部明かすことはできないんだ」
「またそれ?随分と曖昧な言い方ね。はぐらかしているようにしか聞こえないわ」
ルクレツィアの声に、警戒と苛立ちが混じる。
だがエリアスは、まるでそれさえも予期していたように笑った。
「それでもいい。俺は慣れてるから、責められるのも、疑われるのもね」
その声音は飄々としていたが、どこか自嘲的でもあった。
「……それより、君は今、本当に知りたいことがあるはずだ。そうだろう?」
エリアスがわずかに身を乗り出す。
その青の瞳が、いたずらっ子のような輝きを宿しながらも、奥底では確かな真実を見据えていた。
「本題に入ろうか、ルクレツィア。
今の君にとって必要なのは、記憶の答えじゃない。もっと切実な、これからのための知識だ」
ルクレツィアは言葉を失いかけたが、すぐに思い直し、息をひとつ吸った。
「……ええ、あなたの言うとおり。だから――」
そしてまっすぐに彼の目を見据えた。
「聖女の力について。教えて。聖女ソフィア。彼女はなんの力を持っているの?」
エリアスの瞳が、一瞬だけ鋭く光った。
だが次の瞬間には、またいつもの軽薄な笑みに戻っていた。
「いいよ。教えてあげる。――君がそれを望むなら、ね」
その声音には、どこか皮肉めいた、試すような響きが混じっていた。
ルクレツィアは口をつぐみ、ただじっと彼を見つめた。
何も言わず、何も逸らさず。
やがて、エリアスは小さくため息をつき、背もたれから身体を起こした。
「じゃあ言うよ」
そう前置いた彼の口から、投げ捨てるように告げられたのは――あまりに簡素で、あまりに重い言葉だった。
「聖女の力なんて、最初から存在しない……なんて言ったら君はどうする?」
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あとここまで読んでくださってる人ほんとにありがとうございます涙涙




