野球の神様 ~4分クッキング編~
日本の国には、昔からたくさんの神様たちがいらっしゃいます。海の神様、お米の神様、さらには遊びの神様やドラマの神様などなど。これは、そんな神様たちの一人、球子と名乗る「野球の神様」の物語です。
「もしもし、そうそこの奥さんっす。悩み事があれば、なんでも球ちゃんが解決してみせるっすよ」
買い物帰り、商店街の近所に住む奥さんに、見知らぬ人物が声をかけてきました。もしこれが怪しげな宗教家やら若い男だったら警戒したでしょうが、尋ねてきたのは、小学校低学年くらいの、可愛らしい女の子でした。ですので、奥さんは素直に答えました。
「そうねぇ。料理がうまくなりたいわね」
奥さんは専業主婦ですが、料理があまり得意ではありません。むしろ一人暮らし暦の長かった夫の方が料理が上手なくらいです。なので、たまに食事の準備が苦痛に感じるときもあります。
「大丈夫っす。どんな願いだって、野球の力で一発解決っすよ」
少女は右手を掲げ、叫びました。「隠しバットー」
すると彼女の右手に、光り輝く金属バットが出現しました。
「えっと、なぜバットなの? 包丁やおたまならともかく」
「球ちゃんが、野球の神様だからっす」
少女は胸を張って答えました。
「このバットで、ご主人に千本ノックを浴びせるっす。空腹状態にすれば、どんな料理だって、美味しくなるっすよ」
「いや、そういうことじゃなくって」
「なっ、千本ノック一本じゃ足りないっすか。奥さん見かけによらず大胆っすねぇ。千本ノックを二、三本こなさせて、胃の中の内容物を全部出させちゃうっすね」
「えっと……なぜ空腹にこだわるの?」
もしかして、少女には、自分の料理の腕が壊滅的だと思われているのでしょうか。
「ところで、千本ノック二本の場合、二千本ノックって言うんっすかねぇ。なんか語呂が悪いっすよね?」
「……さぁ」
奥さんは野球のことはさっぱりです。少し不安になりました。
「大丈夫っす。料理だって、野球にかかれば完封シャットアウトっす。なんてたって野球では、打者を打ち取ることを、料理するって言うほどっすからね」
「そうなんだ」
「そうっす。ちなみに打者を打ち取るアウトは、一般的に三振が好まれるっすね」
「テンシン? 天津料理ってそんなに好まれるの?」
奥さんは天津丼くらいしか知りません。それとも、点心のことでしょうか。
「けれど球ちゃん的には、フライとかゴロのほうがいいっすね」
「あ、同感。私もあなたのように、フライ料理の方がいいかも。……コロッケかぁ」
「はいっす。投球数を節約できて効率的っすよ」
「うん。節約って言葉、好きよ」
「ゴロなら、併殺でゲッツーも取れるっす」
「……げそ? イカゲソのコロッケ?」
けれど奥さん、フライなどは総菜屋さんで買っていて、自分では作ったことがありません。
「私にもできるかしら? コロッケはフライでしょう。油が跳ねて熱くて痛そう」
「いえ、ゴロはゴロであり、フライじゃないっすよ」
「え?」
「それにゴロが跳ねるのは油じゃなくて、地面グラウンドっす」
「え?」
おむすびころころならぬ、コロッケころころ?
「まぁ燃えるように熱くて、死球やライナーが痛いのは野球の宿命なので仕方ないっすね」
「仕方ないんだ」
恐るべき、コロッケ!
「でも大丈夫っす。内野手との信頼関係。それに加え投手と女房の阿吽の呼吸があれば問題ないっす」
「当主って……夫は次男坊で家も普通だから、そんな柄じゃないんだけど」
「そして、バッターを料理していくっす」
「ば、バッタ料理っ?」
イナゴを食べる風習は聞きますが、奥さんからすれば、イナゴもバッタも、ゴッキーと同様の存在です。
「ごめんなさい。それは無理」
「そうっすか? けれど二人のコンビネーションは重要っすよ」
少女の言葉に、奥さんは、はっとしました。
休みの日、たまにご主人が料理を手伝おうかと言ってきます。奥さんは、自分の料理の腕が信頼されていないみたいなのが、嫌で断っていました。意固地になっていたのです。
けれど、大好きな夫と一緒に料理を作る、想像したらとても楽しそうです。一人より二人。彼の方が料理が上手なのだから勉強にもなります。
「……そうね、ありがとう。参考になったわ」
翌週の日曜日。
奥さんは、ご主人に一緒に夕食を作らないかと、話しかけました。ご主人は、一瞬驚いた様子を見せましたが、すぐに乗り気になりました。今夜はきっと楽しくて美味しい料理ができるでしょう。
ご主人が尋ねました。
「で、何を作るんだ?」
「うん。イカゲソのコロッケよ」
「なにそれ?」
疑問顔のご主人に対し、奥さんは台所に立てられた、場違いなバットを見て答えました。
「うふ、神さまのお告げ」
奥様が目立って、球子の影がちょっと薄かったかもしれませんね。