アデルの森
「ふぅ、これで最後ですか。」差し出された書類を受け取りながら男は言った。
「ええ最後26人目になります、今日だけで。」
「今日だけで。」同じ言葉を繰り返しながらペラペラと書類に目を通す。
「こちらにも大事なところに付箋を貼っておきました。本人確認と医師の診断も済んでいますので、目だけ通してもらって決裁をいただければと。」
「あぁ、わかった。すぐ済ますよ、ちょっとそこで止まっていてくれないか。」そう言った彼の首からぶら下がるネームプレートには福祉課長という肩書きが書かれていた。
「わかりました。」と答えた部下らしき男はそのままその場で止まった。
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・2021年4月1日(木)晴れ
今日はアデルの都に入植してから丸1年という記念すべき日、そんな訳でこの一年を振り返っていつもより真面目に日記を書いておこうと思う。
まず、去年の今頃、入管の職員を名乗る男からアデルの住人になる権利が当選した、という奇怪な連絡を貰った。全く、最初は何を言っているのか意味もわからず、新手の宗教団体の勧誘か何かと思ったよ。だって『働かず、遊んで暮らしてくれ』ってんだから。
でも、善く善く聞くとアデルはその時既に、特別養護老人ホームや刑務所で実験的に稼動していて、働かずに暮らしていくというライフサイクルは大まかに出来ていたんだ。そして俺達は一般からの入植者第一陣ということだった。入管によると『親は子を育て、子は親の面倒をみるように、親である人間が造り出した子らによって、人間が面倒をみてもらう時代がやってきたのだと。』そんな夢のような都に移住出来る権利が、なんと俺に当たったんだと微笑みながら担当者は言っていた。
ほら、宗教っぽいだろ?俺だって疑ったさ、でも興味は持ったわけでその後も真面目に説明を聞いたわけよ。仮に入植したとしたら、俺達アデルの住人は"アデルの子"と呼ばれるロボット達に面倒をみて貰うって言うんだ、そしてアデルの子らは俺達の代わりに働き、物を作り、金を稼いで来てくれるって。
人間の親や子がそうしたように、アデルの子らが俺達人間の為に奉仕してくれるんだ。この思想はひいては世界を飲み込み、近い将来アデルの都は世界の中心になるだろうってその担当者は熱を込めて言っていた。実際、この一年でアデルの人口は20万人をあっさりと突破した。全くそりゃそうだよな。ここでは誰もが平等で争いもなく、何の不満もなく生きていく事が出来るんだから、まさに楽園ってやつだ。今じゃあ世界中から入植希望者が殺到して、移民もなかなか受け入れられない状態らしい、俺はついてたってことだ。
俺達に課せられた唯一の義務は、この日記を毎日欠かさず書き続ける事、一言でもいいから欠かさずに。ただそれだけ、ただそれだけでこの楽園を謳歌出来るんだ。こんなにも穏やかな日々は生まれてから無かったかもしれない、そんな一年だった。
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・(略)
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・2031年4月1日(火)晴れ
今日はアデルの都に移住してからなんと丸十年という記念すべき日だ。最近特に書くことも無いのだが、記念すべき日にいつもより真面目に日記を書こうと思う。
アデルの都の人口は今現在で1億人を超え、植民地も世界中のあちこちに誕生し総人口は5億人にも上るらしい。
思想は現実化され、アデルの子はアデルの子を作り、アデルの子らはアデルの子の為にも働く。最早アデルの住人の介在は不要である。
介在が不要であればこそ、犯罪、飢餓、紛争などはアデル傘下では皆無である、まさに楽園たるや。
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・(略)
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・2041年4月1日(月)
今日も晴れ。アデルの子らによって養われ、もはや我々アデルの住人はアデルの子のまた子のようだ。子は親を越えんとしそれを成したが、我々が子となった今、彼らを越える事など叶いそうもない。否、叶えと願う思考も最早衰えたか…。
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・(略)
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・2047年9月10日(土)
晴れ。
・2047年9月11日(日)
曇り。
・2047年9月12日(月)
晴れ。
・2047年9月13日(火)
今日が晴れなれど雨なれど特筆すべき事無し。
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・(以下空白)
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「なかなか興味深い報告書ですね、詩人ですかこの方は。」目尻に微笑を蓄え満足げに書類から顔を上げる。
「一月以上未更新、医師の診断書も問題ありません。福祉センターへの編入、受理しますよ。」書類をデスクの右端の籠に放り込むと課長は言った。
「ではお願いします。」立ち去ろうとして何かを思い出し踵を返す。
「ところで課長、ご存知ですか?センターが住人になんて呼ばれているか。」尋ねた部下の表情は微笑みさえ浮かべている。
「えぇもちろん。」微笑みには応えず、無表情に言葉だけを返す。
「上手いと思いますよ。植物と動物の違いですよね、きっと。『自らの意思により行動出来るか否か』そこが違うんだそうですよ、植物と動物は。それでいくと我々はいったい何なんでしょうねぇ?」詰まれた書類を見ながら独り言のように呟き、上半身を椅子の背もたれにあずける。
部下は無機質に微笑んだまま「課長もまるで詩人ですよ。」と返した。