30話 ハッピーエンド
その日の夕食はやけに静かだった。
いつもなら何でもない雑談をするところだが、ふっと膨らんだ話題はすぐに萎んでしまう。
カチ、カチという時計の針の音と、箸を摘まむ音だけが響く。
俺は異様な雰囲気を感じていた。
ただそれを上手く言葉にできそうになかった。
ふと隣を見ると、今日もお手本みたいな姿勢でご飯を食べている伊与木さんの姿があった。
完璧すぎるほどに美しい正座。
本当にテレビから出てきたのかと思うほどに綺麗な伊与木さんが俺の隣にいる。
ふと我に返ってみれば、この光景がそもそも異様なのかもしれない。
なんてことを考えていると、伊与木さんも俺の方にちらりと視線をやった。
目が合い、伊与木さんがはにかむ。
「どうしたんですか? 私の顔を見て」
「い、いや、なんでもないです」
「ふふっ、そうですか」
何なら変わりない、いつもの受け答え。
でも何かが引っかかる。
昨日の伊与木さんと何かが違う。
だがやはり、それを明確につかむことはできない。
「あの、入明くん」
「はい?」
伊与木さんが意思を持って俺に目を向けてくる。
それはなんでもない、いつも通りの光景。
そう、なんでもない、いつもの会話。
「入明くんにとって私は、大切な存在ですか?」
妙に頭に残るその言葉。
一瞬違う言語の言葉かと思うほどに、異物感を放っていた。
五秒経ち、ようやく言葉の意味を理解する。
その間、じっと伊与木さんは俺の言葉に何かを期待するような瞳を持って待っていた。
「そ、そりゃ大切ですけど」
言っておいて、これが正しいのか分からなくなる。
しかし、伊与木さんは俺の言葉に満足したのかニッと口角を上げた。
「ならよかったです」
「そ、そうですか」
何事もなかったかのように日常に戻る。
俺はその時、どこかいつも通りから逸れてはいけないような、そんな予感を感じた。
だから伊与木さんにならって、食事を再開する。
「ふふっ、良かったです」
伊与木さんがもう一度呟く。
「……あ、あれ?」
おかしい。
そう思ったのは、些細な違和感を感じたから。
それが段々と大きくなっていく。
伊与木さんが歪んで見える。
まるで目に汚れが付いたみたいに、視界がぼやけて見える。
「いよ、き、さん?」
呼びかけに対し、伊与木さんは答えない。
そのまま意識は遠のいていく。
ぷつりと意識の糸が切れてしまう直前。
角度的に見えなかった伊与木さんの顔がちらりと見えた。
――え?
俺はそのまま床に倒れた。
♦ ♦ ♦
温かな日差しに、目が覚める。
重い体を起こしてみると、いつもよりベッドの右に体が寄っていることに気が付いた。
不思議に感じて、ゆっくりと左に視線を動かす。
「……え」
「おはよ、入明くんっ♡」
「な、なんでここに……」
「覚えてないんですか?」
「そ、それってどういう……」
「昨夜あったこと、ですよ。でもしょうがないですよね。入明くん、随分と夢中でしたから。許してあげます、覚えてなくても」
「え、え?」
「今入明くんが見てる景色が全部ですよ」
「……そ、それはほんとですか?」
「ほんとですよ? 見てみてくださいよ」
伊与木さんが布団を体からどける。
朝の陽ざしが白い肌に反射して輝く。
伊与木さんは生まれたままの姿でそこにいた。
「……じゃ、じゃあ俺、本当に」
「はい。私と入明くんは――」
「つながったんですよ?」
「っ! お、俺はなんてことを……」
「いいんですよ、別に。初めてでしたけど……私はいいんです」
「で、でも! 俺は記憶もないし、それに付き合ってもないのにこんなことを……」
「だから、いいんですよ。怒ってませんから」
「そういう問題じゃないですよ。ど、どうしよう。俺はこれからどうすれば……」
「どうするも何も、一つしかありませんよ」
「一つ、ですか?」
「はい。私、初めての人と一生を添い遂げるって決めてるんです。そんな私の初めてを入明くんが奪ったんですから、一つしかないですよね?」
一つしかない。
……確かに、一つしかない。
何にもない俺ができることは、一つしかない。
「……は、はい」
「ふふっ、分かればいいんです。分かれば。自分の言葉に責任、持ってくださいね」
「……分かりました」
「いい子です。ねぇ、入明くん」
「伊与木さん?」
「これからは、ずっと一緒だね」
♦ ♦ ♦
一年後。
放課後のチャイムが鳴り響く。
辺りはガヤガヤとする中、俺は一目散に片づけをし肩に鞄をかけた。
急いで教室を出ようとしたところで、声をかけられる。
「おい入明! そ、そのー……今日飯でも食わねぇか? 静香も一緒にさ!」
「すみません、用事があるので」
早く行かないといけない。
ここで足を止めることは許されていないから。
「お、おい! 入明!」
廊下を歩いていると、やがて声は聞こえなくなった。
そして下駄箱に到着し、カノジョに声をかける。
「お待たせ、紗江」
「あ、友成くん! やっと来たね! 早く行こ!」
「うん」
腕にカノジョの重みを感じながら家へと向かう。
俺と、カノジョの家に。
「ねぇ、友成くん」
「どうした?」
「いつもの、忘れてない?」
「あっ、ごめん紗江。うっかりしてたよ」
「ふふっ、だよね。じゃあ、言って?」
「うん」
顔をカノジョにしっかりと向けて、いつものごとく言った。
「世界一、愛してるよ」
するとカノジョはいつもみたいに微笑んで、
「はい、よくできましたっ♡」
あぁ、そうだ。
俺はこのために、今日もカノジョの隣を生きている。
完
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
現在新作を制作中ですので、私のことをお気に入り登録して待っていただけたら幸いです!
全30話にお付き合いいただき、誠にありがとうございました!
ではまた!




