26話 メールと壁
バイト終わり。
制服のままベッドに倒れ込み、ふぅと一息つく。
今日は平日にもかかわらず、かなりの人がやってきたために非常に体力を使った。
とりあえず今日という日のやらなければいけないことは終わったわけだし、こうして一息つきたくもなる。
まだ夕飯を食べていないし、洗濯物もしていないし風呂も入っていない。
けど、今は何をする気にもなれずしばらくベッドに沈み込む。
「うへぇー」
我ながらなんともだらしない声だ。
まぁ、誰にも聞かれていないわけだし気にする必要もないんだけど。
その調子でうだうだしていると、ポケットの中に入っていたスマホがブブッと振動した。
何事かと思って見てみると、伊与木さんからメールが来ていた。
「なんだろ」
俺がこの携帯を買った時から繋がってはいたが、特段俺からも伊与木さんからもメールを送ることはあまりなかった。
「ま、ほとんど毎日一緒にいるしな」
そう。
わざわざメールを送るほど会わない、というわけではないのだ。
むしろ一日の大半の時間を伊与木さんと一緒に過ごしてるわけで。
その時に用件があれば伝えることは可能なので、メールをする必要性がないのだ。
だからかえって、こうしてメールが来ると身構えてしまう。
……まぁそもそも誰かからメールが来ることが珍しいから、余計に緊張しちゃうんだけど。
謎に「よしっ」と決意を固めてアプリを起動する。
『紗江:今何してますか?』
なんてことないメールにほっとする。
心の内では「とんでもないことだったらどうしよう」と思っていたので、安心だ。
慣れない手つきでフリック入力し、やっとの思いでメールを送る。
『入明:ゴロゴロしてました。疲れて何もできなくて……』
するとすぐに返信が返ってくる。
『紗江:今日大変でしたもんね。入明くん、帰り道で顔死んじゃってましたし笑』
「ま、マジか」
自分では自覚していなかった。
なんだか恥ずかしい。
『入明:忘れてください』
『紗江:ふふっ、どうしましょうかね?』
『入明:お願いしますよ。恥ずかしいんですから』
『紗江:私はいいと思いますよ? 嫌いじゃありません。むしろ好きなくらいです』
伊与木さんのメールに手が止まる。
「す、好きってなんだよ……」
最近の伊与木さんは、何かにつけて「好き」というような気がする。
いや、気のせいかもしれないけど。
『入明:俺が嫌なんですよ。ぜひとも、脳内から消してください』
『紗江:しょうがないですね、そうします』
『入明:ありがとうございます』
交渉は成立したみたいだ。
まぁ、それで本当に伊与木さんが忘れてくれるとは限らないが、そこは伊与木さんを信じるとしよう。
『入明:そういえば、どうしたんですか? メールなんて珍しいですけど』
話を本筋に戻す。
伊与木さんがメールをしてくるなんてよっぽどのことなので、何かあったのかもしれないが……。
伊与木さんから返信があるまでに色々と想像を膨らませたのだが、返ってきたのは予想外のことだった。
『紗江:いや、ただお話したいなって思っただけです。何か特別な用があったとかじゃありません』
その答えは考えていなかった。
それもそのはず、さっきまで一緒にいたわけだし、そこで散々話していたわけだから。
『入明:そ、そうですか』
『紗江:もしかして、迷惑でしたか?』
『入明:そんなことはありません! むしろウェルカムですよ!』
『紗江:ほんとですか?』
『入明:ほんとですほんと!』
『紗江:ならよかったです!』
危ない危ない。
危うく伊与木さんに気を遣わせてしまうところだった。
こういう対人スキルのなさは、これから改善していかなければいけないな。
そんなこんなで、そのまま俺と伊与木さんはメールのやり取りをした。
会話の内容としてはいつも一緒に歩いているときと同じように、たわいもないこと。
それでもメールでやり取りをするのは新鮮で、いつもとは違った感じがした。
『紗江:じゃあ、また明日。おやすみなさい』
『入明:おやすみなさい』
ようやくやり取りが終わり、時計をちらりと見る。
「もうこんな時間か」
メールをするのに夢中になっていて、予想よりも早く時間が経過していた。
夕飯もまだなわけだし、そろそろ動き始めるとしよう。
携帯をベッドへと投げ捨て、重い腰を上げてキッチンへと向かった。
♦ ♦ ♦
携帯の画面を閉じ、ふぅと一息つく。
今の私の心はとても満たされていた。
だってさっきまで、入明くんと心ゆくまでメールができたのだから。
今日の私はすごく変で、帰り道も一緒に帰ったのにもっと入明くんと話したいと思ってしまった。
だからわけもなく入明くんにメールしちゃったわけだけど、入明くんは私にかまってくれた。
だからこんなにも心が入明くんでいっぱいになることができた。
「私、どんどん入明くんにハマっていっちゃうな……」
ダメなのは分かってる。
でも、私はどんどん理性を抑えることができなくなっている。
というか、隣に引っ越してきてしまった時点で、私の理性は壊れてしまったのだ。
「はぁ、入明くん」
ベッドに面した壁に触れる。
耳を押し当てて見れば、ガチャガチャと生活音が響いてくる。
これは全部、入明くんの音だ。
「ダメだなぁ、私」
そう呟いてはみるものの、実際どうにもならないのが現実で。
私はそっと、隣の部屋に耳を澄ませる。
こうすると安心するし、私はもっと満たされる。
乾きが、潤されていく。
「ふふっ、入明くんとずっと一緒だなぁ私」
このアパートの壁の薄さにすごく感謝しながら、入明くんを漏らさぬよう体をぺたりと壁にくっつける。
「ふふっ、入明くん、愛してるよ♡」
いつか入明くんに、この気持ちを受け取ってほしいな。
もちろん、ひとつ残らず全部、ね。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
次回の更新は、9月12日です。




