23話 我慢と新章
ここ最近、伊与木さんがおかしい。
果たしてこのセリフを言うのは何度目だろうか。
いや、でも今回に限っては明らかにおかしい。
「……伊与木さん?」
「なんですか?」
おかしいところなんてどこにもありませんよね? と言わんばかりの顔で俺のことを見てくる。
そんな伊与木さんに何か物申せるわけもなく。
「な、なんでもないです」
「ふふっ、ですよね!」
ふふんっ、と上機嫌に伊与木さんが鼻を鳴らす。
俺は伊与木さんに気づかれないように小さくため息をついた。
下駄箱から校門までの道。
放課後ともなればそこを通る人の数はとてつもなく多く。
俺と伊与木さんはそんな場所を、肩を密着させながら歩いていた。
これは当然、俺からではない。
伊与木さんの基本的なディスタンスが、いつの間にかこれになっているのだ。
はっきり言って、かなり恥ずかしい。
というか、向けられている視線の数が異常だし、俺の胸の鼓動も異常だし……。
一体どんな意図があって、伊与木さんは俺にこんなにもくっついているのだろうか。
まるで見せつけるような、そんな感じがしてしまう。
いや、伊与木さんほどの学園のアイドルがわざわざそんなことをする必要性が見えないが。
若干居心地の悪さを感じながら歩いていると、校門付近にいた女子生徒数名が俺の姿に気づいた。
「あれ入明先輩じゃない?!」
「あっ本物だ!」
「声かけてきちゃいなよ!」
「えっ、で、でもぉー」
……なんだその反応は。
こんなことを自分で言いたくないのだが、実は女子生徒の間でも俺は人気になっているらしい。
なんでも、伊与木さんを守ってガラの悪い連中を撃退したがために「全然アリの人」という認識になっているそうだ。
……意味が分からない。
「ほら! 紗江様に負けじと行ってきなって!」
「で、でもぉ……」
すぐ隣の雰囲気が急にぴりつく。
横を向くと、顔をしかめた伊与木さんが女子生徒たちを睨んでいた。
「……私の入明くん。誰にも、渡さない」
ボソッと呟かれたために聞き取れずにいると、伊与木さんがさらに雰囲気を変えた。
さっきまでわーきゃー言っていた女子生徒たちが伊与木さんに気づき、「ひぃっ!」と恐怖を顔に滲ませる。
逃げるように校門を出て行く。
一体何があったんだろうかと思っていると、満足そうに伊与木さんが微笑んできた。
「早く帰りましょう?」
「は、はい」
やっぱり、最近の伊与木さんはおかしい。
今の伊与木さんならなんだか――なんでもしてしまいそうだ。
♦ ♦ ♦
入明くんが人気者になってしまった。
私としては、みんなに入明くんの魅力が分かってもらえて誇らしい気持ちもある。
だけど、それ以上に妬ましかった。
今まで私が入明くんを独占できたのに、少しずつ私の入明くんを取られていく。
それが私は耐えられなかった。
私は正しい恋愛の仕方なんて知らない。
普通の女の子がどんな恋愛をするのかなんて聞いたことがない。
ずっと恋バナみたいなものをしてみたいと思っていたけど、そういうのをする友達は出来たことがないし。
だから今、私が抱いている感情が正しいのか分からない。
まぁ、正しいとか正しくないとか、別にどうでもいいか。
私は入明くんを私の全部で愛したいし、入明くんに私を全部愛してほしい。
あの時、先輩たちから私を守ってくれたとき。
やっぱり思ってしまった。
きっと彼は、運命の人だ。
こんなにも胸がときめくのは入明くんしかいない。
こんなにもその手に触れたいと思うのは、入明くんしかいない。
私は、入明くんの全部が欲しい。
入明くんには私だけ見つめて欲しい。
入明くんには、私だけに笑顔を見せて欲しい。
入明くんが他の人と話してる姿なんて見たくない。
入明くんは私のものだ。
入明くんは私だけのものだ。
私の髪に触れてほしい。
私の頬に触れてほしい。
私の唇に触れてほしい。
私を抱き寄せてほしい。
私を満たしてほしい。
「はぁ、入明くんっ」
どろどろと流れ込んでくる愛の衝動。
もう私を止めることはできない。
私は入明くんの全部になりたい。
ずっと一緒にいたい。愛し合いたい。
私だけを見て、私だけを見て?
好きの気持ちが溢れ出す。
愛しての気持ちが溢れ出す。
他の人には絶対に渡してやるものか。
少しのかけらだって、くれてやるものか。
「ふふっ、待っててね、入明くん♡」
私はもう、止まらない。
♦ ♦ ♦
休日。
いつも通り太陽が頂点に昇った辺りでベッドから抜け出し、水を飲む。
「ぷはぁー」
つぐつぐ、起きる時間が決まっていない休日は最高だよなと思う。
人生この怠慢のためにあるのだとさえ思うほどだ。
「ん? なんか騒がしいな」
珍しく外が賑やかだ。
かなりの人数がアパートの階段を上ったり下りたりしている。
この感じは……引っ越しだろうか。
確かにしばらくこのアパートは空き部屋があったし、誰かが引っ越してきてもおかしくない。
それにしても引っ越す時期が変わってるなぁと思う。
「ふはぁ、ねむ」
瞼が重くなる。
二度寝をしようと決めて、俺は再びベッドに深く沈みこんだ。
――ピンポーン。
インターホンの音で目が覚め、眠い目を擦って扉へ向かう。
「はいはい。どちらさま――え」
睡魔が一瞬にしてはれる。
そしてもう一度目を擦り、ただただ茫然と目の前に立つ彼女のことを見た。
「こんにちは、入明くん! この度、隣に引っ越してきました」
伊与木さんはニコッと不敵な笑みを浮かべるのだった。
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