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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

のろんじの歌

作者: 木谷天音

皆さんは予知夢って信じますか?

あるいは前世とか。


これは私が見た、ただの夢のお話です。

でも夢はいつか現実となって現れるかもしれません。


そう、あなたのところにも……。


 『あるばばげばん』を捕まえた。


 村の男どもはそう言って意気揚々と帰ってきた。


 町外れの小さな山村、ど田舎。

 コンビニも、高速道路も、喫茶店なんてのはもちろん無い。


 ここいらで未だに灯りとして使われている提灯が十数張り、暗い夜道に列を成して浮かび上がっている。


 「ばぁば、あるばばげばんってなに?」


 「しっ! 滅多なこと聞ぐもんでねぇ」


 老婆は幼い子供を嗜めると手を引いてそそくさと家の中へと入っていった。


 「宴じゃあ、酒さ用意しろぉぉぉぉ!!!!」


 「おおおおぉぉぉぉ!!!!」


 誰かの怒号に男どもが雄叫びをあげる。


 いやぁなに、ちょいと最後まで聞いておくれや、この歌を。

 オーオーエーーオーーバーーーーゥアーうアァァ。


 歌ともとれない妙な調子の旋律が低い声で夜の村に響き渡った。


 こぢんまりとした拝殿の扉が開かれる。


 中から数珠つなぎになった提灯が引っ張り出される様は、まるで臓物が腹の中から無理矢理引き出されるかのようだ。


 こいつが木にくくりつけられると灯りがともり、白い火袋には黒々とした文字が刻印されているのが分かる。


 『亟、目、鬼、窶、魑、魅、牛、雨、魍、獣、魎、口』


 男どもはそれを笑いながら眺め、輪になって酒を呑みはじめた。


 ドスンという鈍い音が拝殿から聞こえた後、ひとりの男が両手を血に染めてその輪に加わる。


 何とも異様な光景だ。


 「いやあ、今日のあるばばげばんさデケェのなんのって!」


 「オメェ、早うそれさなんとかしねぇと祟られるぞ」


 「心配いらねぇべ、なんも起ぎねぇよ」


 男は酒を一気に口に含むと血まみれの両手めがけてぷっと勢いよく吹きかけた。



 ほどなくして拝殿から甲高い叫び声が聞こえてきた。


 ぎゃーーーーーーーー!!!!


 それまで楽しげに酒を酌み交わしていた男どもは談笑をぴたりと止め、一斉に拝殿を睨む。


 辺りが夜の静寂に包まれた。


 突然、拝殿の扉が乱暴に開かれ中から飛び出してきたのは八つくらいの男児。


 「ああぅぁぁ」


 青い顔をしてその場にうずくまり震えている。


 「餓鬼(ガキ)か? 

 なんでこんなところさいる?

 おめぇ、どこの子だ?」


 「誰だ、餓鬼ィ入れたのは!」


 男どもは皆、険しい顔で男児を問いただした。


 「いいか、あそこは入っちゃいかんの!

 分かったらもう帰れ!!」


 手を血に染めた男が男児を抱きかかえようとしたが、すぐにヒィと叫んでその手を引っ込めた。


 「あ……た、祟りだ。

 この餓鬼、祟られてる!!」


 「どけぃ!」


 騒ぐ男を押し退けて装束姿の初老の男が前に出ると、屈んで男児の小さな手を確認する。


 「あー、こりゃあだめだ。

 きっと手遅れだなぁ。


 しゃーない。拝殿に戻すべ。

 いいか、絶対に素手で触っちゃいかんぞ!」


 男児の手のひらには赤いミミズ腫れのような跡が輪を作るように浮き上がっていた。


 どこから持ってきたのか紫色の大きな風呂敷が広げられると、5人がかりで男児をすっぽり包んで拝殿まで運んでゆく。


 真っ暗な拝殿の中には埃やカビ、そして血と何かが混ざったような臭いが充満していた。

 悪臭で思わずむせ返る男ども。


 全員、たまらずその辺りへ風呂敷を放り投げる。

 中に包まれている男児のことなどお構いなしだ。


 誰かがすぐさま入口の灯りをつけると、拝殿全体が薄暗く照らされ中の様子がぼんやりと見えてきた。


 「うわぁ、くせぇ。

 あの野郎!!


 ちゃんとした手順を踏まねぇでここへ放り投げやがったな」


 「どうすんだよ、オイラたち。

 こんなでたらめばかりしてたら、どんなバチが当たっても文句言えねぇぞ!」


 拝殿の中央にある畳は赤い何かが飛び散って汚れている。

 その汚れの中に本来あるべきものがないことを確認した男は慌てて皆に問いかけた。


 「おい。

 そんなことより、()()はどこさ行った!?


 さっきあいつが拝殿に運んでたよな!?


 どこにも見当たらねぇぞ!!」 



 男どもの顔からサァ、と血の気が引いていく。


 「探せっ!!

 でねぇと村に災いが起こるぞ!

 クソゥ! ったく、今日はツイてねぇ」


 「さっきあの餓鬼が拝殿の扉をこじ開けたもんだから逃げちまったんだ。

 なぁに、すぐ見つかるべ。まだ近くさ居るはずだ」

 

 「そんなに悠長なこと言っちょる場合かね。

 もし、これがあじゃり(先生)にでも知られたら……」



 がたがたがたがたがたがたがた。


 拝殿全体が音を立てて揺れだした。


 いや。実際に揺れているわけではない。

 何かこう、不気味な「気」のようなものが建物全体を震わせているのだ。


 男どもの皮膚という皮膚に鳥肌が立つ。


 「だっ……誰かここにおるんか?」

 

 震え声を絞り出して、ひとりの男が恐る恐る拝殿の奥へと確かめに行く。


 そして男は祭壇の裏を覗き込んだ瞬間、悲鳴を上げた。


 「どうした!?」


 くぐもった悲鳴を聞きつけて、他の男どもが祭壇の方へ駆け寄る。


 そこにちょいと丸まっていたのは、またもや八つくらいの男児。


 男どもは安堵すると共に、揃って舌打ちと罵声を男児に浴びせた。


 「なんだよ、また餓鬼でねぇか!

 脅かしやがってよお!!」


 「なして勝手にこんなところさ入って来たんだか」  


 「おめぇ、名前はなんていうだ?」


 祭壇の裏で小さく体育座りをしたまま男児は答える。


 「…………健人」



 そこでハッと目が覚めた。


 嫌な汗がじわじわと背中から溢れて、着ていたTシャツが体に纏わりつく。


 また子供の頃の夢を見ていた。

 この夏の時期になると決まってそうだ。


 せっかく帰省の為に久しぶりに乗った夜行バスで揺られて、気持ちよく眠りについたというのに。

 

 あの日、僕は全てを見ていた訳じゃない。

 それなのに夢の中にいる間だけは何が起こったのか全て分かっている自分がいる。


 だが夢から覚めた後に残っているのは、いつも恐怖と嫌な汗だけだった。


 健人は窓のカーテンを少しだけ開け、外の様子を眺める。

 真っ黒い窓の外は辺り一面が畑。実家に着くのはまだまだ先のはずだ。

 

 夢の続きが見たくなくて絶対にもう寝まいと、暫くは意識して目を開けていた。


 それでもバスの心地良い揺れと規則正しいタイヤの音が健人を眠りへと誘う。


 たまらず瞼を閉じ、健人は再び眠りについたのだった。

 


 「おい、餓鬼はちゃんと拝殿へ運んだのか?」


 装束姿の初老の男が苛々した様子で拝殿へとやって来た。


 男どもは揃って顔を見合わせる。


 「あじゃり、餓鬼がもうひとり隠れてて脅かしよった。

 名前さ聞いたら健人いうらしい」


 「気は違ってねぇのか?」


 「違っちゃいねぇさ、ただ……」


 あじゃりと呼ばれた初老の男は迷わず健人のそばまで来ると、品定めするように眺める。


 「健人いうんか。

 もうひとりの餓鬼は友達か?」


 健人は装束姿の男が偉い人だと無意識のうちに理解していた。

 ここで何も答えないときっと()()のようにになる。それだけは絶対に嫌だ。


 そう思って大袈裟にコクンと頷いた。


 「どっから来た?」


 「い……岩子井沢」


 「いわこいさわぁ!?

 オメェら、きいたことあるか?」


 あじゃりに尋ねられた男どもは皆、首を横に振る。


 「誰も知らんとよ。

 嘘つくでねぇ。ここへ何しに来た!?」


 目を細めて語気を強めるあじゃりに対し、健人は心臓が口から飛び出しそうなほど緊張していた。


 この人に何とかして本当のことを言っていると信じてもらわねば。


 「本当だよ!

 だって……さっきまでばあちゃん家にいたんだもん!!」


 健人はとにかく必死だった。


 「そうかぁ。参ったな、こりゃ」


 あじゃりは苦笑いして無言で男どもに意見を求める。


 「祈呪の儀が終わるまであの餓鬼と一緒にここに居てもらうんはどうですかね?」


 男どもは先程、自分たちが運んできた紫色の風呂敷と健人を交互に見つめていた。


 「まぁ、そうする他ないわなぁ。

 ほんとは今すぐ出て行って欲しいところじゃけど」


 自分の顎髭を弄って、健人の処遇を考え込むあじゃりの元へ今度は他の男が騒がしくやって来る。


 「あじゃり、すぐこっちさ見にきてくれ!

 送り提灯の灯りがみんな消えちまった。


 なんでかな、何度火ぃつけてもつかねぇんですわ」


 「んなわけあるかぁ!!

 とっととつけ直せ!!


 帰ったら灯りを絶やさぬようにとあれほど言ったろうに……。

 

 そういや()()はどうした?」


 あじゃりの問いかけに男どもは強張る。


 ひとりたりとも、声を発するものなどいなかった。


 男どもの様子がおかしいことに気付いたあじゃりは素早く辺りを見渡す。


 「まさか……。

 オメェら、つるんでわし相手に冗談言うとるんだったら大概にしておけよ。


 いいか、わしは()()()()()()()と聞いとる」


 先に風呂敷を拝殿へ運んだ5人と後から騒がしくやってきたひとり。


 あじゃりがいくら般若のような目つきで睨んでも、やはり誰ひとりとして声を発するものはいなかった。


 「なんてこった……。

 なぁ、オメェらは一体何をした?」


 「おれらでねぇ!

 さっきまで確かにあそこにいたんだ。

 

 そもそもあの餓鬼が勝手に拝殿さ入って祟られたうえ、封をした扉を無理くり開けてらぁ。


 全部あいつのせいだ、だから()()も逃げちまったんだ!!」


 「そうだ、オイラたちは悪ぐねぇ!」


 「あじゃり、人形役は餓鬼たちに任せればええ。

 ここにおるんはみぃんなきちんと役目ばまっとうした」


 男どもはあじゃりの言葉を聞くと、せきを切ったようにそれぞれが反論をはじめた。


 何故か皆、必死になって自分たちの疑いを晴らそうとしている。


 「だまれぇ!!!!」


 あじゃりの怒号で一同がぴたりと静かになった。


 「あるばばげばんはここに居ない言うんだな。

 したら祈呪の儀はやらん。

 やっても意味がない!


 だがこうなった以上、何が起こるか分からんぞ。

 丑の刻だ、丑の刻までになんとかしなければこの村は終わりだ思え!!」


 後から拝殿にやってきた男が手に持っていた酒を、あじゃりはひったくると口に含んだ。


 それを健人の顔めがけて勢いよくぶっと吹き出す。


 「うわっ!」


 顔中からツンッと鼻をつくような酒の匂いがして目が染みる。


 さらにあじゃりは残った酒を健人の頭からバシャバシャと振りかけた。


 全身をつたって畳までびしゃびしゃになる。


 あまりにも不快感極まりないこの行為に怒り、健人は立ち上がって一言物申したかったが、あじゃりはそれを手で制した。


 「我慢すれ。

 いいか、朝まで無事でいたけりゃ何があっても絶対に喋るな、声を出すな!


 絶対にだぞ。分かったらそこさ座れ」


 あじゃりの真剣な表情に健人は何も言えず、ただ大人しく従って拝殿の隅の畳へ座り直した。


 懐から麻縄を取り出したあじゃりは座っている健人を囲む形で縄の輪を作り、それを健人の人差し指に繋ぐ。


 「そいつ助けるんか、あじゃり」


 側にいた男は不服そうにあじゃりに尋ねた。


 「分からん。助かるかどうかはこの餓鬼と()()次第じゃあ。


 村にあるありったけの札をあっちの風呂敷と、拝殿全体に貼れ。


 ここに()()の血ぃ浴びたもんも連れてこい。


 連れてきたら扉に封ばして、村人全員外に出せ。


 女、子供、年寄りもみぃんな、叩き起こしてでも連れてこい!!」


 あじゃりが怖い顔で指示を出すと、その場にいた男どもは手早く行動を始めた。



 それからどのくらい経ったのだろう。

 もう丑の刻とやらになったんだろうか。


 今まで騒がしかった外が急にぴたりと静かになる。


 拝殿の中には健人と、生地が埋め尽くされるほど札を張られピクリとも動かない紫色の風呂敷、そして先程連れてこられた両手が血まみれの男だけが取り残された。


 「なぁ、あじゃり。聞こえてるんだべ?

 ここから出しとくれ!!


 おらぁ人形役なんてごめんだ。

 なんでおらがこの餓鬼たちと一緒に閉じ込められとんだ?


 ひょっとして、ちょっぴりサボって手順すっ飛ばしたからか?

 そりゃぁねぇだろうさ、なぁ!!!!」

 

 男は何度も同じことばかり言って拝殿の扉を内側からドンドンと叩いていた。

 

 「静かにしてらぁ!」


 その度に外側にいる誰かが棒のようなものでゴンと扉を突っつく。


 ずっとその繰り返しだ。


 健人はあじゃりの言いつけを守り、声を発することなくただ黙ってその光景を見つめているだけだった。


 怖い。早くばあちゃん家に帰りたい。


 物珍しい田舎に来て、あちこち歩き回っていたらこんなところに来てしまった。


 酒でずぶ濡れの体と寂しさから一気に心細くなる。


 人差し指に結ばれた麻縄を触りながら健人はその気持ちと戦っていた。

 

 しばらくすると、両手が血まみれの男は叫んでも無駄だと判断したのか大人しくなった。


 がっくりと項垂れて拝殿の隅に腰を下ろしている。

 

 静かだ、静かすぎる。


 物音ひとつ聞こえなくなったこの村に突然、鈴の音がシャンと響き渡った。


 オーオーエーーオーーバーーーーゥアーうアァァ。


 オーオーエーーオーーバーーーーゥアーうアァァ。


 ひとつ、姿を見せちゃくれぬか

 まさしくまさしく半夜の回疆。

 

 鈴の音は村人総出で歌う奇妙な節に合わせて鳴っているようだった。


 始まったのだ、何とかの儀とやらが。

 

 健人はぎゅっと麻縄を握りしめた。


 「どうかしよるぞ、奴らは。

 ここにあるばばげばんさ呼ぶ気だ!!


 ちくしょう、くたばってたまるか!!」


 男は拝殿の扉を蹴飛ばしたり叩いたり、何とかしてそこから出ようとするも扉はびくともしない。


 オーオーエーーオーーバーーーーゥアーうアァァ。


 コロコロコロコロコロ。


 オーオーエーーオーーバーーーーゥアーうアァァ。


 コロコロコロコロコロ。

 

 まるで歌に呼応するように何かを転すかの如く音が聞こえてきた。


 それは下駄で歩く音を大きく、もっと速くしたものに近いかもしれない。


 オーオーエーーオーーバーーーーゥアーうアァァ。


 コロコロコロコロコロ。


 オーオーエーーオーーバーーーーゥアーうアァァ。


 コロコロコロコロコロ。



 がたがたがたがたがたがたがた。



 拝殿全体が再び音を立てて揺れだした。


 何か、扉の向こうにいる!


 健人は直感的にそう思ったのだ。


 その何かは拝殿の中に入ろうとはせず、周りを行ったり来たりしているらしい。


 コロコロコロコロコロ。


 健人のすぐ後ろで音が聞こえた。


 「ぎゃーーーーーー!!!!」


 途端に男は震える腕で健人を指差す。


 「ま、窓に……白い顔が……。

  なんだ、あるばばげばんって……一体何なんだ!?」


 健人は絶対に後ろを振り返らない。

 今振り返ったら声を上げてしまいそうだ。


 ばあちゃんに会いたい。

 早く帰ってばあちゃん特性のあったかいシチューが食べたい。


 この男が最初に拝殿へ入ってきたところを健人は覚えている。


 床に大きな何かを置いた後、まさかりを振りかぶってそれを――――!


 再び男がここに連れてこられた時には両手が血まみれになっていたのだ。


 やめた。これ以上想像するのは!


 本当は叫びだしたくてたまらない。

 健人は下を向き、他のことをあれこれ考えながらその気持ちを紛らわせていた。


 オーオーエーーオーーバーーーーゥアーうアァァ。


 オーオーエーーオーーバーーーーゥアーうアァァ。


 外では歌が相変わらず聞こえてくるが、何かを転がすような音はもう聞こえてこない。


 ()()は諦めて遠くに行ったんだろうか。


 健人が頭を上げて拝殿の中を見渡すと、紫色の風呂敷がモゾモゾと動いていた。


 男が散々うるさく叫んでいたので、中にいた男児が目を覚ましたのだろう。


 男もそれに気付いたのか、


 「は、はは……。

 おらたちみぃんな助かったのか?


 もう大丈夫みてぇだな。


 そうだ、おめぇさんの祟りも無ぐなったんでねぇか。

 良かった、良かった、これで助かったぞ!」


 と風呂敷に近づき中にいた男児に声をかけた。



 それはあまりにも一瞬の出来事だったので健人は自分の目を疑う。


 内側から風呂敷が札ごとビリビリに引き裂かれたと思ったら、中から小さな手が出てきて男の血まみれの腕を掴んだ。


 「ヒギィィィィ!!!!」


 男は声にならない悲鳴をあげる。


 風呂敷の裂け目から男児が出てくると男の腕を掴んだまま、真っ黒い目でニィと笑った。


 『よカッタ、ヨかっタ、こレデ助カッたゾォォォ!!』

 

 男児がそう叫ぶと同時にガラッと拝殿の扉が開いた。


 コロコロコロコロコロ。


 健人は思わず叫び出しそうになって慌てて口を手で抑える。


 拝殿の扉からにゅっと真っ白な顔が現れてこちらの様子を伺っていたのだ。


 それも普通の顔ではない。

 目、鼻、口。あるべきはずのところにあるべきものがない、のっぺらぼう。


 「やめろ、やめろ!!

 やめてくれぇぇぇぇ!!!!」


 男が金切り声をあげる。


 『あるばばげばんって……一体何なんだ!?

 あるばばげばんって……一体何なんだ!?

 あるばばげばんって……一体何なんだ!?』


 声のした方を見ると、男児が男の口調を真似しながら掴んだ両腕に力を込めていた。


 幼い子供とは思えないくらいの強い力だ。

 健人の耳にも腕の骨が軋むような嫌な音が聞こえる。


 ギシィ、ギシィ。


 対して男の身体は真っ白な顔が待つ扉の方へ引きずられていた。


 ふたつの力が全く逆の方向にはたらく。

 男の身体はもう限界だった。

 

 「ああああぁぁぁぁぁ、う、腕がぁぁぁぅぁあ!!」


 ブチブチブチィ。


 ついに男の身体から腕が分断された。


 腕を失った男の身体は真っ白な顔の元へズルズルと近づいてゆく。


 ゆっくりと、少しずつだが確実に。


 男がどれだけ足をバタバタさせても、その抵抗は虚しく自分の身体を止めることができないのだ。


 「いやだ、いやだぁぁぁ!

 た、たっ助けてくれぇ!!

 頼むよおぉ、お願いだっ!!!!」


 男と目が合った。

 男は懇願するような目で健人を見たが、健人は動けずにいた。


 只々、その場に座って見ていることしか出来なかった。

 

 男が悲鳴と共に拝殿の外へ出て行くと、ガタンと扉が閉まる。


 コロコロコロコロコロ。

 

 真っ白な顔はこれで満足したのか、遠ざかって行くようだ。


 健人の呼吸は恐怖で乱れ、目には涙が浮かんでいる。

 それでも絶対に声だけは出さない。


 拝殿の中には静けさが戻ったが健人は未だ怯え、震えていた。


 視線があの紫色の風呂敷から出てきた男児を捉えたからだ。

 

 最初、男児は男からもぎ取った血まみれの両腕を玩具にして遊んでいた。


 しかしそれにも飽きたのだろう。


 男の両腕をポイッと畳に投げ捨てる。

 それがすぐそばまで転がってきたので、健人は思わず息を呑んだ。

 

 『だぁれ?』


 男児はゆっくりとこちらを振り返り、周りをキョロキョロ見渡す。


 目は白目が無く全体が真っ黒に染まっており、口の端からは涎をこぼしている。


 明らかに常軌を逸した男児が四つん這いになりながら健人の方へ向かってくるのだ。

 

 だん、だん、だん、だん。


 男児の手についた血が畳に手形を残す。


 『だぁれ?』


 転がった男の両腕と自分の身体中から漂う酒の匂い。

 血生臭い畳。


 近づいてくる化け物。


 健人は正直もう気が狂いそうだった。

 もしかすると、とっくに狂っていたのかもしれない。


 もうだめだ……。終わりだ……。


 諦めて目を閉じた。


 ところが男児は健人の手前で止まると、手探りを始める。


 『あ、…………どこ……?

 だぁれ?』

 

 その小さな手のひらには赤いミミズ腫れのような跡が輪を作るように浮かび上がっていた。


 どういうわけか、男児にはこちらの姿が見えていないらしい。


 健人は息を殺して石像になったつもりでじっと動かず耐え続ける。


 だんだんだん。


 『だぁれ、だぁれ、だぁれ、だぁれ、だぁれ!!』


 男児は健人の鼻先まで近づくと癇癪を起こした。



 翔太くん……。

 この子を知っている。


 でもなぜ知っているのかが思い出せない。


 これは夢だ。


 夢から覚めてしまったら、どうせこの子のことなんて綺麗さっぱり忘れてしまうのだろう。


 夢の中の健人は現実の自分を嘲笑う。

 健人の意識は夢から現実へと戻りかけていた。



 今、あと少しでも手を伸ばせば翔太くんに触れることができそうなくらいの距離だ。

 だから近づいてきた顔が嫌でも目に入る。


 白目が無い真っ黒な目からは黒い涙が溢れ、真っ赤に染まった小さな手が今にも健人の鼻をつかもうとしていた。


 まずい、きっと見つかる。


 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 健人はついにパニックになり叫び出すと、彼を突き飛ばして拝殿の扉へ向かう。

 

 頼む、開いてくれ!


 健人の願いが通じたのか、手をかけるとすんなり扉が開いた。


 外に出た健人は一目散に走る、走る、走る。


 指から伸びる麻縄が邪魔だったが、取っている時間も無いのでそのまま抱えて走る。


 追ってこられたら大変だ。


 空がぼんやり明るくなり始めた頃、健人は無我夢中で山道を駆け抜けた。


 「あっ!!」


 道が登り坂に差し掛かったところで、木の根っこにつまづく。


 バランスを崩した健人は近づく地面を前に、ぎゅっと目を瞑った。


 そうして頭を抱えた状態で坂道を転がっていったのだった。


 


 「ん……さん、お客さん!」


 「んん? うーん、…………」


 誰かに声をかけられ、軽く揺さぶれる。


 健人が目をあけた時、窓の外から朝日が差し込むのが見えた。そうだ、ここはバスの中だった。

 

 「終点、岩子井沢。

 随分うなされてたけど大丈夫?」


 運転手にぶっきらぼうに話しかけられ、ようやく頭がはっきりする。


 あぁ、あれからまた眠ってしまい夢を見ていたのだ。

 腕に巻き付いたデジタル時計は『AM7:00』を知らせていた。


 他の乗客たちはもうバスを降りていったのかひとりもいない。


 ということは自分が最後の乗客か!


 「すいません、大丈夫です。

 ありがとうございました」


 慌ててバスを降りようとする健人。


 「あ、ちょっと待って。

 お客さんこの辺りの人?」

 

 運転手が健人を呼び止め尋ねた。


 「実家は近くですけど……」


 「あぁ、やっぱりそうか。

 じゃあうなされたわけじゃ無いんだ」


 「どういう意味ですか?」


 妙に納得した顔の運転手に健人は疑問を持つ。

 

 「いや。歌ってたからさ」


 「え……?」


 「なに、寝言っていうか……口ずさんでたっていうか。

 あれってこの辺に伝わる『のろんじ』か何かの歌なんでしょ?」

 

 健人は軽く会釈をして無言でバスから降りた。

 顔からみるみる血の気が引いてゆく。


 そんな歌、知らない!

 聞いたこともない。でも……。

 

 オーオーエーーオーーバーーーーゥアーうアァァ。


 コロコロコロコロコロ。


 夢から覚めても何故か今日はこの妙な調子の旋律と、真っ白い顔が出す音だけは鮮明に脳裏に焼き付いていた。

 

 『あるばばげばん』とは一体何だったのだろう。

 

 拝殿の中で起こった出来事も、あじゃりという人物がいたことも、風呂敷に包まれていた男児のことも、健人が家に着く頃にはすべて記憶の波にさらわれて消えていった。

 

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございました^ ^


怖い雰囲気を出す為に頑張りましたが怖かったでしょうか……?


夏の風物詩、ホラーって割と好きだったりします笑

読むのは好きですが、書くのって難しい!!


気が向いたら続きか別のお話も書こうかと思っていますのでまた見ていただけたら嬉しいです♪


評価•ブックマーク•感想•ご指摘などありましたら幸いです。


それではまたどこかでお会いしましょう!!


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― 新着の感想 ―
[一言] タイトルがすごいホラーらしくていいですね! 怖い話が大好きなのでワクワクで読ませていただきました。 古い風習の残った閉鎖的な村感が素敵で、最後まで怖くて面白かったです。 あるばばげばんって、…
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