8.October
「おう、来たな」
俺の清掃班は3週に一度の休みの週だった。部室一番乗りかと思ったが、先客がいた。森田先輩だった。相変わらずどっかりと椅子に座り足を組んでいる。久しぶりにその姿を見た。何故なら、文化祭も終わって3年生は完全に受験モードに入っているからだ。
「勉強は、大丈夫なんですか」
「んなわけねーだろ。ヒイヒイ言ってるよ。でもたまには気晴らししないとな、参っちまう」
右手には尾崎の本棚の一冊。本棚の本は部室内でなら持ち主の許可を得ずとも自由に読むことができることになっている。
森田先輩は小説は書かない。ただ、あらゆるジャンルの本を読む。その量と選り好みの無さは部室内の全ての本を把握しているということからも分かる。俺が入部したときも、最初に語る相手になってくれたのは先輩だった。
「大変ですか」
「まあな。程度は人によるかもしれないが、俺は頭よくないからな。記述はな、何とかなるんだ。でも問題は一次なんだよな。選択問題っていうのはどうも俺の性に合わないらしい。特に国語の読解なんか、選択肢が全部正しく見えてくるから困りもんだ」
「最初に自分で答えを書いて、選択肢から似てるのを選ぶっていうのはどうですか?」
「先生もそう言うんだけどな、これでなかなか上手くいかないんだ」
「そういうもんですか」
「ま、否が応でも来年になりゃ分かるさ。って、別に受験勉強の愚痴を言いにきたわけじゃないんだがな」
手元の本に目を落とす。
「なあ、部長は誰にするか決まったか?」
「いえ、まだ確定はしていません。そろそろ決めないといけないんですけど」
「そうか」
ページを繰る。丁度切りのいいところになったらしい。本をパタンと閉じると、俺に向き直った。
部長の仕事は、年度末で終わる。だがそれは書類の上での話で、実際は年明けにはもう仕事を移していく。2月の生徒総会には2人揃って前の席に座るし、部活の更新届けにも名前を書かなくちゃならない。だからそろそろ、次の部長を決めるべきなのだ。11月頃に決まるのが常だが、時期尚早というわけでもない。現に生物部のほうでは、カズがもう当たりをつけたらしい。
文芸部の1年は3人。そのうち馬越は殆ど辞めたに等しいから除外。榊か尾崎か、どちらか一方が部長でもう一方が副部長。そこまでは妥当なところだろう。だが、部長をどちらにすべきなのか。もう少し人数が多ければ、活動のうちに何となくリーダー的な素質が現れてくる人がいるかもしれない。でも榊も尾崎も、それには当てはまらなかった。かといって2人とも部長が務まりそうにないわけでもないし、頼めば断られはしなさそうでもあった。
……こういうことは、前例を参考にすべきだろう。俺は先輩に尋ねる。
「先輩の代は、どうやって決まったんですか?」
先輩はニヤリと笑った。
「気になるか、どうしてあんなヤツが部長になったのか」
はいと答えると入船先輩に失礼な気がしたので、曖昧な笑みで返答に代える。
確かに、改めて考えると不思議な気もする。どっしりと構えているのが部長だというのなら森田先輩が適任だろうし、明るさと行動力なら桜井先輩の方が上だろう。小説の腕なら霧山先輩が群を抜いている。それに比べて入船先輩は……何と言うか、変わっている。みんなを先導する立場の人間として、選ばれるとはあまり思えない。いや、実際は上手くいっていたのだから、向いていないなどということはなかったのだけれど。それでも、当然のようにそう決まったのなら少し奇妙だ。
「俺らの代のときは、ちょっとゴタゴタしてな」
先輩はそう言って足を組み換えると、暮れかかった空に目をやった。
「元々入船は論外だった。あの体たらくだからな。実力で選ぶなら霧山だったんだが、あいつはあんまり団体行動が得意じゃない。桜井も打診されたんだが、頑なに拒んだらしい。肩書きってのが苦手なんだと。それで、俺にお鉢が回ってきたわけだ」
元副部長は俺に視線を戻す。
「俺が部長になってもよかった。いや、自然に行けばそうなったんだがな。でも何て言うか、変えたかったんだな、文芸部を。入って半年ちょいでそう思うのも出すぎた真似かもしれないが、まあ、俺が部長になったら変わらない気がした。別に当時の部活が気に食わなかったわけじゃない。先輩方も良くしてくれたし、活動も楽しかった。でも何か、変えてみたかった。変えてやったという経験をしてみたかったんだ。だったら俺が部長になって何か始めるより、全然違うタイプのヤツが部長をやったほうがいいんじゃないかって思った。それで入船に話を持ちかけた」
「入船先輩は……」
「承諾してくれたよ。二つ返事とまではいかなかったが。で、ちょっと色々悶着があってな。先輩方は純文学系統の人たちばっかりだったから、そりゃあ抵抗もあったんだろうな。でもまあ、結局は承認された。実際、あいつはよくやってくれたと思うよ。俺の助けはあまり必要なかった。ブレーキをかける必要はあったけどな」
そう言って苦笑する。だが、それは沈痛な面持ちに一転する。
「でも……どうだったんだろうな。時々思うんだ、俺の判断は正しかったのか、ってな。新入部員はお前ら4人だった。いや別に多ければ多いほどいいってわけじゃないんだが、もし俺が部長をやっていたら、もっと入ってきたのかもしれないと思うときがある。大変だっただろ、お前らも文化祭の仕事が多くて」
「……」
否定はできない。原稿を書く人を決める際も、誰かが書かなくてはいけないという重圧があったし、仲本も文化祭前は随分遅くまで残っていたようだ。人数が多ければ原稿集めも文集作成も随分楽になっただろう。
1年半前の、入船先輩の派手なパフォーマンスを思い出す。あれが入部希望者の数に影響しなかったと断言することはできない。
でも。
それは決して、つまらないものではなかった。苦情を言いたいなどということはない。大変ではあれ、充実した楽しいものだった。
「俺は前の文芸部がどうだったのかは知りません。でも、これだけは言えます。俺は今の文芸部が好きです。ここに入って、先輩達に会えて、良かったと思ってます」
「……そう言ってもらえると、助かるよ」
先輩が深く息を吐くのが聞こえた。
さて、話はここで終わらない。他でもない、俺の代のことだ。
「なら、どうして俺が部長になったんですか」
そう言ったところで、ドアの開く音がした。見ると中本がいつも通りニコニコしながら入ってくる。
「わー、わー、森田先輩がいるー。会うの久しぶりだー。珍しいー」
「人を天然記念物みたいに言うな」
その後ろには尾崎と榊も。どうやら掃除が終わったらしい。こうなると少し話しにくいな。
先輩は首を戻して言う。
「ま、お前が一番真面目そうだったから、かな」
「でも先輩はそういうのは嫌だったんじゃないんですか?」
「別に嫌ってわけじゃねーよ。それに、色物が2年続くってのもどうかと思ってな。入船は俺が抑えられたから何とかなったけど、お前らは別に古くからの知り合いってわけでもないし、何より異性だ。お前にブレーキ役を任せるのも大変だろう」
仲本が部長になった所を想像する。仲本が暴走したとしたら、俺は森田先輩みたいに仲本に跳び蹴りを食らわせて止めたり出来るだろうか。
……無理だな。
「そうかも、しれません」
「むむむー、なにやら私の悪口を言われている気がするんですけどー」
割り込んでくる仲本。まあ本棚の近くで話しているから耳に入るのは当然だ。
「そんなんじゃねーよ。お前と入船が似てるって話だ」
「んー、嬉しいような気色悪いような……」
「気色悪いって……」
先輩は1年の2人をちらりと見やり、俺の肩を叩いて小声で言う。
「ま、どっちもクセは強くないし、どっちになっても大丈夫だろ。あんまり深く考えるな」
いつも通りの活動を終え、俺は帰り支度をしていた。
森田先輩は尾崎としばらく歓談した後、図書室で勉強するといって出て行った。それを聞いて俺は、ああもう図書室が3年でごった返す時期かとどうでもいいことを思った。
ウチの高校の図書室は随分夜遅くまで開いている。静かだし気が散るものも無いしそこそこ広い。少し埃っぽいことと少し暖房が効きすぎていることを除けば勉強するにはいい場所なのかもしれない。俺も1年後にはそこに詰めるようになるのだろうか。仲本も、竹内も、カズも。さすがに塾とかに行ってるヤツはそこの自習室を使えばいいんだろうが。一学年を丸々収められるほどのスペースは無いしな。
「お疲れ様でーす」
「お疲れ様です」
1年2人が出て行き、俺も帰るかと鍵を手にする。
ふと見ると、仲本は本棚の前で何かじっと考えているようだった。
「どうした、もう鍵閉めるぞ。探し物か?」
「……あー、えーと、うーん」
仲本らしくない曖昧な返事。前にもこんなことがあったような気がする。
「何だよ」
「んっと、ちょっと訊きたいことが」
「?」
「……さっきさ、先輩と、次の部長のことについて、話してたんだよね?」
「ああ、そうだけど」
「……決まったの?」
「いや、まだ」
「……そっか」
「どうしたんだよ」
どうも歯切れが悪い。困ったような笑顔を向けてくる。
「あのね、私は尾崎君がいいと思うの」
「奇遇だな。俺もだ」
「そう。ならいいんだけど……」
その言い方に俺は違和感を覚える。「尾崎がいい」と「尾崎ならいい」は違う。「がいい」? 尾崎「がいい」? それはすなわち、「榊ではダメだ」ということか?
「どういうことだよ」
「ん? いや、別に、どうってことはないんだけど。あ、ほら、歴代の部長さんってみんな小説書ける人じゃない。尾崎君もこの前書いてたし、だからそのほうがいいかなーって……」
……
まあ、いいか。多分深く考えすぎだ。言い間違いだろう。仲本も副部長だし、色々と考えることはあるんだろう。
「うん、じゃあ、帰ろ帰ろ。ごめんね、時間とらせちゃって。彼女さんが待ってるよ」
「3分も経ってないって。気にすんなよ」
「……うん」
連れ立って部屋を出る。なにやら様子がおかしい。そういえば先月だったか、仲本が俺に変なことを言ってきたのは。これはもしかしてあれか。女子は生理のときに情緒不安定になるとかそういうヤツか。ちょうど1ヶ月前のことだし、否定はできないな。推理というには程遠い、単なる空想だが。
だが俺の行く手はまたしても阻まれることになる。いや、仲本は阻んだわけじゃないから、またと言うのはおかしいか。
仲本と別れて彼女の教室に向かおうとしたところで、そいつは声をかけてきた。
「いかんねー、百合花ちゃん以外の女の子と仲良く歩いちゃって。浮気はダメだよ?」
「……いや、あいつは副部長だし。話があるのは当然だろ」
「ま、それくらいしってるけど」
「だったら言うな」
「冗談だって」
カズはのんびりと廊下に佇んでいた。俺たちが渡り廊下を歩いているところを窓越しに見たのだろう。
「で、何の用だ」
「用が無きゃ話しかけちゃいけないの? つれないなー、私とえのっちの仲じゃんか」
「気色悪いことを言うな。わざわざこんなところで待ってるって事は、用があるんだろ」
「ん、まーね」
よっこらせ、ともたれていた背中を壁から離す。
「部長、決まった?」
「……お前もその話かよ」
「尾崎君?」
「文句あるかよ」
「別に。他の部活のことにいちいち口出しするつもりはないよ」
「なら訊くな」
「そうもいかない。個人的な問題が混ざりこんでるからね」
「……」
「尾崎君が部長になること自体は何の問題も無い。問題は、その理由だよ」
また。
またその話か。
どうしてこういうときに限って誰も通りかからないんだ。廊下がやけに静かだ。
「2月の生徒総会。尾崎君はえのっちと一緒に前に出るんだよね? その時にまた部室の話が出たらどうするの? いいの? 尾崎君を当事者として巻き込んじゃって」
「……その頃にはもう部室は決定している。その期に及んで覆るなんてことはない」
「本当にそうかな? 相応の理由があって、全校生徒が賛同するなら、ありえるんじゃないかな」
「……また、マイクの前に立つつもりか」
「いやいや、私も馬鹿じゃないからね。同じ真似して同じ失敗するなんてことはやらないよ」
「だったら……何をするつもりなんだよ」
背筋がぞわりとする。
コイツは……今度は、どうするんだ? 何を考えているんだ? もう同じ手は通用しないということか? どうしたら……
「もう一度言うよ。えのっちのやっていることは、尾崎君のためにはならない。むしろ逆効果だよ」
「お前に何が分かるんだよ」
「分かるよ、私にだってそれくらい」
俺はカズを睨みつける。カズも同じ視線を返してきた。
数瞬の膠着状態。それはカズが頬を緩めたことで終わりを迎える。
「まあいいや。多分分かれって言っても無理なんだよね。えのっちには周りが見えてない。だから、いいよ。うん分かった。じゃあ尾崎君が部長ってことで、話はつけておくから。じゃあね」
言い終わるや否や、カズは踵を返す。
話をつける? 誰に? 何を?
だがそれを口に出す前に、カズは姿を消してしまった。
残された俺は、脇の壁を拳で叩いた。
「くっそ……」
これで部長を榊に変更すれば、恐らくカズの計画は狂う。でもそんなことはできなかった。俺は尾崎を部長にしたかった。社会科講義室を尾崎の居場所にするために。
どうしてここまで俺が尾崎に固執するのか、俺は分かっている。癪だが、カズも分かっているのだろう。
尾崎は俺に似ているのだ。3年前の俺に。
「それにしても……寂しくなっちゃったねー……」
机を囲むのは5人。その顔を見渡して、桜井先輩は呟く。久しぶりに後輩の顔を見に来たらしい。折角なのでミーティングに参加してもらうことにした。
「榎本、部室は来年もここ?」
「あ、はい。そのつもりです」
「ならしっかり新入生集めないとね。こんなガランドウじゃ、閑古鳥が鳴いちゃうよ。しっかりやりなよ」
「……荷が重いです」
「あはは、まあ豊作の年もあれば不作の年もあるよ。そんな気負わない。まあやれるだけやれってこった。……で、今日の議題は?」
「……そろそろ、次期部長を決めようかと」
心なしか部員達の顔に緊張が走る。俺は1年2人を見やる。話し合っておくようにと、前もって言っておいたのだ。
「で、どっちが部長になるか決まったか?」
「……いえ、先輩方に一任しようということになりました」
榊が答える。
「そうか。なら……」
視線を仲本に送ると、仲本は頷きで返答に代える。
俺は宣言した。
「部長は尾崎。頼んだぞ」
それは、同時に自分への言い聞かせでもあり、カズへの宣戦布告でもあった。
随分と間が空いてしまいました。
にもかかわらずこんなグチャグチャですみません……
久しぶりに書いたら設定を忘れているというこの不甲斐無さ。