7.September
「それではー、文化祭2日目、今日も楽しく頑張りましょー! えいえいおー!」
「おー」
円陣の中で手を突き上げる仲本。それに続くその他大勢。
一致団結を示した直後、めいめいの場所へ散らばる。そのうちの多くは文芸部とは何の関係も無い。要するに、皆好き勝手に楽しみに行ったのだ。別に団結力が無いわけではなく、単に仕事が無いだけである。
文芸部の仕事は文集の販売。売り子が2、3人いさえすれば事は足りる。それもそれほど有名なわけじゃない。部員が買う分も含めて、今年の発行部数は40部だった。昨日売れたのは7部。部員と部室と顧問用を除いて、残るは16部。去年と同じくらいだ。主な購買層は部員の友人やOB、OGの先輩方。まあ身内商売だが、どこもそんなもんだろう。
今日は文化祭2日目、土曜日。一般の人にも解放されているから、昨日より断然客が多い。俺もその中に混ざりたい気もしたが、部長たるものそう遊んでもいられない。昨日は結構他の部員に任せて彼女と出歩いていたから、今日は終日詰めているつもりだった。
まだ午前中は客も少ない。カウンターを仲本に預け、部室の奥で文集を開く。天の川vol.28。1部200円。表紙をめくると目次もそこそこにいきなり俺の小説が始まる。どうにもこういう目立つ位置には書きたくなかったのだが、立場上仕方が無いか。
ページを繰る。記憶と違う描写があるのを見つけ、おやと思ったが、そこは榊に言われて書き直した部分だった。自分の頭がちゃんと更新できていないなと俺は苦笑する。こんなんじゃあ駄目だよな。気持ちを込めて書いていない証拠だ。
あの後修正版を持って俺たちは再び部室で落ち合った。榊は今度は全体を通して読み、大体良いと思いますと言った後で、流れに対する意見を2、3出してきた。それはどれも的確な意見だったのだが、俺がそれに応えられるスキルを持ち合わせておらず、どうも張りぼてのような部分があることも否めない。それでも夏休み明けの編集会議では、俺の小説は一発で審査をクリアし、肩の荷を下ろすことが出来た。
他の執筆陣はと言えば、先輩らは勿論無事に小説を書き上げ、初めてで要領を掴めない尾崎も、担当になった先輩の力添えでなんとか筆を置いた。編集の方は3年生がメインだったので殆ど問題も無く(入船先輩が古いデータを上書きしてしまうというハプニングはあったが、そこはちゃんと仲本がバックアップを取っていた)、文化祭前日には文集の入ったダンボールが部室に鎮座していた。
本来ならもっと早く目を通しておくべきなのだが、何だかんだと後回しにしているうちに今になってしまった。まあ、内容に関しては仲本たちがチェックしているだろうから、乱丁などの大きな問題は無いだろうと思う。
作品全部を読む必要は無い。部員全員は編集会議に出席しており、推敲前ではあるが一通り全作品を読んでいる。尾崎のファンタジー、入船先輩の家族コメディー、桜井先輩の恋愛モノ。霧山先輩は去年は殺人ミステリーだったが、俺が日常ミステリーを書きたいと言ったところ、ジャンル被りを考慮してホラーにしてくれた。何だか申し訳ない気もするが、実はこの人は何でも書ける人で、今回も他作品と比べて全く見劣りしない出来だ。そういえば去年の内輪文集では現代ドラマを書いていたし、聞いたところでは文芸部に入って始めて書いたのはSFらしい。
榊は俺を読書につけてオールラウンダーと評した。だがそれは霧山先輩のような人に与えられるものであって、俺は違う。俺はただ、周りと同じでいたくなかったんだ。何か違うものを持っていたかったんだ。でも、何か1つで秀でようとしても、上には上がいる。だから、俺は競争相手のいないものをいくつか制覇して、優越感に浸っていたんだ。
昔から流行が嫌いだった。皆と同じ帽子を被るのが嫌で、皆と同じゲームを買うのが嫌で、皆と同じ本を読むのが嫌だった。皆が知らないことを知っているのが嬉しくて、皆が出来ないことをできるのが楽しくて。その逆ですら、嫌ではなかった。
いつしか俺は積極的にマイナーなものを求めるようになった。少数派というレッテルを貼られるものに惹かれるようになった。それは前々から好きだった書物にとりわけ表れた。名前を耳にしたことの無い本の中に良作を見出すのが俺の趣味になっていた。
多分それは俺が自分と他人を区分するための手段だったのだろう。下らないとは思うけれど、己のアイデンティティを確立するために必要なことだったのだ。そしてそれは多かれ少なかれ、誰でも持っている感情だと俺は思う。いや、今そう思った。
ところでカズはそんな俺を知っていて時々本を紹介してくれる。ヤツは推理小説大好き人間なので渡されるのは大抵ミステリーになるが、それは大抵俺の希望通り、それほど名は売れていないがどこか引き込まれるものを持つ作品である。1ヶ月ちょっと前に借りたのは日常ミステリーで、これが見事に俺のツボにはまった。シリーズの1作目だったのだが、俺はその後続編を全て書店で買い、一気にファンになってしまったのだ。続編が待ち遠しい。
そんなわけで影響を多分に受けた俺は文化祭の文集に書く小説を日常ミステリーにすることにした。ネタも見つかった。先日竹内から本を返してもらった時に変な話を聞いたのだ。何でも全国のラーメンを食べまわっているという知らないオヤジが、近くにある学生向けの安っぽいラーメンをベタ褒めしたらしい。結局、事の真相は不明だったが、俺なりの結論を出して1篇の小説に仕立てた。竹内にはネタを提供してくれたお礼にその内ラーメンをご馳走するとしよう。勿論安いやつで。
「いらっしゃーい! 記念すべき14人目のお客様だ、ドンドンパフパフ!」
カウンターの方から声がした。口調から察するに、客は仲本の友人のようだ。俺が顔を出すのも何なので、そのまま奥で様子を伺うことにする。14のどの辺がキリがいいのかということには突っ込まないでおく。
友人某氏は仲本と一通り談笑した後、文集を買って去っていった。帰り際に「望美も何か書きなよー」「戦隊モノとか書いてみたいんだけどねー」という会話があったのを俺は聞き逃さなかった。カウンターに戻るなり、俺は話を振る。
「特撮とは、また珍しい分野だな。来年の文集が楽しみだ」
「ううっ、榎本君はそういうこと言わない人だと信じてたのにぃー!」
机に突っ伏して泣くフリをする仲本。弄り甲斐あるな、こいつ。
「でもそういえば仲本さんの書いた文章って読んだこと無いな。去年の『碧空』もメッセージだけだったし」
碧空とは年度末に発行する、卒業する先輩へ向けて送る文集のことである。発行部数も少なく読む人も限られているので、寄稿のハードルは低い。よって紙の質は悪いが、全体の文量は相当なものになる。版権ネタや内輪ネタが多いのも特徴だ。ちなみに、部内では「文集」と言えばこの文化祭に出品する「天の川」を指す。
「私ってば専ら読む側の人間だからさー。情景は浮かぶんだけど、それが動かないんだわ」
「そんなもんさ。書いてるうちに動き出してくるんだよ」
「うーん、そうかね。できたら今年の『碧空』には書いてみたいんだけど。ていうか去年も挑戦したんだけどねー。ムズイわー」
だらーんと、机にスライムのように覆いかぶさる。今客が来たら仲本はどんな反応をするのだろうか。少し見てみたい。
校内放送のスピーカーからはクラシックのBGMが流れている。遠くに喧騒。社会科講義室周辺は静かだ。耳を澄ませると、部屋を近くしてカズの声らしきものが聞こえる。生物部は今年は何やってるんだっけな。パンフレットを確認するとどうやらクイズらしい。全問正解者には鉢植えのプレゼント。あいつのことだ、ものすごくマニアックな問題を紛れ込ませているに違いない。
「ねえ、榎本君」
さて何か話題はあったかなと考えようとしたところで話しかけられた。
「ん?」
「彼女さんとは、あれからどうなの?」
あれとは何のことだろう。まあ単純に考えて、仲本が彼女と会った4月だろうか。
「どうって言われてもな」
「うまくいってるの?」
「まあ、ぼちぼち」
「……そう……」
「何でそんなことを?」
「いや、ほら、なんかさ、あんまり一緒にいるの見ないなーって」
そうだろうか。毎日昼は一緒に食べているし、帰りも大抵同じバスなのだが。でもまあ確かに、昼を食べるのは人目に付かない場所に現地集合だし、俺の帰りも部内では一番遅いから、見ないといえば見ないのかもしれない。あまり見られたいものでもないしな。
「心配には及ばんよ」
「そう。ならいいんだけど……」
仲本は少し考え込み、ぽつりと言った。
「……もうちょっと、はっきりさせた方がいいと思うな」
「え?」
「いや、あのね、私はいいんだよ。でもほら、何て言うかさ、あるんだよ、色々さ」
「?」
よく分からない。歯切れが悪い。仲本らしくもない。
仲本は困ったような顔をして、視線をずらす。
「……ごめんね、変なこと言って」
「全くだ」
「うーん、何だろう……もっと付き合ってるっていう雰囲気を醸し出したほうが、彼女さんも嬉しいと思うよ」
「はあ……」
あまりパッとしないことを言われてもなぁ。大体、仲本と彼女との間に接点があるのだろうか。どうして仲本は彼女のことを気にするのか。色々とある? それはカズが警告していたことと何か関係が?
どうもモヤモヤとする。だが気になって仕方がないほどのことでもない。仲本もはっきりとは言えないようだったし、俺もどう質問すればいいかもよく分からない。掘り下げることはできない。なら、放っておいてもいいか。何かあるならそのうち、だ。
そこに新たな客が来た。中年の女性の方の2人連れだった。一般客だろう。
「いらっしゃいませー! 文芸部へようこそ!」
仲本が明るい声を張り上げる。ホッとしているように、俺には見えた。
午前の仕事が終わり、俺はいつもの場所に向かった。校舎には多くの人が訪れているというのに、ここはいつも通りひっそりとしている。俺が睨んだとおり穴場らしい。
そこにはいつも通り彼女が座っていた。が、驚いたことに着物を着ていた。そういえばクラスで甘味処をやると言っていた。そういえば着物を着るって食べ物を食べるみたいで重複表現ぽいな、などと考えながら声をかける。
「綺麗だよ」
「ありがとうございます」
心なしか頬が赤いように見えた。化粧かもしれないが。
「先輩もいかがですか」
そう言って差し出す手には団子とお茶。湯のみでなく缶なところが惜しいが、そこは学校の決まり、出来合いのものしか販売できないのだ。有り難く頂戴して隣に腰掛ける。どちらを先に食べるか迷ったが、考えた挙句、弁当からにすることにした。
ところで彼女の弁当を食べ続けてそろそろ半年になるが、見事な腕前だ。肉、魚、野菜とバランスが良く、配色も鮮やか。冷凍食品も多いのだろうが、とにかくバリエーションが豊富で飽きない。大した手間ではないと本人は言うが、それでも貴重な朝の時間を使っているわけだし、それも毎日だ。これを作り続けるという努力には感服する。
最早彼女の弁当を食べることが習慣となってしまった俺は、時々自分に言い聞かせるようにしているのだ。この現状を当たり前だと思ってはいけない、俺は幸せ者なのだ、と。
……これくらいで切り上げよう。他人ののろけ話など聞いていても面白くあるまい。
「先輩の小説、読みました」
彼女がそう切り出す。昨日渡したのだった。勿論金は俺が払った。それにしても、榊といい、他の部員たちといい、彼女といい、自分の書いたものを読まれると言うのはどうもムズムズするな。悪い気はしないが。
「どうだった?」
「面白いと思います。先輩っていつもああいうこと考えてるんですか?」
「だから違うって。あとがきにも書いただろ、貰ったネタだよ。でもまあ、日頃からああいう考え方をするのは面白いと思うけどな」
「ああいう?」
「何だって謎に仕立てて解くっていう心構えさ。カズなんかは実践してるしな」
生徒総会のことを思い出す。あれは、カズだったからこそ見抜けたことだった。普通に見ていれば、生徒会のやり方がちょっと変わったなくらいにしか思わなかっただろう。周りに目を光らせているから、何か裏があると思っているから、カズはそれを事件と認識したのだ。
まあ、常にそんな生き方は疲れるだろうから、俺は真似しようとはあまり思わないが。
「あの時は本当にありがとうな。助かった」
「いえ、私は自分に出来ることをしたまでです」
お盆前にカズの話を聞いてすぐ、俺は彼女に確認を取った。大体はカズの言った通りだったようだ。彼女の思惑は先輩らに知られることはなく、全ては彼女がさり気無く話を誘導した結果だった。
その後の人間関係についてそれとなく聞いては見たが、大した変化があったわけではなさそうだった。精々多数決の判定について次からはちゃんと先輩の判断を仰ぐようにと言われたくらいだという。俺も文化祭前に生徒会室を訪れたが、険悪な雰囲気は感じ取れなかった。カズの言うほど深刻な問題にはなっていないようだ。
「借りっぱなしもよくないしな、何か困ったことがあったらなんでも言ってくれよ。俺も出来る限りのことはする」
「ありがとうございます」
言下に主に生徒会の先輩についてという意味を持たせたつもりだった。彼女には伝わったのだろうか。いや、伝わらない方がいい。伝わるということは、彼女がそういう不安を感じているということなのだから。
居心地が良くてゆっくりし過ぎてしまった。時計は1時半を回っている。部室に戻ると、そこには榊が1人でカウンターに座っていた。
「あ、先輩。こんにちは」
「おう。って、何で1人?」
シフトでは常に2人いるように割り振っていたはずだが。1年生を一人置いておくのは心許無いし。
「え、えっと……」
「ちょっと待て、考える」
何やら困った顔をして口を開きかけた榊を、手を広げて静止する。
見ると机の上の文集が3冊になっている。昼前に俺が抜けたときには11冊だったはずだ。高が2時間弱で8冊も売れるか? 文化祭が終わるまであと4時間。確かにそれくらい売れないと完売は難しいかもしれないが。
……これは何かあったな。カズに倣うわけではないが、せっかくの祭りだ。俺も1つ遊んでみるか。
ちなみに去年は4冊売れ残った。その分の負担は当然部員に回ってくる。まあ、元々赤字覚悟の値段だから仕方ないのだが。
シフト表をチェックする。今の時間のもう1人は……入船先輩。
記憶を遡る。俺が外で昼飯を食べ、ここに来るまでに異変は無かった。加えて俺は彼女を仕事先――1年1組――まで送った足でここまで来たから、客の来る場所は大体通った形になる。1年1組はクラスの出し物がある普通棟の端にあるし、社会科講義室は部活の出し物がある特別棟の端にあるからだ。
となると考えられるのは……
「体育館、だな」
俺がそう呟くと、榊はゆっくりと頷いた。口元に笑みを湛えて。
「名探偵、ですか? 先輩」
俺は苦笑して踵を返した。放っておいてもさしたる害は無いかもしれないが、派手なことをされていると恥ずかしい。釘を刺しておいたほうがよさそうだ。
果たしてそこには仲本と入船先輩がいた。何やら変な格好をしている。前者は金髪ウェーブヘアーのカツラにウチの学校のではない制服、後者は煌びやかなマジシャンのような格好。白いシルクハット付き。
「はーい、文芸部の文集、文集は要りませんかー。部員入魂の小説が5編も入ってたったの200円! お買い得ですよー!」
派手なことをされていた。恥ずかしい。こっそりと後ろから声をかける。
「何やってんですか、あんたら」
「おー、榎本、お前もやるか?」
「やりません。何ですか、これ」
「出張販売だ! 発行部数を去年と同じにしたからな。完売を目指すにはこうでもしないと」
「……いや、それは分かるんですけど、その格好は?」
「俺のは仲本のクラスで使ってたのを借りた。仲本のはさっきここでやってた劇のヤツだ」
「……いや、だからなんでそんな格好してるんですか」
「目立つ方がよく売れるだろ!」
「……」
推理というにはあまりにも馬鹿げた話だ。
消えた8冊は売れたというより持ち出したと考えるのが妥当。目的は勿論販売促進。シフトなのに部室にいない入船先輩が関わっているのは勿論だが、1人で突然そんなことを思いついて実行に移すとは考えにくい。ならばその前のシフトの仲本なら。交代のときに話し込んで、そのまま意気投合して出かけたのなら。この2人なら有り得る。そして文化祭で校舎以外に人が集まる場所といえば体育館だ。映画や演劇をやっている。
大いに論理性を欠く話だが、現実はこんなもんだ。多分な。
結局、この御二人の活躍あってか、文集は完売した。……これは喜ぶべきところなのだろうか。きっとそうだ、うん。
でも来年やれといわれても、俺は絶対やらないからな。