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6.August

「せんぱーい、調子はいかがですか?」

 榊が机に近づきながら朗らかにそう尋ねる。

「んー……、大体出来はしたんだが……」

「本当ですか? 見せてくださーい」

「最後まで書き上げてからな」

「えー、私は先輩の担当なんですよー? なのに読ませてくれないんですか……」

「あんまり汚いと人に見せられないだろ」

「じゃあじゃあ、問題編だけ! 問題編だけ読ませてください! ちょっと推理してみたいです」

「だから全体的にぐちゃぐちゃなんだって」

「でも人の意見を聞くのは早い方が効率いいと思いますよ?」

「……分かったよ」

 俺は机の隅にまとめた原稿用紙を手元に寄せ、途中の数枚を榊に渡した。榊は隣の席に座ると、楽しそうに文章を目で追った。

 隣で読まれているのに続きを書くなんて出来そうにない。俺は窓越しに空を見上げる。入道雲が大きくそびえ立っていた。


 丹木高校は夏休みに突入していた。とは言っても別に高校が閉鎖されるわけじゃない。短いお盆期間を除いて、教務室で鍵を借りさえすれば自由に行動可能だ。

 そして今日は俺が担当である榊と決めた一次締め切りだった。生徒総会までは準備で頭がいっぱいでそれどころではなかった。終わってもなかなか頭が切り替えられずにいた。思ったよりも筆が進まず、今日は早めに部室に来て書いていたのだ。しかしそれは失敗だったかもしれない。

 青い空。白い雲。そしてこの暑さ。言うまでもなく夏である。正に夏真っ盛りである。この部屋にクーラーは無い。市の図書館とかで執筆していればよかった。直射日光は避けているものの、やはり暑いことに変わりは無い。来年もここが部室であることが決まったわけだし、部費でクーラーをつけようか。いくらか部員から徴収して。いやいや、生徒総会で糾弾されるのは目に見えている。第一、取り付けようとする段階で学校が認めてくれないだろう。暑さでぼんやりした頭は変なことを考えるようだ。お陰で一向に小説の終わりが見えない。いや、プロットはあるのだ。ただ、具体的に文章を書こうとすると、何かなぁ。

「……んー、難しいですね」

 渡した部分を読み終えたらしい榊が顔を上げて言った。

「何でしょう。厨房のおじさんがすごい顔で睨んでいたとか。『変な噂を立てたら承知しないぞ!』って」

 思わず吹き出してしまう。しかしよく考えてみれば、何気無く言ったにしてはなかなか近いところを突いている。やはり簡単だったかもしれない。カズだったら一瞬で解いてしまうんだろうな。

「あー、何で笑ってるんですかー」

「いやいや、別に。で、どうかな?」

「うん、結構面白いです。私ってあんまり推理小説とか読まないんですけど、素朴な疑問っていうか、人が死なないミステリーって何か新鮮です」

「そりゃよかった」

「でも、何て言うか、必然性が無いですね。手代木君が推理をする理由が別に無くて、何か唐突な感じがします。あと、時々主語が誰か分からなくなる箇所がありました。あとあと、ここの段落は今までの流れを邪魔する気がするので、無くした方がいいかなあとか」

「うわ、辛辣。ショック。やる気無くす」

「ええー、先輩が言えって言ったんじゃないですかー」

 そう言ってむくれる。ワザとには違いないのだが可愛らしい。

「悪い悪い、真摯に受け止めるよ。全部書き上げた時に憶えていれば」

「それ真摯って言わない……」

 律儀に突っ込んでくれたところで榊はふと思い出したように訊いてきた。

「あれ? そういえば先輩って、前に紹介していた本はミステリーじゃなかったですよね? 鞍替えしたんですか?」

「まあ俺はジャンルとかあんまりこだわらないからな。マイナーなものなら」

「有名作品は?」

「何か避けちゃうな」

「ふーん。でも好き嫌いしないってすごいですね。オールマイティって格好いいです」

「万能ってワケじゃない。あちこちの未開の地を少し耕していい気になってるだけさ」


 榊と雑談をしつつ、時々言葉を適当に流しながら、どうにか小説が完成したのは冬だったらとっくに暗くなっている時刻だった。アドバイスを聞いて文章を直し、改めてパソコンで出力して読むということで話はまとまった。次の締め切りはお盆明け。

「お疲れ様でしたー」

「お疲れ」

 互いに軽く礼をする。鍵を閉め、教務室に鍵を返して玄関へ向かった。

「そういえば本当にお疲れ様でした、生徒総会。今更ですけど」

「ん? ああ、ありがとな。本当に今更だけど」

「むー……」

「でも本当にありがとうな、あの時は」

「え?」

「拍手、してくれたんだろ?」

 あれから2週間弱が経過した今、俺の頭の中にはある1つの結論が浮かび上がっていた。

 いくら何でも文芸部の勝手な主張に400人もの人間が賛同してくれるとは思えない。だからその400人の中には文芸部のメンバーが絶対に入っているはずだった。彼らはもしかしたら、友人達にも頼んでいてくれたのだろう、何かあったら文芸部の味方をしてくれと。大して現状に不満の無い人間なら従ってくれるはずだ。

 勿論彼女がいなくては俺はカズに勝つことは出来なかった。彼女が話に割って入り、半ば強引にカズの質問を却下したからこその結末だ。しかし彼らの努力無しでもまた、勝利は為し得なかった。そうやって小さな積み重ねがあって、大きな偶然に助けられて、その結果が今回の勝利だと俺は思っていた。

 榊ははにかみながら答えた。

「……はい。頑張りましたよ、少しでも大きく聞こえるように。友達にも頼みました。って言っても、ほんの2、3人ですけど。大したことは出来なかったけど……それでも、それが先輩の助けになったのなら、とっても嬉しいです」

「誰が言い出したんだ?」

「誰ともなしに、ですよ。でも敢えて言うなら……入船先輩ですかね。『困っているのを助けずして何が仲間だー!』みたいなこと言って」

「……幸せ者だな、俺は」

 本心からそう思った。先輩思いの後輩と、後輩思いの先輩と、そして同輩思いの副部長に囲まれて。

 とても、幸せな気分だった。


 榊とは家の方向が逆だったので、校門で別れた。

 バス停でバスを待つ。時刻表を見ると、タイミングの悪いことにバスが出たばっかりだった。彼女を話していれば時間も気にならないのだが、今はいない。まあ当然といえば当然だ。夏休み中は生徒会の仕事もあまり無いだろうし。

 と、後ろから肩を叩かれた。

「ヘイヘイ! 何気に久しぶり」

 後ろにカズが立っていた。生徒総会で顔を合わせて以来だった。

「何やってんだ?」

「何って、これから帰るとこだよ」

「いや、だから、何の用事があって?」

「薄情者だねー、君は。夏休み中ずっと学校に来なかったら可愛い動植物が死んじゃうでしょうが」

「ああ……成程。当番だったのか」

「うーん、っていうか、結構頻繁に来てる。宿題もはかどるしね」

 何と。コイツは宿題をさっさと片付けてしまうタイプだったのか。意外過ぎる。

「さて、一緒に帰ろうよ。最近えのっちはずっと百合花ちゃんにベッタリで、わたしゃ寂しいよ」

「気色悪いことを言うな」

「まあまあ。隣、いいかい?」

「……どうぞ」

 ベンチに並んで腰掛ける。風が吹いた。大分気温も下がり、それほど不快ではない。

「いやはや、参ったよ。今回は私の完敗だ。降参降参」

 カズはスカートの裾を直しながらそう言った。生徒総会のことだろう。

「うんまあいいや。私も考えが足りなかった。ちょっと確実性に欠けてたね。今度は別の方向で攻めてみよう」

 何やら物騒なことを言っている。俺としては、こいつとやりあうのは二度と御免被りたいのだが。

「勘弁してくれ。この一件で俺がどんだけ神経すり減らしたと思ってんだ」

「はっはっは。まったく、無茶するね。手回しするなら文芸部内部だと思ってたけど、まさか生徒会にまでとはね。流石に私もビビったよ」

「その心意気に免じて見逃してもらえると助かるんだがな」

「そうは問屋が卸さないよ。親友の悪を見て正さざるは即ち是れ親無きなり、ってね」

「論語か?」

「いや、今考えた」

「……そうかよ」

 どうにも掴めない。当時はあんなに鬼気として俺と対峙していたというのに、今はこの有様だ。一体何がしたいのか。

「お前が俺の敵なのか味方なのか、いい加減はっきりして欲しいな」

 目をぱちぱちと瞬かせるカズ。

「ん? 何言ってんの。そんなの味方に決まってるじゃん。あの時も言ったでしょ、親友としての忠告だって」

「俺はそれを望んでないんだがな」

「うーん、それは難しいところだね。まあいいけどさ、どっちでも。でも別にえのっちに意地悪したくてやってるんじゃないってこと、分かって欲しいな」

 分かっている。多分、分かっているのだ。でもそれが迷惑で。好きにさせて欲しくて。何だか反抗期みたいだな。そうなると俺が息子でカズが母親か。それは嫌だ。

「じゃあ、忠告ついでにもう1つ。言われるまでもないことだとは思うけど」

 何でもないことのように、でも豪く真面目な声で、カズは言った。

「百合花ちゃんのこと、守ってあげなよ」

 一瞬、言われるまでもないと思った。しかしすぐに違和感を覚えた。それは漠然としたものではなく、何か具体的に、彼女に対する悪意が実際に存在しているような、そんな確固たる口調だった。

「守る? 何から?」

 だからそれは、当然口にすべき疑問のはずだった。

 そのはずだったのに、それを聞いたカズは目を見開いた。こいつが驚く表情を、俺は初めて見た。

「何って……あんた分かってないの!? 百合花ちゃんがあんたのために何をしたか!」

 カズは大声で俺を糾弾し、それから信じられないとばかりにわざとらしく大きな溜息を吐いた。

「ホント無いわー。あんた本当に百合花ちゃんと付き合う資格無いわー」

「……何のことだよ。確かに多数決の時に少しサバを読んだかもしれないが、別にそれで彼女1人に責任を押し付けられることはないだろ」

「……それだけ?」

「……」

 意図を汲み取れずに黙っていると、やがてカズはゆるゆると首を振った。

「分かったよ、教えてあげる。誰にも知られるべきではないことだけど、あんただけは知っていなきゃいけないことだからね」


「じゃあそもそもの誤解を解くことからいこうか。生徒総会のあの結末。えのっちは考えてるでしょ、どこまでが偶然で、どこからが必然なのかって。冗談じゃない。全部必然だよ。会が始まった時点で、えのっちの勝利は既に決まっていたんだ。冗談だと思うかい? それが百合花ちゃんに失礼だって言ってんの。

 じゃあ司会が百合花ちゃんだったことは偶然だと思う? 確かに、百合花ちゃんならこなせるだろうね。聡明だし、積極的だし、度胸がある。実際、大した問題は無く会は終わった。でも、それは私もあんたも百合花ちゃんをよく知ってるからこその考えだよ。

 言うまでもないことだけど、百合花ちゃんは1年生だ。まだ入学して3ヶ月強しか経っていない。勿論生徒総会なんて初めてだよ。そんな不慣れな新入生が、司会をやれると思う? たった3ヶ月の付き合いでそんな大抜擢、普通はしない。百歩譲ってそこはいいとしても、1人でやるっていうのは考えにくい。去年の生徒総会を思い出してみなよ。あんたも私も、今回と同じように前にいたけど、前部長が隣に座っていたでしょ? 想定外のことが起きてパニックにならないようにね。だからね、おかしいんだ。百合花ちゃんという1年生が1人でマイクの前に立つなんてことは。

 でもまあね、可能性は0じゃない。もしかしたら生徒会の先輩に前々からの知り合いがいたのかもしれないし、彼女を快く思わない先輩が恥をかかせようと押し付けたのかもしれない。でもね、そこにえのっちが絡んでくることを考えると、こう考えたほうが自然だね。百合花ちゃんは強硬に主張したんだ。私が1人でやりますってね。

 それは何故か? 勿論、生徒総会の流れを操るためだ。議長に1年生がなるのは到底無理だし、副議長や書記には進行に影響を与えるような力は無い。でも司会なら。予め決められたシナリオを読み上げ、何かあれば議長の指示を仰げばいい存在なら。下準備さえすれば不可能ではないんじゃないかな?

 それと前後して、百合花ちゃんは生徒総会の進行に関して2つほど意見を言った。その2つはえのっちも気づいているよね?

 まず1つ目。最初に百合花ちゃんが読み上げた議題の内容。やけに細かく分けられていたよね? 生徒会の報告は部活動報告に含めてよかったし、体育祭関係も全部『体育祭について』でよかった。文化祭も図書館もね。実際、前回はそうだったはず。どうしてわざわざそう変更したのか。恐らく『議題を分かりやすくするため』とかを理由として挙げたんだろうけど、その効果は受ける印象を考えれば単純明快。そう、『やることが多く感じる』んだ。

 もう1つ。これは驚いたよ。部活の報告が最初に来てるんだもん。前回は真ん中辺りだったのに。これは何て言って納得させたんだろうね? 早く終わらせて部長らの負担を減らすため、とかかなぁ。この真意も簡単だね。猶予を無くすことで質問を受ける危険を減らそうとしたんだ。生徒の中には話し合いなんかそっちのけで配布資料を読み進める人がいるからね。後になればなるほど、質問を受けやすい。資料では部活のことが最後のページに書いてあったのもミソだね。ページ通りに読んでいたら、疑問点が浮かぶ頃には質問の機会は既に失われている。恐ろしい仕掛けだね、全く。

 でも、でもね。こんなのは下地に過ぎなかったんだよ。終わってからそれに気づいたのが悔しいなぁ。

 百合花ちゃんは私が出てくることも想定済みだったんだろうね。そしてその対策も。あの時百合花ちゃんは言ったよね。『生物部への質問があるかもしれないので最後にお願いします』って。『生物部への質問があるかもしれないので』? とんでもない。そんなのは口実だよ。要するに文芸部への質問を最後に持ってきたかったのさ。わざわざ質問の相手を聞いてきたしね。そしてそれは、他に文芸部に質問をしたい人に対する牽制にもなった。最後に私が文芸部に質問するのが決まっているのに、それでも質問しようとする人はなかなかいないんじゃないかな。内容が被ったら気まずいもんね。

 さて、これで文芸部への質問は最初の議題の最後になった。ここで、今までの布石が意味を持ってくる。ここでえのっちがすんなり負けてしまったら百合花ちゃんの努力は水の泡なわけだけど、それはどうにか避けられた。そして言い合いが長引くと見るや、百合花ちゃんは時間が押していることを理由に多数決に持ち込んだ。

 普通にやったら私の勝ちさ。活動が制限されている文化系の人たちが味方についてくれるからね。でもね、えのっち。生徒総会を真面目に聴いてる人なんて、一体どれくらいいると思う? 参加する気のある人は何パーセントだと思う? 殆どの人はこう考えているはずだよ。『どうでもいいから早く終わらせて帰りたい』ってね。もう会が始まって15分経っている。なのに議題はたくさんあるうちの1つも終わっていない。とっとと済ませたいと考えている人たちは焦るよ。このペースじゃあ終わる頃には部活もできない。でも勿論そんなことはなかった。1時間強で事は済んだ。何故か? 他の議題は全部、簡単な説明や拍手による承認だけで済むものだったからだ。それを細かく表記することで、まだ当分終わらないという風に生徒達に思わせたんだ。そしてさらに百合花ちゃんはここで承認されなかったら議題は移らないということを仄めかす。

 あとはもう分かるよね? 学校の運営に興味が無い人たちはみんなえのっちの味方になる。元々100人ほどだったのが200人になり、400人になり、あとは百合花ちゃんの主観という名のサバ読みで過半数になる。こうして私の意見は途中で却下され、文芸部は社会科講義室を守り通すことができたというわけだ。めでたしめでたし。

 ……これで終わればいいんだけどね。ここまで言えば分かると思うけど、百合花ちゃんの払った代償はそりゃもう大きいよ。1年生の分際で生徒会の内容に口を挟み、生意気にも司会を1人でやると言い出し、その上本番でも勝手なアドリブを利かしてくれたんだから。百合花ちゃんの元々の性格も相まって、随分と先輩方の不興を買ったと思うよ。入学早々これじゃあ、高校生活3年間を丸々投げ打ったと言ったら過言かな?

 こうなることは予測できたのに、それでも百合花ちゃんはこの方法をとることを選んだ。えのっちを助けるためにね。どうだい? 百合花ちゃんをどこかに連れて行ってあげるくらいじゃあ返せそうにない恩だと思うけどね。部室を守る、それだけのためにここまでの対価を支払う必要はあったのかな……でもまあ、過ぎてしまったことはしょうがない。精々百合花ちゃんを大切にしてあげるんだね。泣かしたりしたら私が許さないんだから、と常套句で締めてみる。

 あ、バス来たね。……おーい、えのっち。聞いてる? ところで、例の本はもう読んだ? 面白かったかい?」

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