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5.July

「それではこれより、平成20年度丹木高校第1回生徒総会を行います」

 ざわついていた体育館が次第に静かになる。マイクの声は壇上の議長、副議長、書記の名を読み上げた。

「――そして司会は私、川畑百合花です。どうぞよろしくお願いします」

 そう彼女は名乗りを上げ、マイクの前で小さくお辞儀をした。多くの生徒の視界には入らなかっただろうが。

 ついに始まった。俺は唾をゴクリと飲み込む。半年前にこの席には座ったが、その時は入船先輩が隣にいた。今日は、俺一人だ。

 今や千人近い人間がこの体育館に存在している。病気等で休んだ者を除けば生徒は全員、教師も半分以上。一般の生徒はクラスごとに並んで座り、壇上に向かって前から1年、2年、3年、左から1組、2組、3組と続く。椅子はなく、全員体育座り。1年の更に前にはスペースがあり、真ん中にマイクが1本立っている。質疑応答用だ。その右端にはもう1本のマイク。彼女がその前に立ち、それを筆頭にパイプ椅子が並ぶ。そこは生徒会の席で、ずらりと1列に腰掛ける姿は思ったよりも壮観だ。更にその後ろには教師らが並び、成り行きを見守っている。基本的に会を取り仕切るのは生徒会で、先生らが介入することは殆ど無い。

 そしてその反対側、体育館の左前隅に並ぶは俺たち部活の代表者。体育系と文化系に分かれ、2列になって即席の椅子に座っている。2月の生徒総会ではここに座る人数が倍になる。実質、年が明ければ部長は次の代に移るが、代わったばかりで不慣れなことを考慮して先代が同席するのだ。さながら関白である。

 端には1人生徒会役員がいて、マイクを持っている。1年生なのだろう、とても緊張している様子だ。マイクを渡すだけなのだからそう構える必要も無いのだが、大衆の目の前だ、無理は無い。彼でさえこれなのだから、実際に受け答えをしなくてはならない俺の気持ちがいかほどのものか察するのは難しくないだろう。

 それに対して、彼女はやけに落ち着いていた。いや、彼女が慌てているのを俺は見たことがないが、1年にして司会という大役を仰せつかった身にしてはどっしりとし過ぎてやしないだろうか。

「本日の出席生徒数は823名。全校生徒の3分の2を満たしているので、本日の生徒総会は成立します」

 3分の1以上が欠席って、生徒総会が成り立つ云々以前に学校閉鎖のレベルじゃないかと思ったりする。今まで成立しなかったことはあるのだろうか。

「まず始めに議長及び副議長の承認を行います。依存の無い人は拍手をお願いします」

 パチパチパチパチパチパチ。

 当然ほぼ満場一致である。ここでわざわざ反対して進行を困らせるような輩はそうそういない。

 マイクを取った議長が二言三言述べた後、本日の議題を読み上げる。

「1つ目に各部活の代表者による決算と活動の報告」

 ……え? ちょっと待て。最初? おい、聞いてないぞそんなこと。しばらく考える余裕があると思っていたのに。

 しかし周りを見渡すと、うろたえているのは俺だけのようだった。配布資料を見る。議事が書いてあった。俺が確認不足だっただけだった。それにしても何だって。決算報告が資料の最後に載っているからてっきり。まあ仕方ない、どうにかなるだろう。マイクの声に合わせて一覧を目で追っていく。

 生徒会の活動報告、決算報告、行事予定、今年度の目標。体育祭のクラス分けについて、賞品について、予算について、練習日程について。文化祭の出し物について、各種コンテストについて、禁止事項について、予算について。図書館のマナーについて、本の扱いについて、利用時間について。校内の美化運動について。時間の守り方について。意見箱について。制服廃止について。生徒会規約改正案。

 ……何かやたらと細かい。始めの1ページが丸々議題の羅列に使われている。どうやら生徒会も色々と模索しているようだ。うん、いいことだ。保守的であれとは別に思わない。あまり奇抜な改革をされても困るが。体育館にミラーボールとか。全教室オートロックとか。


 部活の報告は体育系文化系と分かれて五十音順だった。すなわち文芸部なんてのは後ろに放送部と漫画研究会しかいないという、かなり後の方になる。おお、「榎本諒太郎」である俺としては何か新鮮だ。

 決算報告といってもウチの部活で使っている金なんて文集作成費とコンクールの参加費くらいのもんだ。すぐに終わった。あとは普段の活動と今後の予定を新入生へ説明したときのように話す。部員数には当然馬越や幽霊部員の同級生も加えた。森田先輩は「これで入部希望者が来るかもしれないからな、しっかりやれよ」などと仰っていたが、さすがにそれは無いだろう。みんな聞いていなさ過ぎる。

 報告が終わって席に座る。マイクを隣の女子生徒に手渡し、俺は考え事に入った。結局、俺だって他の部活の話なんか聞いちゃいないのだ。

 カズは俺を諦めさせると言った。この生徒総会で。ならばこの後の質疑応答に絡んでくるのは確実だ。しかしどうやって? あいつは生物部の部長をやっている。今だって俺と同じ列に座っているのだ。同じく質問される側であるヤツが質問する側にまわることはできまい。だったら、知り合いに頼んだと考えるべきか。予め言う内容を伝えておけば可能だ。俺はカズの交友関係なんか把握していないから、誰が来るのかは分からない。俺だってそれなりに準備はしてきた。言われうる質問を考えられるだけ列挙して、それに対する巧い対応策をシミュレートしてきた。しかし相手が5人とかになると厄介だな。連続で糾弾されたら流石に心が折れそうだ。カズのことだから絶対無いとは言い切れない。……まあいいさ。その場にならなきゃ分からない。テストと同じだ、今更足掻いたって大した意味は無いさ。

「それでは質疑応答に移ります。質問等のある生徒は前のマイクの所まで来てください」

 彼女の声が体育館に響き渡る。少しの間があって、生徒の中から数人立ち上がるものが現れた。クラスによってはどよめきや小さな笑い声が上がる所もある。何だあいつは。罰ゲームでもやらされたのか。

 マイクの前に並んだのは6人。そのうち顔を知っているのは4人。話したことのある奴はいない。さて、この内の誰がカズの刺客か……と無意味な思考をめぐらそうとしたところで視界の隅に動くものを認めた。

「議長! 私にも質問権を求めます!」

 手を挙げてそう叫んだのは……カズだった。

 こ、この野郎。こいつに「質問される側は質問できない」などという考えは通用しなかった。小細工なんか無い。こいつは本当に全校生徒の前で俺とタイマンを張るつもりだ。ヤバイ、何か勝てる気がしない。

 議長は困った顔をして数秒考え込む。そして生徒会のメンバーを見渡すと、カズに向かって頷いた。 しかし議長がマイクを手に取るよりも前に、別のマイクからの声が上がる。

「分かりました。どの部活に対する質問ですか?」

「……文芸部です」

「では、生物部への質問があるかもしれないので、最後にお願いします」

 彼女の声だった。全く動じていないのは流石というべきか。カズは黙って座ることで了承の意を示した。

 会議が再開される。中央のマイクに目を戻すと、何故か人数は5人に減っていた。

「2年2組の脇岬です。野球部に質問があります」

 1人目の男子生徒がそう言うと、マイク係が野球部の部長の元へマイクを持っていく。密かに胸を撫で下ろす俺。初っ端から攻撃を受けるのはやはり避けたい。

「遠征費とありますが、これは部員全員の分なのでしょうか。また、これは交通費のみですか。選手の交通費のみと考えると金額が多い気がするのですが……」


 拍子抜けしたことに、マイクの前の5人とも、想定していた質問ではなかった。1人文芸部への質問があったが、それは文集作成費の細かい内訳についてであって、それを大まかに述べた後に次回からは明記すると答えて相手は満足したようだった。しかし気を緩めることは出来ない。俺の半径10メートルもないエリアにはラスボスが鎮座しているのだ。

 マイクの前から人がいなくなった。

 吉沢一穂が、立ち上がった。

 俺の手にマイクが渡される。

 俺たちは2つのマイクを挟んで向き合った。向こうは立ち、俺は座っているので距離があるとは言え若干見下ろされる形になる。

 一穂は微笑んでいた。そこからは少しの悪意も感じられない。それでいて、いつもの軽さも無い。

 ゾクリ。背筋に悪寒が走る。手に汗が滲む。拍動が強く、速くなる。

 違う。やはり違う。今までとは違う圧倒的なプレッシャー。押し潰されそうになる重い空気。この変化は、質問の内容だけによるものではない。

 目の前にいるのはカズではなかった。吉沢一穂という人間が、全く異なる2つの雰囲気を持つというのは聞いていたし、部活の代表会議では実際に見てきた。でも、俺と話しているときのソイツは常にカズであって。今そこにいるのは、明らかに別人だった。

 吉沢一穂が俺に戦いを挑もうとしている。俺はカズですら理解できないし敵わないというのに。俺は、コイツに勝てるのだろうか。言い負かせるのだろうか。抗うことすら出来ないような、そんな気がした。

 一穂がひゅうと息を吸う音がマイク越しに聞こえた。そして。

「2年1組の吉沢です。文芸部の部室について質問があります」

 火蓋は切って落とされた。


「知っての通り、丹木高校の部活動の種類は多く、一部では部室を共用しているのが現状です。それなのに広い社会科講義室を文芸部だけで使用しているのはいかがなものでしょうか。部室の移転若しくは分割を求めます」

 いきなりの直球。想定してはいたが、実際に言われるとやはり苦しい。言い逃れできるだろうか。とにかく、用意していた答えを口にする。

「文芸部の部員は15人で、部室での活動も活発に行っています。部室を持て余しているとは思っていません」

 勿論一穂をこの程度で誤魔化せるわけは無い。すぐさま次の声が飛ぶ。

「15人というのは登録人数ですよね? 実際に活動をしているのは何人ですか?」

「……活動をしているいないの区分に明確な基準はありませんので、答えかねます」

 嘘を吐いた。最近明らかに来ていない部員は3人いる。だが、それを言ったらたちまち標的にされる。

 一穂は一瞬押し黙る。嘘だということは見抜いているだろうが、それを口には出来ない。これは個人的な話ではない。全校生徒が聞いているのだ。まさか「そんなわけないでしょ、知ってるんだから」などとは言えまい。

 しかし追撃の手は止まない。

「では学年毎の内訳を教えてもらえますか」

「1年3名、2年4名、3年8名です」

 ヤバイなと思った。だがここで嘘を吐くことはできない。数値は誤魔化せない。

「最上級生が全体の半分以上を占めているわけですね。では早い話ですが来年、新入生を卒業生と同じ数だけ入れられる保証はありますか?」

「ありません。ですが、少ないということも絶対ではありません」

「それは他の部活も同じ条件です。もしここ2年間の調子で新入生が4名だとすれば部員は総計10名になります。対して社会科講義室は通常の教室の2倍近くの広さがあります。10名で使うには、些か広過ぎると思いませんか?」

 グッと言葉を詰まらせる。これも予測できた質問だ。だが、結局説得力のある反論は思いつかなかった質問だ。いや、そもそも後ろめたいことをしているのだから、答えられなくて当然なのだが。

「……教室を共用しているのは音楽系や美術系など専門の教室を必要とするものではないですか? だとしたら、立地条件も芳しくなく普通教室である社会科講義室を空けたところで大した意味は無いと思われますが」

「そんなことはありません、普通教室で活動できる部活も多くあります。文芸部が社会科講義室を使いにくいと言うのでしたら、」

 一穂はゆったりと微笑んだ。勝ち誇った表情のように、俺には見えた。

「部室を換えることは双方の利益になると思いませんか?」


 勝ち目は無い。俺はそう判断した。いや、自分はよくやったさ。端っから勝機なんて無かった。負け戦だってことは分かっていた。それを知っていて尚俺は頑張った。一穂に一矢報いることが出来ただけでも上出来だ。だからせめて引き際くらいは見っともなくないようにしよう。その言葉は既に用意してある。俺は幕を下ろそうと全校生徒を見渡した。

 その時。尾崎と目が合った。その瞬間。俺は自分を見失っていたことに気付いた。

 何をやっているんだ、俺は。何を考えているんだ、俺は。何のためにこんなことをしているんだ、俺は!

 自己満足のためなのか? ただ一穂に抵抗したいというそれだけのために、俺はこんなことをしているのか? 違うだろう? 尾崎のためだろう? 尾崎を助けるために、愛すべき後輩を護るために、俺はこんなことをしているんじゃなかったのか? だったら、俺がすべきなのは降参することなんかじゃない。自分の身を案じることなんかじゃない。何がよくやっただ。何が頑張っただ。何が上出来だ! 抗ってやる。限界まで抗ってやる。あの時俺はそう決めたはずなんだ。

「……そうは思いません」

 自然と声が漏れた。一穂に抗いたくて、言い分を否定したくて、何も考えずに出た言葉だった。

 先程の一穂の言葉から大して時間は経っていないようだった。一穂は俺を見つめていた。次の俺の言葉を待っている。しかしどう続ければいい? もう何も考えは残っていない。ここからどうやって突破口を見つけるんだ? そもそもそんなものはありはしないのか? いや、そんなことを考えている場合じゃない。悩むんじゃない。考えろ。言葉を搾り出せ――

「時間が押しています。議論はやめてください」

 マイク越しの声がした。俺でも一穂でもない声がした。

 声の主は考えるまでもなかった。マイクを持っているのはあと2人しかいない。

「議題はまだ全然片付いていません。次の議題に入りたいと思います」

「しかし議長!」

 一穂が抗議する。議長は困った顔をする。声は続ける。

「では、判断を多数決に任せたいと思います。承認が半数に達しなければ、議論の継続を認めます」

 そう言ったのは彼女だった。相変わらず淡々と、言葉をつなぐ。

 一穂は明らかに動揺していた。確かにこれは想定していない展開だろう。しかしそれにしても……

「文芸部が現在の部室を継続して使用することを承認する人は、拍手をお願いします」

 パチパチパチパチ。

 拍手は少なかった。まばらと言うほどではないにせよ、先程の拍手よりは明らかに小さかった。

 これは……どうだ? 俺には判断しかねる。だが、どちらかと言うと400人分の拍手としては足りない気がした。

 議長を見据える一穂。副議長と相談する議長。こんなことは今までに無いのだろう、生徒会がざわざわしている。全校生徒の総意はどうなる? 議長はどう判断する? いや、少ないのなら続行だ。今のうちに俺は反論を考えるべきだ。今の介入によって俺は言い直す機会と時間を得た。折角の天恵を無駄にするわけにはいかない。一穂が何と言ったかを思い出せ。そして、穴を見つけるんだ。勝負はまだ終わっちゃいないんだ。

 ところが。

「では、過半数に達しましたので、文芸部の部室は承認されました」

 ざわめきを破って、さも当然のように、彼女はそう宣言した。


 それから1時間もせずに生徒総会は終了した。会議は別段滞り無く進み、俺は一般の生徒として会に参加し、全ての議事は承認された。これが本来の姿のはずなのに、次々と可決されていく案を聞いていると何だか不思議な気分だった。

 生徒らが退場を始めてすぐに、俺はこっそりと携帯を開き、彼女にお礼のメールを送った。本当は直接言いたかったのだが、今近づけば変な噂を立てられかねない。

 部室で帰る仕度をしていると彼女から返事が来た。「どういたしまして」。それだけだった。

 教室に向かうと彼女の姿があり、俺たちは一緒に下校した。

 長い一日が終わった。

 文芸部は勝利を収めたのだ。

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