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4.June

「ふざけてるんですか?」

 俺の話を聞いた彼女は即座にそう言い放った。辛辣だな、と苦笑する。

「冗談なんかじゃない。本気だよ」

 そう宣言する。彼女に、それ以上に、自分自身に対して。

 決めたのだ。

 社会科講義室は明け渡さない。


 1か月前、俺は彼女から尾崎に関する何とも胸糞の悪い噂を聞いた。入学早々、1年生の間で流れ始めたというのだ。

 丹木高校は私立校であり、教員の異動がない。また、経営は現場の人間にほぼ任せられており、学校上層部の権力は普通の高校と比べると強い。そして尾崎の父親は此処の教頭である。

 学校は尾崎のバックにある。だから、彼に刃向うとロクなことにならない。内申が悪くなるか、あらぬことで呼び出しを食らうか、下手をすれば些細なことにケチをつけられて停学はたまた退学処分を受けるか。そういう話だった。

 馬鹿馬鹿しいと思う。

 その噂を立てた人間は、本当にそんなことが起こり得ると思っているのだろうか。テレビの見過ぎか、漫画の読み過ぎか。小説の読み過ぎだとは思いたくないが。

 権力が強いといっても、学校で起きたことはすべて上に報告される。隠そうとしたところで早々できるものではない。私立であり進学校である本校はブランドであり、それを汚すことを最も恐れる。だから、そんなことをするのは教頭自身の首を絞めることであり、そんなことが分からないような先生ではない。そもそも教頭は厳格な人間で通っている。あの人がそんな事をするとは、俺にはとても思えない。

 だから、これは、悪意。彼ら親子を陥れようとする、何者かの明確な意志。

 彼女は言った。尾崎は何も文芸部に興味を持って入ったのではないかもしれないと。部活の内容ではなく、部室の場所こそが、彼の求めていたものなのかもしれない。何度も言うが、文芸部の部室は社会科講義室。これは校舎の隅に位置し、人も殆ど訪れない。つまり、彼にとってそこは避難所だったのだ。周囲の悪意から逃れられる唯一の場所を、彼はそこに見出したのだ。

 悲しいとは思わなかった。悔しいとも思わなかった。理由はどうあれ、彼の入部は大いに嬉しいことだった。そして結果として、彼もまた文芸部を楽しんでくれている、と思う。

 力になりたいと思った。でも、たった1ヶ月の付き合いの俺が口出しすることは、きっと彼のプライドを大きく傷つける。だったら。


「どうしてそこまでするんですか?」

 彼女は問うた。

「後輩を助けるのが、先輩の義務だからな」

 そう答えた。それ以上の理由があることを俺は自覚していたが、敢えて口には出さなかった。

 彼女はしばし沈黙し、注意していなければ聞き逃すような声で呟いた。

「……どうして、私に言うんですか」

「……」

「黙っていてくれればよかったのに。心の中にしまっておいてくれればよかったのに。そうすれば、私は……」

「ごめんな。百合花さんを騙すような真似はしたくなかったからさ」

「……先輩は意地悪です」

「そうだな」

 1ヵ月後には生徒総会がある。体育館に生徒全員が集まり、学校活動に関する話し合いをするのだ。生徒総会は年2回、夏の議題は主に体育祭と文化祭の内容、そして各部活動の決算。そして、質問の権利は生徒全員に与えられる。疑問と意欲と度胸さえあれば、生徒会や部長らに意見を言うことができるのだ。今の部室に不満を持っている人がいれば、文芸部の現状に対して文句を言いたくもなるだろう。広い部屋を少ない人数で独占している、他の部活に回すべきではないのか、と。俺はそれを拒絶するつもりであることを彼女に伝えた。

 彼女は運営側の人間だ。イレギュラーがあることが予め分かっているなら、伝えておくべきだ。だが、あまりにも早過ぎる。別に対策を練る必要も無い、心積もりをしておくだけなら、数日前で構わない。

 俺はずるい。暗に頼んでいるのだ。力添えをしてくれと。

「別に何かしてくれと言ってるわけじゃない。知ることで支障が出るのなら悪かった、忘れてくれ」

 言ってるわけじゃない、か。忘れてくれ、か。心にも無いことを。全く、自分が嫌になる。

 彼女は俺をしばらく見つめていたが、やがて力無く頷いた。


「何でよりによってお前がここに来たんだよ」

 1週間前の昼休み、部室の扉に手をかけた俺の耳に、それは飛び込んできた。

 昼食を終えて教室に戻ろうとした俺は竹内にばったり出くわし、クラスが変わってから初めてマトモに話をした。すぐ近くにいるのに意外と機会が無いものだなと笑うと、竹内は思い出したように本を紹介してくれと言い出したのだ。何でまたと問うと、夏休みの宿題となる読書感想文を今のうちに仕上げるのだという答えが返ってきた。なんとも気の早い話である。

「この調子だと次に会えるのがいつか分からないからな。それに、夏休みが始まる前から課題が1つ片付いているというのはいい気分じゃないか」

 そんなことを真面目な顔で言う。んな馬鹿なと返したかったが、布教のチャンスでもあるし、御希望通りお薦めを貸すことにした。これで課題図書が指定されたらどうするつもりなんだろうな、コイツ。ともかく目当てのものは確か部室にあったと思い、その足で向かった先の出来事だった。

「お陰で俺も巻き添え食ってんだぞ? 分かってんのか?」

 再び声がする。こんなところで立ち聞きもどうかと思うし、状況は推測できた。思い切りドアをスライドさせる。

 そこには、尾崎と馬越がいた。馬越はあからさまに驚いた様子で、尾崎はポカンとして俺を見る。

「……何やってんだ?」

 言うべき言葉が思いつかなかったし、逆に怒鳴り散らしそうにもなったが、どうにか、それだけ言った。

「……別に。何でもないっすよ」

 明後日の方向を見ながら馬越が言う。尾崎は床を見つめたまま動かない。

「馬越、その態度は感心しないな」

「……先輩には関係の無いことです」

「本当にか? 部活の話をしていたように聞こえたが」

「……」

「人の所属に文句をつける筋合いは無いと思うぞ」

「そんな、被害者は俺ですよ? 人の生活を邪魔する権利なんて、誰にも無いはずだ」

「そうだ、誰にも無い。お前にもな」

「どうしてですか? 俺はただ楽しく部活をしたいだけです。なのにコイツが――」

「うるせえよ」

 突然馬越の後ろで尾崎が呟いた。とても静かで、それでも馬越を黙らせるには十分だった。馬越は口をパクパクさせていたが、チッと舌打ちをすると、

「……失礼します」

 そう言うなり俺の傍らをつかつかと通り過ぎていく。ドアを大きな音を立てて閉め、その姿は見えなくなった。とんだ有言実行だ。

「……先輩」

「……大丈夫だ」

 俺の顔を覗きこんでくる尾崎に咄嗟にそう言った。

 一体何が大丈夫なのか。むしろここは「大丈夫か?」と言うべきだったのではないか。本棚に歩み寄りながら自問する。

 目的の本はすぐに見つかり、この部屋に用はなくなった。やがて扉の向こうからガヤガヤとした声が近づいてくる。昼休みも終わりだ。

「もう行くぞ。4限は3年がここを使うからな」

「あ、はい」

 尾崎は手提げ鞄を引っつかむ。見ると、本棚には更に尾崎の本が増えていた。もう1段は全て彼のもので埋められている。そのうちの数冊は俺も読んだことがあった。親子の溝を埋めていく物語、家族で力を合わせて苦難を乗り越える物語。いずれにも共通して言えるのは、家族を扱ったものだということ、そしてハッピーエンドだということだった。

 それに気付いたとき、俺はふと考えた。

 もし。もし彼が、家族と上手くいってなかったのなら。自分の家ですら、居心地の悪いものだったとしたら。

 彼の居場所は、どこにあるのだろう。

「……大丈夫だ」

 俺はもう一度、今度は力強く、言った。

 そうか。きっと俺は、こう言いたかったんだ。

「大丈夫だ。お前の居場所は、俺が護ってやるから」


 それっきり馬越が部室に姿を見せることはなかった。

「仕事が決まったのに放り出すなんて!」と榊は腹を立てていたが、誰も連れ戻そうとはしなかった。

 馬越の言っていたことは間違いではなかった。彼も確かに被害者なのだ。彼が尾崎と同じ部活に所属しているというだけで変な目で見られたのであれば、それは不当な扱いだ。でもそれは尾崎を追い出す理由には決してならない。そして彼がそれに耐えられないのなら、これは仕方ないことだ。

「何か最近居辛そうにしてたしなぁ」とは入船先輩の言。

「先輩が多すぎて気がひけたのかも……」、曰く桜井先輩。

「仲良くなろうとしつこく話しかけ過ぎちゃったかな」。これは仲本。

 めいめいが馬越の心配をしていた。でもまだ馬越の籍はあったから。理由も分からないのに戻れなんて言って本当に辞められることを恐れていた。なんといっても、1年は3人しかいないのだ。

 俺は部長として何か知らないかと口々に尋ねられた。俺は全てにノーと答えた。ここで俺が何か言うのは尾崎の噂を話すということだ。きっと尾崎はそれを望まない。どうせ近いうちに耳に入るとしても。

 彼もまた、知らぬ存ぜぬを通していた。

 結局、1人欠けたまま文集作成は進むのだった。


 カズに呼び出されたのは6月の終わりだった。昼休みの社会科講義室。何だか嫌な予感がした。

 ドアを開けると既にカズは我が物顔で居座り、パンを頬張っていた。

「やっほ、久しぶり」

「早いな。お前も登校の道中にパン買ってるのか?」

「いんや、普通にさっき購買で買ってきた」

「は? まだ昼休み始まって5分も経ってないぞ」

「甘いよ榎本君。授業が早く終われば済む話」

「……ああ、体育でもあったか」

「そゆこと」

 カズはニカッと笑うと持っていたパンの切れ端を口に放り込む。確か入船先輩の好きなパンはイチゴミルクパンだったな、などとどうでもいいことを思い出す。

「で、用事って何だよ」

「あー、その前にこれ貸したげるよ」

 差出したるは1冊の文庫本。聞いたことの無いタイトルだ。

「……これは、何だ?」

「面白かったから。えのっち、知らないっしょ?」

「ああ。どういう話?」

「推理もの。って言っても人は死なないよ。『日常の謎』って知ってる?」

「聞いたことはある、くらいだな」

「んじゃあ読んでみるといいよ。一応お薦め」

「分かった。有り難く借りておくよ」

「本当に有り難く思ってるのならパンの10個や20個買ってくれてもよさそうなもんだけどね」

「多いわ! で、本題は?」

「んー、相変わらずだねぇ。こんなヤツと付き合ってて、百合花ちゃんつまんなくないのかな」

「うるせえよ」

「えのっち、この部屋を維持するつもりでいるでしょ? 新入生少ないのに」

 急かしたのは自分だというのに、いきなり心を見透かされて俺は目を丸くする。だが前からコイツはこういうヤツだった。冷静に努める。

「何で知ってる? 誰にも話していないはずだぞ」

 正確には彼女以外には、だが。しかし彼女が言いふらすとは到底思えない。

「やっぱし。いやね、ちょっとカマをかけたんだけどさ。もしかしたら、って」

 パンを食べ終え、包みをしまう。途端に目つきが鋭くなった。

「尾崎君の噂を聞いてね……まあえのっちは当然知ってるだろうけど。で、ウチの部活の後輩にそういうのに敏感な子がいてね。その子曰く、噂が立ったのは新学期早々だって言うからさ。えのっちの日記では尾崎君が入ってきたのは5月。文集を配った効果があったって書いてたでしょ。でも噂を踏まえると、避難所としてここにやってきたとも考えられる。……この辺の本、随分保存状態がいいね。前からあったかな? 尾崎君のだったりして?」

「……ご名答だよ。何でお前はウチの部室の本を把握してるんだ」

「はっはっは、まあそれは置いといて。なら、随分と入り浸ってるみたいだね、彼。噂では生徒会もやってるんだよね。馴染めてるかは知らないけど、多分休める場所ではなかったんだろうね。あっちは1年生いっぱいいるし。ここと違って」

「一言多いぞ。自分の所が大漁だからって自慢しやがって」

「んなことないよ、ウチは例年が少なかったからね。多く感じるだけさ。でもとにかく、1年が少ないことが逆に彼にはプラスだったわけだ。ここは人もあんまり来ないしね。さて、えのっちがこの事実に気づいたとする。尾崎君は自分の居場所を求めてここにやってきた。ならもう護るっきゃないって思うんじゃないかい、えのっちなら」

「見てきたように言いやがって、気持ち悪いな」

「そりゃもう、中学からの付き合いだからね。だから、親友として忠告に来たのさ」

「……忠告?」

「そ」

 カズはそこで一拍おいた。そして。

「やめときな。この場所を護るなんて、下らないこと」

 そう、言いやがったのだ。


「下らない……だと……?」

「うん、そんなことをしても、誰のプラスにもならないよ。結果的にはね。どうせ来月の生徒総会でここの話は話題に上る。さっさと明け渡すって言いなよ。その方がえのっちも楽だろうし、部室が変わるのは3月、半年以上猶予があるんだからさ」

 平然と言い放つ。俺がこの1ヶ月間考えてきたことを、たった一言で粉砕する。

 こいつは何なんだ? 何を言ってるんだ? 何がしたいんだ? 何が――

「何が……分かるんだ」

「……」

「お前は部外者だろう!? これは文芸部の問題だ。口出しは要らない。どうせ大変なのは俺だけだ。俺さえ良ければ問題は無いんだ。何だってお前が……いや、そうか。お前のところは部員が増えて大変だって言っていたな。そういうことか。お前もここを狙っているわけか。ふざけるな、何が親友だ。絶対に明け渡さない。ここは、文芸部の部室だ」

 沸々と湧き上がる怒りを俺は抑えられずにいた。居場所を護る。俺の頭はそれだけに凝り固まってしまっていて、それ以外の事を考えられずにいた。

 そんな俺を冷静に見つめるカズ。本当にこいつの頭の中は理解できない。初めて会った時から、ずっと。

「……まあ、ね。否定はしないよ。でも、それだけじゃないのも確か。うん分かった。こうなることはえのっちの性格からして予想はできたもんね。分かったよ。だったら……」

 カズは立ち上がった。ドアをガラリと開けて振り向く。

「だったら、諦めさせてあげるよ。来月、全校生徒の前で、この私が」

 それは、吉沢一穂から俺への、宣戦布告だった。

文章が荒削りですみません。

話を進めることを最優先に書いてます。

後から大量に修正を入れることになりそうですが御了承を。

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