2.April
「榎本諒太郎です。文芸部の部長をやってます。趣味は何の捻りも無く読書です。あんまり有名じゃないけど面白い作品があったら是非教えてください。よろしくお願いします」
そんな無難な自己紹介を終えて席に着く。
始業式が終わり、新たなクラスになり、最初のホームルーム。
自己紹介とは、やらないと困るけどやると非常に面倒な作業の最たるものだと俺は思う。新たな学校にやってきたフレッシュメンが緊張するは勿論だが、単なるクラス替えのときはまた違った問題がある。何せ、知っている顔が多いのだ。なのに自分について語らなくてはならない。赤の他人ならいざ知らず、旧知の友人に対して自らの名を述べる。何とわざとらしいことか。
これが転校生がやってきたときのような、1人以外全員知り合いのような、偏った比率なら全く以って平気だ。だが、玉石混交というか、色んな間柄の人がごちゃ混ぜの状態では、誰を対象にして話せばよいのやら見当がつかない。来年のクラス替えのときはまた割合は変わっているわけで、これに慣れることは生涯無いだろう。
さて、と俺は教室を見渡す。自己紹介は名簿順、「え」の俺はすぐさま立つ羽目になり、後はぼんやりと眺めていればいい。多くのクラスメートの話を落ち着いて聞ける反面、前例が少なくスタンダードな話の流れを掴みにくい。考えてみれば、生まれた時点でこうなることはほぼ確定しているわけで。これは格差ではなかろうか、などと屁理屈をこねるつもりも無いが。ただ、名簿番号1番と最後は過酷な状況だと思う。さながら赤道直下と南北端のように。それだけで肝が据わる気がする。
2年5組。これが新しい俺の所属団体。ちなみに文系クラス。去年の冬、文理選択のオリエンテーションで先生の仰っていた「数学が苦手な人にとって理系は修羅の道だから絶対にやめておけ」という忠告に素直に従った結果である。
最も仲の良かった竹内とは、ここで袂を分かつことになった。一応付記しておくが絶交したわけではない。竹内がラーメン派で俺がうどん派であるなどという理由では断じてない。
共通項が全く見出せないにも拘らず妙に気が合った彼は、数学2科目の点数が他の4教科6科目の合計点とほぼ等しいという変人だった。先の先生は「数学のできる文系は有利だ」とも仰っていたが、彼には絶対に当てはまらない。俺の我侭で彼の将来の芽を摘むのはあまりに惜しいということで、俺たちは泣く泣く道を違えた。
……いや、別に会おうと思えばすぐ会えるんだが。仮に文系に来たところで同じクラスになるとは限らないし。
と、そんな感じで思考を巡らしている内にいつの間にか自己紹介は終わり、俺は毎度の如く名簿番号が早いことの利点を半分ほど失ってしまうのだった。
今年度初めての記念すべきホームルームが終了し、学級委員長を初めとした全ての役職を運良く逃れた俺は、その戦績に満足し安堵の溜息を吐いた。
昼休みが終われば入学式、続いて新入生歓迎会が行われる。勿論そこには部活動紹介も含まれるわけで、その準備をしに俺は部室に向かった。
特別棟の隅の一角にある社会科講義室。その立派な名前とは裏腹に、この教室が使われることはあまり無い。週に4回ほど3年の文系クラスに使われるだけで、即ち俺たち文芸部が使っている時間の方がずっと長い。部屋の後ろに並ぶ本棚がそれを物語っている。
扉を開けると既に一人、パンを頬張っている姿が認められた。
「うおっす! 早いな、榎本」
「そりゃあこっちの台詞ですよ。購買のパンじゃないんですか、それ」
重ねて言うがこの部屋は校舎の隅っこに位置し、パンの売り場は勿論、普段学生が使うスペースから悉く離れている。放課後30分ほどもすれば、生物部や美術部など同じように特別教室を使う部員がちらほら姿を見せるようにはなるが。
「あれ、言ってなかったか? 俺の家の近くに、閉店間際になると特売をやるパン屋があってな、いつもそこで買ってるんだよ」
「そうでしたっけ」
「先代部長の昼飯くらい把握しとけ!」
「すみません、って、先輩は先々代の部長の昼飯知ってるんですか?」
「んなもんもう忘れた!」
「ですよねー」
「ちなみに俺の好きなのはイチゴミルクパンだからな!」
「……それも憶えるんですか」
「当然だ!」
「……ところで、紹介する本は決めました?」
「おう、そうだそうだ」
先代部長こと入船先輩は傍らの鞄をひっくり返す。バサバサとその手の本が机の上に積みあがる。これが今日だから教科書はどうしたという突っ込みも入らないが、授業が始まってもこれだから困り者である。俺は困らないが。
文芸部の紹介は無難なものに決定した。だがただ活動内容を読み上げるだけではつまらない。つまらないと無難は違う。ということで、活動について簡単に触れた後、部員5人からそれぞれお気に入りの本を30秒ほどで手短に紹介してもらうことにした。幸いにも好みのジャンルは皆バラバラだ。恋愛、ホームドラマ、ホラー、SF、ファンタジー等等。守備範囲の広さを見せればハードルも下がるだろう。
「ほい、これでどうだ?」
そう言って手渡されたのは1冊のライトノベル。ライトノベルの定義が何なのか実はよく知らないが、表紙はそういう系の絵で飾られている。貶すつもりは無いが、よくこれを堂々と薦められるものだと思う。
「どういう話ですか?」
「家族のドタバタものだ」
「なるほど、いいですね。……全年齢ですよね?」
「当たり前だろう!」
「際どい表現とか無いですか?」
「信用しろよ!」
念を押すのには一応理由がある。こう言うと失礼な気がするが、先輩はオタクである。しかし先輩曰く、人をオタク呼ばわりすることを失礼だと思うこと自体が失礼らしい。俺はオタクという言葉が既に世間一般で侮蔑語と認識されかかっている以上、別の言葉を探した方がいいと思うのだが、そこは価値観の相違というヤツだろう。
去年の文芸部の紹介は先輩の独壇場だった。制限時間を目一杯使ってライトノベルの成り立ちを語る姿に周囲はドン引きだった。俺自身も入部を躊躇った。同様の理由で考えを改めた同級生が何人かいるのではないかと思わずにはいられない。
結局、入ったのは俺を含めて4人だった。そのうち2人は今ではほとんど来ない。今の3年が8人であることを考えると酷くアンバランスだ。しかし地味な紹介をして1人も部員が入らなかった所だってあるし、残る1人がその演説に感化されて入ったことを考えると、強ち悪いとも言えないのだが……
「せんっぱいっ! おっはようございまーっす!」
扉を開く音と共に力の抜ける声が届く。噂をすれば影、御本人様の登場だ。後ろからは先輩方がぞろぞろと入ってくる。
「おう、お早う。相変わらず元気だな」
「榎本君もお早うっ!」
「今が昼だという突っ込みは敢えて入れないでおく」
「突っ込んでるじゃんー!」
鼻の奥がよほど細いのかと思われる声を上げながら回し蹴り。俺は動かずしてそれをかわし、彼女は机を巻き込んで派手な音を立てながら床に体当たりを食らわす。今日も賑やかだ。
「仲本さんは本持って来た?」
「ちょっとー、大丈夫?くらい言いなさいよー!」
「大丈夫?」
「へーきへーき! この通りぴんぴんしてるよっ!」
捻れた体勢のままでそんなことを言われても説得力が無いというという突っ込みは入れないでおいた。
しかして入学式は終わった。新入生歓迎会も終わった。部活動紹介も終わった。終わったのである。無事にかどうかはさておき。
再び部室に向かう俺。しかし扉に手をかけると、今度は先客が多いらしい、複数人の声が聞こえてくる。これが入部希望者だったりすると大喜びなのだが、そんなはずは無い。1年生はホームルーム中なのだ。
「痛い! やめるんだお前ら! 俺に何の恨みがあってこんなことを!」
「いくらでもあるわ! 何また勝手なことをしてくさってんだ!」
入船先輩の悲鳴と、また別の先輩の怒声が響く。
「うわあ、やめろ! 蹴るんじゃない! お前らはサディストか! 俺はマゾじゃないから需給は成り立たないぞ!」
「うるせえ。じゃあ殴る」
「殴るのも禁止! 痛いって言ってるだろ! お前らは揚げ足を取る子どもか!」
「じゃあ刺す」
「刺す!? 刺すって何!? 怖いよ!」
扉を開けると、先程の声の主、森田先輩が俺の方を向いて笑った。
「部長、一緒にコイツボコりましょうよ」
勿論冗談半分である。だが重要なのは、もう半分は本気だということだ。
紹介は順調だった。5人目の入船先輩にマイクが渡るまでは。
先輩は時間を前4人の3倍は費やし、まだ続くようだったので俺がマイクを奪って強制終了させた。図らずも笑いが取れたという点では良かったが、またもや文芸部に変なイメージが付いてしまった感は否めない。
それにしても去年の先輩方はどうして入船先輩に部活動紹介を任せてしまったのだろうか。俺も人のことは言えないが。
「なんてことだ! 最早この国に言論の自由は認められないのか! 神は死んだ!」
「ウチの親が、自由を振りかざす人間に碌な奴はいないって言ってたが、たった今それが身に染みた。大体入船テメエこの野郎、去年の失敗を繰り返す気か」
「失敗などしていない! 仲本は有望だ! 同志に出会えて俺は嬉しいぞ!」
「私も嬉しいですー! 顔はタイプじゃないですけど」
「今何か酷いこと言われた気がする!」
「仲本、ちょっと黙っててくれ。話がこんがらがる」
いつもの風景ではあるが、室内の空気が僅かに冷えたのを俺は見逃さなかった。
前に述べた通り、今の2年は非常に少ない。そしてこの社会科講義室はやけに広い。丹木高校のスペースも余裕があるわけじゃない。いくつかの部活が共用している所もある。にも拘らず文芸部がこの部屋を独占できているのは、それなりの人数がいたからであって。元3年生が卒業して部活を去り、現3年生ももうすぐ引退の身であることを鑑みれば、部室維持の為には新入生の大量確保が不可欠なのだ。
俺が部長を引き継いだ時、入船先輩は言った。「部室を移すかどうかの判断はお前に任せる」と。俺は現状維持を選んだ。引越しが面倒なのは勿論、たった1年とは言え過ごしたこの部屋を明け渡すのは寂しい気がしたのだ。しかしそれはつまり、1年をたくさん入れると宣言していることに他ならない。そうでなければ俺は今度の生徒総会で非難の矢面に立つことになるだろう。生徒諸君がそういった事情に熱心であれば、の話だが。
とは言っても、裏を返せば俺が謝って来年の部室を縮小すれば済むということでもある。だが心優しい先輩方はそれを是としないのだ。
「まあ、何人来るかは来てみないと分かりませんよ」
「とは言っても待つだけじゃあ心配だしな……そうだ、去年の文化祭で売れ残った文集、1冊ずつ1年の教室に配るとか」
「あ、それいいかも。先生に相談してみるね」
トトト、と駆けて行く先輩が1人。騒ぎが一段落する。
「……じゃあ桜井先輩が戻ったら、読書会の本の選定でもしますかね」
部長としてそう話を進める。俺の推薦図書は部活動紹介のときに挙げたものだったが、今度は時間制限も無くじっくり伝えられる。俺はその本を取り出し、パラパラとめくって、脳内で紹介文の推敲を始めた。
「生徒会に入ることにしました」
彼女は校門を出たところでそう言った。
来月の課題図書が決まり、各々が読書や雑談に興じているところに、彼女は現れた。入部希望者かと色めき立つ先輩方。だが残念、彼女の用事は俺だった。実に気まずい。
冷やかしやら嫉妬やらその他諸々の感情を背中に浴びながら――というのは俺の思い込みかもしれないが――俺は彼女と帰宅することにした。彼女の横顔を盗み見たが、案の定顔色1つ変わっていなかった。
「生徒会か。確かに百合花さんらしいっちゃあらしいね。それにしても早い決断だ」
「前々から考えていたんです。……文芸部も面白そうでしたけど」
「……アレを文芸部のいつもの姿だと思わないでくれ……」
「違うんですか?」
「……否定はできないけど」
「そうですか」
2人並んでの下校。うん、いいものだ。こうして毎日一緒に登下校できるなら、それは幸せと呼ぶ他無いだろう。生徒会のシフトがどうなっているのかは知らないが。
「……お弁当とか、作った方がいいですか?」
「は?」
「昼食です。私はどちらでも構わないんですけど」
「い、いやいや! 是非お願いします!」
「承りました。明日から作ってきます」
……なんとも事務的である。表情も変わらない。
ただ、心なしか、声が弾んでいるような気がした。思い過ごしかもしれないが。でもほら、男っていうのはそういうものなんだ。多分。
別れ際に彼女の髪に光るものを見つけたことも付け加えておく。この前一緒に水族館に行ったときに買ってあげたものだ。
羨むがいい。妬むがいい。