13.epilogue
「やあやあ、えのっち、久しぶり!」
そう言ってカズが俺の肩を叩く。久しぶりと言われるほど久しぶりでもない。
今は生徒総会の始まる10分前。俺たち元部長と現部長が体育館脇に控えていた。生徒総会が始まれば俺たちは体育館の前に座り、生徒の質問を受けることになる。
尾崎を探すと、髪を茶色に染めた1年生――ここにいるということは彼も部長なのだろう――と談笑していた。尾崎は笑っていた。そこにもう、影を感じることはなかった。
尾崎が孤立していると知ったとき、俺は尾崎を助けたいと思った。中学の頃の俺のように自分の居場所を見失っているのなら、部室である社会科講義室をせめてもの居場所にしてやりたかった。俺が塾で彼女やカズに出会うことで居場所を見つけたように。
でも、それは逃げだったのかもしれない。
尾崎は最終的には部室に頼ることなく、学校に自分の居場所を取り戻した。俺にもできたのだろうかと思う。俺も、中学校から逃げたりせずに戦っていれば、自分の居場所を勝ち取れたのではないかと。まあ、既に終わったことだ。ああだこうだ言っても仕方ない。それに、おかげで彼女に出会えたと考えれば、これでよかったのだとも思える。
そんな思考を巡らせていると、今度はこめかみを叩かれた。
「おーい、誰に見とれてるんだー? 百合花ちゃんに言いつけるぞー」
カズもまた笑っていた。いつものカズだった。
「ばーか。その程度で俺たちの関係に影響は出ねーよ。俺と彼女の絆は最強だからな」
「うわ、惚気か。むかつく。はいはいよかったねー、ラブラブだねー」
あれ以来、今度は逆に彼女を通してカズの話も聞くようになった。なんでも、俺たちが社会科講義室を手放したことによって起こる部室の大移動に乗じて、園芸部を復活させようと企んでいるらしい。そういえばこいつ、1年のときは園芸部だったっけ。部員が足りなくて生物部に吸収されたけど。それがどうして生物部の部長をやることになったのやら。
まあ確かに第2生物室あたりは空きそうだな。部員さえいるなら復活も不可能ではないか。それにしても3年生になるというのに部活を立ち上げようとは。受験勉強は大丈夫なのか。まあ、こいつのことだ、何とかやってしまうのだろう。
そして俺と彼女。あれからまだ1週間だが、変わったことが3つほどあった。1つは先に上げたカズの話を聞くようになったこと。
もう1つは冬でも昼を一緒に食べるようになったこと。実は購買の脇に自動販売機と一緒にテーブルがあり、ちょっとした休憩スペースがあった。今までは人の目が多いということで使わなかったが、もうこの際気にしないことにした。彼女と少しでも多くの時間を一緒に過ごすべきだという判断だった。彼女につらいことや悩み事があれば、少しでも俺という居場所で安らげればいい。そう思った。
そして最後の1つ。それは、彼女の感情が少しずつ分かってきたということだった。気づいてみれば実に彼女は雄弁だった。例えば嬉しいときは歩調が軽くなる。例えば緊張しているときは拳を握る。例えば慌てているときは視線が泳ぐ。彼女にそのことを伝えると、彼女は顔を赤くした。照れれば彼女も顔を赤くするのだった。それがまた、可愛かった。
俺は楽しかった。彼女もまた楽しいと言ってくれる。今の俺は、その言葉を信じることができる。
でも、ふと。俺はこの幸せな中で思うことがある。
確かに問題は解決した。何もかもうまくいった。でも、それは俺の功績なのだろうか。俺が成し遂げたからこその今なのだろうか。
そうじゃないんじゃないか。
この1年、俺は何かにつけてカズと対立した気がする。そして振り返ってみれば、いつも間違っているのは俺だった。カズは正しかった。そして俺は、カズに屈することは無かったはずだ。にもかかわらず、世界はいい方向へ進んでいる。それは何故なのか。
「お前は……何をどこまで分かっていたんだ?」
俺が尋ねると、カズは首を傾げた。
「唐突に随分と抽象的な質問をするね。何のことやら」
「俺はさ、何かお前の掌で踊っていたような気がしてならないんだ。俺が間違えた方向に進んだらお前がこっそりと直して、それで今があるような気がしてならない。今ある現実は必然だったんじゃないかって、俺はマリオネットだったんじゃないかって、そう、思うんだ」
俺が間違ってもカズが正しい方向に導いていたのなら。俺が何をしてもたどり着く未来は同じだったのなら。俺の存在意義は何だ? 俺が俺である必要はあったのか? 俺は、俺は――
「ばっかばかしい」
カズは笑ってそう言い捨てた。
「あのね、私は神様じゃないんだよ。だから、必然なんてものは操れない。確かに私は蓋然性をつなげて可能性を高めることはできるし、それが私の得意なことだという自負はある。でも、所詮は蓋然性なんだよ。必然性じゃないんだ。誰かが私に逆らおうという意志が少しでもあれば、簡単に崩れてしまうものなんだよ。だから、私がえのっちを操っていたなんて考えは馬鹿げてるよ、被害妄想だね。それに、それにね、もし仮に尾崎君が救われたのが必然だったとしても、百合花ちゃんが救われたのが必然だったとしても、それを仕向けたのが私だったとしても――」
俺を見据えて、にっと笑う。
「それは私の功罪にはならないよ。だって、直接手を下していないんだもの。実際に尾崎君を救ったのは風見だし、百合花ちゃんを救ったのはえのっちなんだよ」
「随分と無責任な発言だな」
「ま、そうとも取れるね」
否定しないのかよ。
でも、そうだよな。
俺が俺である意味が無いのなら。俺が俺である必要が無いのなら。
俺は俺でなくなってしまうだろうから。
体育館の扉が開いた。ぞろぞろと俺たちが体育館に入っていく。用意された席に座る。見れば、ほとんどの生徒は既に並んでいる。一部の視線が俺たちに注がれる。まあ、ほかの奴らは……お喋りに興じている。そんなもんだ。
俺は隣にいる尾崎に小声で話しかけた。
「緊張してるか?」
「……はい」
「ま、気楽にいこう。俺がついてる」
「はい。お願いします」
了解。お願いされました。俺の最後の仕事だ。しまっていこう。まあ、どうせ大した質問は来ないだろうけどな。
彼女がマイクの前に立つ。だんだんと会場が静かになっていく。
「それではこれより、平成20年度丹木高校第2回生徒総会を行います――」
俺は、背筋を正した。