1.March
※この小説はデジタルノベル「ヒツゼンセイ」の元となった文章です。かなりの加筆修正を行っていますので、可能であればデジタルノベル版をプレイすることをお薦めします。
「合格、おめでとう」
「……ありがとうございます」
俺の祝辞に対し、彼女は些かの表情の変化も見せず、そう静かに呟くだけだった。
「よく頑張ったな」
「先輩のお陰です」
「俺は何もしてないさ」
「いえ、先輩が勉強を教えてくれたから、合格したんです」
そう言われると照れると同時にどこか後ろめたい。下心が無かったかと言われれば、答えは否だ。まあ、お世辞半分に聞いておこう。事実、彼女がここ丹木高校に合格したのは、彼女自身の努力の賜物なのだから。
辺りを見渡せば、いや見渡すまでもなく、俺たちと同じ年代の人、人、人。ほんの2分前はこの玄関脇で固唾を呑んで掲示板の運ばれてくるのを見守っていた受験者一同だが、今は十人十色の反応を見せている。大声で騒ぎ立てるもの、胴上げをするもの、うずくまり泣き出すもの、電話で誰かに報告しているもの、静かにその場を後にするもの……不幸にも落ちてしまった人にはこの先めげずに頑張ってもらいたい。
でもまあ、そんなことはぶっちゃけて言えば俺には関係の無いことで。ただ1つ、彼女の合否を見るということだけが、ここにいる理由である。
さて、合格を確認した今、もうここに用は無い。だが、このまま帰るわけにはいかない。俺はかねてから考えていたことを実行に移さねばならない。しかしここでは周りの目が多いし、この場に留まるのも邪魔だろう。俺は提案する。
「近くにケーキの美味しい店があるんだが、行かないか? お祝いに奢るよ」
彼女はコクリと頷いた。続いて口を開く。
「その前に、入学手続きしないといけませんけどね」
そうだった。失念していた。
「あと、親と先生たちに合格を伝えておきます」
殊勝だ。去年の俺はそんなことやんなかったぞ。
昼飯を食べたばかりで大して減っていない腹に温かい紅茶を流し入れる。ガラスの向こうは、雪は溶けたとは言えまだ寒い。薄い手袋とマフラー装備だ。
視線を戻すと、彼女はショートケーキの最初の一切れを口に運んでいるところだった。
「……何ですか?」
もぐもぐと動く顎を眺める俺に対し、彼女は問う。
「いや、別に……美味しいのかなって思って」
「美味しいって言ったの、先輩じゃないですか」
「そんなのは俺の主観だからさ。他の人がどうかは分からないだろう?」
「そういうことなら、美味しいです、とっても」
「そりゃよかった」
それならもう少し美味しそうな顔をしてもらいたいものだが。
まあ、でも、だからこそ。
俺は彼女に惹かれたのだが。
「よく来るんですか? ここ」
「そうちょくちょくってわけでもないけどな。たまに」
脇の紙袋を漁る彼女。先程貰った書類やら勧誘チラシやらである。
「18日にオリエンテーション……」
「ああ、その日に教科書とか買って宿題出されるから」
「宿題、ですか」
「春休みの宿題。舐めてかからない方がいいぞ? 中学とは比べ物にならないボリュームだからな」
「肝に銘じます」
「……まともに受け取ってないだろ」
「そんなことないです」
素っ気無い。相変わらず。何かこう、テンションが上がったりするようなことが、この子には無いのだろうか。
「楽しみか? 高校生活」
「そうですね。楽しみでもあるし、不安でもあります」
「ま、大丈夫さ。何かあったら俺に聞けばいい」
「分かりました。これからよろしくお願いします」
そう言って深々と頭を下げる。
「……これで、先輩が本当に『先輩』になるんですね」
「そういうことだな。ようこそ、丹木高校へ」
俺の笑みは大分ぎこちないものになっていたかもしれない。心の中でもう1人の俺がけしかける。早く切り出せと。
心拍数が上がっていく。俺は1つ深呼吸をして、両の拳に力を込めた。
俺と彼女が出会ったのは、1年半ほど前、とある塾の夏期講習の時だった。何故中学が異なりしかも学年1つ下の彼女と俺に接点があったのか。何のことは無い、俺の数学と英語の出来が悪かったというだけの話である。2年の授業を受け直さなければならないほどに。まあ、他の科目は平均以上にできたから、運よくも今は県内随一の進学校に在籍しているが。
ある日の朝、訪れた教室はがらんとしていた。前の方に女子が1人ポツリと座っているだけ。はて教室を間違えたかなと思った。ファイルを取り出して確認するが、場所は合っている。時計を見ると授業開始30分前だった。確かに早いがもう少し人がいてもよさそうなものではないか。そう思った俺は、そこに座っていた女子に尋ねることにした。それが彼女だった。
声をかけてはっとした。すらりとした体躯。ピンと伸びた背筋。肩にかかるくらいの艶のある黒髪。白く透き通った肌。シャープな輪郭。凛とした表情。力を帯びた両目。知的な印象を受けると共に、格好良いと思った。女性に対しても格好良いという言葉を使うのかと、当時の俺はしきりに感心したものである。俺の問いに答えるのもまた、落ち着きの中に静かな響きのある、綺麗な声だった。
後で分かったことだが、その日の前日の深夜にオリンピックだか何だかの中継放送があり、多くの生徒はそれを見ていたために教室に来るのが遅れたという。そうでなくても夏期講習の1限が始まる30分も前に来る奴なんてのは珍しい。そんなわけで偶然2人きりとなった俺と彼女は知り合うことになった。俺は彼女の隣に座るようになった。時々声をかけるようにもなった。彼女は今と変わらず表情1つ変えなかったが、嫌がっている素振りもなかったので俺は話しかけ続けた。
その半年後、俺は何とか第1志望の丹木高校に合格することができた。それでも俺はその塾に通うことをやめなかった。塾に入るまではそれほど成績が芳しくなかった俺は、広告塔として重宝された。こんなに成績が悪かったのに塾のお陰で県内トップの高校に進学できました! そんなコピーと共にチラシに載せられたりもした。アルバイトとして俺と同じ高校を志望する後輩の相談に乗ったり、質問に答えたりした。個別に勉強を指導することもあった。その中に、彼女がいた。
そして今、彼女は俺と同じく、県内随一の進学校にして私立校、丹木高校に入学を果たしたのである。年が明けてもそれほど勉強している素振りがなかったので心配だったが、何のことは無い、彼女はできる子だったというだけの話である。むしろ俺が受かったことが不思議だ。以前にどこかで、女性は男より頭の切り替えができるという話を聞いた。受験生同士で付き合って、男が落ちて女が受かるなんてことは間々あるらしい。男って駄目な生物だな。とは言え、俺が今丹木高校生であるのはここを受験したからで、その理由に彼女にいいところを見せたかったというのが無いわけでもなかった。男の見栄というのもそう捨てたもんじゃない。
「……どうしたんですか?」
彼女の言葉で現実に引き戻された。いかん、現実逃避をしていた。まるで衝撃的な記憶を脳が精神の均衡を保つために消去するかのように、これから行おうとする考えを消し去っていた。だってほら、嫌じゃないか。勇気がいるじゃないか。緊張するじゃないか。
辺りを確認する。客は結構いるが、そのほうがかえって声が目立たなくていい。そして彼らは、それぞれのおしゃべりに夢中のようだ。俺が何か言ったところで、気にすることもないだろう。よほど大きなとか、上ずった声でない限り。
いや、まあ、そうなる可能性もあるのだが。今の俺は大分落ち着きを失っている。
平静を取り戻せ。もう一度深呼吸をしろ。
椅子に深く腰掛け直す。彼女を見据える。腹に力を込める。
そう。
俺は、今、ここで、彼女に告白する。
決めていたのだ。前からずっと。
俺が合格したときに、告白しようと思った。でも、今年は彼女が大事な時期だからとか何とか理由をつけて逃げていた。今回はもうその手は食わない。今言うべきなんだ。今言わなくちゃいけないんだ。そうじゃないと、この先ずっと無理だろう。俺は一生後悔する。
「百合花さん」
「はい」
言え。言うんだ俺。勇気を出せ!
「……俺は、百合花さんが好きだ」
「はい」
「だから……付き合ってくれ!」
「はい」
……
……
……
……ん?
あれ?
何か……おかしくないか?
いや確かに。確かにね。自信はあったよ。俺は我ながら好青年であると思っているし、見た目も並以上ではあるという自負もあった。何より学年も学校も違うのに彼女と1年以上接している。それは彼女が俺を受け入れてくれているからだと考えてはいた。
でもさ、こういうのってさ、漫画とか小説とかだと、女の子は顔を真っ赤にして、俯いて、もじもじして、しばしの沈黙の後、絞り出すような声で「……はい!」なんて言って、「……嬉しい」とか言いながら顔を上げて、そこには微かに涙が光ってたりして、男は天にも昇る心地になって、お互いに抱き合って、恋が成就した喜びを噛みしめ合う、そんなんじゃないのか?
なんか、すごい事務的だったんですけど。
彼女の様子を窺う。いつもと変わらない。頬が若干上気して……ないか? 嫌な顔もせず、泣きもせず、笑いもしない。
「よろしくお願いします」
彼女はそう言って頭を下げた。
あれれー?
「そんなんでいいのかよ!」と俺は心の中で突っ込んだ。
多少の自信と不安と覚悟を以って臨んだ俺の告白は、こうして無事に受け入れられた。
……そうだよな?
その後、ショッピングモールを歩き、彼女にお薦めの本を紹介し、暗くなったので家に帰った。ベッドにゴロリと横たわる。
確かに拍子抜けのする告白ではあった。でも、それでも、付き合うことになったのだ。彼女は、正真正銘、俺の「彼女」になったのだ。漸く、ジワジワと喜びが込み上げてくる。
途端に携帯が鳴った。
カズからのメールだった。背景は7色で派手にデコレーションしてある。
「カップル誕生おめでとう! これで日がな一日イチャイチャ(ハートマーク)できるね! よっ、憎いねッ!」
文末にはショートケーキの絵文字。
「……」
携帯の画面に、思いっきり顔をしかめる俺が映っていた。
気持ち悪い。何かすごく気持ち悪いぞ。何でカズが知っているんだ? あの時店内にカズはいなかったはずだ。彼女がカズに教えたというのも無いだろう。彼女とカズが連絡を取り合うほどの仲だという認識は俺の中には無い。だったらどうやってカズは俺が彼女に告白したことを知っている? ストーカーか? ストーカーなのか? あいつはストーカーだったのか? これは通報するべきか?
……などと下らない思考をしながら天井をぼんやりと眺めた。2分ほどで飽きた。
まあ、偶然外出先でデートしている俺たちを目撃したんだろう。そういうことにしておこう。
悪友を警察に引き渡すつもりも無いしな。
そもそも、面倒臭いし。
カズもまた、塾で出会った人間だった。中学は違ったが、俺と一緒に丹木高校に入学した。
コイツもまた、相当な変人だった。「悪友」という言葉はコイツのためにあるんじゃないかと思ってしまうような人間だ。なんとも人の心を読むのが上手いヤツで、俺が彼女に気があることもすぐに看破されたし、他にも……いや、思い出すのはやめておこう。せっかくの上機嫌に水を差すべきではない。さっきのメールも忘れよう。
今のテンションでテスト勉強を片付けるべきだと判断した俺は、机に向かった。学年末テストが近い。苦手な英語を広げる。仮定法過去完了……強調構文……関係副詞……面倒臭いな、面倒臭い。気楽にやれる国語を先に片付けた方がいいかもしれないな。鞄を漁る。教科書とノートを取り出す。ざっと眺める。
テストが終わったら春休みだ。だがそれほど嬉しくもない。春休みは1週間ほどしかない。短すぎる。それに対して宿題は山のように出る。彼女に言った言葉は決して脅しではない。労働基準法違反ではないかと思う。生徒も教師も。
そして春休みが終わったら新入生のご登場だ。期待と不安を抱えているのは何も彼らだけではない。クラス替えがあるし、各種委員も新しく選ぶし、担任も時間割も変わるし。彼らほどではなくとも、俺たちの生活もガラリと変わる。寝ぼけて旧教室に向かわないよう気をつけなくては。部活紹介の内容もまだ決めてないし……気が滅入るな。
そう、部活だ。テストより宿題より、俺にはこれが一番重くのしかかっている。
如何に文芸部の存在を新1年生らにアピールするか。去年の部長のように、奇抜なパフォーマンスで観客の目を引くか。それとも無難に活動内容を紹介して終わるか。
普通に部員を集めたいのなら、後者にすべきだと思う。変なことをすると色物が集まる気がする。それに、俺はアグレッシブなのは苦手だ。というより、できない。かと言って適当に済ますわけにもいかない。3年生が消えて文芸部は今閑古鳥が鳴いている状態だ。広い教室に少ない部員。この不均衡状態を是正するためにも、新入部員は集めなくてはならない。部室を変えるのは面倒だからな。
明日辺り、話し合いの場を設けてみるべきか。そう思い立ち、明日の6限のノートにメモする。
そういえば今日の合格発表の場でチラシを配っている部活がいくつかあったが、不合格者の心境を考えて、また寒い中動かねばならない部員の負担を考えて、文芸部はやらないことにした。俺と彼女が2人でいる姿を部員に見られたくなかったというのもあるが。権力濫用だな。
とにかく、新入部員の確保だ。テストとか別にどうでもいい。彼女が入ってきてくれたら……とか考えるのは、俺が男だからなのだろうか。彼女は露ほどもそんなこと思っていないかもしれない。
……そうか。そういえば部活紹介を彼女も見ることになるのか。ああ、絶対無理だ。無難に行こう。部長権限発動。はい決定。異論は認めない。
めでたく方針が決まったので、ゲームをすることにする。テスト勉強? そんなもんあったか?
夕飯のお呼びがかかったので、セーブをして電源を切る。
リビングに着くと、俺の席に俺宛ての手紙が置いてあった。塾の勧誘だ。俺が依然居た所とは別の。
年度の変わり目は不安になるものだ。加えて新しいことを始めようという気になる。それにつけこむ――などと言うと語弊があるが――この類のダイレクトメールが、この時期には後を絶たない。封を切ると、有名大学へ入った人数が大きく印刷されている紙が目に入った。このうちの何パーセントがここに行ったおかげで合格したのか、聞いてみたいものだ。別にこういうものを否定するわけじゃないが。俺が彼女に出合えたのはそういうわけだし、俺が丹木高校に受かったのも御陰様だしな。
と、そこで、俺は先程の疑問に対するそれらしい答えをふと思いついた。
何故カズは俺が彼女に告白したことを知りえたのか。
カズは俺が彼女を好きだということは知っていた。なら、合格を機に告白するだろうということは予測がついたかもしれない。そして、彼女も俺のことを悪く思っていないということを知っていたのなら、俺たちが今日付き合い始めるということも推論可能なのではないか。
これには1つの穴がある。彼女の合否をどうやって知ることができたのかという点だ。彼女が仮に不合格だったら、その気まずい雰囲気の中で俺は告白できただろうか。自信が無い。それはカズも分かっているはずだ。だったら、カズは彼女が合格したという確信を得る必要がある。しかし、これも方法はある。
彼女は合格を「先生」に報告すると言っていた。その「先生」には恐らく塾の先生も含まれるだろう。向こうは仕事柄、有名校の合格実績を得たがる。そしてそれを公表したがる。カズは1年前までその塾にいたわけだから、顔見知りの先生も多いはずだ。彼女が合格したかどうか、訊けば教えてもらえるだろう。彼女と俺とカズのつながりを知っていれば尚更。
ついでに、俺たちが食べたショートケーキの絵文字が使われていたのも偶然だろう。ケーキの絵文字は祝うときに使うものだと思う。そしてショートケーキ以外のケーキの絵文字を俺は見たことが無い。俺たちが食べたのがショートケーキだろうが苺タルトだろうがトロピカルパフェだろうが栗きんとんだろうが、メールの内容は変わらなかっただろう。
そんなもんだ。多分な。