02.渓谷廃墟の罠
〔獣の森〕の、丁度埋伏の魔女が潜伏していたと思われる一帯に辿り着くと。
〔渓谷地帯〕と呼ばれる一帯を抜けて〔秘密の森〕へと向かう、巨大な何かが地面を引き摺った跡がある。
途中で飛び跳ねる様に空を飛んだらしく、何より高低差があるので別に秘密の森が視界に入る訳では無いが。
逆方向に進むと〔砂漠地帯〕と呼ばれる自習用魔獣幻獣の放牧エリアがある。
というより、秘密の森も含めて〔学園街〕や〔農園区画〕、校舎周り中庭以外は殆ど実習区画で在り、危険生物の放牧エリアだったりする。
安全なのは〔校舎〕や〔寮〕周りの中庭周辺だけで在り、特に危険生物達が暮らし易くなる様に建てられた構造物がダンジョンだ。
獣の森と秘密の森の違いは対極の方位にある以外に、ダンジョンの有無という点で明確な違いがある。言ってしまえば獣の森は、単なる普通の森だ。
学園内に複数のダンジョンを立てた結果余った、空白地帯に取り残された森。
秘密の森にあるような神秘的な空気感も無く、苔生した地面や濃厚な緑も薄く、どちらかと言えば枯れ葉や黒土による歩き辛さの方が印象に残るかも知れない。
そんな普通でしかない獣の森を抜けて、渓谷地帯に入ると突風が吹き抜ける危険地帯になる。
単純な風だけではなく、精霊の一種である鎌鼬などが出現し、死角となる位置から魔獣が襲ってくる事もある。
獣の森と違い、渓谷地帯は立派なダンジョン用区画だ。
そして隣の砂漠地帯に深入りし過ぎない境界線の内側辺りに、目的地となる廃墟風ダンジョンがある。
「名前は〔廃墟風儀式御殿〕だったかしら?」
グラトニーはネーミングセンスを投げ捨てた名前に顔を顰める。
教師達の話によると授業で訪れるダンジョンは学園内の二割程度で、教材に使う最低限の呪具原料が確保出来るダンジョン以外は使わないという。
「そう!この辺りには『召喚獣』に出来る湿地型幻獣が沢山居るんだよ!」
テンション高いのはピオーネで、召喚していた『アクスバード』から降りて拳を突き上げる。
彼女が背中に担いだ背負子は椅子状になっており、例の彼女に従うケットシー、ウォルターが座っていた。
召喚駒に関しては詳しくないので、彼女の協力は不可欠だ。
何よりウォルターは既に百歳を超え、位置だけならば学園中のダンジョンを把握しているというのだ。
最後の一人であるアヴァロンは最近学園街で買った《魔法の絨毯》がお気に入りで、今日も此処まで森の中でも気にせず乗り回していた。
「それで、あなたの目当てはスキュラかソードリザードかヒドラだったかしら?」
他にも候補が無い訳では無いが、ピオーネが求めているのは護衛だ。一定以上の戦力が必要だし、何より幻獣以外は《召喚駒》に出来ない。
魔獣使いは封印対象を失えば終わりな分、護衛向きじゃ無いのだ。
「う、うん。そこまで上位種じゃなくても良いけど。
グラトニーは新しい呪装の試し切りだっけ?」
「ええ、と言っても『召喚駒』は幾つか用意しているから、何か良さ気なのが居たら狙っていく心算よ。」
ピオーネとしてはレイリースと来たかったのだが、普通の魔法使いは発動具と同時進行で『召喚駒』や『封印駒』を作る余力は無い。
魔獣学が得意な学生は呪文学や魔道具学が得意な学生と行動を共にしないのは、この辺の事情が噛み合わないからだ。
例外はグラトニーの様な溢れ過ぎる魔力量を誇っている者だけだ。
今回の『召喚駒』はダンジョン情報を提供するという条件で同行しているため、ピオーネに最初の選択権を譲っている。
(まあ何れ血の従者に勧誘する事を思えば、彼女の戦力増強は重要よね。)
折角の召喚士のサラブレットだ、逃す気は無い。
「でもまあ、前みたいに無制限に来られても困るわね。」
少しだけ『傲慢』の呪詛を漂わせながら先頭を進む。
以前であれば『無手』の呪文を唱えた所だが、一般的には今回の様な状況で《使い魔》を飛ばすものらしい。
少しだけ《梟の使い魔》を先行させながらダンジョンの中に入っていく。
ダンジョン〔廃墟風儀式御殿〕には明確な境界も、まして秘密の森にあった様な封印も存在していない。というより、封印付きのダンジョンの方が珍しい。
殆どのダンジョンは何かしらの建物や地形周辺という、とても曖昧な存在だ。
遠目から見た外観を端的に表現すると、湿地帯に沈んだストーンヘンジ、又は苔生して倒壊した城塞跡。あるいはその両方か。
しかし中に入ると、外観からの目測と広さがまるで一致しない。
「ここは領域型ダンジョンと言いまして、ダンジョン化した一帯の空間が捻じれて複数層に分かれております。
ですがダンジョンとは、マナ溜りから溢れる魔物を拡散させるための、所謂陣地や迷路の様な場所。
外から見て面積が違うだけで、中に入ってしまえば見た目通りの空間です。」
今迄は消耗を控えて背中に担いでいたが、此処からは安全性を優先だ。
背後を警戒する幸運の置物から先頭で罠を警戒して進む探索者と化した執事服の黒猫、ウォルターの解説に耳を傾けながら。硬い石畳を選んで歩いていく。
歩き易いからと言って苔の上を歩いていると、池の上と区別が付かずに水没した一帯に踏み込んでしまう恐れがある。水中は呪文を唱えるのも一苦労だ。
「塔の階段や洞窟から下れる筈ですが、下層に降りたからと言っても当たり前に日光が差し込んでおり、陥没した洞窟の様な光景が広がっています。
歪んでいるのは地上と地下洞一階分程度。同じ場所が半ば混じり合う形で複数階に増やされているのです。」
ウォルターによる実地で見ながらの解説は実際の光景を見ている分、言葉だけの授業と比べ随分と分かり易い。
「へー、階層が違っても景色に似通った部分があるのはそういう事なんだ。」
下に降る洞窟から出た所でピオーネが、地上階を思い出しながら感心している。
地上側に大物こそ現れなかったが、発動具素材となるルサルカが複数組、更に『使役駒』として使えるスキュラも数体遭遇したので幸先は良い。
尤も出現率の高い魔物達だけなので、運が良いとは言い難いか。
ルサルカは溺死した子供達の亡霊が精霊化したもので、水辺に近付いた生者を引き摺り込む性質がある。とは言え別に成仏し損ねた子供では無く、子供達の影という解釈の方が正しいらしい。
ルサルカ自体は環境によって分裂して増えるからだ。
逆にスキュラは普通に卵で繁殖する下半身が蛇尾の女の怪物で、尾の数はまちまちだが首が伸縮自在で、牙に毒がある点に要注意だ。
尾の数が多い方が強いらしいので、それぞれ一番強い物を《召喚駒》に封じた。
残りは素材として《封印石》行きだ。
「変わった大蛇や大蜥蜴は居るのに、目新しい奴は居ないわねぇ……。」
「多頭蛇は立派な発動具素材だよ~?
頭の数が多くて長生きして巨大化した奴程強くなる奴~。」
学園でも養殖しているよ~、とアヴァロンが補足する。アレ只の素材未満じゃなかったのかと思いながら、一応見つけた四頭の奴を封印石に入れておく。
一見すると枯れた地底湖に日が差して見える幻想的な一帯に、古びた苔塗れの石塔はとても廃墟感が強い。
今度は此処に階段があるのかと壁に手を付いて確かめようとすると、突然網の様にエーテルの波が広がりアヴァロン達との間に薄い境界を作る。
「?!」
即座に【盾兵】二体を出して周囲を警戒するが、突如二人との距離が動いてもいないのに広がり、景色ごと流れる様に離されていく。
同時に周囲の光景が揺らぎ変化し、檻の様に中心の魔法陣から放たれる無数の呪文帯によって足元がぬかるみ沼地へと変わっていく。
辺りには霧が漂い黒い木々が生い茂り蔦が垂れ、雨雲が空を隠し日差しが陰る。
ここは今、紛れもないグラトニー只一人を捕らえる為の異界だった。
(さて。何とか《梟》の方は外に残せたようね。
このまま隠して、距離を取ったまま二人の監視を続けましょうか。)
「『嫉妬の緑目よ、祖は我が眼、息吹御魂一つ見逃すな』。」
外の二人はグラトニーが消えた事には直ぐ気づいたが、どんな手段で取り込んだかまでは分かっていない様だ。
折角なので外部からの様子を伺いながら、先ずは敵の位置を突き止めようかと『生命探知』の魔法を使う。
が。周囲には生命体の反応こそ無いが、有象無象の魔力塊の痕跡が、辺り一面に所狭しとこちらを伺っていた。
それは蛇だ。大蛇、沼地蛇、毒蛇に眼鏡蛇。
凡そ数百を超す数多の蛇がグラトニーを囲んで物陰から睨む。
「あらあら。これは初めての歓迎ね。
偽物では無いにせよ作り物の蛇なのは間違いなさそうだけど。」
◇◆◇◆◇◆◇◆
菱形の台座の中央に座る教師ギャザリスは、水晶越しに獲物の様子を伺っていた。
「ふ、ふ、ふ。強がりおって。
我が《蛇沼の檻》に捕らわれた以上、貴様の死は確実だ。」
ギャザリスは皺だらけの手で《蛇の魔導書》に魔力を注ぎ、結界内に溢れる大量の蛇達に号令を下す。
この結界の中では呪符で生み出した全ての蛇の命が、核となる一つの呪具で共有されている。
一つ一つの蛇が不死身になる訳では無いが、普通の生き物は手足を切り落とされただけでは死んだりしない。
ましてそれが、痛覚も無く出血多量も起こらない呪符の蛇なら猶更だ。
詰まりこの結界は、発動前に膨大な魔力を蓄えておく必要がある代わりに。
一度発動させれば結界内に用意した蛇の群れを、僅かな魔力損失だけで繰り返し再利用出来るのだ。
しかも最初に起動した段階で、既にある蛇を増やすための呪文は要らない。
千の呪符で蛇を作れば、千の蛇を一度に即死させない限り、何度でも復活する、極めてローコストな代物だ。
「魔法使いを殺すのに派手な一撃は要らぬ。ただ確実に詰めを誤らねば良い。
無能人として生まれた事、それが貴様の罪だと知れ。」
飛び掛かる蛇を『嫉妬』の呪詛で同士討ちさせる。
如何に魔法の蛇とて、己に危害を加えるためのものであれば関係無い。
(けれどこれは、見た目よりもずっと面倒な代物の様ね。)
大蛇などの大型蛇は《妖刀》や《飛杭》で近付く前に仕留めながら。
グラトニーは今迄倒した全ての蛇が、自分より少し離れた所で復活する様子を目視と呪文の両方で知覚していた。
沼に沈み始めた体を、近くの枝に捕まって脱出する。
しかし半ば腐った枝の中で、人の体重を支えられる木は多くない。
皆無では無いのは、太い枝程中心の、恐らく術者と思われる生命反応から遠ざかる仕様なのだろう。
加えてこの木々。敵が沼から這い上がり易い点を考慮しても尚、術者にとっては数多くの利点がある。
一つは蛇達が潜み、近付く死角。
もう一つは底無し沼と気付いた多くの者が取るだろう、箒による飛翔。
蛇の回避と並行しての飛行は、多過ぎる木々が邪魔になり極めて困難だ。
(けれどまあ、此処まで私に都合が良いと、笑いが止まらなくなりそうね。)
ピオーネには呪具と言った新作。それは今腰に巻いている、ベルト代わりにした帯状の発動具だ。
腰に巻かれた三色の帯は、背中から迫り来る蛇を結び目の先端を伸ばして捕らえ、首を捻り千切って投げ捨てる。序でにもう一体を殴り潰す。
(盾代わりに使える事だし呪具って事にしておけば、敢えて隠さずとも自然な形で持ち歩ける。切り札は少しでも多く隠し持たないとね。)
昨年に潜った秘密の森のダンジョン。今では唯一では無かったと知っている、例の七不思議の巨木の最深部に居た守護魔獣ジャバウォック。
竜と蜥蜴の成り損ないに化けた、戦場跡の呪いを体現する怪物。
巨大過ぎる素材と強大な魔力を宿した《封印石》は、自分色に染め上げるのも加工し易い大きさにするのも、どちらも著しく手間がかかる。
実際グラトニーも後で手に入れた化け猫を優先してしまった程の難物だったが、先日の決闘祭で手に入った先駆者寮長の投網呪装《伸縮網》。
これはとても役に立った。
他人の呪装など本来研究用で、自分用に加工し直すのは極めて手間だ。
だがグラトニーには他人の魔力を奪う『暴食』に加えて、奪った力を己が才覚に変える『強欲』がある。
更に他人に合わせて魂の器を加工する『色欲』もここに加わる。
グラトニーは他人の魔力を自分色に染め上げる事に懸けては、右に出る者がいない程の適性を有していた。
ジャバウォックの心臓に《伸縮網》を同化させる事で、帯は伸縮能力を獲得した発動具【三彩腰帯】として完成するに至った。
細かい事を言えば帯は未だ、十二畳ほどの大きさを常時縮小して使っているので万全とは言い難い。が、これは一月と掛からない。
大事なのは呪装を装える発動具という点だ。
(しかもお誂え向きに外部からは一切観測出来ず、直ぐに周囲から発見される恐れも無い結界内。呪文の試し打ちに丁度良い、手頃な的付き。
本当に、最高のタイミングじゃない。)
呪文を使うには発動具を手に持つ必要は無い。
発動具は肌身に触れた者を術者と見做す。後は呪文を唱えて接触面からエーテルを流すだけで、魔法は発動する。
「さあ、私の足りなかったものを補う新たな力、存分に発揮なさい!
先ずは第一呪文、『異形蜥蜴よ、包め肋の鎧、担げ背骨に鱗翼を』!」
帯から幻の様に翼を持った肋骨が現れ、グラトニーの目の前で人が乗れる大きさにまで膨らんでいく。
翼には鱗で覆われて、背骨は尾骨まで続き細い尻尾の先まで伸びているが、頸椎から頭蓋骨に掛けては一切存在せず、足に相当する部分も無い。
これは『骨駕籠』と呼ばれる浮遊型の乗り物魔法なのだ。肋は動き、大きさも呪文であるが故に多少の自由が利く。
翼を広げて中に踏み入れば、肋骨の中央には足場としても丁度良い、鳥類特有の特徴である竜骨突起がある。
背中、肩甲骨は人に近いのに、鎖骨部分は烏口骨になっている所を見ると。
鳥にも恐竜にも、まして人骨にもなり切れていないらしい。
だが持ち手には烏口骨の方が丁度良いかと手触りを確かめれば、骨とは思えぬ硬質の手応えが返って来る。
グラトニーが感触を確認する間も蛇は骨駕籠の中に侵入し、或いは駕籠自体を拘束しようと蔦を伸ばして駕籠を縛るが。
骨に触れただけで容易く腐敗し、朽ちて力無く地面に落ちる。
肋は振動し、時に膨らみ蛇の侵入を阻む。
「守りと移動。魔力は他の魔法より少し重いけど、たった一つで兼ね備えるなんてとても便利ね。ならもう一つの呪文はどうかしら。
『異形蜥蜴よ、啄め喰らえ、変幻自在の鰐頭牙口よ』!」
守りがあっても内部からの『生命感知』を遮らない骨駕籠を満足しながら羽ばたかせて呪文を唱えると。『駕籠』の胸椎部分から瘴気と共に、眼窩が広く空いた鰐の頭蓋が周囲の木々に襲い掛かる。
人を丸呑みに出来そうな大口は木々に次々と突き刺さりながら瘴気の塊へと押し込み、腐食させて砕き続ける。
呑み込む木々は一つや二つでは無い。幾度となく旋回し、広がり続けても瘴気の奔流は止まらず骨駕籠の周りを流れ続ける。
上昇し前へ進む『骨駕籠』の周囲を、旋回する『瘴気首』が破壊し続ける。
「あっはっはっはっはっ!そうよ、これよ!
手数に対する対抗手段!私の魔力量を最大限に活かす制圧力!
これこそが私の求めていたものよ!!」
長く出し続けた事で術が切れる。再度唱え直した時には感覚も掴み始めて、口の大きさを更に大きく膨らませて、駕籠よりも大きな瘴気の首を進行方向に飛ばす。
浴びたもの全てを腐敗し劣化させる瘴気の霧も、同じ発動具から生じた『骨駕籠』に害をもたらす事は無い。
遮る蛇、木々、蔦。全てを打ち破りながら、標的の居る結界の中心へと迫る。
「ば、馬鹿な!こんな大魔法を、たかが無能人如きに使える筈がない!」
石柱に囲まれた中央に陣取っていた教師ギャザリスを視界に捉え、浮足立って椅子から立ち上がる様子が間近に迫る。
『瘴気首』の牙が石柱諸共、ギャザリスを呑み込んだ。
「は、『生えろ石壁、堅く防げ』!」
眉毛と髭に隠れた顔でも分かる驚愕の表情を浮かべて、慌てて放り投げた瓢箪が牙に『石壁』が砕かれるより先に、破裂して頭蓋骨を内側から砕く。
余波こそ浴びたものの、石柱の半数を失いながらも九死に一生を得たギャザリスを前に。グラトニーは『骨駕籠』の中から喜色を浮かべて語り掛ける。
「あらあら何処の誰かと思えば、確か無能人排斥を公言していた天文の新任教師殿じゃない。
いつから学園教師は学生を闇討ちする権利を得たのかしら?」
『傲慢』の射程に囚われたギャザリスの《破魔》の指輪が容易く砕け、溢れる程に濃厚な呪詛をまともに浴び。ひっと小さく悲鳴を漏らして【六頭蛇の杖】を震えが収まらぬ手で構える。
(多分あの杖は多頭蛇の発動具よね。杖の先に固定された水晶玉か、脇に抱えている魔導書で蛇を操っているのかしら。)
多頭蛇の呪文は特にメジャーなため全て把握している。自身を蛇に近付ける魔術で在って、蛇そのものを操る術などでは無かった筈だ。
成程、これが魔法使いに至った者の魔法かと感心しながら、グラトニーはどう殺そうかと警戒と観察を捨てずに思案する。
現状で慢心する理由は無いのだ。何せ今現在で全ての手の内を出し切ったという保証は何もない。着実に次の手を打つとしよう。
「お、おのれ害虫風情が!
貴様の如き痴れ者が人の皮を被っている事すら汚らわしいのだ!
大人しく我が手によって誅殺されよ!」
「『抉れ』。」
ギャザリスが呪文に集中するより早く、背中を切り裂かれて悲鳴を上げる。
何が起きたのかと後ろを振り向けば、そこには宙を漂う二組の【卍兵】がある。
慌てて辺りを見回すギャザリスは更に一つ、計三つの【卍兵】を見つけて歯軋りしたが実際はもう二つが、森の影から周囲を監視している。
「どうしたのよ?何か怖い物でも見た?それとも命乞いでもしたくなった?」
(【卍兵】の顔は視覚共有のためのもの、何てちゃんと気付いているのやら。)
いつの間にと聞かれれば、『瘴気首』が砕かれている間に『骨駕籠』の隙間からとしか答えようがない。実際止めを刺すだけならもう簡単なのだ。
「ふ、ふざけるな!貴様こそ学園教師に手出しして無事に済むと思うな!
『数多の首よ、御霊を束ねて、絡めて喰らえ』!」
ギャザリスの手が伸びて瞬く間に六頭の大蛇に変化すると、一直線に『骨駕籠』へと伸びて肋周りを縛り上げる。
駕籠に接触した部分から焦げる様な音と腐臭が拡がるが、即座に崩れ落ちるという事は無く、絶え間無く魔力を注ぎ続ける事で強引に地面へ引き摺り下ろそうとしているらしいと気付き、思わず失笑する。
「あら。それは何の真似かしら?」
いざとなれば脱出出来る位置を維持したまま、様子見で【卍兵】を起動させる。
「『抉れ』。」
「『数多の首よ、蛇鱗の皮肌、包んで被れ』!」
ギャザリスを包んだ蛇の抜け殻が一撃を防ぐが、卍兵の呪文はあくまで刃を回転させるものだ。刃をぶつけて終わりにはならない。
徐々に抜け殻にヒビを入れるが、直後強引に『骨駕籠』を引き摺り倒した瞬間、ギャザリスは抜け殻の咥内から飛び出して近くの木を回り蛇を固定する。
「襲え「『抉れ』。」!」
掛け声と同時に何十匹もの蛇が全ての【卍兵】に襲い掛かるが、一斉に回転した卍兵を拘束するには至らない。
舌打ちしながら木々の影に逃げ込んだギャザリスに、グラトニーは駕籠の中から容赦なく追撃する。
「『刻め描爪』!『火花よ』!『火花よ』!
ならこれはどう?『幻の霧よ、弓を引け、鏃よ撃ち抜け』!」
『生体探知』は駕籠の外に及んでいるが、他の攻撃呪文ならどうかと次々呪文を繰り出すが。『猫爪』は中からも使えたが、『火花』と『幻の鏃』の呪文は突破を意識しないと術がギャザリス迄届かなかった。
(呪詛が影響する魔法は問題無いけど、普通の呪文は威力が弱いと外へ出た途端に掻き消えるのね。)
意識して隙間を作れば通るが、逆に言えば隙を作らないと術が使えない。
透過した全てが直撃し、沼に倒れ込んだギャザリスだったが、突然狂ったような笑い声を上げて拳を突き上げる。
「油断したな馬鹿め!
『現身よ影よ、固めて凍れ、器に宿り命を戻せ』!」
拳から影が差して瞬く間に巨大化すると、九つの鎌首をもたげた一つの胴に繋がる水蛇の怪物、ヒドラが現れてグラトニーの方を向く。
「あらそれが奥の手なの?がっかりだわ。
……『姿無き猫又、猫撫で鳴き真似、七変化』。」
『骨駕籠』を包んでいた拘束も限界を迎え、不意に思い付いて今迄使い道を見いだせなかった最後の化け猫呪文『猫騙し』を唱える。
呪文と同時に骨駕籠の骨が膨らみ全体を包み込むと、中にグラトニーを収納したままに巨大な化け猫へと姿を変える。
(さて、騙されてくれるかしら。)
『猫騙し』は自分の姿を変化させる幻覚呪文の一種で、他とは違い認識を誤認させる魔術だという点に大きな差異がある。
詰まり実際には今も骨駕籠の形は変わっていないが、幻覚に触れれば皆が触覚すら誤認して、実在していると錯覚するのだ。
驚いてたじろぐギャザリスだが、はっと気付いて杖を掲げて水晶越しに見ると、怒りの眼差しでヒドラに向き直る。
「おのれ下らぬハッタリを!潰せヒドラよ!」
ふむ。ヒドラを倒すまで大人しくしていて貰おうか。
「『嫉妬の緑目よ、獲物を縛れ』。」
「な、何?!」
グラトニーの【緑目の腕輪】による『金縛り』の拘束だ。
彼が拘束を脱出出来るかにも興味はあるが、先ずはヒドラにどの程度【卍兵】が通じるか試させて貰おう。
「『抉れ』!」
三つの【卍兵】が一刀の元にとは行かないが、突き刺さる様に深々と首を切り落としていくが、次の首を切り落とすまでに新しい頭が顔を出す。
「くそ!おのれ……。」
生えた頭に首が一瞬で伸びるが、その度にエーテルが補充されている。
全てを同時に生やす事は出来ない様で、一部は自然復活に任せている様だが回復速度は大したものではない。
ヒドラが毒息を霧の様に吹き付け、羽ばたきで押し返そうとしたが無理そうだったので素直に位置を変えて回避する。元より霧は直ぐに消えた。
手間をかけている内に片腕だけ自由にしたギャザリスが指輪の様な物を叩き付けて金縛りを破ったので、頃合いかと見計らい、骨駕籠を下りて術を解く。
「『異形蜥蜴よ、啄め喰らえ、変幻自在の鰐頭牙口よ』!」
今度は直接帯から頭蓋が顔を出して瘴気の塊となってヒドラに迫り、先程は噛み砕いていた頭部の実体化を弱めると、瘴気部分を直接全ての首に浴びせかける。
苦痛にヒドラがのたうつが、実体化を元に戻して胴体に噛み付かせる。
腐食を再生するのは簡単じゃないらしく、何より侵食し蝕み続ける瘴気に咆哮を上げて。
朽ちて光の塵となって、召喚体を保てなくなる。
「ば、馬鹿な!ぐぁあああああ!!」
動じる暇もあればこそ。術が切れる前にと残る瘴気を叩き付けられたギャザリスが全身から血飛沫を上げて杖を落とし、弾き飛ばされていく。
直接手を触れない様に、罠を警戒しながら杖を回収する。
(ふむ。大分防御用の呪具も失ったようね。)
頃合いだ。彼が隠し持っていた『身代わり人形』は多分もう無いが、グラトニーは一つどころか掠り傷すら負っていない。
「『浮かべ箒よ、空を舞え』。」
本来は箒が必要な飛行を呪文だけで行い、不要な呪具を仕舞いながら《妖刀》を握り締めると、体を起こして振り返ったギャザリスに勢いのまま突き立てる。
「『暴食よ』!!」
「ッッッ?!?!?」
全身から力を根こそぎ奪われる感覚に声にならない悲鳴を上げるが、全身を包む呪詛に体を動かす事すらままならない。
何より貫かれたのは心臓だ。生きる為に必要な全ての力を奪われ、ギャザリスは激痛の中で絶命する。
(さてと。結界が解ける前に貴重品は全部剥いでおかなきゃ。)
術者が失われても維持される類の結界では無かったので、手早く腕輪や指輪、服の下に隠し持っていた呪具を奪って遺体を放り投げる。
急いで最初の石柱の所に戻ると、術式の核を外せるか試してみる。
(ふむ。鏡のに貰った【プリズムガーデン】ほどの上物じゃ無いのね。
あくまで《結界呪具》の延長でしか無いと。)
一度壊れてしまえば魔力は失われる程度の素材しか見当たらず、駄目元で『暴食』を使い結界が壊れるまでの間解析を続ける。
(……ま、そんなうまく行く筈も無い、か。)
差し引き雀の涙程度の魔力を回復させたが大した意味は無い。
そう言えばと《使い魔》との繋がりを維持するのを忘れていたが、再度繋ぐのは難しくなかった。
序でに外の二人も、こちらの結界の歪みに気付いて駆け付けて来た。
さてと。一応外の様子は知らない振りをしておこうか。耳元で妙に呪装がゴロゴロと鳴いているが、先ずはあちらが先だ。
「あら、そっちも無事だったのね。」
「あ、やっぱりグラトニー……って、ひぃ!!」
駆け付けた二人が目を瞬かせ、特にピオーネは脇を見て悲鳴を上げる。
「おやおや~?そっちの教師ギャザリスはやっぱりそういう事?」
アヴァロンが首を傾けながら訊ねる内容が微妙に引っ掛かり、さてはとピオーネが腰を抜かした方を見ると。
予想通りボロ雑巾と化した教師ギャザリスの遺体があった。
結構離れた位置に捨てた筈だったが、蹴り飛ばせる程度には近い。
「ええ、そうよ?生徒を闇討ちした教師だもの。
教え子が自分を返り討ちにするほど立派に育ったのだから、きっと心から歓迎してくれた筈よ。」
きっと未練しかないであろう断末魔を思い返して、心にもない冗談を言える様になるなど自分も成長したものだと軽く自画自賛する。
改めて二人の様子を視線だけで確認すると、結界内に閉じ込められる前より若干負傷して服も汚れて見える。
「で、そっちは何を驚いて、合流するまでに何があったのかしら?」
「いや、何をも何も、顔や服を血塗れにした知り合いが現れたら普通驚くわよ。
脇に殺された教師が転がってたらどう見ても殺人現場じゃん。」
あたしも大概慣れて来たなと呟くピオーネに手鏡を見せられると、確かに頬や首筋周りに結構な量の血が飛び散っていた。
「成程。だからさっきからゴロゴロ鳴いて落ち着かなかったのね。
舐めて良いわよ。」
誰にとピオーネが聞き返す前に、胴甲の顔から舌が伸びて胴甲以外に染み付いた血飛沫を舐め取って行く。
妙に青褪めた顔で見ていたピオーネが、話を逸らす様にぽつりと尋ねる。
「ねえ、その猫又、名前付けないの?」
「ん?どういう意味かしら。」
胴甲では無く猫又とは。
「だってその胴甲の猫、生きているんでしょ?
単に化け猫や猫又だと、胴甲か呪装、どっちかも紛らわしいし。」
聞いてて良く分からなくなるらしい。
「ふむ。群体だから別々に一匹って訳じゃないけど……。
なら猫は『チャクラ達』で。」
「触ったら死ぬ霊猫なの?」
おやアヴァロンは元ネタが分かるらしい。
「私が着ていない時は分からないし。で、発動具の方は【猫眼甲】。
呪装の方は《猫爪装衣》と呼び分ければどっちの話か分かるでしょ?」
「まんまね。でも分かった。」
ピオーネは口の中で繰り返しているので、アヴァロンの方に向き直る。
「で。そっちは何かあった?
私としてはコレの後始末もあるから一旦学園に戻りたいんだけど。」
ソードリザードは兎も角ヒドラは希少種だ。一応成果はあるのだし構うまい。
が。グラトニーが問うと、アヴァロンは無言でつぃとピオーネに視線を移す。
そう言えばケット・シーのウォルターが見当たらない。だが当のピオーネは気まずげに余所見をするだけで困った顔を浮かべている。
はて。死体を封じる《召喚駒》と違い、宿代わりに眠る《封印駒》のウォルターは死んだらそれまでの筈なのだが。
「あ~、うん。ウォルターは今駒の中で休んでいるよ。……ちょっと拗ねたけど。
あたし達も奥に行く必要はもう無くなったかなぁ……。」
妙に歯切れの悪い態度に疑問符を浮かべていると、ふと思い出したアヴァロンが懐から大型の《封印石》を取り出し、手渡して来た。
「はい。これグラトニーの分ね~。」
「何コレ?」
「あ、はい。ヒドラの封印石です。
召喚駒にでも、使えば良いんじゃないかなぁと……。」
「何でぇ?」
詳しく聞くとどうもあの後、ピオーネを巡るヒドラの群れによる争奪戦が始まったという話らしい。何て?
グラトニーが消えて慌てて駆け出した先に空洞があり、落ちた先にヒドラの沼があって襲われたのだとか。そこまでならギリ分かる。ヒドラとて繁殖する。
分からないのは群れの長っぽい一頭がピオーネ側に付いた事だ。
逃げ場の無かった二人と一匹は彼と共闘し、やがて撃退。その時には長ヒドラは致命傷を負っており、ウォルターは彼の死を悼みそして忠誠心で負けたと男泣きしながら怪我を癒すため一旦駒に戻った。
「一番おっきい一頭で申し訳無いんですけど、選ぶなら彼にしないと流石に可愛そうで、我慢して欲しいかな~と……。」
「いや。実質無償で手に入れたんだし良いけどね?」
「アレはホント、ドラマを見ている気分だったよ~……。」
ちょっとピオーネを舐めてたかもしれない。
本日2話投稿、後編です。
教師ギャザリスは四天王最弱、ならぬ全教師最弱です。
元々彼の性格で教師を目指さない理由もありませんが、大抵の卒業生よりは強いけど教師としては戦闘力不足なので、今回みたいなコネは必須。所謂準教師級という程度です。
これが教師マルガルやドロテア等の教師陣の上澄みだと、流石に今のグラトニーでは勝てません。奥の手を使っても五分が精々。淑女の会も、現段階では三学年成り立て。
逆に言えばグラトニーは、二学年成り立てで既に準教師級に到達した破格の成長速度なのです。




