第七章 終局 01.本性
ただ大剣を振るい、鎚を振り回す。それだけで今は全身が軋み、痛みを訴える。
ただの亡霊。《魔女殺し》であれば一撃で討ち滅ぼせる無力な敵。
それすらも今のカリギュラには、立派な障害で在り難敵だった。
「くそ!くそ!くそっ!何という体たらくだ!」
口惜しさが歯軋りとなって現れるが、そんなカリギュラとは全く無関係に異界は移り変わり、三者の戦いは続いていく。
禁忌を倒すために無理を押して来た戦場で、自分は何一つ戦況に影響を与えられていない。当然だ。
自分には、変化し続ける異界で生き永らえる事すら難しい。
既に一同の戦いが始まった時に残っていた、最後の余力すら尽きかけている。
「これが魔女狩り最強の姿か!これが武闘派魔法使いのなれの果てか!」
歪んだ甲冑が只でさえ炭化して張り付いた肌身を焼き、芯の肉を焦がす。
復讐心を滾らせる筈の鎧が更に歪み、拘束具となり始める。
「ぐぁっ!」
近くで爆風が弾け、大地に転がる。だが爆風にしては奇妙だと元凶を確認する。
「……ててて。やぁカリギュラさん、ご無事でしたか。」
「……お前か、ジュリアン。」
結構な重傷の様だが、寝っ転がったまま腹に手を当て『オーラ』で怪我を治す。
「デカい啖呵を切った割には随分苦戦している様だな。」
返って来たのは、呆れを伴った溜め息だ。
「あなたがそれを言います?ぶっちゃけ俺だけじゃグラトニーと渡り合うのは元々かなりキツイんですよ。
せめて一年あればもう少しは勝負になったでしょうけど、あなた達に合わせたら今しか無かった。
正直俺から見たら、あなた達は無策で突っ込んで罠に嵌っただけですよ?」
状況がそれを許さなかったと言えば綺麗事だろう。ジュリアンが問題にしているのは強行突破以外に見えなかった点か。だがカリギュラに言わせれば手数不足だ。
「何とでも言え。魔女を信頼するお前には分からん……。」
「運命の子を捨て駒としか思っていないあなた達が、信頼を口にしますか?」
「なっ!…………いや、そう言えばそうだったな。
お前は真の運命の預言を知っていた。だが、お前はどこでそれを?」
正式な預言は魔法世界でも限られた者しか知らない秘中の秘。
運命の子が失われるなどと知っている者はカリギュラを含めて十人といない。
「【黙示の預言書】ならグラトニーが持ってますよ。確認してなかったんですか?教師トトメリが学園に閉じ込められているのに。
顛末は教師達に報告済みですし、学園長に渡すよりマシだと承諾も得ています。
情報は俺達全員が共有してますよ。
あなた、流石に俺達を馬鹿にし過ぎじゃないですか?」
「……成程。最初から知っていたのなら確かに我々も信用出来んか。
だが我々とてお前をむざむざと殺させる心算は無い。運命の預言がどの様な代物か正しく知っているか?」
「呪いを解かれた教師トトメリから、直に。」
肩の力が抜け、溜息が出る。まさか自分がここまで見落としているとは。
(オレは一体何を見ていた?トトメリ嬢はジュリアンに全てを託したのか?)
「なら話は早い。お前達が仲間と共に突入するのを許したのはそれが理由だ。
今の魔法世界にとって、運命の子を失う事態は絶対に罷り成らん。
我々も参戦すればするほど、運命の子が死ぬ可能性は下がる。魔女狩りが総員で突入したのもこれが一番の理由だ。我々が何人死のうが運命の子よりマシだった。
お前が思っている以上に、我らが運命の子に賭ける期待は膨らんでいるのだ。
お前に死なれては、後の魔法世界がどうなるか分からん程に。」
「そうですか、では追加でもう一つ。
【イリアステルの鍵】は俺とグラトニーだけが使えます。これが先の放送の根拠でもありますね、俺達は同級生だったので。」
「ッッッ~~~~?!くそ!いや、そういう事か……。」
カリギュラの動揺とは裏腹に、ジュリアンはあくまで平静だ。
(成程、随分と俺は運命の子という言葉に踊らされていたらしい。)
結局自分はジュリアンを未来を託す相手では無く、ナイトバロンの息子、未熟な学生としか見ていなかったのだろう。
それと同様に、大罪の魔女グラトニーについても能力以外まるで関心を払ってはいなかった。単に倒すべき相手、禁忌の娘としか。
考えてみればグラトニーとやらの性格を把握しているのも当然か。魔女と言えど全てが狂っている訳でも会話が全く出来ない訳でもない。
「……本当にあやつも運命の子だとすれば、この現状は不味いな。
で?何故奴が禁忌への復讐とやらに拘っているのか、本当の所は判るか。」
正直、何故禁忌の眷属が禁忌に逆らえているのかが全く分からない。
奴が禁忌の娘というのなら、最初から手は打ってある筈だ。
「多分、グラトニーは契約者を自分の所有物と認識しているからでしょう。
それに禁忌が手を打ってたとしても、それは彼女が幼い頃の話。
自らの力を自覚してなかったとは言え『暴食』は存在していた筈です。」
禁忌は万能という思い込みに囚われていたかとつい苦笑する。どうやら自分にも気持ち余裕が出て来た様だ。
「つまり、洗脳の類は機能しなくなっていた、という事か……。
良いだろう。回復薬は持っているか?それで一撃だけ禁忌に一矢を報いてやる。
今のオレではそれが限界だ。」
正真正銘、最後にして最大の切り札。『スコルとハティ』には見劣りする反面、一人でも禁忌を討つための手札。
「分かりました。タイミングは全部そちらに任せますが、足りますか?」
「ああ、ただし奴の止めはお前達次第だ。
絶対に無駄にするなよ。」
それではとあっさり相好を崩し、『マナポーション』を残して跳んでいく。
「……全く。本当に危なっかしい奴だ、貴様は。」
こうも容易く信用されてはもう開き直るしかない。
(これで裏切りでもしようものなら、本当に魔法世界から運命の子は失われる。
そうなれば魔法世界は禁忌に勝てても立ち直れまい。)
ジュリアンがグラトニーと手を組むと言われた時、本当に魔法世界にとって致命的だったのだ。
少なくともカリギュラは、禁忌を倒す以外何をどうすればいいか全く分からなくなった。多分魔法世界の重役ほど運命の子を当てにした方針を立てた筈だ。
禁忌に勝てる可能性。それが魔法世界に与える影響は余りに絶大に過ぎた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「来たれ<天地鳴動>、『氷河』よ全てを圧し潰せ!」
最初の巨岩程では無いが、下手な城より大きな氷塊が空から降って来る。
ジュリアンが派手に弾き飛ばされた直後で在り、恐らく今の一撃はローレライもそれなりの手応えを感じていた筈だ。
グラトニーももう、流石に手の内を温存等と言っていられる状況では無い。
「『断ち切れ憤怒よ』ッ!!!」
尾の一つに膨大な量の『憤怒』を注ぎ、巨大な赤い三日月を解き放つ。
高位竜すら両断する赤い銀鉤が真っ向から氷河に衝突し、轟音を立てる。
「チィィイッ!!」
ローレライが氷河を両断した三日月を大質量の『黄金槍』で砕くと、『氷河』を破砕してグラトニーに叩き付ける。
硬質の八尾が『憤怒』を纏い近場の氷塊を薙ぎ払うが、一部は眼下の『百鬼』達へと降り注ぐ。無論現状は『スパルトイ』との混戦中。
巻き込まれる眷属達は双方に存在する。むしろ調節出来ない分ローレライの方が被害は大きいだろう。
グラトニー自身のダメージは既に大分増えている。
一方でローレライ側も【呪界核】にこそ至ってはいないが、常時補充出来る呪詛量はとっくに超過し続けている様で、大分対応に焦りが見え始めている。
如何に不死身だろうと、再生が追い付かなければいずれ滅ぼせる。
圧倒的な有利を保てる状況では無いと、双方が既に自覚していた。
(『身代わり人形』も半数を切ったか!いよいよ余裕が無くなって来たわね!)
だが混戦は悪くなかった。元は回避範囲を削る為の手段だったが、一度に消耗する呪詛量は互いに跳ね上がった。
グラトニーにとっても手痛いが、元々『百鬼』達は消耗戦に持ち込むため。
『ふははははは!敵への浸透が甘いぞ第五軍!』
決して計算外という状況では……。
『何を言っておる第二軍!オレの方が敵軍への被害はデカいわ!』
なんか、いた。
『えぇい!お前ら良いから混戦を維持しろ!味方だけ攻撃される状況を作るな!』
何というか、見覚えのある武器を持った明らかに別格の『角大師』が六人。
確認してみても、間違い無くグラトニーと繋がっている。
(おかしいわよね?何で私の把握してない『百鬼』が居るの?)
しかも指揮官やってる。割と的確。
『……ねぇ。あなた達誰かしら?』
すると声は影越しに届いた。
『『『『『知らん。』』』』』
待て。まて待てマテ。
『ふむ。我々に記憶なるモノは用意されていないのだが、総大将殿に心当たりは無いのだろうか?多分この『両断』がこの六人のリーダーだと思うのだが。』
あるわ心当たり。具体的には以前踏み潰した《六芒騎士》の発動具に。
『いや何で私の意図しない形であなた達が居るのよ?』
『うむ、多分総大将が指揮官を必要としたからだ!
元々我々の元は亡霊か何かだったりしないか?『百鬼』達は言うなれば元が異形化した亡霊達だからな。個性の強い魂が判子の様に複製されたのだろう。
我々は復活こそするが、同型は同時に出せない筈だ。』
何となく分かった。多分『百鬼』の中にその他大勢に収まり切らない奴が居て、私が必要を感じた時に適合したのだろう。だが解せない面もある。
『私は敢えて自らが作り出した亡霊に自我を与えてない。
自我を持つという事は、私の意に反する事が出来るという意味よ。』
不信感を向けた積もりのグラトニーだったが、大剣使いの『角大師』は全く気にした様子もなく応じた。
『そうか!だがオレ達に聞かれても分からんぞ!
何せ我々には記憶力が無い!総大将が特に命じない事は全て忘れる仕様だ!
我々に出来る事は強くなる事と戦う事だけだ!
という訳で今飛んで来てる巨岩の槍は我々に任せてくれんか!』
天には少し判断に迷っていた五本の岩塊槍が加速して飛んで来る。
『えぇい、対処!』
『『『『『よっしゃあっ!!!』』』』』
(くそォ!コイツら絶対魂が混ざってるッ!!!)
一斉に喜び勇んで破壊しにかかる五体と観察を続ける一体。グラトニーは毒吐きながら考えをまとめる。
そして大体解った、コイツら武人脳の集合体だ。
考える事を放棄した結果、条件反射だけで動く部分が残ったのだろう。多分今の会話も脊髄反射でしか喋ってない筈だ。だから自我認定に引っかからなかった。
『なら私の意志を読み取って『百鬼』達を指揮しなさい!
あなた達は『百鬼』達の担当よ!』
『『『『『任されたッ!!!』』』』』
深く考えるのは止めだ、既に増え続ける『百鬼』達は数千を超す。このままグラトニーが一人で戦場を俯瞰し続ければ、肝心のローレライ対策が後手に回る。
今は現状を歓迎すべきだろう。
「『異形蜥蜴よ、包め肋の鎧、担げ背骨に鱗翼を』。」
戻って来たジュリアンと<我は至れり>で挟み撃ちにするが、ローレライも当然の様に双方に対応する。
一進一退の硬直状態の中で、グラトニーは慎重に機を伺う。
『刀剣』を<戦火の武具庫>で相殺しつつ、更に呪詛を練り上げる。
「『紫電の霊鳥よ、雷鳴貫け、凶兆を叫べ』。」
ジュリアンとの接近戦を避けるローレライが、絶え間無く動き続ける戦況の中で産まれた地上近くの空白地帯に転移する。
(今!)「何?!」
地上ギリギリから上半身だけの『餓者髑髏』が飛び出し、両手で握り潰さんと掌を叩き付けるが咄嗟に『黄金』から両腕が飛び出し互いに掴み合う。
『「『遥かなる鮫の王、噛み砕く幻想に、死の恐怖をまとえ』ッ!!」』
即グラトニーとジュリアンが唱えた呪文は奇しくも同じ。中空から湧き出た巨大鮫の頭部は互いに斜めに交差しXの如く牙だらけの顎で退路を塞ぐ。
「何『『防げ!』』?!」
強引な転移を試みたローレライが『怠惰』の命令に驚き咄嗟に転移から『甲冑』を呼び出してのガードに切り替えてしまう。
「ち、この程度d」
「『異形蜥蜴よ、啄め喰らえ、変幻自在の鰐頭牙口よ』!
砕け『パンプティ・ジャバウォック』ッ!!!」
ローレライが全ての攻撃を呪詛任せに圧し返そうと『黄金』と『甲冑』それぞれの腕に呪詛を注ぎ込んだ瞬間。
『鮫』の死角を飛び越えたカリギュラが頭上に現れ、自らが纏う腐毒竜『ジャバウォック』を禁忌に向けて実体化させながら解き放つ。
『虚空』には隙間が無く『神隠し』に必要な死角も無い。
「うぉおおおおおッ!!!!」
(こ、これは《魔女殺し》の牙か!)
再生封じの牙に噛み付かれ、更に地上に叩き付けられたローレライに。
『<化竜砲『灼炎』>ッ!!!』
<七眼朧猫>の口から極大のマナの火柱がローレライを直撃する。
「ぐぁぁぁああああっ?!?!」
魔術では再現出来ない高位竜ファイアドラゴンの『竜砲』。魔法使いでは魔力が足りず、魔女ではマナを宿せない。
マグマの如き超高温を実現し、火の精霊王と呼ばれるその神髄。
(ま、まさか!魔女が、四竜を『暴食』で取り込んだというのか?!)
【呪界核】の外側はローレライの肉体そのものが強固な盾となる。
だがカリギュラの結界呪法『パンプティ・ジャバウォック』の《魔女殺し》の牙によって玉体に楔を打ち込まれ、ひび割れた身体全てを焼き付くすマナの大奔流は如何なローレライでも抑え込めない。
止まらぬ業火が外皮を炭化させ、血を気化して肉を焼く。
(だ、駄目だ!このままでは【核】が砕かれる!)
呪詛で産み出した仮初の肉体では無い。【核】と同化した始祖マクダレアの体が軋みを上げる最中。
【呪界核】に隠された、真の器を解き放つ。
大質量が弾け、膨らみ渦巻いて近場の雑兵達を全て曳き潰す。
咄嗟に防いだ三人も増え続ける圧力に弾かれ、宙を飛ぶ。
潰される前にと<百鬼夜行>を全て引き戻しながら、こうなれば『怪奇草原』の他は無意味だろうなと概ね確信してグラトニーは空で事態の鎮静化を待つ。
今は恐らく何をしても無駄だ。異界が急激過ぎる変化で歪みまともに当たらないだろう。この空間も間も無く崩壊するかもしれない。
ジュリアンは受け身を取れたようで空に留まっているが、もう一人は無理だ。
空間の歪みに呑まれ、既にどうなったかは分からない。
(魔女狩り総大将だったかしら?どうやらあれが最後の一矢といったところね。)
意地は見せたと言ったところか。お陰で大打撃は与えられたが、さて。
『……遂に、仮の器には隠せなくなったってところかしら?』
異界の歪みが震え、新たな景色へと代わって安定する。
空は噴煙で暗雲が立ち込め、火山灰が空から疎らに舞い落ちる。
地上はひび割れて熱気で揺らぎ、『怪奇草原』の草木が一部焼け焦げて異臭を放ち始める。高低差が激しく草木は無く、焼け付いた火山が立ち並ぶ。
移り変わった『灼熱地獄』は火山帯だ。
だがそんな常時呼吸を蝕む熱気など些細だ。誰も気にしない。
目の前には巨大な龍が居た。
髭は無いが恐ろしく首は長い。大蛇というには余りに大きく頑強な体躯。
何よりも重要なのは、一つの巨躯に繋がる八本の首。
『幻獣〔八岐大蛇〕。この世界に居ないとは思わなかったわ。
だって仮面の魔人ナイトメアが持っていた《八竜骨の太刀》は、八岐大蛇の骨を用いていたわよね?』
八頭の眼差しは全て苛立ちと怒りに満ちている。
『幻獣では無い。荒神だ。我は半神、荒神なのだ。
我こそは二百年前に生まれ落ちた、荒神八岐大蛇の転生体であるッ!!』
憎々し気に語るローレライ。先程は竜の心臓に〔簒奪〕の呪詛を流し込んだ等と言っていたが、その心臓は八岐大蛇の物だったか。否。
ローレライは敗北の歴史を嬉々として語らない。
では獣の本能は何の?簒奪の呪詛は何処へ?
『……実験体。ダーククロウに必要なのは肉体だけ。植え付けるのは簒奪の呪詛を取り込んだ心臓の方。
ダーククロウは〔八岐大蛇〕の肉体に《簒奪の心臓》を埋め込んだのね?』
白々と低い筋を語る声に、癪に障る小娘だと、鼻を鳴らしながら動きを探る。
『いいや、まさか。
如何に転生直後と言えど、ダーククロウ如きに心臓を抉られる真似などせん。
単に、我を封じるのに用いた肉体が〔簒奪〕の実験に用いた赤子だというだけの話だ。〔忘却〕で動かぬ体、大量の呪詛を宿した肉体なら封印触媒として相応しいと判断したのだろうよ。』
奴にしてみれば失敗作の再利用程度の心積もりだったのだろう!と高らかに吼え全ての首で嘲笑する。
『とても役に立ったぞ!転生したての弱体化した肉体では、満足な力は到底振るえなかったからな!
力を蓄えるには時間が必要で、何処に転生したかを把握するのも都合が良い!
奴が主人面して仮初の器に傷を付けて悦に浸る様は、滑稽で笑いが止まらんよ!
加えて奴は我に『呪詛』という新たな力も献上してくれた!』
それはさぞかし愉しかっただろう。封印などという屈辱を受けたかと思ったら何も不自由無く動き回れるようになり、欲していた全てを与えらえたのだから。
「……だから欲しくなったのか。呪詛を、魔法世界を、全部を。」
ジュリアンの言葉にニヤリと口元を歪める。それが伝わる。
一度全てを失った八岐大蛇にとって、世界は宝の山にしか見えなかったと。
『ああ。だからまぁ。』
『残念ね。』
三人の意見は一致している。
「お前は此処で終わらせる!」
『やって見せろ小僧共ォッ!!』
◇◆◇◆◇◆◇◆
火山帯の空と大地を、八頭八尾の巨大龍が遮る様に泳ぐ。
黒い噴煙が立ち上り、薄暗い闇の中で常に煌々とした赤い火柱が辺りを照らす。
大地には常に何処かに地割れがあり、大地を流れる赤い網の様な河が常に輝き、闇夜を暗いとは思わせない。
脚は無い。だが首と胴の境界は何処かと言えば、八頭の付け根とも言い難い。
ある意味で首は、頭の付け根だけなのだ。首とも胴とも取れるその部位こそが、彼らの頭が個別に判断を下す独立部分。
全身を捻り、それぞれに可動域の中で頭を、胴を、首を捻り。それぞれの結果として付け根が動き、どれかか全てが一尾を操る。
彼らは蛇というには極めて柔軟に動く。だが頑丈で頑強だ。
漆黒の鱗は間違いなく高位竜と同等か、僅かに劣る程度の柔らかさ。並の鋼では幾度打ち付けても傷は付かない。だがただ堅いだけなら魔法で貫ける筈だ。
凡そ些細な自然現象止まりなら、その巨躯には一切届かない。
当然だ。壁の様な瘴気が体を包んでいる。
濃厚な、黒い雲が渦巻いている様な、質量すら感じさせる膨大な呪詛の雲。
【呪界核】を染め上げる程の、莫大な呪詛を蓄えた巨躯。一頭ごとに大河の如き長さを誇り、一尾だけで下位竜を打ちのめす重量がある。
小さな島、小さな山なら端から端まで届く玉体が、空に浮かび、暴れ回る。
小細工は要らない。ただ頭を叩き付けるだけで良い。首を伸ばし、振り回すだけで百の凶器よりも立ち塞がる敵を打ちのめす。
質量が迫るなら噛み砕けばいい。その牙と顎は塔だって噛み潰す。既存の金属に鉱物に、歯に勝る強度など無いのだから。
居並ぶ歯の一つ一つが、凡庸な発動具を凌駕する呪詛を宿した凶器なのだから。
生き物の形をした天災。それが八岐大蛇の本性だ。
グラトニーが最初に取った行動は、距離を詰めながらの呪文攻撃だ。
『『『『刻め描爪、諸共に引き裂け』!』
『異形蜥蜴よ、啄め喰らえ、変幻自在の鰐頭牙口よ』!』
『遥かなる鮫の王、祖は群れの主、眷属の猛威を振るえ』!』
体に『チャクラ』達の口が開き、グラトニーと同時に呪文を唱え始める。
後手は有り得ない。頭部の一つが今のグラトニーと匹敵する巨体に対し、回避力で劣るだけで勝算は無いに等しくなる。
一斉に放たれた無数の『猫爪』による斬撃、『瘴気首』による瘴気を纏った獣の頭蓋、『激痛鮫』による鮫の群れは、ある種のキメラの様に八岐大蛇へ群がった。
首の付け根を驚くほどの敏捷さで首をうねらせて射線状から逃れたと思いきや、全てが弧を描き避けた八頭に牙を剥く。
『『『カァァアッッッ!!!!』』』
だが術が届くより早く首だけが捻られ、四方から水塊状の竜息吹『濁流』が叩き付けられ、中央に迫っていた術が水圧で諸共に爆散する。
「『暴虐なる怪童、無双の鉄槌、一刀を以て叩き切れ』!」
影に隠れる様に一頭へ迫ったジュリアン渾身の『飛び斬撃』も、瘴気を吐き出しながらの噛み砕きで白羽取りの様に潰される。
迫る『盾』の様な瘴気の壁を纏った頭突きを【盾】で弾くも、実際に後ろに退くのは重量負けしているジュリアンの方だ。
『『焼き尽くせ憤怒よ』!』
渦巻く様に身体を捻り四肢の爪を伸ばして硬質化しつつ、手数に対抗して八尾を鈍器の様に振り回し薙ぎ払う。
だが身を渦の様に捻りながら個別に弾き合い、質量に勝る八頭と八尾を駆使した殴打の応酬では明らかに分が悪い。
即座に尾の先を牙や手刀の様に用い、四肢を刃状に振り回せば如何に呪詛に守られた竜鱗とて無傷では居られない。
互いに独楽の様に身を捻り、ぶつかり合い払い合い、建て直したジュリアンの『剣身変形』による巨大剣の連撃が、辛うじて双方の手数を五分に押し込む。
互いの位置が入れ替わり立ち代わり、二つの竜巻が弾き飛ばし合う様に衝突し続ける。雷鳴の様な衝突音が絶え間無く轟き続ける。
孤立による劣勢という必然が、両者に最善という名の連携を産み出す。
八岐大蛇ローレライは今迄の戦い振りが嘘の様に『強奪』した呪詛を使わずに、体躯頼みの単純暴力を繰り返した。
それも当然だ。圧倒的な質量と幻獣最強の強度を誇る竜鱗、中世界を埋め尽くす甚大な呪詛の鎧。如何な小細工よりも圧倒的な『暴君』が其処にいる。
八岐大蛇にとって数多の呪詛は全て宝石であり宝物で在り、武器では無く自らを彩る装飾品に過ぎないのだから。
逃げる相手には火山からの『噴火』が襲う。地に伏せば『溶岩』が吹き出す。
天を逃げ回れば『落雷』が追い回す。
けれど何処にも、八岐大蛇に勝る暴力は無い。
この『悪龍』は、存在そのものが天災を体現する暴威そのものだ。
「まだまだァッ!!!!」
握り手を見落とす程の巨大な剣身が、幾度も鱗を断ち切り肉を抉る。
これ程の巨躯を即座に再生出来る呪詛は流石に存在しない。その牙は間違いなく龍に届き、手傷は確実に増えている。
『鮫の王』の顎が、『瘴気首』の牙が、『憤怒』の爪が確実に届いている。
倍近く劣る筈の手数も、技量という意味では凌駕している。
虎と猫程もある体格差も、二対一という環境が穴埋めしている。
<竜息吹『濁流』>。迫る水柱を避けた直後、火山から放たれる火柱が衝突して<七眼朧猫>の背を水蒸気爆発が弾き飛ばす。
『『牙を砥げ憤怒よ』ッ!!』
爆発に呑まれた体を一尾が叩き落し、続く渦の如き殴打を十二槍の『憤怒』が逆に貫き、しかし弾かれて砕かれる。
強引な体当たりと同時にグラトニーが八尾を絡めて拘束し締め上げる。
『ジュリアン!』
「『金剛の獅子よ、灼炎の鬣に、浄化の光を宿せ』ッ!!!」
動きの止まった一頭の首を、『浄化の炎』を纏った巨大剣が遂に切り落とす。
同時に八岐大蛇の八尾が槍の様に<朧猫>を抉り、強引に弾き飛ばす。
「先ずは一頭!」
強がりを兼ねた叫びを挫く様に、至近の大蛇が<竜砲『溶岩流』>を放つ。
『噴火』よりも鋭く重い、呪詛の竜砲。
『【獄門八鬼】!!』
宙に巨大な門が現れ溶岩を受け止め、更に四方を囲む六面の門扉。
一面が拉げ始めた所で回転して耐え続け、しかし回り込んだ『悪龍』の巨体が全ての門扉に絡み付いて動きを封じる。
『守りが間に合ったのだけは褒めてやろう!』
全ての門が軋みを上げるが、扉が開く隙間は無い。
けれど一面だけは隠れておらず、但しその一面に頭突きが繰り出される。一撃で砕けずとも逃げ場はない。二撃三撃と遂に拉げ、勢い良く中に首を叩き込む。
『『断ち切れ憤怒よ』!』
<我は至れり>によって後頭部に転移したグラトニーが、三日月型の『憤怒』を【獄門八鬼】の中に突っ込んだ首に振り落とす。
『二頭目『舐めるな!』!』
門扉から脱出出来ずに落された首と引き換えに、落ちた首を巻き込んだ<竜砲『溶岩流』>を至近距離から受ける。
今度は『憤怒』の体毛だけで凌がざるを得ず、敢えて勢いのままに弾かれようとするのを防ぐため、ローレライは地面に叩き付ける様に『溶岩流』を放った。
それでも憤怒の外殻を偏らせる事で何とか弾かれる事に成功したが、地面を抉る程の勢い自体は防げない。
(それでも損耗は最小!奴とて首だけは未だ一つも再生出来ていない!)
畳みかけるなら今だと、強引に滑り続ける身体で跳ね飛び再びの<我は至れり>で距離を詰める。
入れ替わりの様にジュリアンが弾かれていたが、向こうも一頭を刎ね飛ばす事に成功した様だ。
(これで三頭!)
決して慢心も油断もしていない。
だからこれは、時間切れと言うべきだろう。
◇◆◇◆◇◆◇◆
〔黒林冥府城〕。
グラトニーが居ない今、城の守護者と呼べるものは実のところ存在しない。
事情を知らなければ用済みだからだと思うだろうが、実際は真逆だ。グラトニーは元々禁忌との戦場が、この城内になるとは思っていない。
思っていたら禁忌に通じそうな戦力を揃えておく。
少なくとも〔学園〕の所有物でお茶を濁す様な真似はしない。
理由は今、何が起こっているのかを考えれば簡単だ。この〔黒林冥府城〕の役割は魔女狩りと〔饗宴〕の足止めのためにしか存在しない。
グラトニーが此処にいると宣言した結果、多くの魔女狩り達が攻略に挑んだ。
並より少し強い魔女を想定していた魔女狩り達はその戦力に驚いただろう。だが幸か不幸か禁忌と戦闘経験のある魔女狩り達は〔城〕をほぼ無視出来た。
結果、禁忌対策にしては余りにお粗末な〔城〕の真意に全く気付かなかった。
故に今も、順調に魔女狩り達は〔城〕の攻略を続けていた。
ある意味では幸運だっただろう。何せ【誅仙陣】に挑んだ魔女狩り達は大多数が生きて戻らない。
〔黒林冥府城〕に攻め込んだ魔女狩り達だけが、そこそこの大怪我止まりで戦い続ける事が許されているのだから。
だが彼らは、決して無力でも戦況に無関係でも無かった。
〔黒林冥府城〕には、隠された真意があった。
〔剣豪〕ジェンドは魔女狩りとなった〔血の従者〕だ。
彼の役割は禁忌に関わる魔女狩りの情報を流す事であり、それ以外はグラトニーに牙を剥く事も含めて自由だ。
彼だけは、魔女狩りとして行動する限り牙を剥いても『色欲』の対象にならないと明言されている。それは魔女狩りになりたいという彼の願いに反するから。
だがだからと言って、積極的に恩人に逆らう気にもなれない。
(しかも彼女は、今一番〔学園〕を守っている。)
気を使っているという意味ではジュリアンや教師達も含まれるだろうが、残念な事に守れる状況が無い。結果的にグラトニーこそが、今の学園の守護者だった。
「貴様、何故大罪を倒すために協力しない!」
「オレは学生達を救うために此処に来たんだ。
〔饗宴〕を倒した後なら学生達が安全に解放されるのに、運命の子の居ない今に焦って戦う理由が無い。
それに仲間の救出には協力しているだろう。」
幸いジュリアンの宣言のお陰で魔女狩りの誇りには反しない。
今はそれ以上をする気が無いと宣言すれば、二つ名を与えられていない先輩方はジェンドに強要する権限は無い。悔しそうに再び戦場に戻る。
ジェンドは溜息を吐きながら仲間を《人柱の小壺》に封じて運び出す。
(……この名前だけは何とかした方が良いな!)
怪我を悪化させずに運ぶのに凄く便利だが、生贄用にしか聞こえない。
とにかくまた外へ出ようとすると、誰かがまた宙を跳ね飛ばされる姿が見えた。
(【甲冑巨人】か。そういえばあれと【ウィッカーマン】だけは、可能な限り手を出すなと命じられていたな。)
〔黒林冥府城〕の核は候補が既に大分絞られている。
一つは無尽蔵の死霊達を吐き出し続ける《ゴーストキャッスル》。守護者として《ゴーストキング》が配置されていると言っていた。
もう一つがあの【甲冑巨人】と【ウィッカーマン】だ。
だがこちらは沼地の影響を一切受けずに黒林を徘徊しており、射程内に入った敵を踏み潰して回るのが役割だと思われている。
また重傷者が増えそうだともう少しだけ様子を見る事にすると、少し様子が変だと気付いた。どうも積極的に戦っているのは【甲冑巨人】だけの様だ。
二階建ての家程に大きく、全長に等しい大曲刀を武器に暴れ回る【甲冑巨人】と違い、【ウィッカーマン】は同程度の巨躯ながら武器を一切持たない。
両腕が特に大きく丸盾が付いているが、【ウィッカーマン】が【甲冑巨人】の盾になる様な素振りは無い。そもそも割って入るは腕以外の動きが鈍い。
更に基本動作が防御と体当たりと踏み潰ししか無いように見えるのだ。
しかも微妙に【甲冑巨人】が【ウィッカーマン】を庇う様に動いている気もするのだから、不自然と言えよう。
(もしかして、だからコイツが核かも知れないと疑われているのか?)
だがどの道両方とも、かなり攻撃を受けている。破壊されるのも時間の問題だと見えた。いや、もう終わりか。
が。鎧が砕かれた元【甲冑巨人】は咆哮を上げて我武者羅に剣を振り回し、周囲を走り回りながら暴れ回る。
これには魔女狩り達もかなり被害を受け、数人が一見即死級の手傷を負った。
「おっと。……うん?あれは、何だ?」
攻撃が動きの鈍い【ウィッカーマン】に集中して破壊されると、骨組みが弾けて中から大量の、等身大の『身代わり人形』が飛び散った。
何故と思う傍ら、同じく自体が理解出来ない魔女狩り達も良く分からないままに攻撃を加え、焼き払っていく。
その時不意に、ジェンドは脳裏に直接『命令』された言葉が過った。
『【甲冑巨人】と【ウィッカーマン】に手を出すのは控えなさい。
禁忌を倒した後なら幾らでも構わない。その前なら人質を理由に出来るわ。』
禁忌を倒す前。大罪の魔女が唯一気にする敵討ちの際に出された指示。
(まさか。……あれは禁忌の魔女と戦うための隠し玉だったのか?!)
ジェンドの目の前で、唯一無傷で残った『身代わり人形』が突然弾けた。
※ゴールデンウィーク投稿中。今週は完結まで毎日投稿予定です。
呪詛は狂気、言わば魂の暴走なのでグラトニーも完全制御が出来ません。矛盾するので。
余裕が無くなり深刻化する程自身の暗黒面、トラウマの類が突き付けられる訳ですが……。
うん。恐怖をニュアンス程度でしか理解出来ないグラトニーの場合、一番苦手なものって排除すれば良い敵や無能の類な筈ないんだよね(汗
という訳で『謎の理由で役に立つ味方』が出てきましたw
おかしいな?頂上決戦はシリアスだけの筈なのに……。




