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地下室の座敷牢で出会った角付き美人が、姉になってくれる話

作者: 関守乾


※関守乾ツイッター参照の事。

 ぼくのお姉ちゃんは、悪魔だ。


 一度も対面したことのない親戚から相続することにになった、と言う田舎の屋敷。

 特段何の感慨もなく、身の回りの物すべてをいくつかのスーツケースに詰めて、案内された無人の館に足を踏み入れた。

 一応引き渡しの前に、最低限の手入れは行われ、今日からでも普通に住めるから、ということで。実際不便はなかった。

 それだけならば、まあ風変わりではあっても、生きてればそういうこともあるかもしれない、と呑みこめた。

 

 ――だからと言って、どうして、こんなことが想像できるだろう。

 こんなモノに出会うだなんて。


● 


 家の前を、大型トラックが走り抜けた。

 その時の振動で、がたん!と大きな音がして、それに気付いた。


 ……逆に言えば、その瞬間まで何故か、ついぞ気付かなかった。

 最初からそこにあったはずなのに、見ればきっとわかるはずなのに、存在がすっぽり意識の死角に追いやられ、一度も知覚することができなかった。――地下室への扉。


 何かに招かれるかのように、傍に立ち、引手に手をかける。

 赤く錆びきった金属の留め金は、軋む音を立てて、簡単に外れて。地下へと続く階段が、姿を見せる。

 ああ、こんなの、あったんだ。

 そう思いながら、埃のつもった階段につま先を下してゆく。


 そうして、ぼくの顔色をなからしめたのは、その下にあったモノ。

 座敷牢――だった。

 時代劇や、年代物のミステリーに付き物の、赤塗の格子で設えられ、無数の守り札が張り付けられた、絵にかいたような座敷牢が、そこにあった。

 まず、こういった施設を設ける精神性に嫌悪感を覚えながら、息を呑む。

 ここがどういった理由で運用されたかはしらない。

 罪を犯した人かもしれない。病に罹ったひとかもしれない。

 ……あるいは、血筋が特殊な、生まれてきてはいけない子供、だったというひとかもしれない。

 が、危険かもしれないからと、恥ずかしいからと、個人の判断でひとを拘束し、幽閉したら、それらは根本的に、全て法律違反行為だ。


「誰か――誰か、いるんですか」


 そして何より頭が痛いのが、その座敷の片隅に、動くモノが蹲っていたこと。

 ここが遠い昔に使われていたものでなく、現在進行形で、用いられているということ。


 ぼくの声に応えて、それは頭をもたげる。

 血のように深い赤色をした瞳が、ぼくを見据えて、


「……やれやれ、久しぶりの人間は随分騒がしいんだね」

 という、第一声が放たれた。

 それは最初、人間の女のひとに、見えた。

 白い千早に、緋色の袴をつけた装束の、まだ若い女のひと。

 すぐに、そうではない。これがそんな当たり前のものであるはずがない。と雄弁に伝えてくれたのは、それがこれ見よがしに、頭部に2本の鋭い角を生やしていたこと。

 そして、――とびきり綺麗だったこと。

 ぼくの手にしている懐中電灯しか灯りと呼べるモノのない、地下室の薄闇の中でさえよく判る、艶めかしく白い肌。

 対照的に、闇に溶け込んでしまいそうな、漆黒の長い髪。

 歳の頃は……19・20と言ったところか。細やかなつくりの大人びた風貌でありながら、眼差しがどこか茫洋としていて、不釣り合いな幼さも感じられる。

 女性にしてはすらりと背が高いが、胸の膨らみと腰回りは、余裕を持たせた作りの千早と緋色の袴を纏っていてなおそれとわかる、柔らかそうな丸みを帯びていた。

 額から生じて、髪を割って伸びている角は、髪と同じ黒い色。

 鬼火のように炯炯と赤く輝く双眸は、可憐で美しくありながらも、どこか恐ろしげだった。


 ぼくの姿を認めるや、それはゆうらり、と身を起こした。

 ガチャリと、彼女の首に取り付けられた、黒革の首輪が鎖の音を立てる。

 あからさまに獣を繋ぎとめるためのものであって、アクセサリー、……ではないのは確かだった。

「何だ、……まだ、子供じゃないか」

 どこか気だるげな口調でそう言って、長く伸びた髪を手で撫でつけるそのひとに、

「……だ、大丈夫ですか?」

 と、呼びかけた。

「――ン?」

「いま、そっちに行きます!」

 だって、だってこの人は……

「長い事、ここに……閉じ込められてた……んですよね?」


 どんなに少なく見積もっても、ぼくがここに住み始めてからさえ既に数日が経過している。

 その間、おそらくは食事もなしにたった一人、この締め切った空間に閉じ込められて、肉体の衰弱、疲弊のみならず、自分だったら……一日で精神に異常をきたすのではあるまいか?

 それに、この人がここに閉じ込められている理由をあれこれ思考を巡らせたところの、近寄っただけで危害を加える様な種類の人にも思えなかった。


「いま、助けますから!」

 階段の段板を軋ませながら、足早に駆け降りる。

 鍵……そうだ、鍵がどこかにあるはずだ。

 なければ、鋸でも金槌でも、何でも使ってこじ開けるしかない。

 ああ、それから人を呼んで……

 少なくとも、この人を、ここから助け出さなければ。

 ……そんな風に慌てふためくぼくを、正反対に落ち着き払った、言い表すならどこか物珍しそうに眺めながら、

「なあ、君」

 と、その人は問いかけた。

「――わたしは、ひとに見えるか? 黒い靄とか、得体のしれない塵屑ゴミクズの塊に見えると言うことは、ないか?」

 と、問いかけた。

 複雑な、哲学的な意味での問いかけ、という訳でもなさそうで、

「人間に……少なくとも、とても綺麗な女のひとに、見えます」

 ……と、切れ切れに、そう口にした。

 そのひとは、ぼくの答えを聞くと、

「……何を言うんだ」

 と言って、眉を顰め、ぷいと視線を斜に逸らした。

 何だろう。……照れてるんだろうか。

 しばらくそうしてから、

「……さて、わたしの姿がはっきり見えると言うことは、君は何かに酷く餓えていて、それを癒したい、と欲しているということだ」

 何だろう、どうもさっきから彼女と話がかみ合わない。

 ぼくはひとまず、彼女をここから助け出したい、日の下に連れ出したい以上の事は、考えてないのだが。

「さて……君の願いは、何だ?」

 と、彼女は口にする。


「ぼくの……願い?」

「ああ、目当てはソレだろう? わたしはここから出ることが出来ないが、君の願いを聞いて、叶えてあげよう」


 このひとは、何を言っている?

 最初に疑ったのはやはり、長い事こんなところに閉じ込められて、精神の均衡を失ってしまっているのではないか、ということだったが、言葉遣いも発音もしっかりしているし、呂律もまともだ。

 かといって、こんな状況でふざけている、冗談を言っているとも思えなかった。


「言ってご覧? 何でもいいよ、……他人の財産を奪いたいでも、嫌いな奴を破滅させて欲しいでも、世界を滅ぼして欲しいでも」

 ……恐ろしい事を言い出した。

 けれど、つい、尋ねられるままに、思考を巡らせてしまう。

 ……もしも、願いが一つだけかなうなら。


「あの、ぼくは……あまり、願いが叶ったことがないんです」

 逡巡しながらも、そう口にする。

「なので、願いが叶うって言われても……ぴんと来なくて」

「……ふーん、じゃあ、やっぱり世界を滅ぼそう、汚塵の海に沈めよう、うんうんそれがいい、けってーい」

「それは良いです!」

「何で?」

 懸命に制止の声を送るも、

「君だって、ここに送られる位だから碌な目に遭ってきていないんだろう? ならいいじゃないか。 きみは随分しばらくぶりにわたしに話しかけてくれた子だし、わたしもきみのためになら世界くらい滅ぼしてあげたいんだけどね。 というか、世界を滅ぼしたくないやつなんているのかい? もしかして、今はそうなのか?」

 なんて、不思議そうに尋ねかえしてくる。

 このままでは、世界を滅ぼそうと画策する悪漢にされてしまう。


 改めて思う。

 今目の前にいる、角の生えたきれいな女のひとに、何かを願うなら。

 だから、ぼくは、

「ぼくの――」

 願いを、口にした。


「はぁ」

 彼女が、一つ息をつく。

 見れば、ぽかんと呆けたように口をあけ、目を丸く見開いていて、……何とも幼く見えた。

「――はあ、何だ? それは? ……あの、本当に、そんなのでいいのか? 一度だけなんだから、良く考えた方がいいと思うよ? ほんとうに、世界を滅ぼさなくていいのか?」

「はい、それで、お願いします」

「本当だな、本当に、いいんだな?」


「……ぼくの、家族になってくれませんか?」


 改めて、そうはっきり口にしたぼくの耳に、

「……えへへ」

 と妙に幼い感じの含み笑いが聞こえた、直後、

「君の欲望、受け取った!」

 高らかに宣言する声が地下室に響き渡った。

「……息子……と言う感じじゃないな、ああ、今日から君は、わたしの弟だ!」

 どうやら、満足してもらえたらしい。


「いま、そっちに行きます」

 改めて、座敷牢の格子に手をかけて、揺さぶってみる。

 開かない、……赤塗の格子に嵌められた錠前は、硬く螺子で締め付けられ、体当たりしてもびくともしない。

 溶接されているんじゃないだろうか。と思う。

 だけど……おかしく、ないか。

 ここは、ヒトを閉じ込める為の場所。

 だけど、ここまで完全に出入りがまったくできないようにするなんてことが、あるのだろうか? 

 餓死するまで監禁するだけと言うならともかく、生かして閉じ込めておくと言うのなら、食事はどうする、排泄したものはどうする?


 ともあれ、彼女をここから助け出さなければならない。

 冗談にせよ、狂気の産物にせよ、仮にもぼくの姉になってくれるとまで言ってくれた人だ。

 ……角が生えていようが、多少言動がおかしかろうが、それがなんであろう。


 悪戦苦闘するぼくを口元を緩めて見守っていた彼女だったが、

「ああ……まあ、ダメ元だ、そこから、わたしを呼んでくれないか?」

 と、何やら思いついたか、そう提案する。

「どうか、こっちに来て下さいと、そこから呼んでみてほしい」

 相変わらず、何を言っているのかさっぱり判らなかったが……

 言われたとおりにしてみようと思い、

「……こっちに、来てください」

 と、口に出して、彼女を呼んだ。


 とたん、ぱきんと音を立てて、錠前が口を開いた。

「外れた、開いた」

 ぽつりとそうつぶやく。

「……こん、な」

 彼女自身意外だったようで、呆けたように、あのどこか幼い表情のまま、格子戸を一押しすると、それはキィ、と乾いた音と共に、意外なほど簡単に開き、彼女が、その素足を、牢の外に踏み出すのを許した。

「こんな、ことで? あ……」

 ぼくもまた、状況理解が追い付かず、呆然と呟く。

「あ……あ……あ は は は は は――っ!」

 けらけら、けらけら。

 声を上げて、童女のように、彼女は笑う。

 くるん、くるん、

 両手を開き、素足で何度も飛び跳ね、小躍りする。

 その度に、真っ白なくるぶしとふくらはぎが緋袴から覗き、双球が千早ごと弾んだ。

 ……ちょっと目を奪われそうになったが、あわてて視線をそらす。

 ひとしきりそうしてから、ようやく素面に戻ったらしい彼女は、居住まいを正して、ぼくの方へ向き直る。

「ああ、きみには本当に、感謝しないといけないな」

「そこから出られたのは良かった、ですけど……ええと」

 口ごもりながらそう返す。

「……早く、上に上がりましょう」

 よくこれだけ立ったり歩いたりできるものだと感心するほどだが、せめて、と思い、手を差し出すと、

「ああ、じゃあ、さっそく、弟の世話になろうかな」 

 と、掌を重ね、指を絡めてくる。

 ……それは滑らかで、どこか奇妙にひんやりとしていた。

「……」

 女性と、それも彼女のような美人とこんな風に手を繋いだのは初めてのことで。……こんな状況だと言うのにそれが妙に気恥ずかしくて、目を斜にそらすと、彼女は楽しそうに視線を追って、顔を覗き込んでくる。

「? どうしたのかな?」


 地上へと向けて、一歩踏み出した。

 その瞬間――

 ぞわり。

 首筋に、冷たい物が走る。

 何だ。

 背後から、何か来る。

 聞こえてくるのは、ぴちゃぴちゃと濡れたものを引きずるような、何かが這うような音。

 漂ってくるのは、生臭い、磯のような香り。

 

 咄嗟に振り向こうとしたその瞬間、彼女が後ろからぼくを抱きしめて、それを制止していた。

「振り向いてはいけないよ。……ああ、目をしっかりつぶって」

 耳元でそう囁きかけ、途中からは僕に向けてではなく、ソラに向けて、独白のように呟いた。

「……ああ、そうか、ここにわたしを置くことで、口をふさいでいるつもりだったかのか。……ばかだなあ、そんなことしても、何も変わりはないのに……なら……ここの流儀でやってみるか」

 言われるがまま、目を硬く瞑ったぼくには、彼女の声だけが浸みるように届いて。

「――ああ、こう言うんだったな。


 ……猛き者よ、衰えよ。

 栄えし者よ、滅び去れ。

 愛しき人よ、塵と化せ」


 そんな風に言っているように、聞こえた。


「●●●――●●・●●●●」

 

「ああ、もう眼を開けても、振りかえってもいいよ」


 目を開き、振り返って目に映った光景に、息を呑む。

 ――崩れてゆく。

 地下室の、階段、手すり、その奥底の、座敷牢。

 視界に入るものすべて、何もかもが崩れてゆく。

 ひび割れ、砕け、崩壊してゆく。

 細かな欠片に、そしてさらに微細な芥子粒、極小の塵芥になって、舞い落ちてゆく。

 やがて、地下室であった空間は、すっかり塵に埋まり、沈み、呑まれるように塞がりきった。

「……なっ、なっ……!」

「何だ、どうした? この地下室はもう使わないんだろう? ……わたしももう、ここには戻らない」

 

「だからこれも、もういらない」

 と言って、首に巻き付いていた首輪を、鎖の音を立てながら取り外し、放り投げる。

 床に落ちると、それもまた塵に還り、風に舞った。


 両掌を床に付けて、へたり込みながら。

「……貴女の名前を、訊いてもいいですか?」

 と、問いかけた。

「ああ、まだ、名乗ってなかったな」


「――わたしの名前は、祇代カミシロ、マ……ああ、いや」

 言いかけたのを途中で切って、

「まー、でいい」

 と、付け足すように言う。

「まー、さん?」

「……まーお姉ちゃん、だろう?」

 その日、ぼくには突然、姉というものが出来た。


 彼女との暮らしの、それが一日目だった。 


(続きはない)

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