スパゲッティ・ナポリタン
「あした飲み会で遅くなるからさ、子供らの夕飯お願いね」
げ、またかよ。姉の言葉に俺はため息をついた。役場に勤めている姉が言うには、村役場はノミニケーション(これって死語じゃねーか?)が大事というが、月が変わって、これで三度目だぞ? いったい何度飲み会すれば気がすむんだ。
近所に住む姉は四年前に離婚し、今はシングルマザーだ。
よくドラマや映画なんかじゃ、しっかり者の苦労人ってイメージばかり増幅されてるが(演じてる女優も美人だったり凛とした雰囲気の人が多いよな。現実にはそんなん滅多にいないぞ)姉は不倫し、その代償としてシングルになった。自業自得と言えば、それまでだ。
虐待等の余程の事がないかぎり親権は母親にあるということも、そのときに知った。
(赤ン坊ほったらかして他所の男に走るのは、余程の事じゃ、ねーのかよ)
当時中学生だった俺は、そう思った。部活もそこそこに切り上げ(全員部活制だった!)毎日学校から帰れば即子守に明け暮れてたこともあり、当初は、裏切られたと感じたものだ。
弟である俺が言うのも何だが、姉はかなり美人の部類に入る顔立ちで人付き合いも良く、男にはモテた。ただ、姉は昔から奔放で飽きっぽく、いつも刹那的な快楽を求め、恋人ができても長続きしたことはなかった。恋人のままなら良いが、結婚するには向かない人がいる。姉は偶々このタイプだっただけだ。これが、俺の出した結論だ。
姉のことはともかく、さて、何を食べさせよう。高校生男子である俺の料理スキルはそんなに高くはない。カレーなら作れるが、以前作って持っていったとき、ご飯が無い! ということがあった。飲み会にいくなら飯くらい炊いといてくれよと思ったが、文句つけても始まらない。あのときは急いで飯を炊き、かなり遅めの夕飯にさせてしまった。
(飯がいらないもの……。パスタでも作るか)
それなら姉の家に材料を持ってって、少々手間だが向こうで作ったほうが良い。学校帰りに買い物をして、そのまま姉の家に行こう。
「わざわざごめんね。買い物したレシート、後で見せてね。まとめて払うから」
「わかった」
自分でも驚くほど、素っ気ない声が出た。離婚してから、というより不倫したとわかってから、俺は姉の顔を直視しない。出来なくなったのか、意地でしなくなったのかは、もうわからなくなってしまった。
「適当に、食わせとくから」
最近服の趣味が変わった姉を見送り、俺は夕飯の準備に取りかかった。傍らでは、甥っ子姪っ子達が興味津々といった様子で俺の周りをチョロチョロとまとわりついてくる。
「きょうは、おじちゃんが作ってくれるの? わーい、スパゲティだ、スパゲティだ」
「僕、いっぱいたべるー!」
「おなかすいたー」
好奇心旺盛なのは結構だが、まとわりつかれると料理出来ないし、第一、危ない。
「すぐご飯にするからな。あっちでテレビでも観てろ」
この時間は子供番組をやってるから、とても助かる。今のうちにチャチャッとやっちまおう。作るのはチビ達が大好きなナポリタンだ。炒めるだけでいいし、苦手な野菜もペロリと食べてくれる。
野菜とソーセージが沢山入ったナポリタンに、インスタントのクリームスープ、それに湯がき野菜のスティックといったメニューに甥っ子達は目を輝かせた。
「おいしい! おかわりしていいの?」
たくさん食べて大きくおなり、チビっ子ども。
「お家でスパゲティたべるの、はじめてだね」
口のまわりをケチャップで真っ赤にしながら、甥っ子が言った。
はじめて? 俺は違和感を覚えた。だってこれは……。
「ママは、作ってくれないか?」
ナポリタンは、姉がよく作ってくれた料理だからだ。俺が小学生の頃、夕飯によく作ってくれた料理だ。俺が作り方を覚えるほどに。
「お仕事でおそくなるから、いつもゆうごはん、パンとかラーメン買っててくれるの」
「今日も残業でおそくなるからって、あんパン買っててくれたけど、でも、いつもパンじゃ飽きちゃうよね。おじちゃん、スープおかわりしていい?」
残業? 飲み会で遅くなるからと言っていたのに。
聞いてはいけないことを、聞いた気がした。
覗いてはいけないことを、覗いた気がした。
「おじちゃーん……」
姪っ子の声で、我にかえる。
「ああ、ごめんごめん。そんなに食べて大丈夫かー? デザートにゼリー買ってきたんだけどなー」
笑って、ごまかした。
それから、数日たった後のことだ。
「こないだは、ありがとね。子供ら、また作ってって言ってたわ」
やはり、顔をまともに見れない。シャンプーの匂いが、やけに鼻につく。フローラル系の、甘くキツい香り。あの家に、フローラル系のシャンプーは置いていただろうか。
学生服の上にエプロンを着けてナポリタンを作っていた、あの頃の姉は、もういないのか。人間の脳は、過去を己の都合よく作り替えてしまうことがあるという。姉がよく俺の為に料理を作ってくれた……そんな過去は、そうであって欲しいと願う俺の幻想なのか。どうでもいいことだが。
問い詰めたい疑問も、ぶちまけたい愚痴もある。だが、感情にまかせても状況が変わるわけじゃない。姉は悪人ではない。ブレーキを踏むのがほんの少し遅いだけだ。
「また、作りにいくから」
甘ったるいシャンプーの匂いから逃げるように、俺は横を向いた。