自動販売機のミルクティー
(あれ、誰かがギターひいてる)
駅前の地下道を通ると、アコースティックギターの音が聴こえた。
地下道で路上ライブをやる人は珍しくないし、いつもなら気にも留めずに通り過ぎてしまうけれど、そのアコースティックギターの旋律には、なぜだか心惹かれた。
興味本位で、ギターの音色を追った。歩きながら、私は思う。
(なんだか、砂糖にさそわれるアリみたいだな)
と。
ギターの主は、すぐ見つかった。四十代くらいの男の人だ。珍しい。ギターにしろ歌にしろ、この辺で路上ライブをやる人はもっと若い人が多いからだ。
奏でている曲は良く知っている歌だった。若くして亡くなってしまったシンガーソングライターの歌だ。CDなどには収録されず、専らライブで歌っていた歌だと、教えてくれた友人は言っていた。
そのまま座り込んで、暫く聴いていた。時折、拍手をしながら。時折、知ってる箇所を口ずさみながら。
演奏が終わり、その人は私に
「珍しいね。この歌、知ってるの? すごくマイナーな歌なんだけど」
と、聞いてきた。歌詞を全て暗記しているわけではないが、大体わかると、そう答えた。
友人が得意としている歌だったからだ。彼女は、今どうしてるだろうか。
田舎にある、実家の祖父母はかなりワンマンな性格だった。家では、流行の歌やバラエティ番組等は禁止だった。祖父母はそういったものが嫌いだったからだ。流行りの歌手やアイドルが出ている番組等こっそり観ているのを見つかったらネチネチと嫌味を言われたものである。歌番組など、力を抜いて楽しく観られなければ意味がない。家のテレビは相撲か国会中継が流れるだけの、ただの電気箱だった。
ずっと昔に、友人に話したことがある。
「歌とか聴きたいんだけど、家さ、厳しいんだよね」
「それさ……厳しいんじゃなくて、婆ちゃん達がワガママなだけだよ。だって、自分がキライだから他の人もそんなの観るなって、そんなのただのワガママじゃん!」
友人は強い口調で、そう言った。
障害者の就労支援施設『きゃろっと』で働く彼女は高機能自閉症。いわゆるアスペルガー症候群だ。普段は殆ど主張することはないが、自分が納得できないことは真っ向から意見を言うタイプである。
「楽器、やってみれば? 練習曲だって言えば、よっぽどわからず屋でない限りガタガタ言わないと思う」
「楽器かあ……。弾いたことないけど」
小学生の頃、音楽の授業でリコーダーをやったくらいだ。
「教えるよ。ギターなら、ひける。今から家に寄る?」
結論から言うと、私にはギターの才能はなかった。
「Fならわかるけどさ……Gコード押さえられないってのは……。あんた、声はいいんだけどねー」
「弾き語りっての、憧れたんだけどね」
「弾き語りは、私もまだ上手くできないよ。練習中。……あ、一つだけ、完璧にできるやつがある。すごく好きなシンガーソングライターがいてさ、ずっと前に、死んじゃったんだけど。完コピしたくて」
「えー、聴きたいな」
「この歌は結局、レコードとかに収録されなかったみたい。ラブソングじゃないし、ちょっと暗い歌だからイメージに合わないって外されたらしいよ。こんな歌なんだけど」
喋るときとはちがう、低くよく通る声で彼女は歌い始めた。
陰鬱で、それでいて力強い旋律に乗せて、人の持つ醜い部分を皮肉の棘でくるんだ歌だった。
私は、暫し放心した。時間にして五分ほどの曲だったが、あまりに強烈なインパクトを残す歌だ。
「曲の途中にある『汚れながら生きてゆけ』っていう部分さ、気に入ってるんだ」
歌い上げた後、彼女はぼそりとつぶやいた。
「レクのとき、披露したりしないの? 施設長さん、確か講演とか一人芝居とかやってるよね。一緒にひいたりとか……」
彼女の働く施設では、1ヶ月に一度レクレーションがある。スポーツ大会だったり、娯楽施設に遊びに行ったり、おたのしみ会だったりと様々だ。施設長は福祉イベントにも力を入れており、私も見たことがあるが『差別をなくそうキャンペーン』などの催しもので弾き語りや一人芝居も手掛けている人だ。
「しないよ」
吐き捨てるような口調だった。
彼女は元々感情豊かな方ではなく、話し方もぶっきらぼうで、悪く言えば横柄な印象を受ける。だが、今の言葉は確実に怒気を孕んだ声だった。何か悪いこと言っただろうか。
「まだ、練習するでしょ? 下の自動販売機で、ジュース買ってくる」
そう言った彼女は、いつもの抑揚のない口調に戻っていた。
「はい」
手渡されたそれは、缶のミルクティーだった。
「いつも、それ飲んでるでしょ。炭酸のめないって前に言ってたし、ペットボトル飲みにくいって言ってたし」
彼女は人の好物など、こまごましたことは忘れない。本人は、つまらない事が気にかかるだけだと言っているが、それって凄いことだと思う。
「私さ、『きゃろっと』辞めようと思うんだ。もう話つけてある」
空っぽになったコーラの缶を弄びながら、彼女はそう言った。
「辞めたら、どうするの?」
酷なことだが、そういう症例に理解がある所でないと難しいだろう。
「何とかやってみる。やるしかない。……あそこにいても、プラスにならない。とにかく辞める」
「でも……」
「家族には、今までさんざん嫌な事言われてる。あんたがあんなとこ行ってるから、近所でも肩身狭くて恥ずかしい、姉ちゃんの結婚にも差し障るから、施設に働きに出てるって言わないでって、さんざん言われてる。今の私には、心の居場所がないのよ。今さら小言が一つ二つ増えたって屁の河童だから」
私は、何も言えないでいた。
「偽善者は嫌いなんだ。表立って馬鹿にする人よりも、表面上は味方のふりして、裏で真っ赤な舌出してる人の方が、大嫌い。そんな奴を全面的に信じてる奴も大嫌い」
友人と話をしたのは、それが最後だった。彼女は突然、姿を消してしまったから。
後日、新聞をみて驚いた。社会福祉法人『きゃろっと』が通所者の利用日数を水増しし、食事や送迎サービス等の金額を不正請求したとあったからだ。悪いこととは知っていたとあったが、馬鹿な事をしたものだ。施設長は福祉系の資格を剥奪されることになるだろう。
友人は恐らく、このことを薄々感づいていたのだろう。だからあのとき、あんなことを言ったのだ。
「表面上は味方のふりして、裏で真っ赤な舌出してる人の方が、大嫌い。そんな奴を全面的に信じてる奴も大嫌い」
彼女にとっては、私も『大嫌い』な部類なのだろうか。
彼女は、今どうしてるだろうか。
地下道のなか、ギターの音が響く。
「さっきの歌はね、教えてもらったんだ。君くらいの歳の女の子なんだけど。よく通る低い声で歌ってた」
え? それって……。
「ちょっと、待っててね。すぐ戻るから」
ギターを置いたまま、その人はどこかに出かけ、暫く後、何かを持って戻ってきた。
「はい、これ」
缶の、ミルクティーだった。
「教えてくれた女の子との約束でね、もし自分と同じような歳の子で、この歌を知ってる子だったら、缶のミルクティー渡してくれって」
彼女だ。
「あのっ……その子、今どうしてますか?」
「あちこちで、路上ライブやってるみたいだね。時々、この地下道でもギター弾いてるよ」
また、ここに来よう。いつかきっと彼女に会えるだろう。あの子の心の居場所は、ギターの音と共にあるのだから。