チョコレート
「ねえ、ちょっと買い物付き合ってくれない?」
大学の友達が、帰り際に言った。
「いいよ。どこ? 何買うの?」
今日はアルバイトもないし、このままアパートに帰っても特にすることはない。別段、断る理由はなかった。
「近所の店なんだけど……バレンタインフェアやってるんだ。一人じゃちょっと恥ずかしいっていうか……」
おやまあ、今時珍しいくらいオクテだ。一昔前なら『ネンネ』といわれただろう。
ともあれ、友チョコや自分用に買うという人も増えてきた昨今、バレンタインのチョコレートくらいでドギマギすることもないと思うが。
「あー……。こりゃ私でもためらうわ。今どき、ねぇ……これはないわ」
これ見よがしに飾り付けられた赤やピンクのハート形のバルーン、いささか子供っぽい感じのリボンがそこかしこに飾られ、ボードには丸文字で『バレンタインフェア』と書かれている。今どきこんな『女の子』を全面に出したものは流行らない。
「こりゃ売ってるチョコもハート形ばっかりとか手作りチョコキットばっかりかな」
「ううん、そうでもないみたいよ」
指さす方を見れば、ウィスキーボンボンやシンプルな包装をされたビターチョコレートなどがあった。
「あ、これにしようかな。カカオ七十パーセントだって」
「それ、彼氏にあげるの?」
「ううん、自分用。ホットショコラ作るとき、ちょうどいいんだ。ココアじゃ甘すぎるし。彼のは、これから選ぶの」
自分用か。そうね、こんな機会でもないとお目にかかれないようなのもあるし、私も選ぼうかな。
自分用となると、とたんに欲が出る。あれこれと目移りした末に、ある一角に目が止まる。
量り売りコーナーだ。半透明のプラスチック容器と、とりどりの色をしたアルミ箔に包まれた小さなチョコレート。容器一杯につめて三百円。よし、これにしよう。
多分、味はどれも一緒だ。ファミリーサイズの一口チョコと同じ味。一番間違いなくて、一番ほっとする味。自分用なんだから、緑色や青など好みの色のものを選んでつめていく。
ハート形ばかりではなく、星形やシンプルな丸、サッカーや野球のボールを模したものまであるのが嬉しい。たちまち容器の中は形様々、色とりどりのチョコレートで一杯になった。
「あっ、かわいい。彼の、これにしようかな」
いつのまにか側に来ていた友達が、容器を手に取ってあれこれとつめていく。選ぶのは全てハートの形ばかりだが、色は銀色と水色ばかりだ。ハートと聞いてすぐ思い浮かぶピンクや赤等は一つもつめられていない。
「他の色は、つめないの?」
それに、もっと豪華なチョコレートがあるのに。そう言うと彼女は、
「銀色と水色は、彼が好きな色だから。それにあの人、甘いもの好きなんだ。質より量だしね」
そう言って、笑った。
その夜、提出間近の課題と格闘していたときだ。実家の父から電話があった。ちょうど近くに来ているから今から寄ると言う。
「今度の休みには、ちゃんと帰るのに」
取り敢えず、干しっぱなしの服なんかは片付けておくか。ちょいちょいと片付けているころ、チャイムが鳴った。
「よう、元気か。ちゃんと食べてるか?」
「うん、今課題やってるとこ。提出日近いんだ」
「そうか、だらしない生活しとらんか? 服とか干しっぱなしじゃないやろな」
うっ、図星です。
「やだなあ……。ちゃんと片付けてるって」
「そうか。……ん? お前、チョコレートあげる相手できたんか」
今日買ってきたチョコレートだ。ご丁寧なことに店の人が気をきかせ、きれいな包装紙でラッピングしてくれたので、何も知らない父から見ればプレゼントにしか見えないだろう。
「え、えーと……」
自分が食べるため……とは、ちっぽけなプライドが邪魔をして言えない。
「今度、今度帰ったとき渡そうと思ったんだけど、これ、バレンタイン。食べ過ぎんでよ」
「おお、そうか。すまんな」
なんとかごまかせたらしい。
小一時間ほど、とりとめのない話をして、父は帰っていった。顔を見せに、たまには帰ってこい、と釘を刺すのを忘れずに。
お酒の飲めない父のこと、チョコレートすぐに食べてしまうだろうな。
二週間のち、私は実家に帰っていた。リビングに入り、ふとテーブルを見やると、いつも父が座る場所に、見覚えのあるプラスチックの容器があった。あのチョコレートだ。
「ああ、それ。あんたからバレンタイン貰ったって、父さんがね」
チョコレートはまだ、半分以上残っている。
「せっかく娘がくれたもの、一気に食えるかって、毎日一つづつ食べてんのよ」
父さん……。微笑ましくもあり、同時に申し訳なくもあった。
来年は、ちゃんと選ぶからね。