80 偶然の魔法
大きさの違う手のひらが四つ、宙に掲げられる。灯火のように暖かな光が、それぞれの手の甲に宿っていた。
「四大精霊の契約者が揃うのに立ち会えるとはな」
長生きはするもんだと当事者の一人、エドワードが笑う。すぅ、と肌の中に溶け込むように消えた光に目を細め、その手で窓から顔を出していたグレイの鬣を撫でた。
「で? もうあんまり猶予はないんだったか」
「そうですね。裂け目のモリオンは、ほとんどが連爆によって失われました……採掘されていたミズガルドでも、そう多くは残っていません」
「一応武器に加工された分は王様たちがかき集めたみたいだけどね。境界から切り離された時点で世界を分ける効果は失われてるみたい」
あんまり意味ないね、と言い添えたナツナにディックが苦笑をこぼす。
「ミズガルドの今後に、ニダウェの金網の向こう……解決すべきことは山とありますが如何せん、時間がない」
「どのくらいもつかわからない以上、ごちゃごちゃやってる猶予はないけど……」
あの、と小さな声が上がった。話が途切れるのを狙ったのだろうその声は小さくともよく通り、注目を集める。
「どうしたの?」
そわりと視線を泳がせてしまった声の主に、ジェレミーが首を傾げる。テーブルの上で握り締められている拳には、風の紋章が浮かび上がるのだ。
迷うように伏せられた目が、意を決して上げられる。関節が白むほど強く握られていた手がほどかれ、ふわりと風が吹いた。
「一週間、時間をもらえませんか?」
「時間を、ですか? それはまたどうして?」
最もな疑問を口にしたディックを押しのけるようにナツナが身を乗り出した。その赤い瞳はきらきらと輝いている。
「アオイ、なんか面白いこと考えてる? 天才のボクが手伝ってあげるよ!」
「面白いかはわかんない、けど……うん。手伝ってほしい」
いいよ! と元気よく返事をしたナツナが碧の両手を取ってぶんぶんと振る。そうしてそのまま引っ張って立たせ、自室へと向かって歩き出した。
「じゃあ、大人は大人でお話してていいよ! あっ、ベティたちも来る?」
半開きの扉に兎と猫と鷹が滑り込んだところでぱたんと閉じられた。あっけに取られたようにぽかんと口を開けてそれを見送ったディックが、申し訳なさそうにジェレミー達の方を振り返る。
「すいません、なんか」
「いやー、口挟む暇もなかったな」
「気を使ってくれたのかな?」
多分違うと思います、とは口にせず、ディックは曖昧に笑った。あの笑顔は楽しいことを期待している顔だった。新しいこと、新しい魔法、創造に期待する子供の顔だ。
「じゃ、大人の話をしましょうか……僕は一応成人ですからね?」
冗談めかしてそう言ったが、ジェレミーとエドワードが注視していたのはクッションの重なる椅子によじ登っていたシャオだった。
不思議そうに首を傾げる小さな彼こそ立派な大人である。
◆◆◆◆◆
「で、アオイは何がしたいの? その為に主様のところで何か頑張ってたんだよね?」
ぱたんと背後で扉が閉まるや否や、ナツナはワクワクと問いかける。魂を見通すアニマの力でユグドラシルとの交流はお見通しのようだ。
しかしながら、その内容は碧が初めてユグドラシルに会った時のように隠されている。薄く発光する瞳でもってしても、その記憶は覗けない。
それでもナツナの勘は、それが楽しいことだと告げていた。にこにこと碧の両手を握っていた手が握り返され、さらに楽しそうに笑みを溢れさせる。
「魔法を、つくりたいんだ……世界が分かれる前に」
「なるほどね……でもただの魔法なら、ボクが戻ってくるのを待つ必要はないもんね?」
ぱちりと瞬きをした紅玉の中で、再び炎が渦巻く。それを見つめ返した碧が大きく頷く。
「ユグドラシルの記録を見たんだ……人種は全部、一つの種から枝分かれした」
ヒューマーもエルフもバハムーンも、ドワーフもディアボロスもその祖は一つだった。気候や魔法への適正、信仰や考え方の違いによって長い年月をかけて分かれていったのだと、蓄積された記憶は語る。
「へぇ……ボクら元々一つだったんだね。デミヒューマーはヒューマーの進化種なんて言われてたけど……祖がヒューマーってわけじゃないんだよね?」
興味津々に問いかけてくるのに一つ頷く。
ヒトの祖である彼らは種族を名乗ることなく、長い年月をかけて歴史の中から消え去っていた。碧はその起源については調べていない。重要なのは、ヒューマーとデミヒューマーが同じ祖を持つという事実だ。
「ナツナに調べて欲しいんだ。ヒューマーとデミヒューマーがどのくらい違うのか」
炎が瞬いた。見開かれたまんまるなガーネットがキラキラと輝きだす。
「おっけ―! 任されよう!」
とん、と胸を叩いて笑う。かと思えば、両腕を広げて碧に抱き着いてきた。わ、わ、と戸惑いながらも受け止めた碧の頭を抱え込んで、ナツナは目を閉じる。
「ここに来てくれたのがアオイで良かった。ジェレミーが先に来て、アオイのこと見つけてくれて良かった」
――アオイが、二人目の神さまにならなくて本当に良かった。
ぎゅう、と抱き着いてくるナツナに、碧が目を見開く。
「うん……うん、良かった」
ナツナの胸元で声がくぐもる。その頭をポンポンと叩きながら、ナツナは扉の向こうを見つめる。
特別な子供の隣に立ったのが、平凡な子供で良かった。弱くて、痛みに敏感な子供で良かった。
順番も出会いも偶然で。碧はジェレミーに救われたが、ジェレミーだって碧に救われている。
「よし!」
ぱっと離れたナツナはノートを取り出して赤い目でつらつらと書き連ねていく。碧もそれを覗き込んで、あれこれと口を出していく。
「選択する時間はあった方がいいよね……もしかして、それも込みで一週間?」
「あ……うん、そのつもりだった」
「ふふ流石、ボクの天才具合をよくわかってるね!」
得意げに胸を反らすナツナに碧は頷く。箇条書きに幾つもの線が繋げられ、ノートの上に複雑な陣が浮かび上がり始める。
「通達にはシルフィードが力を貸してくれるって」
「じゃあ、口上とか考えとかなきゃだね。アオイが言うの? それともジェレミーさん?」
「ジェレミーさんの方が声響きそうじゃないかな?」
「そっか。じゃあ、ちょっと偉そうな感じにしよ」
ぱらりとめくられたページにまた文字が足されていく。世界の分断が控えているとは思えないほどに楽しそうなナツナにつられて、碧も笑みを浮かべていた。




