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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第4章 如何にして彼らは英雄となるのか

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79 自己満足の夢

 夕刻近くにふらりと帰ってきた碧はどこか晴れやかな表情をしていた。その顔色は思わず心配になるほどに白かったが。


「ただいまかえりました……」

「ご飯できるまで寝て来なさい」


 ぽやんとした口調にジェレミーは思わずそう言って手を貸した。疲れているのか眠いのか、足元がおぼつかないようだ。ベリルとルーナに視線で問いかけるが、二匹ともふるふると首を横に振るだけだ。

 んー、と不明瞭な声で唸った碧はとうとう目を閉じてしまう。ジェレミーは熱がないかだけ確かめ、すっかり力を失った身体を抱え上げて部屋へと向かった。


 碧をベッドに横たえて戻ると、ディックとシャオがそれぞれベリルとルーナの足を拭いているところだった。


「主様の領域に行かれていたんでしょうか?」

「そうっぽいね」


 ディックは問いを拾った二匹がうんうん頷くのを見て、首を傾げる。


「主様がアオイさんに危害を加えるとは思えませんが……何があったのでしょう?」

「疲れてるだけっぽかったけど……二人が何も言わないんだから大丈夫なんじゃないかな」


 ね、とシャオが問いかけるようにそう言えば、ベリルは応えるように一声鳴いて碧の部屋へと向かって行った。ルーナもそれに続く。

 それを見送ったところで今度はザクロが窓から顔を出した。窮屈そうだ。


『グレイからもうすぐ着くと連絡があったぞ――いよいよだな』

「そうだね……」


 ジェレミーはそっと手のひらを握り込んだ。その甲に薄く金色の光が浮かび上がる。それを見たザクロが懐かしいな、とつぶやいた。


『いつだってお前は隠さなければならなかったものな……お前が胸を張って生きていられる世界へ()()()()()()()()はきかずにおくか』

「ふふ、ありがとう」


 自分の頭など丸のみにできそうな顎をなんの躊躇もなく撫でる。硬い鱗の滑らかな手触りを堪能してから手を離すと、ザクロも低く笑った。



◆◆◆◆◆



 あぁ、これは夢だ。碧は咄嗟にそう思った。目の前には薄もやに包まれた人影が幾つか立っている。見回した視界の中は霧に包まれたようにぼんやりとしている。

 ユグドラシルに無理を言って記憶を見せてもらって疲れたのだろう。実のところ、森からどうやって帰ったのかも定かではない。


 何も言わず、何もせず。ただ突っ立っていると、人影が何やら呟いているのが聞こえてくる。


『――だって』

『どうして――なんて』

『実はあんまり――って話らしいわよ、碧ちゃん』


 不意にそのぼそぼそ声に自分の名前が混ざり、碧は静かに目を見開いた。よく見れば、人影とこちらの間は薄い膜のような、壁のようなもので遮られている。碧はその境界まで近寄って目を凝らし、耳を澄ませた。

 碧が聞こうとしているからか、ひそひそ声のノイズが晴れて言葉が鮮明になっていく。


『ほら、あそこのお嫁さんと姑さん仲悪いでしょう? あの子、いっつも居心地悪そうにしてたじゃない?』

『そりゃ逃げ出したくもなるわよ。旦那さんだって頼りにならないし』

『長男さんはキツイ子だし末の娘さんは我儘だし、ねぇ。疲れちゃったんでしょうね』


 周りは結構見ているものなのだな、と碧は他人事のようにそう思った。もしかすると、自分がいた時からあの家族は普通ではなかったのだろうか。


 もしくは、碧に寄っていたしわが方々に散って歪んでしまったのか。

 あるいは、自分の我慢に意味があったと思いたいが故の、都合のいい幻だろうか。


『あんなに大人しい子が家出だなんて……』

『でも書置きも何もなかったんでしょう?』

『ううん、旦那さんに恨み言のメール送ってそれっきりって聞いたわよ』


 恨み言、と一人呟いて、その時のことを思い出した。あの日は、母と祖母が朝から言い合いをしていて家の空気が悪かった。兄と妹は遊びに出掛けていた。逃げるように出掛けた父を追うように、碧も家を出た。特に目的地などないまま、ふらふらとあてどもなく歩き続けていた。


 帰りたくなかった。いつだって、そう思っていた。平日もいつもぎりぎりまで図書室にいて、目いっぱい遠回りして帰っていた。

 家族になのに。そんな風に考えてしまうことに、罪悪感を感じていた。迷惑をかけるのが怖くて、誰にも何も言えなかった。おかしいと言われるのが、怖かった。


 普通でいたかった。普通になりたかった。


 碧はそっと手を伸ばした。指先が不可視の壁に触れて阻まれる。ひどく冷たくて黒い壁だった。触れた部分から鳥肌が立つように寒気が広がり、弾かれるように手を離す。

 曇りガラスの向こう側に、霞んだ人影が浮かび上がった。


『アンタがあんな風に言うから、あの子がいなくなったのよ!! 私忘れてないからね! あの子が生まれた時、アンタが何て言ったか!!』

『わ、私はただ……』

『うるさい! 全部アンタのせいよ! アンタらのせいであの子が出て行ったの!!』


 金切り声に震える人影と、頭を抱えるシルエット。それらの輪郭がぐにゃりと歪んで混ざり合うように溶け、二つに分かれた。


『お兄ちゃんがあーちゃんのこと追い詰めたんでしょ? 跡継ぎ跡継ぎって、優越感浸ってウチらのこと見下して! おばあちゃんもバッカみたい! なーんにもないくせに!!』

『俺だけのせいにする気かよ!? お前だっていっつもアイツが気ぃ弱いからって色んなモン奪ってただろ! そういうのが嫌になったんじゃねぇの!?』


 積み重なった小さなことが胸の奥に重く溢れ出して来る。ずっと碧が丸呑みにしてきたものだ。吐き出せないままに身体一杯に詰め込んでいたものだ。


 あぁ、わかってもらえたのだ。碧が苦しかったこと、辛かったこと、それを彼らは理解してくれたのだ。あるいは知っていて、放っておいたものを、ようやく拾い上げてくれたのだ。


 碧は大きく息を吸った。壁を隔てて聞こえるだろうか、と一瞬そう思ったが、自己満足でいいのだ。だって、これは――夢なのだから。


 ()  ()  ()  ()


 途端、飛び交っていた怒鳴り声が止んだ。呆けたように空中を見つめているように見える人影に、碧は首を傾げる。すると、ひどく強い眠気が襲ってきた。

 夢のはずなのに、と浮かんだ疑問を掻き消すように、意識が途切れた。


――その夜。エドワードたちがニダウェに帰還した。

とうとう完結間近となりました。

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