76 選べなかったこと
シャオがニダウェから戻ったのはそれから数日後のことだった。元気いっぱいに突き上げられた拳には炎の紋様が薄く光を放っていた。
「本気のバリーすごかったよ……まぁ、ちょっと危うかったけど。オイラも覚醒できたしね」
オーバーな身振り手振りを交えて精霊の試練を話すシャオ。バリーの方は役目は果たしたとばかりにラビとともにギムレーの方に戻っていったらしい。
「ラビにも手伝ってもらったんだけどね……ただ、クルと離れなきゃなのやっぱり寂しいって」
しょぼん、と垂れ下がった耳に相槌がぷつりと途切れた。両手で包んでいたティーカップはすっかり手のひらと同じ温度になっている。
黙り込んだ碧にはっとしたようにシャオが身を乗り出した。
「でもね、別々の世界でも生きてる方がずっと良いって! 今からバリーに預ける練習するって言ってたよ!」
「そっか……」
あの桃色の仔リスがバリーの頭に乗っているところを想像してみる。彼の髪色からしてもミスマッチだろうな、とせんのないことを思った。
碧はそれを振り払うように頭を振ると、話題を変えようと口を開いた。
「エディさんももうすぐ戻ってくるみたいだし、これで精霊の契約者が全員揃うんだね」
「うん……そう、だね」
急に歯切れが悪くなったシャオに碧が首を傾げた。ふわふわの毛に覆われた手をぎゅっと握り締めていたシャオは、目を泳がせている。
「えっとね、」
「……どうしたの? ――わ!」
碧が小さく声を上げた。ルーナが机と碧の身体の間に無理やり身体をねじ込んできたのだ。机の上に前脚をかけたルーナはじっとシャオを見つめている。咎めたてるようなその視線に、シャオはたじろいだ。
「ん、うー……うん。やっぱり何でもない」
押し切られるようにそう言ったシャオに、ルーナが机の上に乗り上げた。てちてちと短い距離を歩いていくと、ぽむ、と前脚でシャオの顔を叩く。
「ルーナ?」
「ん。はい、ごめんなさい」
困惑する碧をよそに、ルーナの行動を理解しているらしいシャオは耳を下げて子猫に謝った。それで満足したらしいルーナは碧のもとに駆け戻ってかわいらしく撫でをねだる。
訳が分からないままに子猫をくすぐる碧に、シャオはちょっとだけ口を開いた。言葉にはしないまま、はくりと空気を揺らす。
――まだ、オイラの故郷に行ってないよね。
そんな、小狡い言葉を吐きそうになった。きっと碧ならシャオの家族とも仲良くなってくれる。金網の向こうの友人とも一緒に遊びたい。
碧は優しい。友人のシャオがそう言ってしまえば、ここに残ってくれるかもしれない。
ぶるぶるっと頭を振って、シャオはそんな考えを頭から追い出した。
◆◆◆◆◆
「う~ん、ミスマッチ」
地面に散らばったガラス片に写り込んだ己を見て、バリーはそんなことを呟いた。逆立てた赤紫の髪の中に埋まるように、大きな桃色の尻尾が見え隠れしている。
とんとんと指先で自分の肩を叩いて誘ってみるが、移動する気はないらしく小さな小さな爪が頭皮に立てられる。バリーにとっては痒みにもならないようなものだが、しっかり抗議の意思表示として伝わってきた。
「クル、わがまま言わないの」
きゅ、と短い鳴き声がしてぶんぶんと尻尾が振られる。苦笑したバリーはいったん仔リスを引きはがすと茶色のざんばら頭の上に乗せてやった。
「うん。やっぱりこっちの方がしっくりくるね」
「そう、ですかね……」
バリーはこともなげにそう言うが、ラビの顔は晴れない。クルも大きな瞳を潤ませてラビの頭に顔を擦りつけている。
いやいやと全身でもって伝えてくるカーバンクルにつられてつんと来た鼻をすすり、ラビはてきぱきと魔法で細かいがれきを片付けていく。
シャオがドウェルグから呼んでくれたドワーフらも手を貸してくれたおかげで、片付け自体は思ったより早く終わりそうだった。壊れた建物の修繕にはもう少しかかるだろう。
それまで仮住まいにしているテントは、第二世代以降の子供らとドワーフが共同で使っている。
金網の中しか知らず、ろくに教育も受けていない彼らにとっては初めて見るバハムーン以外のデミヒューマーだ。それも比較的ヒューマーに近い姿のバハムーンと違って、ふわふわの毛に覆われた体躯は彼らとそう大きさも変わらない。
もともとドワーフが人懐っこい種族であることも相まって、瞬く間に友好的な関係を築き上げていた。しかし――。
「この光景も、消えちゃうんだねぇ……」
ぽつりとつぶやいたバリーは傍らの少年を見下ろす。唯一その事実を知る少年は、肩を震わせている。その頭をクルが一生懸命撫でていた。
「……僕も、デミヒューマーに産まれてこればよかった」
そうすれば。たったそれだけのことで。この小さな友人と二度も別れなくて済んだのだ。
「そう?」
小さな嘆きを拾ったバハムーンが小首を傾げる。八つ当たりじみた視線をそちらに向ければ、バリーは言葉を探すように顎を擦っていた。
「君がそうじゃなかったら僕、きっと君のこと視界にも入れてなかったよ」
もしもラビがデミヒューマーだったら、金網の向こう側には生まれないはずだ。果たしてそこで生きていたクルに会うことは出来ただろうか。
少なくとも、両親を殺すような事態には陥らなかったことだろう。
「領域に入る前に言ったでしょ? 君の過去に親近感覚えたって」
「それ、は……そう、なんですか」
あの時はゆっくり考える暇もなかったが、今改めてそう告げられれば嫌でも理解できてしまう。ラビはバリーの過去を知らない。それでも普段の彼の躊躇のなさを加味すれば、ある程度の想像はつくものだ。
「ヒューマーがいなかったら俺は今でも父さんと暮らしてたけど、カルラのことは遠くから眺めてるだけだった」
大したとりえもなかった大人しい子供はあの日、憎悪を糧に変貌を遂げた。カルラの目についたその少年は手を引かれて、今も彼女の傍にいる。
ラビだってそうだ。あの日のことがなければ今、世界を救うためにとバリーに舞台へと引きずり上げられることはなかったのだ。
「これまでのこと全部、何か一つでもずれてたら、僕らこうして隣に立ってることもなかったんだろうね」
大きく伸びをしたバリーは足元にあったがれきを蹴り砕いた。小さくなったそれを次々蹴って近くにあった台車に載せていく。
「なんにせよ、もうこうなっちゃったんだし、今からでもなんか徳積んどきなよ」
徳、とつぶやいたラビに、バリーはからりと笑う。
「これまで散々な目にあってきたんだし、ちょっといいことしとけば案外報われるかもよ?」
ほらほらキリキリ動いた。そう言って追い立ててくるバリーにラビも少しだけ笑っていた。




