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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第4章 如何にして彼らは英雄となるのか

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73 一触即発未遂

 高く結い上げられた長い髪を揺らしていた風が止む。吹き抜けた余韻がジェレミーの全身をぬるく撫でていった。冷や汗のせいだろうか、穏やかなはずの風に体温が一気に持っていかれる。

 咄嗟に上げた視線がエメラルドのそれとかち合った。驚いたように大きくなった瞳に、ジェレミーの手元が映っている。


「ッ、一旦! 落ち着け!」


 反射的に身構えたジェレミーに対し、エドワードは諸手を上げてそう叫んだ。蹴倒した椅子がけたたましい音を立てて床に転がる。

 音と空気に驚いたらしいフィアラルの雛が、一生懸命羽ばたいてテーブルの上に飛び乗った。もう隠すことも誤魔化すこともできないだろう。


――護らなければ。この小さくて無力な存在を。己の四つ足の内側にいる存在を。彼らを傷つけようとする人間から!


 どくどくと増えた血流が耳元で脈打つ。ぎちりと音が鳴るほどに握り締めた拳からふわりと血の香りが漂った。


「だっから落ち着けって! なんもしねぇよ!」


 両手を見えるように顔の横に掲げたまま、エドワードが吠える。


「こんなとこで騒いだらお前もヤバイことになるだろ! ほら、そいつも怖がってるから落ち着けって!」


 エドワードは縮こまったフィアラルを指差すついでにつむじ風を起こして外の看板を『CLOSE』に裏返す。気休めかもしれないが、防音用の風の結界もこっそり張っておいた。

 ジェレミーから飛んでくる殺気に近い空気に焦りつつも、現状を把握しようと必死に頭を回す。


 青年のカバンから出てきた魔物の雛。しかも様子を見るに彼によくなついている。思わず頭の辺りを確認したが、角が生えているわけでもなく耳だってとがっていない。――自分とは違って。

 店に招き入れる前から何か訳ありだろうとは思っていた。だから、もしかしたらと思ったのだ。


「なぁ、お前もハーフだったりすんのか?」


 期待したのだ。自分と同じ存在かもしれないと。父と己を愛してくれた母のようなヒトが、他にもいたのかもしれないと。


――残念ながら、ジェレミーが怪訝な表情を浮かべたことでそれは夢と消えたのだが。


「……ハーフ? っていうかお前()って……?」


 エドワードはあ、とやや間抜けな声を小さく漏らした。が、すぐに腹をくくる。どうせ訳あり同士だ。少し落ち着きつつあるこの男をなだめるには己も腹を見せるしかないだろう。


「そ。俺はデミヒューマーとヒューマーのハーフなんだよ。だから……っていうのも変だが、魔物(そいつ)に危害を加えるつもりはねぇ」


 ぴゅいぴゅいと不安に鳴く雛を風でくすぐるようにあやす。ふわふわの羽毛が揺れて、金色の瞳が気持ちよさそうに細められた。

 それを見たジェレミーがふ、と拳の力を抜く。エドワードも静かに息を吐いて両手を下ろした。沈黙の中でフィアラルが不思議そうに首を傾げていた。


「まぁ、なんか訳ありだろうなとは思ってたが……魔物連れとはねぇ」

「……事故みたいなもんだけど」


 そうだろうな、とエドワードは手のひらを上向けてフィアラルを手招いた。ぴくっと短い尻尾を跳ね上げたフィアラルがトテトテと歩いていく。テーブルの端から飛び立った柔らかく小さな命は大きな手のひらの中にすっぽりと収まった。


「お前もシルフィードの加護持ちなのか?」


 くりくりとその小さな頭を指先で撫でながら問えば、黒い髪の植わる頭が左右に振られる。うん? と首を傾げると視線が明後日の方向へと向いた。


「……こういう言い方アレかもしれねぇけど、ヒューマーなんだよな?」

「……まぁ」


 うーん? とやや混乱して止まってしまった指に、撫でを催促するようにフィアラルが頭突きする。顎下に移動させた指であやしつつ、倒れてしまった椅子を風でふわりと起こしてやった。

 ジェレミーはやや気まずそうにしつつも大人しく腰を下ろす。


「なんつーか、居づらそうにしてたのそういうことだったんだな」

「……うん」


 感じた違和感を紐解いていくように尋ねれば首肯が返ってくる。気が抜けたのか気を許してくれたのか、返答はどこか幼い。


「エドワード、さんはどうしてここに住んでるんですか?」

「そりゃ、ここで生まれて育ったからよ」


 ケタケタと笑いながらそう言うエドワードにジェレミーは首を傾げた。当然の反応だろう。


 ミズガルドのヒューマーはデミヒューマーを魔族と呼ぶ。魔物と大枠同じ括りに入れているのだ。ジェレミーはデミヒューマーのことは偏ってはいるものの知識としては知っていた。そしてその知識と目の前で笑う美丈夫が結びつかないのだ。


「俺のお袋はヒューマーだ。で、親父がエルフ……さっき言った通り、俺はヒューマーとエルフのハーフってやつなんだよ」


 エドワードが魔物といるヒューマーという存在を比較的あっさりと受け入れたのは、()()()()()()もいるという前例を知っていたからだ。後にも先にも彼女しかいなかったそこに、彼はすこんと収まってみせた。


「わかってるとは思うが、他のヒューマーには内緒な?」


 桃色に彩られた唇の前に指を立て、悪戯っぽく笑う。いつの間に登ったのか、フィアラルがエドワードの頭の上からジェレミーに向かって飛び降りる。

 一通り遊んでもらってご機嫌な雛を受け止めながら、こくりと頷いた。安心したように笑ったエドワードに、思わず口を開いていた。


「また、来てもいい、ですか?」


 再び舞い始めた糸と布の中、きょとんと丸まったエメラルドが優しく細められた。

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