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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第4章 如何にして彼らは英雄となるのか

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68 身の内へ

 小さな狼にすがってひとしきり泣いた後。ジェレミーはふわふわの毛並みを堪能するようにフェンリルの顔を撫でた。幼い頃から犬を飼っているのもあって撫でるのは上手い。異世界の動物もおおよそツボは同じらしく、フェンリルはぶんぶんと尻尾を振って喜んだ。


「本当にチビそっくりだ……」


 わしゃわしゃと撫でくり回しているともっともっとと言わんばかりにフェンリルは後ろ脚で立ち上がってジェレミーの肩に前脚をかけた。ぱたぱたと興奮しきった様子で耳が揺れている。


「わ、あははっ……君はただの狼なのかな?」


 山の中には多くの魔物が住んでいると聞いていたが、普通の動物もいるのだろうか。その辺りの詳しいことをオルターは教えてはくれなかった。くわえて言えば、当時のジェレミーには動物と魔物を区別する術はなかった。ワイバーンのようなわかりやすい特徴を持つものは別だが。


『違うよ、その仔はフェンリル。ノームから加護をもらった魔物だ』


 不意に幼い声が頭に響き、ジェレミーは素早く立ち上がって辺りを警戒する。フェンリルはこてんと首を傾げてジェレミーを見上げていた。

 風は止まっていたのに、がさりと背の高い草が揺れる。カーテンのように自然と左右に分かれたそれにジェレミーが目を丸めていると、草の影からその足音は姿を現した。


 見事な黒毛の馬だ。しかし本来の馬にはありえない藻のような鬣に魚の尾。加えて先のドラゴンと同じ声なき声。こちらは疑いようもなく魔物だ。

 ジェレミーは思わずフェンリルを強く抱きしめた。四つ足の内側に囲うように抱き上げて後ずさる。フェンリルはこてんと首を傾げてジェレミーと黒馬――ケルピーを見比べていた。


『待って待って。ねぇキミ教団に連れてこられた子でしょ?』

「……!」


 ぴくりと眉が動いた。ケルピーは過去にデミヒューマーと交流したことがあったので、他の魔物よりもジェレミーの状況をよく理解していた。加えて比較的小さく、爪も牙もない身体をしている。その代わりに真っ黒の蹄は立派だったが。

 弱いわけでは決してないが、見た目が与える威圧感や恐怖は先に遭遇したワイバーンよりも小さかった。その上ジェレミーも友人のそっくりさんとの出会いでやや落ち着きを取り戻している。警戒しつつも一応話を聞く気概はあるらしく、その場から一目散に逃げたりはしなかった。


「キミは、何?」

『ボクはケルピーだよ。水の精霊ウンディーネの加護を頂いた魔物……キミの名前は?』


 ジェレミーはほんの少し迷ったが、素直に名乗った。存外表情が豊かな黒馬はふわりと笑う。


『やっぱり。ちょっと前に噂になってた子だ』

「……『異世界からの救世主』?」


 少しばかり小馬鹿にするような響きにケルピーは首肯を返す。ジェレミーは大きく溜息を吐いた。


『普通のヒューマーとそんな変わんないように見えるけど……』

「そう、かな……」


 うん、と簡単に肯定して見せたケルピーにジェレミーは表情を緩めた。首を傾げるケルピーを他所にずっと抱き上げていたフェンリルを地面に下ろす。


『で、アイツらここで何して来いって?』

「化け物退治してこいってさ」

『化け物? 魔物じゃなくって?』


 ケルピーの指摘にそう言えば、とジェレミーも教団の言葉を思い返す。しかし、彼らは確かに森深くに住まうらしいモノを化け物と呼んでいた。


「森の奥深くに魔物とは別の化け物がいるんだってさ……アイツらが言うには、だけど」

『森の奥深く……ねぇ』


 まさかね、と念話を使わずに胸中で呟き、ケルピーは裾野の方向を睨む。アメジストの視線をジェレミーの方へと戻すと、話に飽きたらしいフェンリルがじゃれついていた。


『随分なついてるね?』

「そう、だね。魔物は人間を襲うって聞いてたけど……」

『……まぁ、アイツらはそう言うだろうね』


 ケルピーはジェレミーをじっと見つめる。彼に魔力はない。異世界の人間と言っていたが、そちらは魔法のない世界なのだろうか。

 そうして、もしもそうだとして。ヒューマーはおろか、魔法使いにも滅多になつかないフェンリルが千切れんばかりに尻尾を振っているのは何故なのだろうか。


『……不思議だなぁ』


 あぁでも自分も小さかった時はグレイにじゃれつきに行っていたっけ、いやでもあそこまでではなかったかな、と。遠い昔を思い返しながらケルピーは小さく笑う。そうして少し表情を引き締めた。


『ジェレミーはこれからどうするの?』


 あ、と微かに声を漏らしたジェレミーがそれきり黙り込む。仔狼も流石に空気が変わったのには気づいたのか、撫での催促を止めた。うつむくジェレミーに戸惑うように周囲をうろちょろと歩き回ってクンクン鳴いている。


『……アイツらのとこに帰りたいの?』


 零れるように漏らした疑問に、ケルピーが一番驚いていた。帰らない、と。帰りたくないと言って欲しくて、そう尋ねたのをはっきりと認識していた。


――ただ、彼と離れ難かった。ここに居るよと言って欲しかった。首を横に振ったのを見て湧き上がった感情は、疑いようもなく喜びであった。


『じゃあ、ここに居れば? ……皆、歓迎してるみたいだし』

「……皆?」


 首を傾げるジェレミーの後ろで幾つかの茂みががさごそと音を立てる。恐る恐ると言った様子で姿を現したのは、大小さまざまな魔物たちだった。

 あるものは遠巻きに、あるものはじゃれつくフェンリルに混ざりたくてうずうずと、我慢しきれずにそろそろと足元へ。


『ワイバーンが怖がらせたから皆近寄るの我慢してたんだよ……仕方ないからボクが代表でお話することにしたんだ』


 くすくすと笑うケルピーの後ろで件のドラゴンが決まり悪そうに身体を縮めて頭を掻いている――それは、教団に詰め込まれた嫌悪と憎悪に反する穏やかさだった。


 だから、ジェレミーは彼らに手を伸ばしたのだ。

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