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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第4章 如何にして彼らは英雄となるのか

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67 遭遇と邂逅

 量産品のロングソードが手の中でずっしりと重かった。ジェレミーが数分殴り続けても奪えなかったものを、一突きで奪う道具だ。

 そんな荷物を抱えて、ジェレミーは山の中で途方に暮れていた。いくら彼の身体が丈夫だとしても獣が徘徊する山の中で、身一つでのサバイバルなどやったことはない。


 じっとしていても仕方がないのはわかっていたが、下手に動きたくもなかった。思えば異世界に来て一人きりになったのはこれが初めてだった。大抵は教団の誰かしらが傍にいて彼を監視し、洗脳しようと言葉をかけていた。煩わしさしかなかったものの、それに神経を割いていたことで誤魔化されていたものがあったようだ。


 じわじわと目の奥が熱くなってくる。頭の中で両親や友人、チビの顔がぐるぐると回っていた。

 何故だか垂れて来そうになった鼻を一つ啜り、濡れた目元を拭う。は、と吐いた息はほのかに熱い。


 教団の元には戻れない。戻りたくもない。では、これからどうしようか。そんなことを考えていると、背後で大きな音が鳴った。反射的に振り返り、ジェレミーはそのまま動きを止めた。


「っ、あ……」


 小さく声を上げた彼に、遥か上にあった柘榴石のような瞳がゆっくりと瞬きをする。鋭い爪を持つ猛禽類のような前足が一体化した、蝙蝠のような翼。燃えるような赤い鱗に覆われた大きな身体。

 おとぎ話やゲームの中にしか存在しなかった、ドラゴンが彼の目の前に立っていたのだ。


 ちなみにであるが彼はやがてザクロと名付けられるワイバーンで、優雅な空中散歩中に彼を見かけて様子を窺いに舞い降りたのだ。いつもがやがやと大勢で攻め込んでくるヒューマーとは違い、一人ぽつんと佇んでいたのがどうにも気になったらしい。

 ついでに言うと試してみたいこともあった。


『我の声が聞こえるか、小さき者よ』


 青い瞳が大きく見開かれジェレミーは耳を押さえて数歩後ずさる。信じられないと言った様子でワイバーンのことを見上げた。赤熱する石炭のような大きな目が得意げに細められる。

 ワイバーンはつい先日ケルピーに教わった思念話というのを試してみたかったのである。反応によっては魔物狩りに来たヒューマーと戦わずに追い返せるかもしれないと期待していた。


『聞こえているようだな……主は何者だ?』


 純粋な疑問をぶつけてみるが、応えはない。思わず力が入ったらしい手の中でロングソードの切っ先が少しだけ上を向いた。それを見咎めたワイバーンが大きく顎を開く。


『我に敵対する気か?』


 その言葉にはっとしたジェレミーは反射的にロングソードを投げ捨てた。がらん、と地面に転がるよりも早く、踵を返して地を蹴る。

 それは、本能的な逃走だった。身体を生かそうと必死に心臓が肺へ足へと血を巡らせ、どくどくと耳の中でも脈打つ。


「っ、はぁ……ッ、はぁっ……!」


 どのくらい生存本能に突き動かされるままに走っただろう。ジェレミーはいつの間にか少し開けた草原のような場所へとたどり着いていた。燃えるような熱も威圧感も追ってはきていなかった。

 加えて、真っ直ぐに歩いてきたはずの山道はもう見当たらない。本格的な迷子である。がくがくと震える足に負け、ジェレミーは近くにあった切り株に腰かけた。抱えた膝に顔を埋めて必死に息を整える。


 危機的状況を取り敢えず脱したことで思考は酷く冷静になっていた。そうすると、どうしようもない疑問ばかりが浮かんでは弾けて澱のように沈んでいく。


 これからどうすればいい?

 山を降りたらどうなる?

 元の世界には帰れるのか?


 熱くなっていく目元を誤魔化すように冷たい両手で顔を覆った。あまりにも強烈な不安と恐怖心が、今までにないほどに激しくジェレミーの情緒を揺さぶっていた。ぐるぐると思考が堂々巡りから抜け出せなくなりそうになった時、彼は現れた。


 風の音だけが吹き抜けていたその場所に、それは不意に聞こえてきた。さくさくと下草を踏みしめる軽い足音がジェレミーの周りを窺うように回っていた。

 小さな獣の足音だ。さほど脅威ではないと判断したジェレミーは顔を上げた。


 座り込んでいたジェレミーを見上げていたのは灰色の仔狼だった。勿論普通の動物ではなく、ノームの加護を受けた魔物……フェンリルである。

 フェンリルは行儀よくお座りし、小首を傾げるような体勢でジェレミーの顔を覗き込んでいた。ふすふすと興味深げにジェレミーの匂いを嗅いでいる。呆然としていた頬に濡れた鼻面がすり寄せられた。視界が、歪む。


 当時のフェンリルはほとんど産まれたての赤ん坊のようなもので、色んなものに興味津々であった。この日も嗅ぎ慣れない匂いに興味をそそられジェレミーの元に辿り着いたのである。


「チビ……?」


 不意にそう声が零れたかと思うと、ふんふんと夢中で鼻を鳴らしていた仔狼の額の辺りにぽつりと水滴が落ちた。驚いてキャン、と小さく鳴くとぐいっと引き寄せられて鼻先が青年の肩に乗っかる。

 幼い頭の中を疑問符でいっぱいにしながら首を傾げていると、くっついてきた身体が震えていることに気づいた。


 なるほど、この子は寒いのか。よくよく見ると毛が少ない。何と頭にしか生えていないのだ。身体に纏っているものもなんだかつるつるとしていて冷たそうだ。

 それなら自分の体温を分けてやろうと何故か濡れていた頬に自分のふわふわを寄せる。ぽろぽろと水滴の勢いが増して、少し困ってしまった。

この時は顎にも生えてなかった。

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