60 私たちと彼らの選択
追いかけてこないことを不思議に思ったのか、虹色の魚はくるりとエドワードたちの方を振り返った。が、その視線の先には誰もいない。首を傾げるように身体をねじり、疑問符を浮かべる。
不意に彼の真下の地面がぼこりと膨らんだ。突き上げるように迫ってくる地面を咄嗟に旋回して躱す。驚いている暇もなく次々と生えてくる先の丸い槍の間を縫うように泳いでその場から離れた。槍はその表面を撫でることすら出来ずにただただ乱立していく。
振り返った先では地面に手をついて言霊を唱えるスペイスの姿が見える。
――他の者たちの姿が、ない。
瞼の無い目が少し大きくなる。黒々とした瞳の中に、蜃気楼が揺らいだ。素早く身を翻す。透明な空間で、水が大きく動いた。
「あっ、もー! 今の惜しかった!」
じわりと色を持ったディアボロスが叫ぶ。その足元でジャッカロープが苛立だし気に後ろ脚で地面を叩いた。暖かな水が再び彼女らを覆い隠していく。が、よくよく見ればその付近の空間が歪んで見えていた。少し気をつければなんてことはない。
再び尾びれで水を蹴る。ぐん、と前に進んだつもりだった。が、横から大きな力に押されて流されていく。
「流転の精霊よ、加護を受けし者に応え、大いなる流れを導け!」
『恵みの精霊よ、加護を受けし者に応え、潮流を我が意志のままに!』
2人の詠唱が重なる。巻き起こった風が海底の白砂を巻き上げ、潮の流れに混ぜ込んだ。白くなる視界とぐるぐる回る水流に翻弄され、虹色の魚は逃れようと大きくひれを打った。
頭上高く、ケルピーにまたがったエルフが叫ぶ。
「3時の方向だ、囲い込め!」
地面が揺れた気がして、彼はぐるりと旋回した。が、数センチと進まない内に、身体が何かにぶつかる。その方向を向いても何も見えない。
あちらこちらへと向きを変えて泳いでも直ぐに何かにぶつかってしまう。岩礁のような硬さのそれはほんの少しの熱を帯びていた。熱から遠ざかろうと身を翻せば、ひやりとした水が流れてくる。一目散にそちらへと向かった。小さな小さな隙間を抜けて、囲いの外へと。
「捕まえた」
そんな声が聞こえたと同時に、虹色の魚は冷たい手の中に飛び込んでいた。
「うまくいったよー、スペイスさんすごーい!」
「はは……全部君たちのお陰だよ」
はしゃぐナツナに抱きつかれ、スペイスは少しだけ身を強張らせた。当然それはナツナにも伝わったのだろう。彼女は直ぐに身体を離して、エドワードの方を見やる。
エドワードは片膝をついていた身体を起こし、合わせていた両手を開いた。グレイも一緒に手の中を覗き込む。その手で渦巻く風の檻の中で、虹色の魚が不満そうに尾びれを揺らしていた。
「何とかなったな……皆お疲れさん」
『ちっちゃいねぇ、触ったら潰しちゃいそう』
ふんふんと鼻を寄せるグレイをちょっとだけ押しのけて、エドワードはナツナたちの方へと歩み寄った。途端に3人と2匹の目の前にうずしおが巻き上がる。魚の尾が嬉しそうにゆらゆらと揺れた。
「お疲れ様でした」
柔らかな声とともにウンディーネが渦の中心から姿を現す。エドワードの手のひらで泳いでいた虹色の魚がするりと指の間を通り抜けて、彼女が広げた手の中へと向かっていく。
「私からの試練はこれにて修了です……あいの子、手を」
エドワードはゆっくりとウンディーネの元へと歩み寄った。請われるままに温かい方の手を差し出せば、彼女は白魚のような両手で包む。そうして鈴を転がすような声で告げた。
「祝福を。我らは常に共にある」
金色の光がウンディーネの手からエドワードの身体へと伝播する。一際強い光を放ったかと思うと、静かに掻き消えた。
「私はお役目が来るまでここにおります。どうか、ご武運を」
「一つ、質問をしても良いだろうか」
不意にスペイスが口を開いた。その場の皆の視線が彼へと集まる。ほんの少しだけ気圧されたように肩をびくつかせたが、それでもスペイスは真っ直ぐとウンディーネを見つめていた。
「貴女がた精霊は……ヒューマーを、恨んでいるのか?」
先刻の精霊に愛された者との問答から湧いた疑問。世界を切り崩し、魔物やデミヒューマーを排除しようとするヒューマー。この世界を一個の生命体とするのであれば、癌とも呼べるだろう、異物。
「私たち魔法使いに半端な力を与えて、ヒューマー以外の生き物には溢れんばかりの加護を与えた……私がヒューマーだから、こうも穿った見方しか出来ないのかもしれないが――これは、太古の魔法使いが犯した罪に対する罰なのか?」
ぎち、と握り締めた皮膚が音を立てる。
シャオと戦い、ナツナに出会い、精霊を前にして、スペイスは思う――魔法使いになど、産まれなければよかった、と。
太古の魔法使いが犯した罪など、スペイスは知らなかった。スペイスどころか、全てのヒューマーは知らないだろう。魔物がヒューマーの為に精霊から遣わされた存在であることすら、誰も知らなかった。
知らないままに恐れ、忌み嫌い、ヒューマーは精霊の不興に触れていた……酷く理不尽な話だ。
ヒューマーはずっと精霊の加護を遠ざけていたが、それでも零になることはなかった。それどころか、ラビのような二重属性の魔法使いも生まれている。
「どうしてもっと早く、全ての加護を剥奪しなかったんだ? どうして、私たちの存在を消さなかった? 私たちが、強くなろうと努力し、必死にもがいていた姿が滑稽だったのか?」
八つ当たり染みた言葉だとわかっていたが、スペイスは止まれなかった。ナツナとも話した、卵が先か鶏が先かというだけの詮無い問いだ。
「……私たち精霊は、ヒューマーを諦めきれませんでした」
ゆらゆらと揺れる水のような響きを持った声がポツリと落ちる。
「私たちはこの世界の生きとし生けるものを愛しております――だからこそ、決断をするべきでした」
不意にウンディーネの声が仄暗さを帯びた。染み一つない白く美しい両手が胸の前で重ねられ、濃紺の瞳が同じく真白の瞼に隠される。
「私たちはずっと選択を間違え続けていた……故に、貴方たちを永く苦しめてしまった」
『貴方たち』が指すのがヒューマーだけでないことには、その場の全員が気付いていた。
「恨まれているとすれば、我々でしょう……特に彼には――ユグドラシルには要らぬ苦労をかけてしまいました」
伏せられていた瞼がそっと上げられる。深い海の底と同じ色が、強い光を持ってスペイスを見つめ返した。
「私たちでは、この世界では、貴方たちを――ヒューマーを幸福には出来ない」
加護を与えても剥奪しても、彼らは彼ら以外の生き物に牙を剥いた。お互いにどうすることも出来ない力と性質だった。ニダウェの第二世代以降の少年少女の一部はその限りではないかもしれないが、彼らが育ち、力を持つまでは時間がかかる。
「もっと永い時間をかければあるいはどうにか出来たのかもしれません……しかし、その猶予も多くは残されていません」
「要石――モリオンの消失だっけ……二つの世界の境界が曖昧になってるんだよね?」
ナツナの言葉にこくりと頷くウンディーネ。ここでも浮き彫りになるヒューマーの愚行にスペイスは拳を握り締めるしかない。
「もはや私たちにできることは隔離と忘却だけなのです」
「そうか……」
その短い一言に、どれだけの思いが込められているのだろうか。静かにそう言ったスペイスはそれきり押し黙った。沈黙が漂う海の中、不意に淡い光が差し込んできてスペイスたちを照らす。
徐々に強くなっていく光に包まれ、彼らの姿はかすんでいく。ウンディーネは再び目を閉じると桜色をした唇を開いた。
「私たちは貴方たちを愛しています……別の世界へと、隔てられても尚」
鈴の音が鳴り響いて、彼らの姿はその場から掻き消えた。
実に一年以上ぶりの更新となります。
また毎週……無理そうなら隔週でも更新したい。
今年中にはもう一回更新します!




