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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第3章 三つ巴の物語

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58 それぞれの判断

「……最悪だ」

「申し訳ありません。私の管理が甘かったせいで……」


 深く深く下げられた頭に植わった銀糸が溜息で揺れた。若く聡明な王は苦い表情を浮かべて窓の外を見やる。日はとうに落ち切って夜の帳が下りていた。ハーフエルフが窓枠に手をかけた昨日と同じ、月の薄い夜だ。


「街外れとは言え、昼日中……目撃者が1人もいないとは思えないね」


 騎士団に通報したのは音と地響きを聞きつけた一般人だったが、それなりの騒ぎになっている。騎士たちには箝口令を敷いたが、それもどこまで留めていられるか。


「最悪だ……」


 同じ言葉を繰り返したジェイドがこめかみを押さえた。やっと、何かを返せると思ったのに。贖罪として受け入れてはもらえずとも、力になれるところだったのに。

 加えて、騎士が魔物と交戦して手も足も出せずに敗れたと知れば、世論は再び神の子を求めるかもしれない。そうなれば、ただでさえ危ういジェイドの立場が一気に傾くだろう。彼らに力を貸すことも難しくなってしまう。


「くそッ……どうしたものか」


 本格的に2人が頭を抱えたところで執務室の扉がノックされる。入室を許可すると、入ってきたのは宰相のスペイスだった。


「失礼します……約束の時間、だと思ったのですが」


 緩く結われた鴇色の髪が、王の手によって開け放たれていた窓から吹き込んだ風に揺れる。気圧の差によって生まれた、ただの風だった。


「やはり無理がありましたか……」

「ううん、()()()()()()()()()んだよ」


 幼い声に、グランとジェイドが目を見開いた。びくりと肩を揺らしたスペイスもきょろきょろと辺りを見回す。


「もうヤダってさ……仕方ないね」


 どこか悲しそうな声音が誰もいないはずの空間をゆがめた。空気に溶け込んでいた姿がゆっくりと色を持ち始める。


「こんばんは、王様。エディさんの代理のナツナだよ」


 覚えてる? と小首を傾げる愛らしい少女にジェイドが小さく頷く。くるりと周りを見回したナツナはふとスペイスに目を止めた。当の彼は空間から染み出してきたディアボロスを少し警戒しているようだ。


「……無理になった、というのは」

「言葉の通りだよ。グレイが――ケルピーがもうヤダってさ。エディさんがここに来るのも嫌がっちゃったから、代わりにボクが来たんだよ」


 ぐ、とジェイドが拳を握り締める。フワフワの髪を夜風に揺らしながら、ナツナは言葉を続けた。


「もうわかってると思うけど、ビーストテイマーの演出には協力できない……ボクだって、大事な友達を危ない目にあわせたくないもん」

「……あぁ、すまない」


 ナツナがルビーのような瞳をぱちぱちと瞬かせる。かと思えば、一拍間を置いてころころと笑いだしてしまった。


「王様が謝ることないのにー……悪いのはなぁんにもわかってないお馬鹿さんだけ、だよ」


 少しだけ冷たくなった鈴の音に、グランが息を詰めた。


「ただ、精霊の領域には誰かついてきて欲しいかな。エディさん(ハーフ)だけだと微妙かもしれないし」

「……ヒューマーの同行に関しては大丈夫なのか?」


 怒れる黒馬の件を既に聞いていたスペイスが恐々と尋ねる。くるりとそちらを振り向いたナツナが白魚のような指を1本だけ立てて見せた。


「精霊の領域に入るのに必要な条件だからね。ここは流石に納得してくれたよ……ただ、エディさんにはあんまり近寄らないようにね」


 恋路の邪魔ってんじゃないけど、馬に蹴られて死にたくないならね。くすくすと笑いながらそう付け加えたナツナにスペイスがやや引き攣った笑みを返す。そうして彼女は暗い空気を払拭するようにパン、と手を打ち鳴らした。


「もうエディさんたちは現場に向かってるから、決まってるんなら借りていくよ?」


 ジェイドがスペイスに視線を寄越す。嫌ならやめてもいいのだと、気遣いを含んだそれにグランも頷いていた。が、魔法使いは小さく首肯する。精霊と会える千載一遇のチャンスなのだ。逃す選択肢など毛頭ない。


「行くのは私だ。よろしく頼む」


 はぁい、とのんびりした返答と共に近寄ってきた少女がスペイスの腕を取った。反射的に掴まれた手を引こうとするのを無視して、ジェイドたちに向かってひらひらと手を振る。


「じゃ、行ってくるね」

「……気をつけて」


 スペイスが掴まれていない方の腕で敬礼したのを最後に2人の姿は薄れていく。窓から強い風が吹き込んだのを合図にするように掻き消えていった。



◆◆◆◆◆



 ナツナとスペイスは空中に出来た道を歩いていた。渦を巻く風の中心を慣れた様子で歩くナツナがスペイスの手をぐいぐいと引いていく。


「そう言えば、スペイスさんって土の魔法使いなんだっけ?」

「……あのドワーフに聞いたのか?」


 こっくりと頷いたナツナに苦い思い出が蘇った。


「そう言う君は?」

「ボク? ボクはね、ノームとサラマンダーから加護をもらったんだ」


 それは奇しくもそのドワーフと、己と同じ精霊の加護だった。ディアボロスは精霊に愛された種族だ。スペイスもそれは知っていた。そうしてヒューマーが精霊の加護を遠ざけた理由も、知ってはいた。


「どうして、ここまで……」


 引かれていた手が自然と握りこぶしを作る。見目からして己の半分ほどしか生きていないような彼女も、あのドワーフと同じようにスペイスの血と汗の結晶の遥か先を悠々と歩いているのだろう。


「キミたちにとっては理不尽なんだろうね」


 スペイスの内心を見透かすようにナツナは言葉を紡ぐ。振り向くことはせずに、ただ風の道を歩いていく。


「でもボクは、精霊の判断は()()()()()と思ってるよ」


 遠い遠い過去に愛したヒューマーは、精霊と精霊の愛し仔たちに牙を剥いた。そうして彼らに力を与えるべきではないと判断したのだろう。ナツナも今は、そう思っている。


「ずっと前から知りたかったんだ……ねぇ、どうしてボクらや魔物を目の敵にするの?」


 好き勝手な方向に跳ねる黒髪の植わった後頭部をじっと見つめていた。視線が交わることはない。異常なほどに乾いた口内に舌が貼り付く。

 そうしてスペイスはふと気づいた。今、彼女が手を離したら、己はどうなるのだろうか。


「力を持っている存在が怖いから排除したいの? 自分より弱いモノしかない世界で生きたいの? それってつまんなくないの?」

「そ、れは……」


 矢継ぎ早に投げられる質問は全て同じものだった。カラカラに乾いた喉を生唾でしのぎ、スペイスは口を開いて、閉じる。


 恐ろしいのだ。力のある種族が矮小な自分たちに牙を剥くのが。強いふりをしていたかった。大きな群れを造るために、()()()()()()が必要だった。

 大元の理由はこんなところだろう。だが、それは彼女が求めている答えではないような気がしていた。いつの間にか縫いとめられたように止まっていた足の下で、街明かりが星のように瞬いている。


「……()は、悔しかった」


 ぴくりと動いた肩越しに赤い目がこちらを振り向く。幼い顔立ちにはまだ似合わない山羊のような立派な角。何もかもを見通すような赫灼の瞳。


「不公平だと思った……理由を知った後でも、そう思っている」


 スペイスがヒューマーとして生まれたのは()()()()なのだろう。その身体に爪も牙も持たず、魔法の才能も乏しい。それでも、研鑽を続けてヒューマー随一の魔法使いと呼ばれるまでに努力をしたのだ。


 それを、()()()()()()()()()()という理由だけで、一足飛びに越えられてしまうのは、気に食わない。


「力を与えられなかったが故の劣等感が、そのまま君たちに向いたのだと思う」

「卵が先か鶏が先かみたいな話だねぇ」


 力を持ったが故にデミヒューマーや魔物を排除しようとして、加護を剥奪され。力を与えられなかった故に、彼らを恐れて排除しようとした。

 ヒューマーが、デミヒューマーと同じように力を持っていれば。魔物と同じように精霊の加護を受けていれば。こうはならなかったのだろうか。


()()()、やっぱり仲良くするのはムリなのかな」

「今は緊急時だからな。利害の一致で動いているにすぎない……そんな状況ですら、馬鹿をやった者もいる」


 ふぅ、と小さくため息をついたスペイスの手が再び緩く引かれる。導かれるがままに歩みを再開すれば、段々と高度が下がっていっていることに気づいた。顔を斜め下へ向ければ、王都の象徴たる噴水が視界に入る。


「……あそこが入口(・・)か?」

「ううん、入口は源流の方。ちなみに領域の主はウンディーネ……キミがどうこうできる存在じゃないよ」


 わかっている、とだけ返したスペイスと共に、ナツナが噴水の縁へと舞い降りる。それを待っていたようにやわらかな風が吹いた。


「あぁ、やっぱりアンタが来たのか」


 静かな低音が鼓膜をくすぐる。エルフ特有の三角の耳と近づかなくともわかる潤沢な魔力。その背後にはこちらに睨みをきかせるケルピーが控えている。


「今は良い子にしててくれよ、な?」


 金糸が散らばる肩に乗っていた鬣の生えた頭を優しく撫でてやる。くるる、と小さく唸ったグレイは少しだけ後ろへ下がった。同時にエドワードが1歩前に出る。


「じゃあ、短い間だがよろしく頼むな」

「あぁ、こちらこそ」


 互いに手を差し出すようなことはせず、言葉だけを交わす。


『じゃあ、行くよ?』


 こくりと3人が頷く。黒馬が大きくいなないた。途端に噴水の水が立ち上がって辺りを覆う。細かいしぶきになったそれは視界を覆い隠し、皆の身体を濡らした。


 不意にスペイスは身体が重くなったように感じ、片膝をついた。その動作すら緩慢だ。何事かと尋ねようとした口から、ごぽりと泡が吐き出された。

お互いにこれ以上はないとわかっているようです。

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