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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第3章 三つ巴の物語

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51 呑み込んだ過去

 突然に名乗った男に、部屋の中に静寂が満ちる。碧の様子に皆その意図と意味を察したが、声を出せる者はいなかった。男は――ジェレミーは、後ろ頭をがしがしと掻くと思いついたように口を開いた。


「あの異世界人のマークってやつ? あれ、ビーストテイマーの印だったんだね。俺は半端な覚醒状態みたいだけど」


 そっとシャツの上から腹筋の辺りを撫でる。炎のような、蛇のような赤いタトゥーで隠した獣の足跡を握り締めた。


「……お前、」


 ようやっと言葉を絞り出したエドワードもそれ以上は紡げなかったようだ。頬を掻いたジェレミーはナツナの方へと視線をずらす。


「黙っててくれてありがとね」

「ん」


 アニマを持つナツナは知っていたのだろう。柔らかく礼を言ったジェレミーに言葉少なに頷く。


「……では、本当に貴方がノームと……? いえ、その前に貴方は……」


 ジェレミーがこくりと頷く。


「ごめんね、黙ってて」


 エドワードと碧は黙って首を横に振った。


「いや、こう言っちゃ悪いが納得したわ」


 魔物を恐れず懐に入れ、懐に入るヒューマー。ミズガルドで産まれたヒューマーであれば有り得ないことだった。ふふ、とジェレミーが笑みを漏らす。


「俺は、ミズガルドに落ちて割と直ぐにグリョートの山に送られたんだ――ヒューマーの、魔物への不満だのなんだのを詰め込まれてさ」


 当時18歳だったジェレミーは年相応に細かった手に剣を握らされ、幾らかの荷物と人々の期待を背負わされて山を登った。


「怖くて怖くて堪らなかったよ。ちょっと訓練したとは言え、ここに来るまで剣なんて見たことすらなかったんだから」


 それでも山を囲むように祈り、待っていた教団の元に帰る訳にもいかなかった。自分が利用されていることなど分かっていたのだから。


「そこで一番最初に会ったのが、ザクロだったんだ」

『アクア――じゃないや。もう呼んでいいんだよね、えへへ……ジェレミーってば一目散に逃げたんだよね』


 くすくすと笑う声が脳内に響く。口ぶりからしてグレイやザクロは知っていたらしい。本当に嬉しそうに名を呼ぶグレイに、自然と皆の頬が緩んだ。


『それで逃げてった先でチビに会ったんだよね。チビだった頃のチビに』

「元の世界で買ってた犬にそっくりだったんだよね。思わず抱きしめちゃってさ」


 自分を知っている者も、自分が知っている者も誰一人いない世界で出会った家族にそっくりだったフェンリル。恐怖心を郷愁の念が凌駕し、しばらくそこでうずくまって泣いていた。

 因みにジェレミーが飼っていたのはグレーの毛並みのシベリアンハスキーだった。チビと名づけたのは子犬の頃の話だ。彼が異世界に迷い込む直前にはそれなりの大きさになっていた。元の世界にいた時から名づけは安直だったらしい。


『ジェレミー震えてたからね。寒いのかなって思ってね。一緒にいてあげたんだよ』


 胸を張りながらそう言うチビに碧がくすくすと笑う。


「優しかったんだ、教団の奴らよりも」


 静かな声に、怒りに近いものが滲む。


 当時久しぶりに現れた殺気を持たないヒューマーに、魔物たちも少し浮足立っていたらしい。わらわらとジェレミーの周りに集まり、遠巻きに見つめたり遠慮がちに足元に擦り寄ろうとしていた。

 詰め込まれた憎悪と嫌悪に似合わない人懐っこさと敵意の無さ。チビを筆頭にその時既に声を得ていたザクロやグレイが中心となってジェレミーは早々に魔物と打ち解けていった。


「で、縁あって教団の奴らが言ってた化け物のところにも行ったんだよ……それがノームの領域だった」


 不意にトーンが低くなる。ディックとエドワードがはっとしたように目を見開いた。


「まさか教団の奴ら、精霊が狙いだったのか……?」

「しかし、世界を削る魔法は失われていた筈では? 何のためにそのような……」


 ピシリと陶器にヒビが入った。小さな小さな音は、ナツナの手元から聞こえたものだ。ぶるぶると震える手が割れたティーカップから零れる紅茶で濡れている。


「ナツナ、何してるんだ!? 怪我は!?」


 慌てたディックがナツナの手からティーカップを取り上げる。細かい破片ごと握り拳をつくったナツナは、怒りに燃える目で空を睨んでいた。


「魔物から、精霊の加護を奪うためだ」

「俺もノームにそう言われた」


 足元の狼を撫でる。今は指が沈むふわふわの毛皮も、外界から攻撃を受ければ手を弾くようになる。精霊の加護、魔力による防壁。それを失えば、あらゆる攻撃は魔物本体を襲う。通常の獣よりも丈夫とは言え、使い手によっては普通の武器で命を散らされることもあり得るだろう。


「まぁ、契約したって言っても使役って訳じゃないし、基本はお願いする体だからね。加護の剥奪は可能だろうけどしてくれないと思うよ」

「当然だよ、魔物は精霊に愛されてるんだから」


 そもそも領域に入る条件として魔物の同行が必須なのだ。魔物がいなければ精霊に会うことさえ出来ない。


「で、俺はそのままノームの領域で5年くらいかな? 鍛えてたんだ」


 身体を鍛え、剣術や体術をノームから教わった――魔物を、護るために。その後グリョートの山中に移り住み、ずっと魔物を護り続け、いつの間にかヒューマーの英雄に舞い戻っていた。


「いやしっかし本当に気づかなかったぜ」


 当時は白かった肌は褐色に色づき、炎のようなタトゥーと傷に飾られ。見事な黒だった髪は白髪混じりのロマンスグレーに。神の子の特徴として知られていた青い瞳だけがそのままだった。幼さを残していた顔立ちもすっかり壮年の貫禄を滲ませている。


『皆急に大きさと顔変わるもんね、グレイに見せてもらったちっちゃいエドも全然違う顔だった』


 だから大きくなったエドがわからなかったんだ、とグレイはしみじみと語る。エドワードの方も触ろうとして尻尾で叩かれたしょっぱい記憶を思い出していた。


「うん、まぁ……正直ちょっと変装も意識してたしね、髭とか」


 分厚く大きくなった手のひらで少し伸びてしまった無精ひげを撫でる。もし、今の自分が神の子だとバレれば、また都合のいい物語が騙られることだろう。大剣すら軽々と扱えるようになったのは並々ならぬ努力の結果に過ぎないというのに。


「因みにノームの試練はどんなんだったんだ?」

「山の中で宝探しみたいなことさせられたよ。チビと2人きりだったから、かなりぎりぎりだった」


 僕も頑張ったんだよ! と元気な声が碧の脳内だけに響き渡る。


「ただ、俺は既に契約者だからもう試練には参加できない……チビもね」

「んん、そうか……どっちにしろアクア――あー、ジェレミーやアオイはミズガルドにはやれねぇな」


 教団のこともあるし。そう言い添えたエドワードにジェレミーから薄く怒気が広がる。


「じゃあ、ボクかバリーさんが行くしかないね」

「バリーをあっちにやるのは止めた方がいいと思うな」


 ジェレミーの意見にエドワードが深く頷く。彼なりに過去を呑み込んではいるようだが、何がきっかけで破裂するかなど誰にもわからないのだ。


「ミズガルドの方には俺も行くよ。あの王サマは多少話が出来そうだしな」


 さっきの今でちょっと気まずいけど。そう付け加えるとジェレミーは苦笑し、碧は首を傾げた。不意にナツナがぱちんと両手を打ち鳴らす。


「ならミズガルドにボク、ニダウェがバリーさん、スバルムはアオイでいこうか。それぞれどの精霊がいるの?」

「あ、えっと……ミズガルドがウンディーネ、ニダウェがサラマンダーでスバルムはシルフィードだって。後精霊の領域に行けるのは魔物も入れて5人までみたい」


 ディックが大陸の名前に連ねて精霊の名をメモしていく。そうして一番後ろに先に上がった3人の名前を書き加えた。


「魔物も含めてそれぞれに誰が着くのかも決めないといけませんね」


 覚醒者たちや精霊との相性なども考慮しつつ、途中でナツナやディックの両親も混じった話し合いは夜更けまで続いた。

熱が出ましたが、今は元気です。

今の状況だと微熱でも不安になるねぇ。

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