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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第3章 三つ巴の物語

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50 神さまの名前

 ディックに客間に通され、一行は勧められた椅子に腰かける。例によってグレイとザクロは外だ。残念ながらナツナたちの家はごく普通の一軒家だったため、窓から漏れ聞こえる会話を聞くしかない。チビは男の足元に纏わりつくように座り、ベリルは碧の腕の中にいた。


「ん、心配かけてごめんね。もう大丈夫だから」


 くるる、と小さく鳴いたベリルは座った碧の膝の上に降りた。艶やかな羽を優しく撫でてやりながら、男とエドワードに向かって頭を下げる。


「おじさんにエディさんも、心配かけてごめんなさい」

「いや、そもそもアオイちゃんのせいじゃないし。無事なら何よりだよ」


 それより、と一度言葉を切った男は軽く身を乗り出した。


「丸1日眠ってたって聞いたけど、何があったの?」

「それはボクも聞きたいな」


 ディックを手伝って運んできたお茶菓子を摘まみながら、ナツナが割り込む。ちょっとだけ数を減らしたクッキーの皿をテーブルの真ん中に置くと、碧の隣に腰かけた。


「アオイ、ユグドラシルに逢ったって言ってたよね?」


 碧が肯定するよりも早く、エドワードとディックが顔色を変えた。瞬間、ディックが椅子を蹴倒しながら立ち上がる。男と碧は瞳を丸めていた。


主様(あるじさま)に逢ったんですか!?」

「主様?」


 彼はそうも呼ばれるのだろうか、と碧は首を傾げた。ナツナが補足のために口を開く。


「お兄ちゃんは守り人って言って、トネリコの森の番人みたいなものなんだ。で、ユグドラシルは森の主様だって言われてる。時々守り人にお告げをくれたりするんだ」


 過去何度かユグドラシルのお告げによってレーラズは救われている。今回の魔物逹の異常においても、ユグドラシルからお告げが来るかもしれないと、ディックは待っていたのだ。今回それが授けられたのは、守り人ではなく碧だったが。


「えっと、そうです。その主様に呼ばれて……すごく綺麗な森を歩いたんです。ヒトは来れないところって言ってました」

「声を聞いたヒトは何人かいるけど、住処に招かれたってのは初めて聞くなぁ……よっぽどの緊急事態か、アオイが特別か、どっちかな?」


 こてん、とナツナが首を傾げる。微かに赤く光る瞳で碧を見つめ、反対側に首を傾けた。子供らしく愛らしい妹の姿に落ち着きを取り戻したディックが蹴倒した椅子に再び腰かける。


「ナツナ、どうかな?」

「見えないや。内緒話だったんだね……いや、アオイが話すことに意味があるのかな」


 魂を見通す力『アニマ』でもユグドラシルとの邂逅は覗けなかった。少しだけ不満げに唇を尖らせる。そんな幼い仕草を見せる妹の頭をそっと撫でて、ディックは碧の方へと向き直る。

 気づけば、部屋の全ての視線がこちらを向いていた。無意識にごくりと唾を飲む。膝の上で握った手の中が汗だくだった。深く息を吸ってゆっくりと吐く。ベリルが碧を見つめて小さく鳴いた。


「その、ユグドラシルに世界のことについて聞きました」


 大丈夫、信じてくれる。心の中で何度もそう唱えながら、碧は伝え聞いた世界の危機を語りだした。



◆◆◆◆◆



「……分かれた世界、ねぇ」


 あちらの世界の成り立ちまでの説明を終えると、エドワードは感慨深げに呟いた。ナツナは子猫のような目をらんらんと輝かせている。碧はすっかり冷めてしまった紅茶でカラカラになっていた舌を潤した。


「ヒューマーの拒絶の意識がそこまで深いものだったとは……不思議ですね」

「遺伝子に刻み込まれてる説はあながち間違いじゃなかったってことかね」


 そう言えば、と碧はユグドラシルとの会話を思い返す。そもそも、その拒絶の始まりは何だったのだろう。思考の海に1人沈もうとする碧を引き上げたのは男の問いだった。


「それで、俺たちはどうすればいいのかな? 世界をもう一度一つにする方法があるとか?」


 碧は視線を膝に落として首を横に振った。


「世界が再び一つになることはないそうです。完全に二分するしかないと言われました」


 そう、と男の声が微かに沈んだ。


「後、魔物の声が聞こえるようになった理由なんですけど……」


 碧は少しだけ視線を迷わせ、ベリルを撫でる。気遣うような暖かい声は、碧にしか聞こえないものだ。


「ヒューマーの覚醒能力『ビーストテイマー』。魔物と心を通わせる力が、ヒューマーにはあるんです……ヒューマーなら誰でも覚醒の可能性があるって、ユグドラシルは言ってました」

「……でも、誰も望まなかった」


 そもそも魔物はヒューマーを助けるための存在だった。しかしヒューマーは魔物を恐れ、拒絶した。故に魔物に対して先入観を持つことのなかった碧だけが覚醒したのだ。


 ナツナの声が暗く沈む。碧はこくりと頷いて、また口を開く。


「もう1人、覚醒に近い状態になってるヒトがいるとも言ってました。多分、おじさんのことだと思うんです」

「あー……だからお前妙に懐かれてんのな」


 納得したようにエドワードが呟く。ここに来て謎が解けたと、どこか満足げだ。男はチビを撫でながら曖昧に笑う。


「それで、世界を2つに分けてしまう方法なんですが」


 ナツナが興味津々に身を乗り出す。ディックも分かりづらいが目を輝かせていた。


「精霊の力を借りる必要があるんです。4人の精霊に会って契約を交わさないといけない。精霊がいる場所も、そこへの行き方も教えてもらいました……けど」


 碧の声が途切れ、再び膝の上の手のひらが握り締められる。


「……そのうちの1つが、ノア王国の王都ゴフェルにあるんです」

「あぁ……」


 男が呻くように低い音を出した。が、エドワードは義手を軽く叩いて笑う。


「それならまぁ、ひょっとしたら何とかなるかもな」


 碧は首を傾げたが、彼は悪戯っぽく笑うだけだった。ぱん、と手を叩いて少しだけ澱んだ空気を振り払う。


「で、その精霊に会って契約するって話だけど……誰でもいいのか?」

「はい。ただ、その『領域』に入るために幾つか条件があるんです。その上で彼らの試練を受けないといけなくて……」


 碧が上げた条件は以下の2つだ。


 1つ、ヒューマーと魔物が1人と1匹ずつ以上のグループであること。

 1つ、覚醒能力者が1人以上含まれること。


 この場にいる皆からすれば、条件自体はそれほど難しいものではなかった。しかし、男が険しい顔で口を開く。


「それで、猶予はどのくらいあるの?」

「これから先のモリオンの採掘状況にもよるみたいなんですけど、あまり長くは」


 魔物が本能的に恐怖を覚えるほどに危機は迫っているのだ。自分たちを拒絶する世界が近づいて来ていたがために、彼らは怯えていた。


「その試練とやらの内容は聞いてないのか?」

「流石にそれは精霊たちの意向に反するんだそうです。ただそれなりに厳しいものとだけ」


 エドワードは考え込むように顎をさする。ディックも眉間にしわを寄せていた。


「分担したいところですが、少人数だと難しいかもしれませんね。あまり時間もかけられないとなると、やはりそれなりの人数で行くべきでしょう」


 幸いこの場にも覚醒能力者は2人、含まれるかどうかは分からないがそれに準ずる者も1人いる。もう1人もニダウェに当てはある。事情を話せば協力してくれるだろう。


「一応当てがある覚醒者は全部で3人だ。アクアが含まれるのかどうかがちっと微妙だしな。いっぺんに動くにしても3チームだけか」


 あ、と碧が小さく声を上げた。再びその場の視線が全て碧の方へと向く。


「えっと、ノームには既に契約者がいるんだそうです……その、20年前の異世界人がそうだと」


 一瞬時が止まる。は、と誰かが詰まった息を吐いた。


「……生きて、たのか?」


 それも精霊の契約者として。20年も姿を見せないまま。


「ソイツは今どこに? ってか、味方になり得るのか?」


 彼は見知らぬ世界へと引っ張られた挙句に王国に担ぎ上げられ、あまたの期待を無理やりに背負わされて、グリョートの山の中へと追いやられた。遺体を探されることも無く死んだ者とすらされた彼は今も、ヒューマーを救った救世主として都合のいい夢を見る道具にされている。


……この、世界を。深く深く恨んでいたとしてもおかしくはないだろう。


「わかりません……ユグドラシルはその人が望まない限りは話せないと。ただ、力は貸してくれるはずだと」


 名前も聞きました、とそう続ける碧。少しだけ空気がざわついた。神格化された彼の名を知る者は少ない。当時の王や彼を神の子と名づけたバーデン教団の上層部だけだ。


「ジェレミー・ティーエン」


 低くなった声が、ユグドラシルが教えてくれたその名を紡いだ。碧は開きかけていた口をぽかんと開ける。視線の先には片手で顔を覆った男がいた。くぐもった声が、もう一度その名を呼ぶ。


「ジェレミー・ティーエン……――()()、名前」


 固まる碧と、戸惑うエドワードたちを余所に、チビが小さく鳴いた。

記念すべき50話目でやっとおっさんのお名前が判明しました。

予想ついてた方は多いかもしれませんね。

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