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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第3章 三つ巴の物語

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47 無用の言葉

 薄明りが差し込む海中は言葉に出来ないほどに美しい。プラネタリウムのようだ、と男はぼんやりそう思った。


 男とエドワードはベティと会って直ぐに出立し、海中を進んでいた。水のドームを先導するように泳ぐグレイが時折振り返り、ベティだけと言葉を交わしては針路を整える。

 グレイが作った水のドームの中にいるのは2人と4匹だ。男とエドワード、そしてチビとベリルとザクロ、ベティである。ちなみにベティは男が肩から下げた鞄の中に顔だけ出して潜り込んでいた。後は先導するグレイの周りをちょこまかと泳ぐ影が1つ。ベティをニダウェまで連れて来たスキュラーだ。


『明日のお昼前には着くと思うよ……アクアちょっと寝たら?』

「んー……」

「お前、そのツラでアオイちゃんに会う気か? 心配されるに決まってんだろ」


 迷うそぶりを見せた男にエドワードが追い打ちをかける。エドワードと違い、目の前で奪われたのだ。普段通りに振舞ってはいても、怒りと焦燥はじわじわと表面に滲んでくる。

 ん、と今度は短く息を吐いた男は鞄を膝上に引っ張り上げて座り込んだ。ひんやりとした柔い壁に背中を預けて目を閉じる。その身体を包むようにチビが身体を丸める。


 男とチビが黙り込んでしばらく。寝息が聞こえ始めた頃にベティがもぞもぞと鞄から這い出てきた。


「グレイは大丈夫か? 疲れてねぇ?」

『へーき。でもザクロはもうちょっと縮んで』

『無茶を言うでないわ』


 首を縮めながらザクロがぼやく。それにエドワードがけらけらと笑った。相変わらず落ち着かない様子だったベリルも舞い降りてきて彼の肩に止まる。


「スバルムなぁ……親父から話は聞いたことあるけど、行くのは初めてなんだよな」

『そう言えば、グレイはなんか探しにミズガルドに来たんだったっけ』


 詳しく聞いたことはないけど、とグレイが続けるのにエドワードも頷く。妻であるフランサスに出会って家庭を築いたことでその調査も頓挫したらしい。グリョート山脈に登る理由も、ケルピーだったころのグレイに会いに行くためだけになっていた。


「元々はスバルムのビフストに住んでたんだって言ってたな。ディアボロス以外のデミヒューマーが混じって住んでる街だってよ」


 緊迫した状況とは言え、父親の故郷への旅路は少なからずエドワードの心を浮つかせていた。


「しかし、世界に何が起こってんだかね」


 エドワードがそう呟いた瞬間、滑るように進んでいた水のドームが座礁したかのようにがくんと揺らいだ。たたらを踏んだエドワードをザクロが支える。男に視線をやれば、目だけ開けて周囲を見回していた。チビは跳ね起きて低く唸っている。ベリルの爪に力がこもり、シャツに深いしわを寄せた。


「どうした?」

『……真上に、アイツらがいる』


 澄んだ声に隠しようの無い怒りが滲んでいた。それだけで2人は理解する。見上げてみれば、確かに船影が浮かんでいた。


『行ってもいい?』


 ゆらりと立ち昇った怒気に、エドワードは言葉を詰まらせる。男は否定も肯定もしない。


『イタズラしてやるだけだよ。傷つけるのはアオイが望まないことだから』


 それはそれとして腹が立っているのだ、と。静かだが、確かな怒りを湛えた声だった。誰の返事も待たないまま、グレイはシャボン玉を浮上させた。それも船スレスレの位置にだ。

 わざとなのだろう、大きく波立った水面に木っ端のように船が翻弄される。中から何やら騒いでいる声が聞こえ、誰かが甲板に飛び出してきた。大柄の騎士だ。後ろに飴色の髪の青年を庇いつつ周囲を見渡している。


 両名に見覚えのあったエドワードがげ、と小さく呻く。左腕の継ぎ目がのたうった、ような気がして思わず冷たい義手を握った。生身と変わらないほどに滑らかに動くそれには温度だけがない。

 ほとんど間を置かずにアイスブルーがグレイの――魔物の姿を捉える。エドワードはグレイを背後に庇うように前へと出た。()()奪われるのはごめんだ。表情を緩めたグレイが甘えるように頭を擦り寄せてくる。


「よぉ」


 グランが口を開くよりも先に、エドワードが旧友に挨拶でもするように左手を上げる。無機質な手は彼の目にはどう映っただろうか。


 今回の碧の件に関してはノア王国の関与はなかったらしい。むしろ教団から碧を保護しようとしていたと、ベティはそう言っていた。それでも信用出来るかと言われれば、否。男も険のある表情を浮かべている。


「流転の精霊よ、加護を受けし者に応え、守護の翼を授けよ」


 エドワードが静かに、しかしグランやジェイドに聞こえるようにそう唱えた。吹き上がった風がエドワードたちの周囲を包む。少量の水を含んだその防壁は、彼らにも見えていただろう。


「ベティから聞いたんだが、アオイちゃんのこと保護しようとしてたらしいな……まぁ、残念ながらフラれたみたいだが」


 男の怒気を背中で感じながらもエドワードは軽口を叩いた。肩にいたベリルが今にも飛び立とうとするのを抱え込んで押さえる。そう言えば、とふと思いついたように再び口を開いた。


「あの爆発の後、怪我人とかは出なかったのか?」

「……貴殿のお陰で」


 グランが唸るように応える。男が小さく笑った。はっきりと嘲りを含んだ笑みだ。


「エディ以外は?」

「……」


 押し黙ったグランの様子に違和感を感じ、エドワードは首を傾げた。あの時よりも短くなった髪が揺れて頬にかかる。大きな手に握られた柵がぎしりと小さく悲鳴を上げた。


「あの、時のことは――」

「謝るなよ」


 自分でも驚くほどに冷たい声だった。間違いなくエドワードの喉が発したその言葉も同じくらい温度のないものだ。それ以上に驚愕した表情を貼り付けた男が、エドワードの方を見やる。その視線から逃げるように、エドワードはふわりと浮き上がった。


「俺はお前のことは許したくもないし、謝ったのに許さない酷い奴にもなりたくねぇんだ」


 グランに対して怒りを覚えている訳ではないのだろう。エドワードの声はただ、静かだった。男はそれを見上げている。そう言えば200歳近いんだったっけ、と関係ないことを考えてしまったのはどうしてだろうか。


「その程度の罪悪感くらい、抱えたまま生きてろよ……()()()()()お前は残り100年もねぇんだから」


 どッと心臓が音を鳴らしたのを聞いて、グランは思わず胸を押さえた。見下ろすように上空を漂うエドワードの目線はどこか遠い。纏ったままの風の防壁がグランやジェイドの髪を雑に揺らす。言葉を失ったグランの後ろで、ジェイドは拳を握り締めていた。


――あぁ、これが。これが、拒絶し、遠ざけてきたその結果なのだ。どうして()()()()()などと思ったのだろう。己はどこまでも傲慢だった。


 長い歴史の中で、ヒューマーはいつだって魔物やデミヒューマーを傷つけてきた。彼らをすべからく悪だと断じ、殺すことに何の躊躇いもなかった。


 エルフが大勢のヒューマーを救い、ヒューマーがデミヒューマーや魔物を庇ってミズガルドから離反、同じくヒューマーである碧は魔物やデミヒューマーと共にいることを望み、選んだ。

 ヒューマーにとってのイレギュラーが連続したところでようやっと、ほんの少し考えを変えただけの自分たちが何故――何故、彼らと同じ目線に立てたのだと驕ったのだろう。


「……では、」


 ふり絞るようにうら若き王が口を開く。声が聞き取れなかったのか、エドワードは少しだけ高度を下げた。その翠玉を真っ直ぐに見つめ返して、ジェイドは言葉を紡いだ。


「貴方方に協力すること、それだけは赦してほしい」


 男の片眉が跳ね上がった。エドワードは少しだけ考えるような素振りを見せる。


「……まぁ、好きにしたらいいんじゃねぇの――うおっ」


 不意に海面が蛇のようにうねって立ち上がり、エドワードの胴を捉えた。そのままグレイの元へと引っ張り下ろされる。グレイはエドワードの背中に頬を寄せた。取り敢えず気は済んだらしい。


「ついでにコイツの悪戯にも目を瞑ってやってくれよ」


 エドワードが温度を持つ右手で鬣を撫でまわしながらそう言うが早いか、彼らの姿は水の中へと沈んでいった。遠のいていく水面を見上げ、男は詰めていた息をゆっくりと吐いた。


「……さて、スバルムまでしっかり頼むぞ、グレイ」

『りょーかい!』


 船を見つけた時とは打って変わったご機嫌な態度で、グレイはくるりと宙がえりして見せた。


「……こういうの年の功っていうのかな」


 くぅん? とチビが不思議そうに小さく鳴いた。



◆◆◆◆◆



 一方で船の上に取り残されていた2人は最後っ屁のように吹き抜けた潮風と大きく揺れた水面に弄ばれていた。


「なるほど、悪戯か」


 立って踏ん張っていたジェイドでもそれなりに三半規管に来るものがあった。酸欠で未だ満足に立てもせずに床に這いつくばったままの教団の者たちには、相当堪えたことだろう。

 微かに呻き声が聞こえる船内に一瞬だけ目線をやり、岩のように動かずにいた騎士へとラベンダーの瞳を向ける。


「……僕らは取り返しのつかないことをしたし、それを挽回する術はない」


 許されることでしか、罪悪感から逃れる術はない。彼はそれを与えないと言った。抱えて生きろとそう言ったのだ。


 思い知らなければならない。噛み締めなければならない。


「ただ……僕らが許されようが許されまいが、やらなければならないことは何も変わらない」

「……はい」


 グランが頭を垂れる。眼前に差し出された真白の短髪に、ジェイドは何となく手を伸ばして指を埋めた。困惑しているのが手のひらから伝わってくる。


「隙さえあれば触りたいんだよね。いっつも遥か上の方にあるからさ」

「……殿下が幼い時分はよく肩車をねだられていましたな」


 そうだったっけ? と嘯くジェイドにグランが微かに笑う。そうして表情を引き締めた。


「取り敢えず、『世界』のことに関しては一旦彼らに任せるとして……僕らの最初のお仕事は尻ぬぐいだね」


 未だ揺れの余韻を残していた船がミズガルドへと針路を向ける。2人の他に潜入していた者たちが操舵権を上手く奪えた用だ。クラーケンがどてっぱらに開けた穴も航行にさほど影響はなさそうだ。……これも碧の願いの一つなのだろうか。


「神の子新興宗教はすべからく廃止だ。1人に救いを求めるなど、無責任が過ぎる」


 無論、そんなことをすれば大きな反発が起きるだろう。場合によっては父と対立することになるかもしれない。神の子が、人々の心を救ってきたのは確かなのだから。


「僕の代で全て終わらせよう……どうか、この愚かな若造に協力してくれ」


 グランは静かに王の足元に膝をつく。


「我らは貴方様の手足なれば、動かすのが貴方様であることは道理でしょう」


 深く深く。贖罪のように下げられた頭は、夕日を浴びて燃えるように染まっていた。

謝ったのなら許さなくてはならない、みたいな空気は苦手です。

許したくないことがあっても許してほしい。

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