ニダウェの日々③~エドワードとカルラ~
33 多数決の信仰のちょっと前
「お?」
不意に重い物が倒れる音が聞こえ、エドワードは扉の方へ視線をやった。怪訝に思って扉を開ければ、そこには両手をついて立ち上がろうとするカルラの姿があった。手元に書類が幾つか散らばっている。
「なっ、オイ大丈夫か!?」
「いってて……悪いね、ちょっと起こしてくれないか」
決まり悪そうにそう頼んでくるより先に傍に膝をついて起こそうとする。壁にもたれかかるように座らせると、カルラはふぅ、と息をついて片膝を抱え込んだ。辺りを見回せば、反対の脚は少し離れたところに転がっている。
「何があったんだ?」
義足を拾って渡しながらそう尋ねる。カルラは困ったように頬を掻いた。
「ちょっとぼんやりしててね。義足が上手くはまってなかったみたいでさ、転んじまったんだ」
受け取った義足をしっかりとはめ直し、カルラが苦く笑う。よく見れば、化粧の下にうっすらと隈が浮き出ていた。
「寝てねぇのか?」
ん、と何とも微妙な返事をしたカルラはエドワードの手を借りて立ち上がった。そうして軽く眉間を揉むと、しぱしぱと目を瞬かせる。
「昨日の後処理やらなんやらやってたら、いつの間にか陽が出てたよ」
「……あー」
呻くように相槌を打ったエドワードの脳裏にずらりと並んだ棺桶がよぎる。結局引取手が現れなかったそれらは、まとめて燃やされ何もかもごちゃまぜのまま埋められてしまった。
彼らの身体も身に着けていたものも、その生きた痕跡さえも何もかも、1つ残らず土に還っていくのだろう。奪ってきた者の末路と言えばそれまでだが。
カルラはそんな彼らの過去を知る数少ない人物の1人だ。過去と言ってもニダウェに来る情報はせいぜいが生年月日と犯罪歴くらいのものだが。それに推定死亡時期と死因が書き加えられただけの紙切れ一枚が、彼らのこれまでの人生に残る全てになる。
「もうファイルが2冊目だ」
散らばっていた書類を見下ろして、カルラがぽつりと呟く。エドワードは少しだけ眉を上げるとついっと指を動かした。吹き上がった風が書類を舞い上がらせ、エドワードの手元へと運ぶ。向きを揃えて軽く整えるとそのままカルラへと差し出した。
「しっかし、ヒューマーも増えたなぁ……あんときと比べりゃ倍近いか」
一番上になっていた区画毎の住民データ。それにざっと目を通したエドワードがぼやくようにそう言った。受け取ったカルラが微かに眉を上げる。
「アンタ、ニダウェの出身だったっけ?」
「いや。生まれも育ちもミズガルドだ……ちょっとの間だけだが、ニダウェに住んでたことがある」
「……育ちは分かるが、生まれもかい?」
不思議そうに首を傾げるカルラ。ミズガルドは他大陸にも知れ渡るほどのヒューマー至上主義だ。デミヒューマーが見つかれば袋叩きではすまない。実際エドワードやシャオも追われるようにニダウェへ渡っている。
「親父が大昔にスバルムからミズガルドに渡ったんだよ。で、俺はヒューマーのお袋との間に産まれた訳だ」
「……ってことは、アンタハーフなのか!?」
「お、おう……」
迫ってくるカルラに言ってなかったっけか、と記憶を探る。
「なぁ、ちょっと話を聞かせてもらえないか?」
「……参考になるような事は話せねぇぞ」
エドワードの両親、グレイとフランサスは相当に特別なカップルだ。この2人ではギムレーの抱える問題を解決する糸口にはなりえないだろう。
「……アタシは楽しい話が聞きたいだけさ」
そう言ったカルラの笑みには珍しく覇気がない。エドワードはカルラの顔と書類とを見比べると1つ小さく唸った。
「そうか……あー、1時間くらい待てるか?」
「構わないよ。気が向いたらアタシの部屋に来てくれ」
ひらりと手を振ったカルラはそのまま自分の執務室へと歩いて行った。エドワードはその背を見送った後、踵を返して厨房へと向かう。
それから約1時間後、カルラの執務室がノックされる。書類に視線を落したままどうぞ、と声をかければドアが開いてふわりといい香りが漂った。思わず上げた顔の前に匂いの元が突き出される。
「話ついでに休憩しようぜ。甘いモンは平気だよな?」
エドワードが手にしていたお盆には、ほかほかと香りを立ち昇らせる紅茶と、同じく甘い湯気を立てるマフィンが乗っていた。
「材料はお前の執事に貰ったから変なモンは入ってないぜ」
「アンタ菓子なんか作れるのか?」
「お袋に教わったんだよ。ところで、ベリーとオレンジどっちがいい?」
ベリー、とカルラが小さな声で答える。エドワードはリクエスト通りそちらを渡すと、自分はソファに座って淡いオレンジのマフィンを齧りだす。カルラもそれに倣ってマフィンに口をつけた。
「……おいしい」
「そんなに意外か?」
エドワードは心外そうに呟くが、カルラは聞いていなかった。香ばしくサクサクの表面とふわふわの内側。混ぜこまれたベリーのペーストは甘酸っぱく、控えめな甘さの生地によく合っていた。
「じゃあ、エルフとヒューマーの禁断の恋の物語でも語ろうかね」
茶化すようにそう言えば、カルラがふ、と笑う。エドワードはマフィンの最後の一口を口に押し込むと、楽し気に語りだした。
それは、何のことはない恋物語だった。2人の男女が惹かれあい、恋に落ちて子どもを授かる。何の変哲もない夫婦の幸せな情景だ。年齢差が200以上ということを除けば。
やがて遥か年上の夫を残して、妻はこの世を去って行った。失意に暮れ、絶望する彼は己の息子に懇願した――彼女の元へ行きたいと。
「俺も1人で生きていける年齢だったし、親父が弱ってくのも見てらんなかったし……何よりこの世界じゃ、2人は自由になれなかった」
どれほどに2人が愛し合っていたとして、グレイがエルフだと周りにバレればその関係は崩壊する。彼らの想いに関係なく取り上げられ、壊されるのだ。正義感の強いヒューマーたちによって。
「それからしばらくは独りで暮らしてたんだが、段々周りから変な目で見られるようになってきてな」
両親を亡くした青年はいつまでも青年のままだった。己に向けられる疑いの目は、いずれ両親へと辿り着いてしまうだろう。死して尚、自由になれないとは。エドワードはミズガルドで生きるデミヒューマーの息苦しさを再び思い知った。
「で、100年くらいニダウェで暮らしたんだ。俺を知ってるヒューマーは大体それぐらいで居なくなるから」
そうして『魔法使いの弟子』を開店したのだ。一応の変装として女装までして。
「……そこまでしてミズガルドにいる意味あるのか?」
カルラは思わずそう尋ねた。ん、と曖昧に唸ったエドワードは遠くを見ていた。
「両親の墓もあるし……俺にとっては故郷だしな。またヒューマーたちが忘れたころに戻るさ……200年くらいは待った方がいいかね」
「じじいになるとそこまで余裕出来るモンなのかね……?」
「ヒトによるんじゃねぇかな」
逃げて、待って、舞い戻ることをエドワードは特に苦痛には思わない。それに関してはそう言う性質としか言いようがないだろう。寿命の差は彼の両親を苦しめてしまったが、エドワードを救っている。
「何もかも、時間が解決してくれればいいのにな」
ぽつりと落ちた声を包むように琥珀色の水面が揺れた。
エドさんの女装は趣味ではありませんでした。




