ニダウェの日々②~碧とシャオ~
31 持たざる者の襲来の少し前くらいです。
碧はカルラから渡された山盛りのサンドイッチが乗ったお盆を手に屋敷の別館に向かっていた。それを追うように頭の上をベリルが飛んでいる。ルーナは定位置であるフードの中でうつらうつらと船を漕いでいた。
このところ工房にこもり切りのシャオに食事を届けてくるよう頼まれたのだ。何でも作業を始めると寝食を忘れるほどに集中してしまうらしい。カルラが義足を造って貰った時も似たようなことがあったそうだ。それだけシャオがものづくりにかける情熱は本物なのだろう。
工房の扉をノックしたが、案の定返事はない。碧は一旦お盆をベリルに預け、一応声もかけながら扉を開いた。途端にぶわりと温かい風が吹き抜ける。
「シャオ?」
煌々と燃える炎の前で丸まった背中がじっと佇んでいた。時折薪が爆ぜ、静かな空間に微かな音を添えている。そんな静寂を壊すように、不意に間の抜けた音が響く。
ピコっと三角の耳が立ち上がった。シャオが不思議そうに辺りを見回すと、笑いを堪えている碧が目に入る。
「わ、ごめん。気づかなかった……今のアオイ?」
「ふふっ……ううん、シャオだよ。シャオのお腹の音」
え? と首を傾げたシャオのお腹から、タイミングよく先ほどと同じ音が鳴った。ありゃ、と恥ずかしそうに頬を掻くシャオにお盆を差し出すと、碧は近くにあった椅子に座る。
「中断しても大丈夫なら一緒に食べよう?」
「うん! あ、ちょっと待って……」
シャオは炉に幾つか薪をくべると、碧の対面に腰を下ろした。空腹を自覚したのか、少しそわそわしている。
「じゃ、いただきます」
「いただきま~す」
2人でサンドイッチをぱくつく。割合子供舌の2人に合わせてマスタードは控えめだ。
「今はエディさんの義手作ってるんだっけ」
「ん? うん、今材料の精錬してるところなんだ」
魔法使い専用の義手、マギア・リブ。魔力を伝導しやすい鉱物で作られたそれは、本物の手足と遜色ない動きが出来るのだそうだ。魔法使いの少ないミズガルドでは滅多に見られないが、ニダウェやスバルムでは比較的一般的なものらしい。
「不純物が少ない方が動きが滑らかになるからね。これはしっかりしとかないと」
お茶を飲みながらシャオがそう言う後ろで炎が爆ぜる。碧が瞬きしている間にそれは蛇の形を取り、炉の中を縦横無尽に蠢いていた。時折ぼふっ、と煙を吐きながらシャオの言う不純物のみを燃やしているらしい。
「器用だね……」
すごいなぁ、と素直にそう言うとシャオは照れ臭そうに笑った。立った耳がぴこぴこと震え、尻尾もぶんぶんと振られている。本当に感情表現方法が豊かな種族だ。
「ドワーフって皆魔法が得意なの?」
「う~ん、どうだろ? 炎と土の魔法使いばっかりだしね……魔法だったらエルフとかディアボロスの方が得意なんじゃないかな。魔法使い自体も他の種族に比べて多いしね」
ディアボロスというのは確か、羊のように湾曲した角を持つデミヒューマーだったはず。ミズガルドで男やエドワードと勉強した知識を引っ張り出してそう聞けば、シャオはこくりと頷いた。
「スバルムにしか住んでないから、オイラも会ったことはないんだけどね」
シャオ曰くちょっと気難しい人が多く、やや排他的な種族らしい。スバルムでも奥地の方に住んでいるのでニダウェともほとんど交流が無いそうだ。勿論、ミズガルドとは言うまでもない。
「ディアボロスの魔法使いはデミヒューマーの中でも二重属性が多いんだ。アオイみたいに魔物を手懐けてるヒトも多いって聞くよ」
碧の手からサンドイッチをつついていたベリルが小さく鳴いた。ルーナは興味なさそうに欠伸をしている。そんな他愛のない話をしながらサンドイッチを食べ終えると、シャオは大きく伸びをして椅子から下りた。
「……見ててもいい?」
「いいよ! あ、炉にはあんまり近づかないでね」
そう言って炉に向き直ったシャオが打って変わって真剣な表情になる。不純物の除去は終わったらしく、赤々と柔らかくなった材料をトングで掴んで型らしきものに押し込んでいた。その型も種々様々で細かい物が多い。
ハンマーで軽く形を整えると、次々と炉の傍に置いてあった水槽に入れていく。よくよく見ると水槽によって温度が違うらしく、湯気が出ている水槽や、氷の浮かんだ水槽が並んでいた。ジュワッと波打った水面から水蒸気が噴出し、部屋中に漂う。シャオはそれらをまた1つ1つ取り出しては再び赤熱する炉に入れ、ハンマーを打ち込んでいく。
「あ、お皿……」
キッチンに返さないと、と思い出して机を見れば、そこには何もない。あれ? と床を覗き込んでも見当たらなかった。膝から下ろされたルーナが不機嫌そうに鳴く。
『さっきベリルがもってったよ』
ルーナは軽やかに跳躍して碧の肩にしがみつきながらそう言った。言われてみればと周りを見るとベリルがいない上に扉が半開きになっていた。ちなみに扉を開けたのはルーナだそうだ。そして同じ頃、趾で皿を掴んで飛ぶヴェズルがキッチンまでの廊下で目撃されていた。
そう言うことなら、と座り直してシャオの作業を眺める。ルーナも膝に戻ってきて身体を丸めていた。シャオは相変わらず力強くハンマーを振るっていた。炉の近くにいる上に毛皮を纏っているというのに汗1つかいていない。炎の魔法使いだから暑さには強いそうだ。
石壁の工房はひんやりとしていて、炉から離れた場所はほどよく暖かい。甲高い音がリズミカルに鳴り響き、碧の鼓膜を心地よく震わせた。昼食後というのも相まってじわじわと睡魔が忍び寄ってくる。
「……ちょっとだけ」
そう独り言ちで机に突っ伏す。目を閉じると温かい空気の振動が一層眠気を誘った。膝の上の体温も心地よい。碧は瞬く間にまどろみの中へと落ちていった。
暫くして不意にハンマーの音が止む。シャオは振るっていたそれを壁に立てかけ、額の汗を軽く拭った。
「ふぅ、後は研磨して……組み立てるだけ」
大きく伸びをしてまだ少し暖かい部品たちを見下ろす。ここまでくると完成は目前だ。ヒビや欠けがないかをざっくりとチェックし、また伸びをする。ついでに欠伸も出た。滲んだ涙を拭いながら後ろを振り返ると。
「あれ? 寝てる?」
机に突っ伏している碧が目に入った。近寄ると静かな寝息が聞こえてくる。かなり深く寝入っているようだ。
「ふぁ……」
何となく見つめていると、睡魔が伝播してくる。そう言えば昨日寝てなかったっけ、とそんなことを思い出すころにはシャオも碧の隣で目を閉じていた。
――毛布を抱えて飛ぶヴェズルが目撃されたのはそれから少し後の話だ。
何かに夢中になってる間は年を取らないと何かで聞いたような気がします。
シャオが若々しいのはそのせいかもしれませんな。




