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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
幕間

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ニダウェの日々①~おっさんとバリー~

31 持たざる者の襲来の少し前くらいです。

「ヴッ……」


 低い呻き声を上げて男の意識が浮上する。勢い余って身体から浮きかけた意識をなんとかつなぎ止め、男は寝そべったまま足元を見下ろした。案の定、ふかふかの尻尾が視界の中で機嫌よく揺れている。


「んん˝、分かった……起きる、起きるから……」


 そう呟きながら上半身を起こし、腹の辺りにあったブルーグレーの顔を撫でまわす。わんっ、と元気な鳴き声が響き、乗っていた重みが退く。


「おはよう、チビ」


 鼻先を擦り寄せてくるチビを片手間に撫で、男はベッドから降りた。待ちきれないと周りを駆け回るチビを躱しつつ服を着替えて部屋を出る。伸びをしながら屋敷を出ると、日はまだ昇り切っておらず遠い水平線に引っかかるようにして薄い明かりを投げかけてくる。


 男はチビと共に屋敷の裏手に回ると、武闘場へと向かう。初日に一般にも解放されているから自由に使えとカルラに案内されてから、少し楽しみにしていたのだ。ミズガルドでも簡単な木組みの機材でトレーニングはしていたが、やはり戦闘特化種族のバハムーンが使う器具には興味があった。


「失礼しますよっ……と」

「あ、おはようございまーす」


 この世界では珍しい引き戸を開いた先で、逆さまのアルカイックスマイルが朗らかに挨拶してくる。男は一瞬固まったが、黙って頭を下げた。


「ここ使うの初めて?」

「ん、そうだね」


 当り障りのない会話を交わしつつも、紫の頭は忙しなく動いていた。壁に設置されたポールに足を引っ掛けて腹筋をしているのだ。汗1つかいていないバリーはいつもの道士服ではなく、動きやすい黒のインナーとラフめのスラックスを着ていた。

 揺れる髪にそわそわし始めたチビを押さえつつ、男は周りを見回した。早朝というだけあって彼1人のようだ。


「バハムーン基準だから、使う時は気をつけた方がいいよ……チビとアクアさんならまぁまぁ大丈夫だと思うけど」


 バリーはバク転をするように床に手を着くと、ポールから足を外して天地を戻した。大きく伸びをしながら器具を品定めしている男に近寄ると、ダンベルの一つをひょい、と持ち上げて上下させ始める。男もその近くにあった一回り大きい物を何気なく手に取った。


「ぐっ……!?」


 がくん、と男の腕がくずおれる。思わず手放してしまったダンベルは、床に落ちる前にバリーが尻尾でキャッチしていた。バリーはそのまま尻尾でもダンベルを上下運動させながら、けらけらと笑う。


「あは、ごめん。それ僕用のヤツだった」


 ごめんと言っている割にはまったく申し訳なさそうではない。恨みがましそうにバリーの方を見れば、まだくすくすと笑っていた。チビは首を傾げて2人を見上げている。


「……他に危ないヤツってある?」

「この辺の一角は触んない方がいいかもね。他は丈夫なだけで危なくはないよ」


 バリーはダンベルやバーベルが並べられた一角を指しながらそう言った。よく見れば確かにそれらは2つずつ揃えられている上にバリーの尻尾に収まっている方は何とも攻撃的な色をしている。


「……お嬢が塗ったんだよ。間違えて怪我する子が時々いたからさ」


 なかなかに艶やかな色に男が目を瞬かせていると、バリーが説明を付け足す。重量系のものはカルラがドワーフに頼んでバリー用の特別製をあつらえたのだそうだ。それでもよく見れば細かい傷やヒビが入っているのが見受けられる。作り直したのであろう、真新しい物も幾つか混じっていた。


「僕、正直隔離されると思ってたからさ……すごい嬉しかったんだよね」


 当時の事を思い出しているのか、声が沈んでは弾む。元々は手加減を覚えるためにトレーニングしろとカルラが言い出したのだそうだ。それこそ始めた当初は特別製の器具ですら、数回使っただけで壊してしまっていた。


――自分からどこかに引きこもってしまおうとしたことは数え切れない。しかし、その度にカルラが手を引いてくれた。一緒に考えてくれた。解決策を示してくれた。


 バリーは腕の革バンドをするりと撫でる。


「あ、こらチビ!」


 響き渡った声に視線を下げれば、前脚を台にかけたチビが鼻先で特別製のダンベルをいじっていた。重量があるので転がることはないが、ぐいぐいと押されて他のダンベルと混ざりそうになっている。男が慌ててチビを抱え上げると、何が楽しかったのかふすふすと鼻を鳴らしていた。


「……落ちなくて良かったよ。お嬢に大目玉食らうとこだった」


 男とバリーがダンベルたちを定位置に戻していると、勢いよく引き戸が開きどやどやとバハムーンがなだれ込んで来た。バリーと同じ荷運び人から漁師、果ては八百屋の店長まで揃っている。


「あっ、バリーさん、おはようございます!」

「オメ―、相変わらず朝早ぇよなァ。中身ジジイか?」

「……ん? そっちの兄ちゃんは、確か……」


 口々にバリーに話しかけるバハムーンの内の1人が男に気づき、声をかける。そしてその手にあるものに気づくと、大声を上げた。


「おっ! 兄ちゃんそれ持てるのか? ヒューマーにしちゃ、やるじゃねぇの!」


 感心したように笑うバハムーンに背中を叩かれ、男はたたらを踏んだ。銘々に器具を選んでいたバハムーンの方を振り向くと、更に声を張り上げる。


「お前らあ! 負けてらんねぇぞ、バハムーンの心意気見せてやろうぜ!」


 オォー!! と鬨の声が上がった。呆気に取られている男とバリーを余所にわらわらとバハムーンたちがトレーニング器具へと散っていく。何人かはバリー用のダンベルを持ち上げようと汗だくになっていた。


「ちょっと、危ないよ……!」

「だいじょぶ、だいじょぶ! 一番小さいヤツならいけるからよ、ホラ!」


 慌てて止めようとするバリーに、自慢げにダンベルを上下させる。腕の筋肉ははち切れんばかりに盛り上がり、太い血管も浮かび上がっていた。動かす速度もバリーに比べれば虫が這うようなもの。


「まだまだテメェみてぇな鼻垂れ坊主には負けらんねぇからな!」


 にっかりと歯を見せて笑うバハムーンにバリーは苦笑を零した。男がからかうように口を開く。


「鼻垂れ坊主なんだね、バリーって」


 デミヒューマー全般に言える事なのだか、彼らは外見では年齢が分かりづらいのだ。200歳近いエドワードが四十路前の男よりも若く見えるのがその最たる例である。バハムーンは寿命自体はヒューマーとそう変わらないのだが、青年期が非常に長いのだ。現にバリーを鼻垂れ坊主扱いしているバハムーンとバリーの見た目年齢はほぼ同じだ。


 バリーはむぅ、と唇を尖らせると自分の顎を撫でた。


「髭でも生やそうかな……」

「あっは! やめとけやめとけ、似合わねぇよ!」


 ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられるバリーは年相応の若者だ。


「若いっていいなぁ……」


 男がぽつりと呟き、チビが首を傾げた。

おっさんはおっさんですが、バリーは若人です。

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