41 過去を迎えに
蔦の繭に体当たりを繰り返していたベリルが不意にルーナの傍らに舞い降りる。騒動を聞きつけて顔を出したグレイとザクロもどこかぼんやりとそれを見上げていた。
「どうしようかね、コレ」
そして沈黙した繭と魔物たちを遠巻きに見つめながら、カルラがぽつりと呟いた。屋敷に残っていたバリーとシャオも一緒だ。
「んん、皆動かないし、危険じゃないって事なんだろうけど……」
目一杯背伸びをして繭を見上げていたシャオ。その表情はやはり不安げだった。地面から伸びていた根の1つに触れていたバリーが、カルラの方を振り向く。
「かなり複雑な複合魔法だね。解呪は僕でもちょっと辛いかも」
壊すだけなら出来なくもないけど、と続けたバリーにカルラは首を振る。碧が中に閉じ込められている以上、強引な手は使えない。
「中で何が起こってるんだ……? キースなら分かるか?」
『アオイがラビの苦しいの取ってるんだ。心配しなくても大丈夫だよ』
呼びに行こうかと踵を返した時、グレイが口を開く。とは言っても声は脳に直接注ぎ込まれてくるのだが。
「ラビが……? あの子も中にいるのか!?」
うん、と簡単に答えたグレイが再び繭を見上げる。つられたカルラも視線を上げた。
『ほんとはずっとやめたかったんだね。誰かに『もういいよ』って言って欲しかったんだ』
カルラの視線がグレイへと移る。グレイは目を細めると、一ついなないた。何と言ったのか、カルラには分からなかったが、呼応するようにルーナがにゃあ、と鳴いた。ベリルが飛び上がって繭の天辺に降り立つ。ザクロがぽりぽりと頬を掻いて呟いた。
『我も行きたいところだが、デカいからなぁ』
「何のはな――」
し、とバリーが言い終えるより先に、地面が揺れる。繭を見上げていたシャオとカルラの傍らから、しなやかな蔓が飛び出す。それは繭を抱きかかえるようにくるりと巻き付いた。
たたらを踏む3人とは裏腹に落ち着き払った3匹は、繭が蔓によって地中に引き込まれていくのをじっと見守っていた。やがてベリルの姿も見えなくなると、開いた大穴を埋めるようにぼこぼこと溶岩が湧き上がる。
「……どこに行ったの?」
シャオはザクロに問いかける。マグマがすっかり固まったのを見届けて、ザクロは牙を覗かせて笑った。
『呼ばれたところへ』
◆◆◆◆◆
薄暗がりの中で微かな振動を感じ取り、ラビは周囲を見渡す。ぱらぱらと砂塵が降ってくるのに気づいて、頭上を見上げた。不意にその目元を細い指が拭う。
「大丈夫」
ラビはこくりと頷く。そうして再び碧の肩口に顔を埋めた。ゆりかごのような心地よい振動の中、彼はぽつりぽつりと己の過去を語り始める。
碧は何も言わずにそれを聞いていた。質問も助言もしない、非難もしない。ラビが言葉にして身体の外へと吐き出すことだけが必要なことなのだ。
不意に揺れが横から縦方向へと変わる。上昇を始めたのだと気づいた時には、再び枝の隙間から木漏れ日が差してくる。外に出たのだろう。とっくにラビの手を離れていた魔法が溶けるように解け、2人の足元が枝から地面へと変わる。同時に空気の振動する感覚と人々の怒号が飛び交った。
2人が座り込んでいたのは、ヒューマー居住区だった。戦いの場所からは離れているらしく、聞こえてくる喧騒は遠い。碧は立ち上がって膝の土を払うと、ラビの手を引いた。引かれるままに立ち上がったラビは辺りを見回している。
「ここって……」
戸惑うラビを余所に碧は勝手知ったる様子で歩き出した。1つ2つと人気のない路地を抜ける。その先にあったのは、古いアパートメントだった。心臓近くの血管が波打った気がして、ラビは思わず足を止める。
あの日以来、一度も帰ったことはなかった。そう言えば、クルの墓参りもしていない。忘れていた筈もないが、色々なことに砕かれた心の片隅へと押しやられていた。
……けじめをつけろ、と言うことなのだろうか。そんな事を考えていると、くい、と促すように腕を引かれる。ラビは再び歩き出した。少し速足になって隣に並び、碧の顔を覗き込む。どこか気が急いている様子だった。
「そっちじゃないよ、こっち」
庭の方へと回ろうとしたラビに、碧がそう言った。訝し気な表情を向けるラビに、碧は2階の隅のドアを指差した。
――あの部屋だ。ラビは鳩尾の辺りが縮こまるような感覚を覚え、ぎゅっと拳を握る。言葉にしたことで鮮明になった記憶が脳裏をよぎる。
そんなラビの様子を敢えて無視するように、碧はカンカンと高らかな音を奏でて階段を登っていく。唇を引き結んだラビも一歩ごとに重くなる足を引きずるようにして続いた。とうとうラビは扉の前へと立つ。
「開けて。待ってるから」
どこかぼんやりとした言葉にラビは首を傾げた。居住区に来てから碧の言動がどこか幼い気がするのだ。早く早くと急かす碧はなんだかわくわくしているようにも見えた。
意を決してドアノブを握る。3か月間一度も開かれることのなかった蝶番が軋みを上げた。鼻の奥を突き刺した錆の臭いは幻覚だろう。出ていく前にすっかり綺麗にしたのだ。ラビは振り払うように頭を振ると、ドアを大きく開いた。
破れたカーテンから細い光が部屋の中に差し込んでいた。備え付けだった棚は見る影もなく砕け、敷きっぱなしの布団も大きく裂けている。足の踏み場もないほどに瓦礫が転がる部屋の中は、最後に見たその時のままだった。
「……あ」
ラビは呆然と立ち尽くしていた。同じく部屋を覗き込んだ碧が悪戯っぽく笑った。
「おかえり」
「きゅ!」
碧の声が元気のいい鳴き声と重なる。駆けだした小さな身体が、がくりと膝をついたラビの胸元へと一直線に飛び込んだ。身体と同じくらいある大きな尻尾が勢いよく振られている。
「あ、あ……どうして……」
思わず受け止めた手のひらに滲む体温。流れ落ちた涙が桃色の毛並みを濡らして赤い宝石を光らせる。くりくりとした黒曜の瞳がくすぐったそうに細められた。
「痛かったけど、ラビが直ぐに埋めてくれたから大丈夫だったの」
にっこりと笑ってそう言った碧の口調はやはり幼い。不意にその身体から青白い光が抜ける。それはクルの元へと向かうと、溶けるようにその身体に吸い込まれていった。
ふは、と碧が小さく息を吐く。身体に違和感があるのか、しきりに光の抜けていった胸元をさすっていた。頭の中に幼い声が響く。
『ずっと、ラビがかえってくるのまってたの。あえてうれしいの』
カーバンクルの額の宝石は魔力の源だ。傷ついたり引きはがされたりするとノームからの加護を受けられなくなる。障壁は消え、再生能力が著しく低下してしまうのだ。
あの日、宝石を引きはがされたクルは生死の境をさまよっていた。ラビはそれを死んだと思い込んで土葬したのだ。地の精霊ノームの眷属であるクルは地中で直接魔力の供給を受け、一週間ほどで傷を癒していた。
それからはずっとここで、ラビが帰ってくるのを待っていたのだ。
『カラダかしてくれてありがとうなの。みんなにもあとで"おれい"いいたいの』
ラビに頬を擦り寄せながらもクルは声を飛ばしてくる。碧はクルを抱きしめて静かに泣いているラビをちらりと見ると、そっと部屋を出ていく。しばらく2人きりにしておこう。
「わ、っとと」
扉を閉めた途端、目の前に大きな影が舞い降りた。ベリルだ。中の2人に気遣ってか、小さな声で鳴くと碧に擦り寄ってくる。
『大丈夫です?』
涼やかな声が頭に響き、碧は曖昧に笑った。少しだけくらくらする、と素直にそう言うとベリルが羽を広げて碧の頭を撫でる。
『魔物に身体を貸すヒューマーなんて初めて見ましたよ』
「貸すというか、間借りされたというか」
あの宝石に触れてからずっと、碧にはクルの声が聞こえていた。どうにか逢わせることは出来ないかと考えていると、クルの方から案内するとの申し出があったのだ。
「まだなんかちょっとふわふわするな」
クルの申し出を受け入れた途端、自分の意識が浮かび上がるような感覚を覚えた。宝石を通じてクルが意識の一部を碧に送り込んだのだ。霞に包まれたような心地で、自分の身体がラビを導いていくのを俯瞰していた。
『ここは戦場からは離れているので安全です。ご無理はなさらず、お休みください』
腰を下ろそうと階段へ向かう碧の後をベリルが追いかける。軽く砂を払って座ると、膝の上にベリルが舞い降りた。
『しかし主とここまではっきり会話できるようになるとは……とても嬉しいです』
「ん、皆の声も聞こえてたよ。カルラさんたちには迷惑かけちゃったかな……」
これもシャオの言っていた能力の一つなのだろうか、とぼんやり思う。あまり気に留めていなかったが、テレパシーを使える魔物は稀だったはずだ。やはり自分にはこの世界の常識が足りないな、と苦笑いを浮かべる。
思い返せば、魔物たちの声が聞こえたのは触れている時だけだった。スキュラーしかりケットシーしかり、抱っこしていた個体の声だけが聞こえていた。
集中すればもっと遠くの声も聞こえたりするのだろうか。ふと思いついたことを実行するべく目を閉じる。
『アオイ~!!』
自分の名前が耳をつんざく。咄嗟に耳を塞いだが、あまり意味はない。ベリルが呆れたように溜め息を吐いた気がした。
声の方を見下ろせば、アパートから少し離れた地面がもこりと盛り上がっている。次の瞬間には爆発するように砂塵がふきあがった。砂煙に紛れるように、大きな狼が地面から飛び出してくる。
『ほら! いた! あっちだよ、あっち!』
地面に開いた大穴と碧の方とを交互に振り返りながらチビがはしゃぐ。碧とベリルは顔を見合わせると、少し笑って階段を降りる。近くまで行けば、穴の方から声が聞こえた。こちらは肉声だ。
「よっと……どうしたの、チビ。急に走り出して」
「あ、おじさん」
やっぱり、と続けた碧が見開かれたアクアマリンに映り込む。
「え、なんで」
「ちょっと色々ありまして。おじさんはどうしてここに?」
話せば長くなるからと質問をそのまま返す。が、当然男は納得しない。
「おっさんは野暮用。そもそもどうやってここに?」
少し厳しくなった語気に碧は観念してこれまでの経緯を話した。男は一通り聞き終えると、目を閉じて眉間を揉む。
「そっか……いや、ごめんね。おっさんが逃がしちゃったばっかりに」
「いえ、お陰でラビとも少し話せましたし、クルにも逢わせてあげられたので」
2人揃ってアパートの一室を見上げる。流石にこの状況下でラビをしょっ引くほど男も鬼ではないつもりだ。
「少し待とうか……なるべくおっさんの近くにいてね、教団の連中がいないとも限らないから」
こくりと頷いた碧はふと思い出して口を開く。
「あ、そうだ。おじさんには言っといた方がいいかと思ったんですが……」
「ん? 何?」
碧はおずおずと口を開いた。その傍らで碧にじゃれつこうするのを押さえつけるように、チビの頭にベリルが舞い降りる。
『そんな勢いで飛びついたら主が怪我するだろう。君は大きいんだから気をつけないと駄目じゃないか』
『う~、だってぇ……』
成体であるか否かと精神年齢は関係ないらしい。ベリルは群れを率いていただけあって口調もしっかりしている。対してチビは本当におチビさんのようだ。2匹のやり取りを聞きながらくすくすと笑っていると男が首を傾げる。
「あ、すみません、つい……」
「や、いいよ。元気だねぇ、チビは……っと、もう抱っこは辛いなぁ」
男はチビを抱き上げようとしたが体長が伸びた為か、長身の男が持ち上げてもお尻が地面についてしまっている。勢いよく振られる尻尾が地面を掃いて砂を巻き上げていた。
「それでその……ちょっとご報告なんですが」
少し逸れてしまった話題を引き戻す。男もチビを地面に戻すと碧に向き直った。
「……魔物の声が、聞こえるようになりました」
正確にはなってました、なのだろうが細かい違いだ。男は微かに目を見開く。
「声?」
少しトーンの低くなった声に碧がびくつく。
「は、はい……ここにもクルに案内してもらったんです。その、聞こうと思うと聞こえてくる感じなんですが」
どもりつつも説明を付け足すと男は腕を組んで唸った。
『アクア、怒ってるワケじゃないよ。ちょっと困ってるだけ』
チビがそう言ったので、碧は少しほっとして男が口を開くのを待っていた。
「……それっていつから?」
「えっと、多分ニダウェに来る直前くらいからだと思います。はっきり聞こえるようになったのは、クルと話してからですかね」
その時には制限はあれどスキュラーの声を聞いていたのだ。その辺りの事も自分なりに分析しつつ話すと、男はまた眉間を押さえた。
「まだ誰にも言ってないんだよね?」
碧がまたこくりと頷く。気づいたのもついさっきだ。ふと碧の顔を覗き込んだ男が首を傾げる。
「……何か顔つき変わったね?」
へにゃりと笑った顔が見上げてくる。それに一抹の寂しさを覚えながら、男は目の前の黒い頭を撫でた。子供の成長を見た親の心境とはこういうものなのだろうか。伴侶すらいない内に子を持った親の気分を味わうことになろうとは。
不意に男の目に映る碧の姿がぶれた。どくんと心臓が脈打つ音が嫌に大きく聞こえる。不思議そうに顔を上げた碧の目が、澄んだ青に染まって見えた。
「――、あ」
思わず手を引っ込める。それを碧が訝しむ間を与えず、頭上から声が降ってきた。
「アオイ! ……あ、アクアさん」
隣に居る人物に気づき、ラビは少しだけ気まずそうな表情を見せた。男もキツイことを言った自覚がある分、きまり悪そうだ。
「あー……えっと」
男が一歩歩み寄ったその時、一陣の風が吹き抜けた。
魔物たちの年齢はグレイ≧ザクロ≫ベリル>チビ≧ルーナって感じです。
人間たちの方はエド≫おっさん>シャオ>カルラ&バリー>碧>ラビ。
エドさんはおっさんとも一世紀以上離れてます。




