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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第2章 内側の世界、外側の世界

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37 思考停止の狂信者

 時は1時間ほど前に遡る。男はエドワードとチビと連れ立って、ヒューマー居住区へと向かっていた。昨日までと様相の変わったチビに街の人から何度も声がかかったため、いつもより歩みはゆっくりだった。ニダウェでも成体の魔物は珍しいようだ。子供たちに構われ、嬉しそうに尻尾を振っている。


「……えらく人懐っこくなったよなぁ」


 エドワードは思わずそう呟いた。同時に男の横顔を窺う。何とも複雑そうな表情だった。一人首を傾げながら、跳ねまわるチビの後を追って荷車を引く。


「そういや、今朝言ってたけどアオイちゃん護身術習うんだってな」


 ん、と不明瞭な相槌が打たれる。取り敢えず聞こえてはいるらしいな、とエドワードは言葉を続ける。


「本人から言い出したって話だけど、やっぱアレ怖かったのかね」

「いや、それは……あー、後で話すよ」


 ギムレーと居住区を隔てる金網が見えて来たので、男は一旦言葉を切った。不特定多数に聞かれる訳にはいかない。もっとも、エドワードなら勘づいていそうなものだ。確信が欲しいだけなのだろう。


「あ、お2人は昨日の……」


 開口一番そう言ったラビの肩の上でクルが小首を傾げる。そうして男の後ろを探すように身体を伸ばした。


「アオイちゃんは今日はいないんだ、ごめんね」


 男がそう言うとクルは全身でしょんぼりする。哀愁漂う背中を指先で撫で、ラビは苦笑いを浮かべた。


「昨日の今日だもん、仕方ないよ」


 クルはすねたようにそっぽを向くとフードの中へと潜り込んでしまった。


「……あれ」


 不意にラビが小さく声を上げる。男の後ろに控えていたチビが見えたのだろう。


「あれ、え? その仔、チビ……ですよね?」

「あぁ、うん。昨日成体になったんだ……それで、ちょっと相談があるんだけど」


 随分前からチビではなくなっていたフェンリルを軽く前に押し出しながら男は口を開いた。簡単に自己紹介を済ませ、本題に入る。

 グレイやザクロの話をすると、ラビは大きな瞳をぱちぱちと瞬いていた。クルも興味を惹かれたのか、フードからちょこんと顔を出してふんふんと鼻先を上下させながら話を聞いていた。


「……そんな訳でさ、出来ればチビに魔法を教えてやって欲しいんだ」

「なるほど……でも、信じられないな、魔物が魔法を使うなんて……」


 思わずそう呟いたラビははっとしたように顔を上げると、慌てて両手を振る。


「あ、その、違うんですよ。疑ってるとかじゃなくてですね……!」

「や、その気持ちはよーくわかるから気にすんなよ」


 エドワードが少しばかり遠い目でフォローする。魔物に魔法は使えない。それはエドワードの長い人生の中でも常識だった。それが覆ってからまだ一ヶ月と経っていないのだ。しかもその一端に自分の父親が噛んでいた。知った時の戸惑いはラビ以上だっただろう。


「俺やグレイが教えるってのも考えたんだけどな。やっぱり、同じノームの加護を受けた魔法使いの方がいいだろって」

「そうですか……僕でよければ、頑張ってみます!」


 にこっと笑ったラビに、チビがウォン、と勇ましい鳴き声を返す。男はほっとしたように息を吐いた。


「ありがとう、助かるよ」


 男は金網に向かって手を差し出す。ラビはその手を握り返した。チビも鼻先を寄せてくんくんと匂いを嗅ぐとぺろりと舐めた。ラビの腕を伝って降りてきたクルもちょん、とチビに鼻をくっつけた。


 和やかな雰囲気の中。よろしくね、と言うはずだった声を呑み込んだのは轟音だった。弾かれたように手を放し、そろって音源を見やる。もうもうと上がる黒煙と飛び交う悲鳴に顔を見合わせる間もなく走り出す。


「これは、一体……?」


 爆心地と思わしき場所は直ぐ近くだった。硝煙の臭いが鼻を突き、子供の泣き声が鼓膜を揺らす。エドワードが軽く腕を振れば、立ち昇っていた煙がみるみるうちに晴れていった。


「おいおい、マジかよ……!」


 燻っていたのは境界の金網だ。ギムレー側に向かって捲り上がるように弾け、大口を開けていた。呆然と見ている中、また1つ爆音が鳴り響く。今度はもっと離れた場所のようだ。


「……とにかく金網から離れて! 怪我人はいる!?」


 男が何とか声を張り上げる。はっとしたようにラビは子供らの方へと走って行った。男はエドワードと共に金網に開いた大穴をくぐり、中へと侵入する。こつりとそのブーツが何かを弾いた。見下ろせば黒い水晶の破片が散らばっていた。その正体に気づくよりも早く、それは燃えカスのように煙を上げて消えていく。


「おい、これ……!」


 エドワードがそう言うが、男は既に上を見上げていた。少し離れた小高い建物の上。御旗のごとく黒衣をはためかせるヒューマーが、そこに立っている。


「あいつら……ッ!」

「まぁ、2人だけな訳ねぇわな」


 引きずりおろすか? とエドワードが目で尋ねたので、男は首を横に振った。むしろこちらが本隊なのだろう。逃げ惑うヒューマーたちを見下ろすように俯いたフードの奥は見えない。


 男は教団の出方を窺っていた。目的がわからないのだ。これだけ派手にやらかしている以上、碧が狙いな訳ではないだろう。かといってバハムーンたちへの攻撃でもなさそうだ。爆発が起きているのは今のところヒューマーの居住区だけらしい。逃げ惑うヒューマーたちと避難誘導するバハムーンたちの声が遠く聞こえる。


「……ヒューマーの為の宗教じゃなかったのかね」


 エドワードがぽつりと呟く。それが聞こえたかのように、黒衣のヒューマーたちは勢いよく顔を上げ、両手を広げた。背に負った金の刺繍が翻る。


「聞け! ヒューマーたちよ!!」


 高みから降ってきた声に、誰もが空を仰ぐ。男だけは睨むように視線を刺していた。そうして、前を通り過ぎようとしていたラビの服を捕まえる。何事か耳打ちすると、ラビは大きく頷いてそのまま駆け抜けていった。そんな小さなやり取りに気づくはずもなく、教団員は声を張り上げる。


「我々はミズガルドからの使者、バーデン教団! 神の子をお救いすべくここへ来た!!」

「あ?」


 思わず漏らした重低音が地を這い、鎌首をもたげて教団員の喉を捕らえた。びくっと肩を揺らした教団員はそこで初めて男の存在に気づいたらしい。一瞬気圧されながらも震える手が男を指差す。同じように震える声が、言葉を紡ぐ。


「あ、あの男だ! あの男が、神の子をこの不浄の地へと連れ去った! 我々は神の子と、全てのヒューマーを救いに来たのだ!!」


 ざわざわと先ほどとは質の違う喧騒が広がっていく。犯罪者にも神を信じる者は多い。その上、20数年前の神の子による大活劇はさながら神話として語り継がれている。それが再びこの世界に現れたのだと。そして今、この地にいるのだと。そんな告白に誰もが戸惑っていた。同時にじわじわと期待が膨らんでいく。


 男は一歩前へ出た。距離は遥か離れたままだというのに、教団員たちはじわりと後ずさる。剣呑な光を湛えた瞳に見つめられ、抜き身の刃を喉に押し当てられているような錯覚を覚える。彼らは思わず生唾を飲み込んだ……それでも彼らが止まることはない。


「我々は長きに渡る不当な支配からヒューマーたちを解放する! その為の力が、神よりもたらされた!!」


 教団員は叫びながら懐から取り出した何かを男に向かって投げつけた。男が反射的に弾いたそれは、陽光を吸い込んで黒く輝く。エドワードは咄嗟に突風を巻き起こし、黒水晶を空へと舞い上げた。


「全員伏せろッ!!」


 エドワードの声を追うように爆音が鳴り響く。皆の遥か頭上で爆ぜたそれは、中空を舞いながら灰へと還った。


「ごめん、エディ。ありがと」

「気にすんな……しかし、爆弾代わりにするとはな」


 それなりの量が取れるようになったのか。はたまたなりふり構っていられなくなったのか。どちらにせよ状況が切迫していることに変わりはなかった。


「これが神の力だ!! この力があれば魔物も魔族も容易く滅ぼせる! そして神の子を取り戻せば、ヒューマーだけの国――否、ヒューマーだけの世界は夢物語ではなくなる!!」


 ぶわりと隣で膨れ上がった怒りにエドワードは息を呑んだ。が、熱に浮かされ幻想に酔い始めた狂信者たちが、静かで冷たいそれに気づくことはない。更にその焔を煽るように、乾いた言葉をくべていく。


「さぁ、立ち上がるのだ! 神の子の為、我らヒューマーの未来の為に!!」

「おぉおおおおおおおッ!!」


 もうもうと上がる煙を吹き飛ばすように教団員が叫ぶ。連なるように鬨の声が上がる。2人の舌打ちが容易く掻き消されるほどの蛮声を合図にするように、ヒューマーたちは金網に開いた穴に殺到した。

 巨人がこじ開けたように外側へと開いたその扉の前には、石像のように仁王立ちする影が2つとちょこんと座った影が1つ。そんなものに構うことは無いとばかりに突進する蛮族たちに、仁王像の片割れは乾いた笑いを浮かべた。


「流転の精霊よ、加護を受けし者に応え、渦巻く風を弾丸へと変えよ!」


 真っ直ぐに伸ばされた指先が指揮を取るように爪弾かれる。その度に圧縮された空気が放たれ、同じ数のヒューマーが弾き飛ばされた。


「チビ、行こう」


 短い言葉にウォン! と力強い答えが返る。走り出したチビはそれだけで台風のような風を巻き起こし、ヒューマーの集団をなぎ倒した。男も剣を抜くことすらなく振り抜いた拳と脚で暴徒の意識を次々と刈り取っていく。


「生命の精霊よ、加護を受けし者に応え、悪意を阻む盾となれ!」


 幼い詠唱に応えるように砂が湧き上がり、とぐろを巻くように子供たちを取り巻いた。金網の穴を埋めるように半球状のドームとなったそれはラビの魔法だ。男やエドワード、チビの攻撃を縫うようにしてやっとの事で届いた投石や拳も呆気なく砂の防壁に弾かれる。

 戦闘に通ずる男や魔法使いのエドワード、戦闘特化種族のバハムーンたちにとって彼らは有象無象に過ぎない。僅かに存在した魔法使いですら、男の拳で簡単に地に伏せた。それでも居住区のほとんどのヒューマーが暴徒と化しているこの状況では、長期戦になるのは明白だった。


「数が多いと面倒だ……なっ!」


 エドワードは風で巻き上げた小石を散弾のように放ち、目の前の暴徒を一掃する。が、彼らを踏み越えるように次の団体様が押し寄せてくるのだ。顎から垂れた汗を拭い、エドワードは後ろに向かって叫ぶ。


「ラビ! そっちは大丈夫か?」

「は、はい! なんとか……!」


 時折投石に黒水晶が混じり、防壁の上で小爆発を起こす。頻度も威力もさほど高くはないものの、じりじりと焼石にあぶられるように疲弊していく。


「神の子さえ解放されれば、魔族も魔物もおそるるに足らん! 我らの手でお救いするのだ!! 我らヒューマーの輝かしい未来の為に!!」


 暴徒の狂気を煽り立てるように喚く声に、男のこめかみに太い血管が浮かび上がった。硬く握られた拳が打ち込まれ、暴徒が宙を舞う。内心の葛藤が青い瞳に浮かび上がってゆらゆらと揺れる。

 それを見たエドワードは男の前へ出た。入れ替わるようにチビが男の元へと戻り、気を引くように鼻面をぐいぐいと男の拳に押し付ける。男の掌が微かに開いて、チビの濡れた鼻先を受け入れた。


「ん、ありがと……大丈夫」


 チビは大きく変わった。あの子も変わろうとしている。自分もいつまでも立ち止まってはいられない――いつまでも、置き去りにしているわけにはいかない。男はチビを撫でると、再び目の前の狂信者の群れに向き直った。


「……なぁ」


 不意に重い声が地を這った。男の視界の隅で、パッと赤い花が散る。大きく見開いたブルーアイを塗り替えるように次々と、赤がぶちまけられていく。


 固まる男の耳元を空を斬る音が撫でていった。透明な弾丸のようなそれは、同じように動かずにいたヒューマーの胸元を貫通し、噴き出した体液に混ざるように形を失った。

 ごぼっ、と溢れてきた血を吐き出したそのヒューマーは驚いたような表情のまま、うつ伏せに倒れて動かなくなる。胸元には見覚えのある10ミリほどの穴。


「いい加減、うっとうしいんだけど」


 氷のような声と共に男の頬を風が掠める。男は咄嗟に振り向きながら剣を抜き、盾にするように真横に構えた。甲高い音が鳴り響き、じん、と痺れるような衝撃が腕を伝う。剣先を濡らした水滴が地面に落ちる。男は暴徒に背を向ける形となったが、近づく者はいなかった。


「説明は、してもらえるのかな」


 音を無くした世界で、男は静かにそう言った。視線の先には、真っ直ぐに伸ばした手を拳銃の形にしたラビがいた。


「……しなきゃ、わからない?」


 銃口となった指先に、小さな水球が生み出される。何の予備動作も無しに放たれたそれは、男の肩越しに暴徒へと向かう。が、その直前で突風に煽られて軌道を変え、近くの瓦礫に穴を開ける。巻き起こされた風はついでのように暴徒の群れを弾き飛ばし、対峙していた2人から隔離する。


「二重属性の魔法使い……か」


 エドワードがぽつりと呟いた。それは魔法使いの中にも一握りしかいない、2人の精霊の加護を受けた魔法使いだ。ラビは土の精霊ノームと、水の精霊ウンディーネに愛されて産まれてきた、稀有な存在だった。そしてそれを隠していた理由は、もはや明確だった。


「……説明はともかく、理由は聞きたいかな」


 男は言葉を選びながらそう言った。そうしてラビの答えを待つ間、目まぐるしく考えを巡らせる。そんな思考を停止させたのは、幼い声のたった一言。


「ヒューマーは、殺しても罪にはならないから」

煽動する者とされた者は同罪なんですかね。

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