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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第2章 内側の世界、外側の世界

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36 正しい良い子の作り方

 碧が産まれたのはまだまだ暑さの残る秋の事だった。田中家の第2子として産まれた碧は、幼い頃から遠慮がちな子供だった。


 2つ上の兄は跡取り息子というものらしかった。何を継ぐものがあるのかと今でこそそう思うが、とにかく兄は偉かった。そして碧は田中家には特に必要のない子供だった。面と向かってそう言われた事は流石になかったが、祖母の言動の節々にそう言った感情が透けて見えていた。


 そんな祖母を、母は酷く嫌っていた。自分がお腹を痛めて産んだ子を要らない子のように扱われれば、腹が立つのは当然のことだ。彼女ら2人に血の繋がりがなかったこともそれに拍車をかけていたのだろう。


「今日はうどんにする予定だったのに……嫌味のつもりなのかしら。ねぇ、碧?」

「わかんない」

「また、適当なもので済ませようとして。あーちゃんだってこっちの方がいいでしょ?」

「どっちも好きだよ」


 この2人の息子であり伴侶――つまりは碧の父親についての記憶は、あまりない。父はいつの間にか居なくなっていて、気が付けば碧だけが2人の喧騒の中に取り残されていることが多かった。そうして治まってからしばらくして戻ってきてゴメンな、と呟きながら煙草と鉄の匂いがする菓子をくれた。


 2つ下の妹は、勝気で明るい子供だった。欲しいものは欲しい、嫌なものは嫌だとはっきり言える、手のかかる愛らしい子供だった。兄は祖母が甘やかしていたので、必然的に母は妹にかかりきりになっていた。その間、まだ幼かった碧は一人遊びしている事が多かった。


「碧はわがまま言わなくていい子ね。お母さん、嬉しいわ」


 何かにつけ、母はそう褒めてくれた。だから、碧はもっと遊んで欲しいとは言えなくなった。妹を見ていてと言われれば、一生懸命面倒を見ていた。数少ない碧の持ち物を欲しがれば、渋ることはあれど最終的には渡していた。妹に譲る事がどんどん多くなり、望みを口にすることすら減っていった。


 碧が中学を卒業するころ、兄と妹が一時に反抗期を迎えた。元々折り合いの悪かった2人は頻繁に衝突しては碧に愚痴を言いに来た。碧は小さな小さな相槌を打ちながら静かにそれを聞いていた。

 言いたいだけ言ってすっきりした2人はいつの間にか仲直りしていて、そうして再び喧嘩するを繰り返していた。それは、当時の祖母と母も大体同じだった――仲直りこそ、したことはなかったが。


「アイツが適当なせいで、しわ寄せが全部こっちに来るんだよ! 末っ子だからって甘えてばっかで……ほんっとむかつくよなぁ?」

「そうかな」

「ちょっと早く産まれたからって偉そうにしてさぁ! いちいちめんどくさいのよ、アタシがいつ兄ちゃんに迷惑かけたってのよ、ねぇ?」

「どうだろう」


 不愉快だった。息苦しかった。同じ思いをさせるのも嫌で、誰かに相談をしなくなった。一度だけ、子供電話相談にかけたこともあったが、余計に喉を詰まらせただけだった。


「家族なんだから、支えてあげて。愚痴くらいいいじゃない。聞き流しておけばいいのよ」

「でも、聞いてるのが嫌で」

「大丈夫よ、それくらい。貴方が悪口言われたり、叩かれたりしてる訳じゃないんでしょう?」

「そうだけど、でも」

「もっと大変な子たちだっているのよ? 貴方は幸せな方よ」

「……」


 異質なのは自分なのだ。普通の人はそんなことで傷ついたりしないし、苦しんだりしない。だから、碧は口を閉じて、呑み込み続けることを選ぶしかなかった。

 いい子でいればいいのだろう。譲っていればいいのだろう。黙っていればいいのだろう。何かをすり減らしている自覚はあったが、それが何なのかは今になってもわからない。


 理不尽に手を上げられたことはなかった。自身を罵倒されたこともなかった。行動を無理強いされることもなかった。どこにでもあるごく普通の家庭だった。だというのに、碧にとってそこは居心地の良い場所ではなかった。


 16年の歳月を経て作り上げられたいい子は、怒るのも泣くのも下手な子供だった。家族が捨てた言葉をどうしてか一生懸命拾い集めて身体一杯に詰め込んだ空虚な子供だった。


 そのことに気づいたのは、あの日の帰り道。父親から届いた、1通のメールが切欠だった。前後のやり取りはおぼろげだが、父に対して初めて不満を訴えたことは覚えている。


『いつも我慢してくれてありがとう。碧が我慢強いからって甘えてごめんね。情けないお父さんでごめんね』


 父の母と父が選んだ妻の仲裁も、父の子供たちの喧嘩の後始末も、本当は碧がしなければならないことではなかったのだ。碧は父がすべき役目を何故か押し付けられていただけだった。

 自分が何も言わずとも兄と妹は仲直りするし、母と祖母はどこかで折り合いをつけるのだろう。そこに碧の存在はきっと、必要ないのだ。自分がいた場所には父がいればいいのだ。ただ、話を聞いていればいいだけなのだから。


 たどり着いた答えは妙にしっくりと胸に落ちた。兄のように必要な子供ではなかった。妹のように意志のある強かな子供ではなかった。なれなかった。なりたかったのかどうかもわからない。


 もう、いい子でいなくてもいいのだろう。でも、そうじゃない自分は知らない。怒り方もわからない。泣くのだって下手だ。

 誰かに相談しようにも躊躇いが喉を塞ぐ。嫌な思いをさせるのではないだろうか、だって自分は嫌だったんだから。それに理解してもらえるだろうか――こんな異質な自分を。


 ぐるぐると巡る思考はまとまりを知らないまま、いつものように歩いていた帰り道は妙に長かった。

 そうして気が付くと、碧は森の中で逆さ吊りになっていたのだ。



◆◆◆◆◆



 半ば考えながら、たどり着いた答えをなぞるようにぽつぽつと、碧は語った。

 これまでは黙って突っ立っているだけで良かった。何もする必要などなかった。でも今は、この弱い弱い両手に、容易く肉を裂く爪と骨を砕く牙が繋がっている。


「多分、初めてなんだと思います。解決しようとするの」


 ただ通り過ぎていく言葉を眺めていた。仲裁をする気もなかったし、その必要も意味もなかった。空っぽな碧には彼女らを変えられない。


「変えたいんです、変わりたい……変わらなきゃいけない」


 それは初めて手にした責任だった。なんて薄情なんだろう、とは自分でも思う。血の繋がった家族ではなく、優しくしてくれた他人や魔物たちだけに報いようとしている。自分に取って都合のいい優しい世界だけを護ろうとしている、現金な人間だ。


 カルラは時折相槌を打ちながら、静かに聞いていた。が、碧が言葉を終えたところでゆるりと立ち上がって黒いつむじを見下ろす。そうして視線を合わせるようにその傍らに膝を着いた。


 不意に、碧の頭が柔らかく温かいものに包まれる。頭の後ろをそっと抑えられ、顔を上げることも出来ないまま、碧はしばらく呆けていた。碧の頭を胸に軽く押し付けていたのとは反対の手で背中をぽんぽんと叩かれ、ようやく我に帰る。


「あの……」


 そろりと手を伸ばして背中に回されていた腕に触れる。ちょんちょんと叩いて放してくれるように促したが、微動だにしない。


「……独りで、頑張ってきたんだねェ」


 碧の手が止まって、少しだけ力がこもった。頑張ってきたって何をだろう。自分はただ黙ってそこに突っ立っていただけなのに。それすら、満足に出来なかったのに。


「でも、頼ってくれて嬉しいよ」


 嬉しいと言ったのだろうか。迷惑をかけられているのに。楽しくもない思い出話を聞かされたのに。

 目の前が、くしゃりと歪んだ。滲む視界をカルラの上着に押し当ててごまかす。


 物心ついた時からずっと、捨てられた言葉を拾い集めていた。大事に身体の中に詰め込んでいた。辛かった。苦しかった。それでも手放せずにいたのは、他に何もないからだ。必要とされていたかった。要らないものになりたくなかった。


 碧の両親や兄妹は微塵もそんなことは考えてもいなかっただろう。要らない子だなどと思ったこともなかっただろう。困ったような笑みを浮かべていた表層の奥に、これほどまでに凝り固まったヘドロを抱えていたなど想像もしなかっただろう。

 碧とて誰にも明かすつもりはなかった。これは隠すべき異常に他ならないものだった。


 きっと、誰も悪くはなかったのだ。碧が少し人の目を気にする子だったことと、彼らとの相性が良くなかったことだけが原因だった。


 カルラは碧の頭を撫でた。俯いて歩く迷子の子供が透けて見えている。泣いてはいない、零れそうになるのをどうしてか、必死に耐えているいじらしい子供。迷いながらも歩くことを決めたのなら、導いてやれる。


「これからは一緒に頑張ろうな」


 こくりと真っ黒な頭が微かに上下する。顔が埋まっていた肩の辺りが熱く湿っていった。まずは頼ることへの罪悪感をなくすべきか。カルラは碧の背中を優しく叩きながらそんなことを考えていた。


 そんなのんびりとした空気を切り裂いたのは、激しいノックの音だった。



◆◆◆◆◆



 鈍い殴打音が響き、重い身体がメトロノームのようにふらふらと揺れる。それが倒れた先の地面には既に先客がいたのだが、そんなことはお構いなしに折り重なった。


「流転の精霊よ、加護を受けし者に応え、我が敵を薙ぎ払え」


 静かな詠唱とは裏腹に呼び出された気流が荒れ狂う。その激しい渦に巻き込まれた十数名が死なない程度の高所まで巻き上げられた後、地面に叩きつけられた。


「数が多いと面倒だ……なっ!」


 かざされた手から吹き荒れた風が小石を巻き上げ、散弾のようにまき散らした。こちらも死なない程度の衝撃で相手の意識を刈り取っていく。


「ラビ! そっちは大丈夫か?」

「は、はい! なんとか……!」


 エドワードが張り上げた声に幼い声が返る。ラビの声だ。その背後には彼の魔力によって作り出された砂のドームが鎮座している。ドームの中には同コミュニティの子供たちが、そしてその更に後ろにはギムレーと居住区を隔てる金網がある――そしてその金網には、大きな穴が開いていた。


 男やエドワードはその穴目掛けて殺到してくるヒューマーたちを水際で押しとどめていた。そこら中から聞こえる怒号と鬨の声に、男は恐ろしいほどに眉間にしわを刻んでいた。似たような騒ぎが金網のあちこちで起きているのだ。


 そしてそれを煽り立てているのは、黒衣の集団だった。金網から遥か離れた場所で、高みの見物を決め込んでいる。


「神の子さえ解放されれば、魔族も魔物もおそるるに足らん! 我らの手でお救いするのだ!! 我らヒューマーの輝かしい未来の為に!!」


 何が()()()()だ、と男は奥歯を噛んだ。教団はいつもそうだった。都合よく人々を煽動し、残る結果だけをかっさらっていく。

 20年前もそうだった。異世界の少年を虚像で飾り立て、消えてしまった後は教団の為の物語に仕立て上げた。


――何も知らないくせに。彼の事も、碧の事も、知らないくせに。


 力のこもった拳の中で骨が軋みを上げた。そのまま狂信者の群れに打ち込めば、数人がまとめて吹っ飛んでいく。壁に叩きつけられそうになった者は、エドワードが風で受け止めて地面に下ろしていた。

 こいつらだってそうだ。ミズガルドに捨てられた犯罪者のくせに。自分たちが生きていられるのは誰のお陰だと思っているのだろうか。


 頭の中がぐつぐつと沸騰していく。沸き上がる怒りが理性を融かそうと煮えたぎる。抑えられるだろうか――抑える必要は、あるのだろうか?


「……なぁ」


 不意に低音が地を這った。前に出ていたエドワードの耳元を、風切り音が掠める。乾いた音が破裂する。間髪いれずに湿った音が飛び散った。

 思わず固まったエドワードの瞳孔がゆっくりと開く。その大きな瞳の中で、ヒューマーの頭が幾つか弾けた。


「いい加減、うっとうしいんだけど」


 凍りついたように動かなくなった視界の外で、()はそう言った。

子供にとっては親の存在、言葉が全てなのです。

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