34 必要な変化
地下室でバリーとキースが奮闘している間、碧は部屋に戻ってベリルの様子を見ていた。いつものようにコート掛けに止まった状態ではなく、溶けるように横たわる姿は見るたびに心の内がざわつく。
羽の流れに沿って何度も撫でていると、不意にドアがノックされた。聞こえてきた声はシャオのものだ。ベリルを膝の上に乗せていたので声だけかけると、シャオが部屋の中へと入ってくる。片手には瓶を2本提げていた。
「ベリル大丈夫かなって。後、飲み物貰って来たんだ」
「あ、ありがとう」
よいしょ、と掛け声をかけて栓を抜くと片方を碧に渡す。礼を言って受け取った碧は早速一口飲んだ。シャオも碧に倣ってベッドの上に腰かけ、ジュースを飲んだ。
「ベリル、まだ寝てるの?」
「うん」
落とした視線の先で羽毛に覆われた胸が緩やかに上下する。時折ぴくぴくと痙攣するのは夢を見ているのだろうか。身じろぎするたびに気になるのか、ルーナが尻尾を揺らしている。
「……アオイのせいじゃないからね」
指先がつやつやの羽に埋まったまま停止する。思わずシャオの方を向くが、彼は正面を向いていたので視線は合わなかった。
「ベリルもチビも、アオイのこと護ろうとしただけだから。元気でいてあげてね」
「……うん」
頑張る、と繋げた碧の手を、ルーナが舐めた。見た目の和やかさに反してざらざらの舌は結構痛い。本人(本猫?)もそれを知って喝を入れてくれているのかもしれない。それをじっと見ていたシャオが不意に口を開いた。
「アオイは不思議だな」
言葉の意図を掴みかね、碧は首を傾げた。真ん丸の琥珀にそんな碧の姿が写り込む。ふわふわの手が確かめるように碧の手に触れる。
「オイラたちドワーフはデミヒューマーの中でも魔物寄りなんだ」
元々デミヒューマーはヒューマーから派生した存在とされていた。デミヒューマーがヒューマーに比べて遥かに優れているのも彼らがヒューマーの進化種だから、との考えが一般的だ。その為、見た目はそれなりにヒューマーに似ているのだ。エルフのエドワードが耳を隠しただけでヒューマーの街に溶け込めていたのもその為だった。
その中でもドワーフは特異と言っていいほどにヒューマーからはかけ離れていた。成人してもヒューマーの子供ほどの大きさにしかならず、他のデミヒューマーにはない肉球や体毛をその身に纏っている。ヒューマーは彼らを魔物から進化したものだと殊更に蔑んでいた。
「だから動物の言葉はわかるし、魔物の気持ちもちょっとだけわかる」
ちょっとだけね、と重ねるシャオに碧は取り敢えず頷く。
「何て言ったらいいのかな……チビもベリルも、勿論他の魔物たちもだけど、アクアやアオイの傍にいるとすごく嬉しそうなんだ」
シャオの耳がぴこぴこと動く。にー、と小さな鳴き声が碧とシャオの間から聞こえる。ルーナだ。自分もだと言わんばかりに碧の腕に身体を擦りつけている。
「でね、アオイのその感じが最近段々強くなってきてる気がするんだ」
「そ、うなんだ……?」
思わず自分の手のひらを見つめてみるが、何も変わりなく小さな手のままだ。そうだよ、とシャオは言葉を続ける。
「ベリルは特にアオイにべったりだから。アオイが望むことを望むまま叶えようとする……あっ、命を賭けることはしないよ、それはアオイが嫌がることだってわかってるから」
碧は再び膝の上のベリルに視線を落とした。バイパーから碧を護ろうとしてくれたこと、碧の制止を受け入れてくれたこと、言われてみれば身に覚えがある。だが――。
「でも、それがどうしてなのかはわからない。ただ、魔物は幸せなんだ。アオイの傍に居られて、アオイの願いを叶えて、それだけで」
どうしてそこまで捧げてくれるのかは、わからない。碧が異世界の人間であることが、もしかしたら関係しているのかもしれない。だが、それもあくまで推測の域を出ない話だ。
「……アオイにこんなこと言う必要ないと思うけど、大事にしてあげてね」
「うん。ありがとう」
未だ少し混乱もあったが、素直に礼を言う。知らない間に危険な目に合わせてしまっていたのだ。これからもそうさせてしまったかもしれない。
それがわかったところで、自分に何が出来るのだろうか。不意にそんな疑問が鎌首をもたげて碧に喰いつく。思考が暗く沈み始めたところで、閃光が頬を照らした。
◆◆◆◆◆
シャオが碧の元を訪れたのとほぼ同時刻、エドワードも男の部屋を訪れていた。元々2人で示し合わせたことだった。こちらは炭酸水の瓶を2本携えて男の部屋をノックする。返事がなかったので勝手に開けて入ることにした。
「よう、チビの様子は?」
「相変わらずだよ。寝てるだけ」
ベッドに悠々と寝そべっている青毛の狼はいつも通りのようにも見える。特に最近は慣れない環境で疲れが溜まっているのか、食事を終えればウトウトしていることが多かったので尚更だ。ぷうぷうと鼻提灯まで作っているものだから、どうにも緊張感にかけた。
エドワードはベッドの開いたスペースに腰かけると、男の様子を覗う。想像していたよりも落ち着いていた。何となしに傍らのチビを撫でると、指にふわふわの毛が絡みつく。
「抜け毛がすげぇな」
指に引っかかって抜けた毛を集めて丸めながらエドワードが呟く。ほんとにね、と男もわしゃわしゃと胸を撫でた。
「ちょっとスリッカー取ってくれる?」
「ん、ほら……うわ、これは痒いだろうな」
毛流れに沿ってスリッカーを滑らせるとごっそりと抜けた毛が丸まる。気持ちいいのか、寝たままのチビの鼻先がひくひくと動いて息が漏れていた。全身を梳き終えると寝具一式が出来そうなほどの毛玉がベッド脇に出来上がった。
「換毛の時期じゃねぇよな?」
「うん。あっちとも気候はそう大きく変わってない筈なんだけど……」
ストレスだろうか、とも考えるが、それにしては梳き終えた身体もふかふかだ。見る限り脱毛しているような部分はない。
不意にころんと寝返りを打ったチビがうつ伏せになる。艶のある毛が窓からの光を反射してキラキラと輝いた。
「あ?」
「ん?」
2人が同時に声を上げる。さんさんと降り注いでいた陽光をたっぷり吸収していた毛皮が、自発的に光りだしたのだ。始めは薄ぼんやりとした光だったものが瞬く間に強烈な閃光となり、2人の目を焼こうとする。思わず椅子を蹴倒して立ち上がったが、光は止まない。
「おい、何だこれ!?」
「いや、わからな――」
男の声を呑み込むように光が爆発し部屋から溢れだした。が、それも一瞬で消える。辛うじて両腕で顔を覆ったが、それでも瞼の裏に入り込んだ光がしばらく目の前を回った。そろって硬く目を閉じて頭を振る。
「何事!?」
「あの、何か今光が……」
壁を隔ててなお届いた閃光に気づき、男の部屋に碧とシャオが駆け込んでくる。が、足音はドアの直ぐそばで止まっていた。
「ごめん、何も見えない! 何が起こってるの!?」
男がそう叫ぶとあっ、と小さな声が聞こえた。慌てた足音が男とエドワードにそれぞれ駆け寄ってくる。
「あの、チビが……わっ!」
碧の驚いたような声と共に、男の顔が何か柔らかくて毛足の長いものに埋まる。同時に何か重い物が両肩にのしかかってきた。倒れそうになるのを何とか堪え、目を瞬かせる。太陽の匂いと覚えのある滑らかな手触り。男は未だ星が回る視界を無理矢理に開いた。
「……え、うわっ」
べちょ、と湿ったものが男の顔を撫でていった。慌てて腕で拭い、改めて前を見る。――そこにいたのは後ろ脚で立ち上がっていたチビだった。仕切りに男の顔を舐めようとしている。
「……チビ、だね」
「チビ、だと思います」
男の言葉に碧が頷く。名を呼ばれた本人は何が嬉しいのか、尻尾をぶんぶんと振りながら一声鳴いて見せた。が、その姿は大きく変化していた。
大きさこそ一回り二回り大きくなった程度だったが、青みがかったグレーの毛並みは濃さを増して黒に近い灰青色になっている。その灰青色の額の中心に金色の毛が土の紋章を描いていた。変わっていないのは目の色と顔つきくらいのものだ。
「成体……に、なったのか?」
エドワードがおもむろに口を開く。
魔物の成長は人のそれとは大きく違う。魔物は魔力を蓄積する器官マギアタンクを持って生まれ、そのタンクと共に成長していくのだ。それが一定の大きさに成長した時、それに合わせて身体を造り変えるのだ。幼体から亜成体に亜成体から成体の3段階が一般的とされている。
幼体から亜成体へと変わるのに必要なのは年月だけだ。そしてほとんどの魔物は亜成体のまま寿命を迎える。種族にもよるが、成体になれるのは一握りだけだ。
「ここ最近眠そうだったのはこのせいか……」
男が安心したように息を吐いた。わしゃわしゃと顔の毛をかき回すように撫でてやれば嬉しそうに金色の目を細めて尻尾の速度を上げていた。
数分遅れてカルラが駆け込んで来たが、原因をしばらく撫でくりまわした後去って行った。碧とシャオもベリルの様子を見に部屋へと引っ込む。
「いやー……びっくりしたな?」
「うん……チビ、身体なんともない?」
ウォン! と元気のいい声が応えた。落ち着きなく部屋の中をぐるぐると回っていたので、男とエドワードはチビを連れて中庭へと向かう。
『あっ、チビ来たよ! おめでとー!』
駆け寄ってくるなりそう言ったグレイ。すりすりと頬を合わせ、チビの額に浮かび上がった大地の紋章に鼻先を寄せる。
『成体なら、チビも魔法覚えられるかな?』
何となくわくわくした様子のグレイにエドワードは肩をすくめる。
「そういや、お前ら2匹とも成体だっけか」
『成体ともなれば精霊との繋がりも強くなる。可能性はあるぞ』
『特にフェンリルはノームのお気に入りだもんね』
そうなの? と男はグレイを見上げる。こっくりと頷いたグレイは小さな水球を生み出した。それをぽーんと鼻先で跳ね上げ、チビへとパスする。チビは大はしゃぎでそれを突っつき、破裂させた。
『少なくとも細かい調節は向かないかもね』
内包していた水を頭から浴びたチビがぶるぶると身体を振る。これはこれで楽しかったらしく、続けてグレイが作り出した水球にも突進して破裂させていた。
『土の魔法使いがいてくれれば、その人に教わるのが一番いいんだけどねー』
「アオイちゃんの知り合いにいなかったっけ? ラビとか言う居住区の」
あぁ、と男が小さく声を上げた。教団から碧を救ってくれた内の1人だ。
「しばらくはどうか分かんねぇけど、また会うだろ。そん時に頼んでもらうように言ってみるか?」
教団の残党が潜んでいる可能性が高いのだ。しばらくは碧を出歩かせない方がいいだろう。そんな男の思考を良く知っているエドワードはそう提案する。当人はよくわかっていないのだろう、機嫌よく中庭を駆け回っていた。
「そうだね。俺からも頼んで見ようかな」
男はそう言うとチビを呼び寄せた。男の目の前でペタンと座ったチビが小首を傾げる。
「チビはどう? もっと強くなりたい?」
一際大きく力強い鳴き声が響いた。それを合図にするように目を覚ましたベリルが遠吠えのように声を上げた。
その日の夜。カルラは食事を終えた後も執務室で溜まっていた書類と奮闘していた。半分ほど片付けたところで、遠慮がちなノックが響く。男やエドワード、バリーのノックは音が大きいし、キースのノックはきっちり同じ音で2回。シャオに至ってはノックはしないし、したとしてもその位置はかなり下だ。以上の情報から、カルラはドアの前の人物を予想して声をかける。
「入っていいよ」
「あ、えっと、その……こんばんは」
そろりとドアが開いた。ノックの音から予想していた通り、そこに立っていたのは碧だ。カルラは書類にサインを書きながら碧にソファを勧めた。碧が座ったのを尻目にカルラは書類に判を押すと、思いっきり背伸びをして肩を回す。
「ん、お待たせ。何のようだ?」
「あ、えっと……」
対面のソファに腰を下ろすと、俯いた碧のつむじを見つめる。話し出すのに時間のかかる子だとは知っている。無理に急かせば貝のように閉じられてしまうのだ。根気よく待つしかない。
「護身術を、ですね……教えていただきたくて……」
ぼそぼそとそう言った碧に、カルラは少しだけ驚いていた。が、それをおくびにも出さず、碧に理由を尋ねる。
「その……今回の件もなんですが、自分が原因のようなので……」
「そんなのアンタが気に病むことじゃないさ、何が原因だろうが強硬手段に出た輩どもが悪いに決まってる」
ふるふると目の前の頭が左右に振られる。カルラが首を傾げると、碧は少し迷いながらも昼間シャオに言われたことをカルラに話す。
「なるほど……」
端的に言えば碧は無条件で魔物を味方につけているようなものだ。その理由は相変わらず謎のままだが、カルラは少し納得する。
数日前、ミズガルドからの船をスキュラーが押し返そうとしたのは、碧のためだったのだろう。もしくは単純にスキュラーたちが碧と離れたくないがためだったのかもしれない。
「……それで何で護身術なんだ?」
そのまま護ってもらっていればいいものを。何せ彼らはただのヒューマーよりも圧倒的に強いのだから。普通はそう思うが、碧は違うのだろう。
「……戦う、とかはどう考えても無理なので……せめて身を護れるくらいは出来たら、と」
聞きたかった理由とは毛色が異なるものだったが、カルラはひとまず頷いた。話す前に迷いも感じたので言いたくないのだろう。少なくとも、未だ、自分には。
「ん、わかった。それにしばらくアオイは屋敷に待機になるだろうからな。アタシで良ければ稽古つけてやるよ」
ほっと息を吐くのが聞こえ、カルラは小さく笑った。そして、1つどうあっても確認しなければならない事を思い出して尋ねる。
「この件、アクアは知ってるのか?」
「……いいえ?」
不思議そうに首を振る碧にカルラはちょっとだけ苦い表情を浮かべていた。
身体が変わるだけなので中身はそのまんまです。




