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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第2章 内側の世界、外側の世界

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33 多数決の信仰

 ノア王国騎士団の襲撃から更に数日が経った。カルラたちから簡単な事情を聞いた漁師たちが仕事の合間に海の見張りを引き受けてくれ、取り敢えずの平和な日々が続いている。

 が、内側に発生していた問題は、変わらず解決にはほど遠かった。数日前にはエドワードに絡んだ野盗が犠牲者の仲間入りを果たし、バリーと揉めたヒューマーたちがギムレーによって荼毘に付された。


 そんな状態でも居住区への物資は届けなくてはならない。碧はその日もバリーについてラビたちの元を訪れていた。その日は月に一度行っている必要物資の確認の日だったため、碧はリストを片手に話し合っているバリーとラビから少し離れて待っていた。

 頭上には旋回するベリルと傍らにちょこんと座ったチビ。ルーナは同じくラビたちから少し離れたところに溜まっていた子供たちの相手をしていた。


 荷車の傍でぼんやりと立っていた碧の耳に、不意に険のある声が響く。ベリルの声だ。同時にバサバサと乱れた羽音が頭上から落ちてくる。まどろんでいたチビが、突然飛び起きて走り出した。


「え」


 砂を巻き上げながら金網の近くで急停止したチビの背中に、どさりと重い物が落ちる。その周りに黒に近い茶色の羽が舞い散る。赤玉を隠した瞼はぴくりとも動かない。


「ベリルッ!!」


 慌てて駆け寄ろうとした碧の腕が後ろに引かれた。強い力に抗えず、後ろによろけた背中に分厚い胸板があたる。腹に回った太い腕に持ち上げられ、足が地面から離れた。黒い外套が翻る。続けざまにパシュッ、と空気が漏れるような音が斜め上の辺りで聞こえ、チビの顔の周りに薄靄が広がった。

 唸り声を上げて体勢を低くしていた身体が、ぐらりと前に傾ぐ。何事か唱えたバリーの手から高圧水流が放たれて、碧の顔の横を掠めていった。肉を打つ鈍い音を追いかけるように地面に黒い銃が転がった。


「アオイ!」


 ラビが叫ぶのとほぼ同時に黒衣の足元の土が大きく盛り上がる。バランスを崩した黒衣の男の腕が少しだけ緩んだ。振り払おうと身を捩れば、手首の辺りにひやりとした感覚が巻き付く。また腕を引かれ、今度は前につんのめった。


「大丈夫!?」

「っあ、はい!」


 いつの間にか目の前にいたバリーに肩を掴まれ、碧は取り敢えず頷いた。バリーが水の鞭で引き寄せてくれたらしい。


「ごめん、ちょっとこの中に居てね」

「え、わっ!」


 突然碧の周りで水が立ち昇る。それは薄い皮膜のように碧を覆った。バリーは水の鞭を繰るとチビとベリルも引き寄せて膜の中へと押し込む。碧は慌てて2匹の傍にしゃがみ込んだ。背中が規則的に上下しているので、2匹とも眠っているだけのようだ。


「ぎゃあッ! 放せ、化け物ぉお!」


 碧がほっとしたところで膜の外で悲鳴が上がった。思わずそちらを見れば、バリーがもう1人の黒衣の男を路地から引きずり出しているところだった。魔法ではなく素手でだ。碧を捕まえた方は既に地面に伏していた。


「ごめん、ちょっとうるさいかな」


 耳元の蚊を払うように、バリーは男の首筋を叩いた。静かになった男がべしょ、と地面に倒れる。気絶しているのを確認すると、バリーは梟に走り書きの手紙を持たせて飛ばした。そうして碧に歩み寄り、ぱちんと指を鳴らすと途端に水の膜が消え去る。


「大丈夫だった?」

「あ、はい……2匹とも寝てるだけみたいです」


 金網の向こうから駆け寄ってきたルーナが心配そうにチビの頬を舐めている。碧はチビの上に乗ったままだったベリルを抱き上げると自分の膝に乗せた。バリーも呼吸を確認するようにチビのお腹を撫でる。


「おぉ……フワフワだ」


 ちょっと感激したようにそう漏らすと何度かもちもちと触っていた。チビが起きる気配はない。


「ラビも援護ありがとね」

「いえ! これくらい……その、アイツら一体……?」


 そう言ったラビは碧に視線を移動させる。碧はうつ伏せに倒れていた男の黒衣を見ていた。

 天から舞い降りる人をモチーフにしたマーク――疑いようもなく、バーデン教団のものだ。騎士だけでなく、彼らまで来ていたようだ。それも騎士団と違って中にまで潜り込んできている。


「神の子信仰宗教……だっけ?」

「あ、それ第一世代の人たちから聞いたことあります。確か、異世界から来た勇者様の話ですよね」


 ベリルを撫でていた手が思わず止まる。海を隔てたニダウェにも、その存在は知られてはいるらしい。


「何を信じるのも勝手だけど、迷惑な話だよ」


 信仰というものは時として暴徒を産む。1つのシンボルにすがり、集った有象無象はただの多数決を盾に正義を執行するのだ。


「魔物やデミヒューマーを殺して回るだなんて……最悪な宗教ですね」


 碧はぎゅ、と手を握り締めた。もし今、教団員が起き上がって、碧の事を話してしまったら。自分がそのシンボルとなりえる存在だと知られてしまったら。不安に脈が乱れ、指先が冷えていく。不意にその拳の上に柔らかいものが乗った。


『だいじょうぶ?』


 左右で色の違う大きな瞳が見上げてくる。ルーナは凝り固まった手を揉むように足を動かした。子猫が母猫のお腹を揉む動きは碧を信用し、甘えている証だ。拳を解いて喉を撫でれば、ゴロゴロと気持ち良さそうな鳴き声が上がる。


 そうこうしている内にバリーが呼んだ応援が駆け付け、教団員を拘束して引いてきた荷車に乗せていた。男やエドワードにも連絡が行っていたらしく、息せき切って走ってくる。


「アオイちゃん!」


 駆け寄ってきた男は碧の膝に頭を預けていたチビやベリルを見て一瞬動きを止めた。が、直ぐに眠っているだけだと気づき、尖りかけた牙をしまう。


「怪我は?」

「大丈夫です。2匹とも寝てるだけなので」


 男が小さく溜め息を吐いた。男がチビを、エドワードがベリルを抱き上げるとシャオが手を取って碧を立たせる。碧が眉間に僅かにしわを寄せた。

 教団員に引かれた方の手首を取り巻くように手形がついていた。肉球のついた柔らかい手とは言え、出来立ての痣を触られれば鈍い痛みが走る。


「痣、出来てるね」


 しょぼんと眉を下げ、引っ張ってごめんと謝るシャオに碧は慌てて両手を振った。


「このくらい――」

「何故なのですか、『神の子』よッ!!」


 大丈夫、と言いかけた声が喉に詰まった。耳元で暴れだした血管が鼓動に似た音を鳴らす。くるんと丸まった琥珀の向こう側で、教団員の1人が身体を起こしているのが見えた。


「貴方は魔を払う唯一無二の――」

「やべ、起きちゃったか」


 そんな事を言ったバリーがボールでも扱うように教団員の頭を無造作に掴む。更に何事か叫ぼうとした彼の頭を荷車の縁に叩きつけた。そうして教団員のみならず沈黙した中で、ポリポリと頭を掻く。


「はーい、さっさと連れてっちゃって。追って指示は出すから、取り敢えず逃がさないように見張っててね」


 応援に来ていたバハムーンたちは少しばかり動転していたが、上司(バリー)にそう言われた以上従う他ない。荷車が立てる音がすっかり聞こえなくなると、バリーは金網へと歩み寄った。


「騒いでゴメンね、ラビ。他に要る物ってある?」

「え、ぁ、い、いえ、大丈夫です!」


 戦闘時に放り投げていたリストを拾って掲げながら確認すると、ラビは両手と首をぶんぶんと振った。そうして声をひそめる。


「あの……一応、皆には他言しないように言っときます」

「ん、ありがとう」


 ラビは碧を一度だけ気づかわし気に見た後、遠巻きにしていた子供たちの方へと走っていった。それを見送って、バリーは改めて碧たちの方へと向き直る。


「じゃ、僕らも戻ろうか」


 片手でチビを抱き上げた男が、震える肩をぽんぽんと叩いた。



◆◆◆◆◆



「お、戻ったか……どうした?」


 屋敷に戻った男たちを迎えたカルラの第一声だった。男たちに囲まれるようにして帰ってきた碧に訝しげな視線を向けていた。しかも当の碧は深く俯いていて拳を握っている。その周りを心配そうにシャオがちょろちょろと歩き回っていた。

 カルラは少し考え込むような素振りを見せた後、バリーをちょいちょいと手招いた。近づいてきたやや尖った耳に手を当てて囁く。


「何かちょっかいかけたのか?」

「違うよ、ちょっかいかけたのはヒューマー……それも、神の子信仰宗教のね」


 カルラの眉間に瞬間的にしわが寄った。丁度そのタイミングで物資を届け終え、品物を積んだ荷車を引いた部隊が帰ってくる。その中に1つだけ、否応なく目を引くものがあった。


「アレか……あー、取り敢えず地下室に突っ込んどいてくれ!」


 黒衣の男が2人乗せられていた荷車を引くバハムーンにカルラが声を張り上げる。それに応えたバハムーンが2人、それぞれ黒衣の男を担ぎ上げキースの案内に従って屋敷の中へ消えていった。


「じゃ、話を聞こうか?」


 男たちはカルラの案内で場所を移した。変わらず眠っていたチビとベリルはそれぞれ男と碧が借りている部屋に寝かせてある。ルーナだけは頑として碧から離れなかったので変わらずフードの中で身体を丸めていた。

 そうして主にバリーが僅かに数分前の事を報告し始める。教団が碧を狙って仕掛けてきたこと。ラビの援護もあって、ニダウェ側に負傷者はいないこと。


――彼らが、碧を『神の子』と呼んだこと。


 つらつらとバリーが何も差しはさまない事実だけを話す間、碧はずっと俯いていた。教団が現われてからずっと、嫌な想像が頭の中を駆け巡っていた。碧の悪い癖の一つだった。

 カルラやバリーの顔色を見るのが怖い。拒絶されるのが怖い。隠していたことを咎められるのが怖い。良い子でいないといけないのに、そうあれなくなるのが怖い。


「アオイ」


 バリーの報告を聞き終えたカルラが静かに呼ぶ。碧は雷に打たれたように肩をびくつかせた。しばらく沈黙が流れる。カルラは碧が顔を上げるのを待っていたのだが、仕方なく言葉を続ける。


「コイツが配慮のない事を言って悪かった」


 カルラの声に被さるように軽い殴打音と、いてっという小さな悲鳴が聞こえた。思わず上げた視線の先では深く頭を下げたカルラと、叩かれたらしい頭をさするバリーがいる。


「20年前の異世界人の話はこっちにも届いてる。魔物やデミヒューマーを殺しまわった挙句居なくなった、くらいのモンだけどね。まァそれもあって先代の『神の子』とやらに悪感情を抱いてるやつもそれなりにいるのは事実だ」


 もう一発叩かれ、赤紫の頭が前に傾いだ。バリーは痛いよー、と気のない声を発しながら、わざとらしく唇を尖らせる。


「個人攻撃はしてないもん。集まった奴らが厄介だって言っただけだもん……でもごめんね」

「ぁ、いえ……」


 まさか両名から謝られるとは思っていなかったため、腑抜けた返事をしてしまった。が、カルラやバリーは気にしていない様子でほっと息を吐く。カルラは少しだけ身を乗り出すと、男の方を覗いながら言葉を続けた。


「内密にした方がいいんなら箝口令を敷こう。だが、少なくともウチの屋敷にはアオイの素性を知って、態度を変えるような輩はいないとは言っておく」

「ミズガルドからの密入国者があれだけとも限らないからね。一応秘密にしといた方がいいとは思うけど」


 バリーがそう言い添えると男やエドワードも頷いていた。碧も取り敢えずこくりと頷く。よし、と呟いたカルラはもう一度バリーの頭に手を乗せた。


「アオイも叩いとくか?」

「えっ……い、いえ! 大丈夫です」


 そうか、と言ったカルラはそのままバリーの頭を撫でた。そうして何か耳元で呟くと、バリーがこくりと頷いて立ち上がる。


「じゃ、僕は帰るね。あ、後、明日は僕別の仕事があるから、アオイちゃんも待機でお願い」

「わ、わかりました」


 じゃ、と片手を上げたバリーが部屋を出ていこうとする。


「あの」

「ん?」


 そんなバリーの後ろ髪を小さな声が引く。首だけで振り返ると、碧が縮こまったまま、口を開いた。


「さっきはありがとうございました」

「……あぁ! どういたしまして」


 ワンテンポ遅れて、バリーがパッと笑顔になる。もう一度ひらひらと手を振り、今度こそ部屋を出ていった。その足が向かったのは自宅ではなく、地下室だったが。


「まだ寝てる?」


 地下室の前で待っていたのはキースだ。バリーがそう問いかけると、キースはテイルコートの尾を揺らしながら振り返った。


「はい、起こしましょうか?」


 コートの内ポケットに手を入れながらそう問い返す。バリーは首を横に振って手のひらを上向けた。みるみるうちに空気中の水分が集まり、人の頭を覆えるほどの大きさに成長する。


「取り敢えず音の遮断だけよろしくってさ」

「かしこまりました」


 恭しく腰を折ったその身体の周りで空気が渦を巻いた。開け放ったドアをくぐると同時に薄い膜を突き破るような感覚を覚え、バリーは何とも言えない顔をする。


「晩御飯までには終わらせたいなー……」


 ぐっ、ぐっ、と腕の柔軟をしながら独り呟く。その独り言が誰かに聞こえることはない。手のひらから離れた水球は分裂して数を増やし、バリーの周りを飛び交っていた。


「そう言えば……」


 ふとバリーは足元を見下ろす。石造りの床はよく磨かれていて染み1つない。普段は倉庫として使われているそこに、2人のヒューマーが荷物のように転がされている。


「貴様ら我らにこんなことをしてタダで済むと思うなよ!」

「『神の子』さえ取り戻せば、貴様ら魔族など、恐るるに足らぬわ!」


 目を覚ましていたらしい2人は口々に騒ぎ立てていた。『神の子』を穢しただの、連れ去っただの……果ては魔族に生きる価値はない! と碧が聞けば心を痛めそうな言葉を次々と吐いていた。が、バリーはとあることを思い出すのに脳をフル回転させていて、右から左へと聞き流していた。


「殺しちゃダメだって、言われたっけ?」


 とん、とん、と唇を叩きながら、バリーはそんなことを呟いた。

キースさんは執事さんです。

バリーさんは荷運び人です。

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