31 持たざる者の襲来
碧たちがギムレーに来てから数日が経った。その間起きた事件は男たちが見つけた大量の死体を除けば犯罪者同士の小競り合いや物資を狙った強盗くらいのものだった。
碧は変わらずバリーの手伝いでヒューマー居住区を訪れては、ラビを筆頭に子供たちとの交流を深めている。碧によってルーナと名付けられたケットシー(♀)が彼らとの距離を縮めるのに一役買っていた。どの世界でも猫は愛玩動物として人気らしい。
その日もラビが荷物を受け取る傍ら、金網の隙間から居住区側に潜り込んだルーナは子供たちに撫でまわされていた。受け渡しが終わると、ルーナは再び金網をするりとくぐって碧たちの方へと戻って来る。器用に碧の身体を登ると、定位置になりつつあるフードに潜り込んで大欠伸をした。
そんな微笑ましい風景を眺めていたバリーとチビの耳が慌ただしい足音を拾った。
「バリーさん!」
「どうしたの? 何かトラブル?」
息せき切って走ってきたバハムーンの青年に向き直る。碧もそちらへと歩み寄った。
「港に不審船が近づいてるそうです。どうやらミズガルドからの船のようでして……お嬢が念のためにバリーさんにも来て欲しいと」
「不審船?」
バリーが眉を上げた。ギムレーの海は波こそ穏やかだが、魔物が数多く住んでいる。彼らや海に粗相さえしなければ特に問題はないため、漁師などが襲われたという話は聞かない。
が、ミズガルドの船はこのルールを知らないだろう。下手なことをして怒りを買ってしまう危険性は高い。実際何年か前には罪人の輸送船がクラーケンに襲われている。
輸送中の罪人たちがよりによってクラーケンの巣の真上で騒ぎを起こしたのだ。無理に起こされて不機嫌になったクラーケンは輸送船を襲い、乗っていたヒューマーのほとんどが海に投げ出されたのをギムレーの漁師総員で拾い上げたのだ。
「輸送船じゃないんだよね?」
「はい、乗っているのは全員騎士のようです。遠目にですが、ノアのマークの鎧を着ているのを確認しました」
ぴくっと碧の身体が反応する。ベリルも少し険しい顔つきになった。そんな1人と1匹を見たバリーが首を捻る。
「お知り合い?」
「多分、そうかと」
ノアの騎士団が来ている。わざわざこんなところまで、男やエドワードを追いかけてきたのだろうか。ぎゅ、と拳を握った碧を見下ろし、バリーは頭を掻いた。
「んー、アクアさんたちに通達は?」
「してあります」
「オッケ。じゃあ、アオイちゃんのエスコート頼んでいい? 僕はこのまま港に向かうから」
「了解しました!」
敬礼したバハムーンの青年とバリーとが同時にこちらを振り向く。
「じゃ、そう言うことだからごめんね。寄り道せずに真っ直ぐ帰ってね」
そう言うとバリーは一目散に走り出した。みるみる遠くなる後ろ姿を見つめていると、後ろから声がかかる。振り返るとラビがこちらに駆け寄ってきた。
「何かあったの?」
「ん、何かミズガルドから騎士が来てるみたい」
「……何で?」
さぁ、と曖昧に答える。流石にここに来た経緯を詳しくは話せない。
「ここに送られた人の中に実は無罪の人でもいたのかな?」
「どうだろうね」
そんな会話を交わしていると、バハムーンが碧を呼び寄せる。碧の屋敷待機はカルラからの指示らしい。男やエドワード、シャオにも同じ指示が出されているようだ。
「……そう言うわけだから、屋敷まで送るよ」
ごめんね、と言い添えたバハムーンに碧は首を横に振る。ラビも急いで品物を運び出すと砂の手を使って荷車の上に乗せてくれた。
「じゃあ、またね」
「ん、またね」
碧が手を振ると、ラビの襟元からクルがひょっこりと顔を出した。小さな手をぶんぶんと大きく振っている。碧はくすりと笑うとバハムーンに従って踵を返した。ラビも子供たちをまとめようと金網に背を向ける。
その背中を、ルーナがじっと見つめていた。
ところ変わって港ではカルラが厳しい顔で近づいてくる船を見つめていた。その耳元を風が切る音が通り過ぎ、影が身体を覆う。
「早かったね」
「緊急っぽいし、飛んできちゃった」
えへ、と笑いながら広げていた翼を畳む。バハムーンの翼は退化していて本来飛ぶことは出来ないのだが、常時バーサクモードのバリーは別だ。
「不審船ってあれ? ……うわ、ほんとに騎士が乗ってる」
目の上に手をかざしながら海を見れば、帆に船を模した紋章を掲げた船が浮かんでいる。バリーの言う通り、甲板には鎧を身に着け、剣を携えた騎士たちが数名立っていた。
「港に入る前に話がしたいな。頼めるか?」
バリーは笑みを浮かべて頷くと、再び翼を広げる。そうして恭しくカルラの手を取った。そのまま大きく羽ばたけば、瞬く間に空高く舞い上がる。
「そこの船! ちょっと停まりなァ!」
カルラが声を張り上げる。一瞬ざわついた騎士たちの視線が一斉に上を向いた。
「恵みの精霊よ、加護を受けし者に応え、全てを呑む顎をここに」
バリーが静かにそう唱えれば、たちまち海水が立ち上がって牙を剥き、船を取り囲んだ。カルラとバリーはその内の1体の頭に立ち、騎士たちを見下ろした。
「何の用があってここに来た? 返答次第じゃ、とんぼ返りしてもらうよ」
凛と声が響き渡る。水の蛇に取り囲まれた上、目の前には2人のバハムーン。ざわめく騎士たちの中から、うら若い1人が前へと進み出る。
「我々は貴様ら魔族からヒューマーを救いに来た。邪魔立てするというのであれば、容赦はしない」
血気を示すかの如く燃え盛る赤い髪に新緑の瞳。ノア王国騎士団分隊長のバイパーが、静かながらも重い声でそう言った。普通であれば気圧されそうなほど殺気に、カルラとバリーは顔を合わせて肩をすくめる。
「アンタらが勝手に連れて来といてその言い草はないだろ。連れて帰りたいなら好きにすりゃいいさ。こっちも迷惑してんだから」
「でもそんなちっさい船じゃ全員は乗れないんじゃないの?」
何人いると思ってんの? と続けるバリーにバイパーは射殺しそうな勢いで睨みつけてくる。
「犯罪者を連れ帰るつもりなどない。奴らにはここがお似合いだ」
「僕らにケツ拭いてもらってる坊やが言うじゃない」
バリーの声に棘が混じる。くい、と指先を動かせば水の蛇が包囲網を狭めた。数名の騎士がびくつくのを見て、鼻を鳴らす。
「で、結局何しに来たの? おにーさんに言ってごらん?」
遥か上にいながら小さい子と視線を合わせるかのようにしゃがみこむ。バイパーの額に青筋が浮かぶのが見えた。
「あんま煽るんじゃないよ、まともに会話できなくなるだろ……アンタと同じプッツンだよ、アイツは」
後半は小声で囁きながら、カルラはバイパーの方を見やった。既に剣に手がかかっている。
「で、誰探してんだ? 言ってくれりゃ、アタシが探して連れてきてやるよ……アンタみたいな危ない奴を街には入れらんないからね」
「貴様らの許可など必要ない、押し通る」
にべもなくそう言ったバイパーが体勢を低くする。他の騎士たちが慌ててそれに倣った。カルラが溜息を吐く。
「頭の固い坊やだねェ――バリー」
「アイアイサ」
バリーが軽く両手を広げて、ゆっくりと閉じていく。その動きに従って水の蛇は1匹、また1匹と融合していき、遥か高い水の壁へと変容する。
「押し流せ」
カルラの命に従ってバリーが水の壁を崩壊させ、津波を起こそうとしたその時だった。
「な、え、何だ!?」
突如として船が揺れ動く。そうしてそのまま後ろへと進み始めたのだ。戸惑う騎士たちを横目にカルラはバリーへと視線をやる。それを受けて、バリーは首を横に振った。
「まだ何にもしてないんだけど……」
仕事を失ってしまった水の壁を水面へと返しながら、バリーはそこそこの勢いでバック走行を始めた船を見送る。そうして、はたと気づいた。
「スキュラーたちが頑張ってるみたいだね」
「え? あ、ほんとだ頑張ってるねェ」
目を凝らすと船底に群がったスキュラーたちが一生懸命にタコの足をもにょもにょと動かして船を押しているのが見えた。騎士たちは気づいていないらしく、舵や帆を調整して頑張っている。
「バイパー隊長、舵が利きません!」
「風向きにも問題はありません! 今魔法使いを呼びました!」
因みに舵は数匹のスキュラーたちが突っつき回して破壊していた。1匹1匹に大した力はないが、スキュラーは大きな群れで行動する魔物だ。小型の船を動かすくらいは訳のないことだった。
呼び出された魔法使いが帆に風を当てる。速度こそ下がったが、それでも船は後ろ向きに進み続けた。
「しかし、昼寝の邪魔されたクラーケンならともかく、スキュラーが船を襲うなんてねェ」
厳密には襲っている訳ではないのだが、それでも珍しいことに変わりはなかった。スキュラーは元来大人しい魔物なのだ。見た目から肉食で狂暴だと思われがちだが、海に落ちた者を浜辺まで引き上げてくれるような心根の優しい魔物だ。
漁師の間では海守として一目置かれ、遠漁の際には彼らの好物である果物を彼らの為に海に落とすのが習わしになっている。
そんな訳で目の前のこの光景は何とも信じ難い風景だった。それに加えて何も分かっていないヒューマーたちが右往左往しているのは、特にバリーにとってはなかなか愉快な光景だった。
「どうする? このままほっといても大丈夫だと――あ、ダメだ」
不意にそんなことを言ったバリーが足場にしていた水柱に手をつく。途端に水柱は無数に枝分かれし、鎌首をもたげながら真っ直ぐに船へと向かった。鞭のようにしなった水は船の近くの水面を思い切り叩く。当然船は大きく揺れ動いた。
「くっ……!」
バイパーは咄嗟に抜いていた剣を甲板に突き刺して転倒を避けた。蜘蛛の子を散らすようにスキュラーが船底から――バイパーの持つ黒剣から離れていく。
「アレがモリオン……だっけ?」
「ぽいな。刺激に反応して魔力を放出するんだったか」
2人がそんな会話を交わすうちに、刀身が火花を散らし始める。素早く体勢を立て直したバイパーが大きく一歩を踏み出した。バリーが翼を広げる。
「シッ!!」
短い息と共に鋭い突きが放たれる。刀身が巻き込んだ空気が渦巻きながら密度を増し、空を切り裂いてカルラたちへと向かう。
バリーはカルラを横抱きにして大きく羽ばたいていた。砲弾のように放たれた空気の槍を、軌道に合わせるように旋回して避ける。敏感になっていた耳に、舌打ちが聞こえた。
「傷つけるなよ」
不意にそんな声と共に、頬に褐色の指が触れる。バリーは一も二もなく頷くと、再び作り出した水柱の上にカルラを立たせる。そうして自分は急旋回しながら高度を落とし、甲板へと降り立った。
「僕らはキミらを危険人物と見なした。よってギムレーに上げる気はない……最終勧告だけど、帰る気ある?」
バイパーは口を開く事すら煩わしいとばかりに足を開いて腰を落とした。剣を引き、刺突の構えを取る。対してバリーは大袈裟な仕草で肩を落とした。
「じゃあ、追い出そうか」
流れるような仕草で顔を上げる。薄っすらと開いた糸目が一瞬だけバイパーを映した。視線を受けたバイパーが睨み返す。が、瞬きの間にその視界は木の床を映していた。
「はい、ちょっとごめんね」
「は、?」
気づけばバイパーはうつ伏せに倒されていた。剣を握ったままの手首を掴まれ、可動域とは逆方向に引かれている。背中に乗っていた足が掴まれている方の肩へと移動した。ぐ、とその足に一際力が込められる。
「ッ、この……!」
咄嗟に反対の手で裏拳を入れるが、背に乗ったままの足はびくともしない。殴った方の手に痺れが走ったほどだ。ならばと掴まれた方の手を引いてみるがぴくりとも動かない。
「よいしょ」
そうこうしている内にバリーがぐい、と腕を引く。もともと可動域限界にあった肩が、あえなく限界を迎えた。ばき、とあまりにもあっけない音を立てて肩が外れる。
「ぐ、ぅう……!」
意地なのか何とか悲鳴を噛み殺したバイパーが額を床に擦りつけた。バリーが無造作に手を放すと、力を失った手から刃が零れ、音を立てて床に横たわった。
「あんまこういうこと言いたくないけどさ」
無事な方の拳を握って痛みに耐えるバイパーの片足が持ち上がる。バイパーは咄嗟に身体を捻って仰向けになった。そのままの勢いで足首を握る腕に蹴りを放つ。自分とさほど太さ自体は変わらない腕は、やはり微動だにしなかった。
「力の差、考えなよ」
静かにそう言ったバリーの手のひらから水の鞭が立ち昇る。中空をうねったそれは一斉に彼に斬りかかろうとしていた騎士たちを一息に弾き飛ばし、甲板へと叩きつけた。バリーはそちらを一瞥もしない。
バハムーンは戦闘に特化した種族だ。バリーはその中でも特別な、覚醒したバハムーンである。たかだか武装しただけのヒューマーが束になったところで敵う通りはないのだ。
そもそもヒューマーは他種族に比べて弱いと言っても過言ではない。魔法の才能を持つ者も少なく、身体も力も弱い上に他種族にはある固有能力すらない。ミズガルドで名のある剣士とて、バリーにとっては赤子にも劣る弱者でしかなかった。
「貴様……ッ、ぐぁあ!」
再びばき、と音を鳴らして片足がバイパーの意識下を離れた。バリーはこちらからも無造作に手を放すと、バイパーの近くに落ちていた黒剣を拾い上げる。
「じゃ、ミズガルドにお帰りよ」
大きく広がった翼が船に影を落とす。静かに舞い上がったバリーは手のひらを海に向けた。
「恵みの精霊よ、加護を受けし者に応え、我に徒なす全てを押し流せ」
波間から顔を出したスキュラーが見守る中、海は大きくうねりを上げる。片手足で立とうとしていたバイパーが揺れに襲われ、再び甲板に沈む。
辛うじて顔を上げられたバイパーの目に映ったのは、迫りくる水の壁だけだっただろう。船の手前で海に帰った巨大な水壁は、大きな波を起こし、猛スピードで船を押し流していく。
バリーは船が見えなくなるまで見送ると、待たせていたカルラの元に戻った。水柱の上に降り立つと、差し出された手を取る。
「怪我は?」
「かすり傷一つ、ないよ」
手の甲に唇を落としながら、バリーはそう答えた。カルラは満足げに笑って、バリーに抱きつく。バリーはそのままカルラを抱き上げると、きょとんとした顔のスキュラーに手を振ってギムレーへと飛んで行った。
坊やだのお兄さんだの言ってますが、バイパーさんとカルラ&バリーはそんなに年齢変わりません。




